第01話 風強く吹く上空での戦い

 東京都上空。

 リヒト関東支部の上空。


 びょおびおょと鼓膜を殴り吹く強風を、身に受けながら、二人は対峙している。


 金属が打ち合わされる音が鳴るが、それは響かず一瞬、びょおびょおと、強風が攫って消し去ってしまう。


 周囲ただ風あるのみ、という自由な空間の中で、この風よりも遥かに激しい、二人の戦いが行われている。

 空中であり、重力に身を支配されていたら当然、自由な空間になど成り得ない。彼女たちは、重力を逆に支配するどころか、さも完全に無視し、透明な足場にどっしり立っているかと見まごう、戦いを戦っていた。


 みちおう

 身を覆うのは、真紅の魔道着。

 本来ならば、りようどうさきが着るはずだった物だ。

 両手に握り操るは、ひと振りの剣。


 対するは、青い魔道着の令堂和咲。

 構えているのは、二本のナイフ。

 武器も魔道着も、あきかずの一式だ。

 自分のクラフトが、応芽に破壊され、変身出来ないため、彼女のものを借りているのだ。


 空気、という足場に、大地の如くしっかりと両足で立ち、戦っている二人。

 かと思えば突然、風に舞い上がって、幾多の残像を作りながら刃を打ち合わせ、新たな足場に立って、また刃を打ち合わせる。


 一見すると、互角の戦いだ。

 打ち、防ぎ、防ぎ、打つ。

 ナイフと、剣の攻防は。


 ただし、お互いの顔を見れば、そこには明確な違いがあった。

 明確な優劣が、存在していた。


 応芽の顔に浮かんでいるのは、喜悦にも似た笑み。

 本心か、演技か、分からないが、自分に余裕ありと思っているのは間違いないことだろう。


 対するアサキの顔に浮かぶのは、焦り、それと、とにかく食らいつこうという必死な表情。


 さらに刃を交え続けるうち、状況に変化が訪れていた。

 だんだんと、二人の作る表情の通りになってきていたのである。

 この、戦況そのものが。


「令堂、どないした? 最初の威勢は? カッコ付けて啖呵を切ってた、あの態度は、どこへいったんやあ?」


 ははっ、笑いながら、応芽は、アサキの胸を切り裂こうと、剣を真横に薙いだ。


 爪先で空間を蹴って、退き逃れたアサキ。

 視線を軽く落とし、胸の防具に付いた横スジを見ると、ふうと小さく安堵の息を吐いた。


 だがそこへ、息つく暇を与えまいと、応芽が飛び込む。

 かろうじて避けるアサキであるが、執拗に応芽の刃が追い掛ける。


 これがいつまでも繰り返される。

 アサキは、かわすだけで精一杯になっており、それはつまり応芽の攻撃ターンが延々と続くということだった。


 圧倒。

 力も、速度も、技の冴えも、慶賀応芽は、すべてにおいて、アサキを完全に圧倒していた。


 先ほどまで互角に見えていたのは、単に力をセーブしていたのだろう。

 楽しむためか、慎重を期すためか、そこまでは分からないが。


 応芽が剣を軽々と振る都度、ぶん、ぶうん、と仕掛けでもしてあるのか、重々しい音が鳴る。

 別に、仕掛けなどはない。単純に、振り回す勢い、激しさが、常識外れなのだ。


 その都度、アサキの身体が、風圧により右に左に踊らされる。

 ぐっと歯を食いしばるのみで、必死以外の表情など浮かべる余裕はなかった。

 文字通りの防戦一方。

 構えた二本のナイフも、なんとか攻撃を弾いて己の生命を守るという、その程度の役にしか立っていなかった。


 このままじゃあ、時間の問題だ。

 な、なんとか、しないと……


 焦るアサキは、状況打開すべく、意表を突く攻撃に出た。

 応芽の攻撃が、少し大振りになった隙を見逃さず、かわしざまに、後ろ回し蹴りを放ったのである。

 以前にカズミから特訓を受けた、空手の技だ。


 だがそれすら想定内であったか。

 それとも、戦力の絶対差から、想定など必要もないということか。

 応芽の左肘に、アサキの足先は、しっかりと受け止められていた。


 にやり、と笑む応芽に、

 く、と微かに呻くアサキ。


「効くかボケが!」


 お返しに、とばかりに打ち出された、応芽の前蹴り。


 アサキの方こそ意表を突かれて、避けることが出来なかった。

 靴の底が、胸の装甲を蹴り砕く、ペキリという音と共に、後方へ吹っ飛ばされていた。


 応芽は、空気を引き裂き、掻き分け、一瞬でアサキへと追い付くと、脆くなった胸部へと、今度は両手に持った剣を叩き下ろした。


「うあ!」


 アサキの鋭い悲鳴は、風が攫い、風に溶けた消えた。


 青いラインの入った胸の装甲が、完全に砕かれて、さらには魔道着の本体ともいえる強化繊維が切り裂かれ、層の一番内側にある白い布が覗いていた。

 剣で上から叩かれたことと、苦痛激痛に浮力制御の魔術が解けてしまったことにより、アサキの身体は、重力という見えない手に掴まれ、ぐんと引っ張られ、落下を始めた。


 意識を失い掛けて、赤毛の少女は、半分白目をむいた状態になっている。

 地へと、真っ逆さまである。


「ダメ押しや!」


 応芽は、潜水でもするのか、身体を丸めて、くるんと前転すると、空を蹴り、地へと急加速。

 アサキの落下速度を遥かに超えて、一瞬にして追い付くと、再び前方一回転、意識朦朧無防備な赤毛の少女へと、風をも切り裂くかの如く速度で、振り下ろした踵を叩き付けていた。


 ご、という、肉と骨を打つ不快な音がした、その瞬間には、もうそこにアサキはおらず。

 遥か真下の地面が、間欠泉のごとく、どおんと吹き上がって、低い爆音と共にぐらぐらと揺れた。


 もうもうと煙った視界が晴れると、地面が大きく、すり鉢状にえぐられていた。

 中心に、横たわったアサキの身体がめり込んでおり、土をかぶった状態のまま、ぐったりとなっている。


 空中の応芽が、腕を組みながら見下ろしていると、


 ぶん

 ダメージ限界に、アサキの変身が解除された。

 魔道着が溶け消えて、中学の制服姿へと戻っていた。


「ウメ……ちゃん」


 虚ろな視線を小さく泳がせ、はあはあと息を切らせながら、アサキが口を開いて力ない声を出した。

 震える手を、ゆっくりと、上空へと差し出した。


 そんなアサキを遥か眼下に、応芽は意地悪そうな笑みを浮かべている。


「魔道着がちゃうにしても、ここまでやと、つまらんもんやなあ。でも……容赦はせえへんで」


 応芽へと、アサキの震える手が、指が、向けられる。


「う……あ」


 呻き声しか出ない。

 でも、心の中では、叫んでいた。

 悲しんでいた。


 そんな演技、しなくてもいいんだよ。

 ウメちゃん。

 あなたが、仲間思いで、根はとっても優しいこと、わたし、知っているよ。

 ただ、必死なんだよね。

 妹、雲音ちゃんを助けたくて、必死なんだよね。


 孤独に耐えて、戦っている。

 応芽の姿がそう見えて。

 助けてあげたくて。

 せめて、優しい言葉を掛けてあげたい。

 救う言葉を掛けてあげたい。


 朦朧とした意識の中で、そう考えるものの、でも、どんなに力を入れようとしても、呻きに似た声しか、その口からは出てこなかった。


 ただ、アサキが喋れたとしても、応芽の行動は変わらなかっただろう。

 アサキの思いは、しっかりと通じていたのである。


 ……だからこそ、応芽は激怒していたのである。


「なんや、その憐れむような目は!」


 魔法浮遊をやめて、応芽の身体が落下を始めた。

 真下にいるアサキへと。

 握った剣を、上段で後ろへと、振りかぶりながら、


「これでええ、しまいやあああああああ!」


 叫び、空気を蹴って、落下速度を倍加させた。

 まっすぐ、アサキへと。ジェットを超えるけたたましい爆音を立て、落ちていく。


 すり鉢状の中心で土に埋もれながら、ぐぅ、と呻き声を上げ、必死に身体を動かそうとするアサキであるが、受けたダメージがまるで回復しておらず、手足に寸分の力も入らない。


 応芽の身体が、落ちてくる。

 応芽の身体が、ぐんぐんと大きくなる。

 応芽の身体が、アサキの視界を完全に塞いでいた。

 

 ざん

 空気を切り裂く音。


 応芽の持つ剣が、振り下ろされたのである。

 地球をも真っ二つにしそうな、全身全霊の激しい一撃が、身動き取れないアサキへと。


 爆音、地響き、豪風と共に地が噴き上がった。

 まるで爆弾、凄まじい威力であった。

 ただの剣ひと振りであるというのに。


 周囲すべてが、消し飛んでいた。

 すり鉢が深く、大きく、広がっていた。


 変身が解けて生身の身体に戻ったアサキに、耐えられるはずもない。


 しかし、アサキは無傷だった。

 剣の一撃が肉体を切り裂くことも、爆風に吹き飛ばされることもなく。

 より深くえぐられた地の中心で、驚きに目を見開いている。何故、自分が無事なのか、と。


 応芽の剣は、受け止められていたのである。

 不気味な形状の、武器で。


 それは、柄のない、巨大な斧であった。

 それを持つのは、銀の黒の、魔道着を着た魔法使いであった。

 魔道着と同様、左右で黒と白銀に分かれている、長い髪の毛。

 百七十を優に超える、大柄な体格。


 突然現れた魔法使いが、身動き出来ず絶体絶命のアサキの前に立ち、その不気味な斧で、応芽の剣を受け止めていたのである。


しま……しよう


 応芽は、魔法使いの名前を呼ぶと、ぎりり歯を軋らせた。

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