第12話 この生命と引き換えようとも

 おおさか大学附属病院。

 大阪府すい市の郊外にある総合病院だ。


 一般診療が基本ではあるが、リヒト指定の病院であり、つまりは職員全員がリヒトに所属している。


 東病棟の四階にある病室に、今日もみちおうは訪れていた。

 妹であるみちくもの、お見舞いのために。


 お見舞い、という言葉が適切なのか、応芽には分からないが。

 だって、妹の魂は、もうこの場所にはないのだから。


 この場所どころか、どの場所にも存在していない。


 当然だ。

 自分が、砕いてしまったのだから。

 半ば無意識に魂砕きの術法を施して、粉々に。


 ならば何故、自分はここへくるのだろう。

 魂などを超越した、なにかにすがりたくて?

 それとも、ただ単に信じたくなくて? 現実を受け入れたくなくて?


 自分の心のことながら、分からない。

 分かるはずがないだろう。

 だって、こんな境遇の女子中学生など、世の中をくまなく探したっているか?


 病室の中で雲音は、ギャッジアップされているベッドに背をもたれさせて、ずっと正面の壁を見つめている。

 正確には、ただ顔がそちらを向いている。


 目は両方とも開いているし、瞬きもする。

 でもその瞳は、如何なる光も捉えていない。感じていない。

 単なる肉体の反応だ。


 だって、魂がないのだから。


 とはいえ、魂はなくとも呼吸はしている。

 心臓は動いている。

 身体だって、触れればやわらかい。温かい。


 見舞う意味があろうとなかろうと、ここにこうして生きた肉体の存在する以上は、会いにこないわけには、いかないではないか。

 いっそヴァイスタになって昇天させられていた方が、雲音にとっても、遺された者にとってもよかったのかも知れないけど、でも、ここにこうしている以上は……


 ぽかん、とした感じに口を半開きにしている雲音。

 双子であり、姉とそっくりな、顔。


 つ、口の端から唾液が垂れた。


「ああもう、よだれや。赤ちゃんやなあ」


 応芽はやさしく笑いながら、腰を軽く浮かせ、自分のスカートのポケットからハンカチを取り出して、軽く拭ってやった。

 ハンカチをしまい、椅子に座り直すと、綺麗になった雲音の顔をじーっと見つめる。


 双子の妹であるだけに、鏡を見ている気持ちになる。

 生身の、決して割れない鏡だ。


 割れない?

 違うな。

 あの時……割れた。

 割れて、砕け散るその前に、自分が、砕いた。

 魂の方を。


 どうすればよかったのだろうか。

 絶望が精神を支配して、肉体が硬化し皮膚にヒビが入り、ヴァイスタへと存在が塗り変わっていく妹。

 あの時、どのようにすれば、妹を救えたのだろうか。


「ああ、ウメちゃん、おったんや」


 声にドアの方を振り向くと、白衣を着たやますえが立っていた。


「雲音ちゃんを、ベッドに寝かせる時間なんやけど。も少し、このままにしとこか?」

「あ、はい、ちょっとだけ。あたし、やっときますよって。ベッドの操作、もう分かりますから」

「お願いな。ウメちゃん、まめにきて、世話してくれて、偉いお姉ちゃんやなあ」

「そんなんやないんです。こちらこそ、ここのみなさんにはお世話になりっぱなしで」

「こっちは仕事や。……あんまり、根詰めんといてね。少しやつれたで。今回の件は、ウメちゃんのせいやないんやから」

「おおきに」


 応芽は、愛想笑いを作って小さくお辞儀をした。


「ほな、またね」


 山末実久が手を振って去り、部屋にぴんと張ったような静寂が戻る。

 静寂の中で、また応芽はじーっと雲音の顔を見続ける。


 どれほどの時間が流れた頃だろうか。

 ぼそ、と口を開いたのは。


「そら、確かに、そうかも知れへん」


 誰のせいでも、ないのかも知れない。

 方法なんか、最初からなかったのかも知れない。


 でも……


 関係、ないんだ。


 あたしのせいとか、せいじゃないとか、そんなの、関係ないんだ。


 だって、


 だって、


 雲音は……


「たった一人きりの、妹やないかあ」


 立ち上がり、覆い被さり、強く抱き締めていた。

 大粒の涙をこぼしながら。

 頬に、頬を押し当てた。


 くにゃりとした、やわらかな妹の身体を、さらにぎゅっと力強く抱き締めた。


「心配、せんでええよ。必ず、助けたるからな」


 必ず。


 この生命と引き換えようとも、必ず。


 雲音……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る