第10話 特使

 突然いわれて、びっくりした。


「東京へ? 特使、として?」


 みちおうは、はっきり聞き取れていたけれど、復唱確認した。

 所長の言葉を。


「そう。東京、関東へ特使として、行って貰いたいんだ」


 リヒト大阪本部内にある、所長室。

 グレーのスーツを着た、だれとくゆう所長が、デスクに肘を起き、指を絡ませ手を組んでいる。

 どことなく、楽しげにも見える表情で。


 いつも飄々とした、薄い笑みを浮かべているので、ただ普段通りなだけかも知れないが。

 でも、やっぱり応芽にはそう思えなかった。

 特使、という言葉を聞かされた応芽側の問題かも知れないが、でもやっぱり応芽にはそう思えなかった。


 こいつ、なあにがそないに楽しいんや。

 リヒトはヴァイスタを倒す組織。それだけやないのか。


 応芽は訝しげに、少し目を細めた。

 妹を失ってから、もう半年も経つというのに、ずっと沈んだ顔の彼女である。少し煙たい顔をしたところで、さして印象の変わるものでもなかったが。


 先ほどの自問。

 リヒトはヴァイスタと戦うための組織ではないのか、という。

 ただそれだけではないこと、実は薄々と、気付いてはいる。

 目指すべきは、そこにあるのかも知れないが、そこへと辿る道、考え方が、色々ときな臭いものがあることは。

 特に詮索するつもりもないが。

 それで妹が蘇るなら、ともかく。


 特使とは、競合他社であるメンシュヴェルトに加わって活動をする、向こうにとっての、いわゆる助っ人魔法使いだ。

 メンシュヴェルトに協力することで自らも成長し、リヒトも健全に大きくなり、それが世界平和への貢献に繋がる。というのが、特使制度の表向きな理由。

 裏向きの理由は、幹部の娘である応芽も知らないが、内情視察とか勢力拡大など、まあ様々な思惑はあるのだろう。


 応芽は至垂所長から、その特使にならないかという話を、持ち掛けられたのだ。


「特使にならば、色々と話せることもあるよ」

「なにすりゃあええのか、少し詳しく教えて貰えます?」


 所長の思わせぶりな言葉に、応芽はいっそ拍子抜けするくらいすぐに乗っかった。


 妹のことにも無関係ではない。

 そう思ったからだ。


 真っ白な組織ではない。

 元々、薄々とそう思っていたリヒトのことを、そして、だれとくゆうの裏の顔を、こうして応芽は覗き見ることになったのである。


 所長が自らいっていた通り、確かに、色々なことを教えて貰うことが出来た。


 一番、興味を惹かれつつ、同時に、内蔵よじれるような嫌悪を感じたのが、ヴァイスタ化現象の研究についてである。

 世界の消滅を防ぐためにも、研究が必要なのは分かる。が、度を過ぎているどころか、狂気の沙汰としか思えなかった。


 リヒトどころか、メンシュヴェルトすら設立されていなかった頃から、噂の一つとして存在していた、オルトヴァイスタ。それを当然あるものと捉えた上で、それこそが新しい世界への扉を開くものと、信じているのだ。

 信じているのは所長だけかも知れないが、首脳や科学班は、その考えを元に行動しているのは、間違いのない事実のようだった。


 ただ研究をするだけであれば、反吐の出るほどの思いもなかっただろう。

 だがリヒトは、魔力適正のある人物を、様々な調査からピックアップして、


「ヴァイスタに……しようとしとるのか……」


 応芽は、ごくり唾を飲んだ。


「いやいや、わざわざってわけじゃないよ。捉えて拘束して実験したりとか。リヒトも別に、非人道的な組織ってわけじゃあないんだよ」


 だれ所長は、ふふっと笑った。


「せやかて……お、おんなじことやないか」


 拘束して実験して、オルトヴァイスタを作るのと、

 それとなく行動を誘導して、仕立てていくのと、

 どう違うというんだ。


「ただ、もっと研究したいだけ。確証を得たいだけ。その結果としてオルトヴァイスタが出来るのなら、利用する。だって、もったいないじゃないか」

「狂っとるよ」

「いやいや、何度もいっている。如何なる手段でもというならば、応芽くんのいうことを否定出来ないけど、わたしは違うから」


 なんとでもいっとれ。


 そう思ったが、黙っていた。

 不快を、自分の胸に押さえ付けていた。


「ヴァイスタが引き起こす『新しい世界ヌーベルヴアーグ』にも滅ぼされることのない世界、『絶対世界ヴァールハイト』が扉の向こうにあるはず。方程式により、そう導き出されているわけだが、そのような世界を支配出来れば、つまりは神になるということだ。……どんな果実であるのか、食してみたいとは思うがね」


 だあっとれやキチガイ!


「考えておきます」


 胸糞悪さに耐えられなくなった応芽は、一礼し、所長室を出た。

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