第03話 リヒト
「し、し、知っとったわっ! ……正確にはっ、そうである可能性が高いということを……知っとった!」
「ウメちゃん、それ以上は駄目だ!」
校長が慌て立ち上がって、制止しようとする。
「ウメちゃん?」
こそっと疑問の言葉を呟くのは、治奈である。
誰のことも名字の後ろにさん付けで呼ぶ校長である、不思議に思うのも当然だろう。
「堪忍な、樋口のおっちゃん。もう黙ってられへんねん。白状するわ、隠しておったこと……」
いつもの上から目線の強気な表情はどこへやら、応芽は弱々しく、申し訳なさそうに肩を縮めてしまっている。
「隠してた、って……」
この唐突な展開に、アサキと治奈は、呆けたような顔になってしまっていた。
カズミは、意地になっているのか、腕を組み、応芽を睨み付ける態度表情を微塵も揺らがせない。釈明することあるならしてみろ、と強気な表情だ。
幾つかの呼吸を置いて、応芽は言葉を続ける。
「昭刃がごたごた抜かすからやないで。仲間やと思えばこそ、話すんや。……あたしはな、メンシュヴェルトの人間やないねん。リヒト、という別の
「リヒト?」
アサキの反芻に、応芽は小さく頷いた。
「大阪本部と東京支部だけの、小さな組織や。といっても元々は……」
「そこは、ぼくから説明するよ」
校長が、応芽の言葉を遮って、説明を始めた。
リヒトも、メンシュヴェルトと同様、ヴァイスタやザーヴェラーといった悪霊、異空からの驚異と戦い「
元々は、メンシュヴェルトの関西研究所が分離独立したものだ。
考えあっての離脱ではあるが、主目的も細かな活動内容も同じであるため、共存共栄しており、また、現在のところ研究開発に関しては、合同出資した施設にて、共同で行っている。魔道着や武器を作り、テストをしたり、それらを戦場へと転送するインフラの整備開発だ。
リヒトとメンシュヴェルトの代表同士で、接触があるのかないのかは分からないが、その下である幹部たち同士は馴れ合っているところもあり、水面下で魔法使いを貸し借りすることもよく行われている。
義理であったり、打算であったり、理由は色々であろうが。
「武器を共同開発しておいて、大いなる矛盾なんだけど、ヴァイスタの研究成果に関しては守秘義務があって、お互いの情報交換は出来ないんだね。だから、ぼくも知らないことを、彼女が喋り出しちゃった時はびっくりした」
「堪忍な、樋口のおっちゃん」
応芽は済まなそうに、小さく頭を下げた。
「いや、もういいよ。……でもみんな、このことは絶対に黙っていてね。彼女がリヒトからきていることも、ヴァイスタは元人間という話も。組織同士の抗争になりかねないし、今後の関係が色々と窮屈になっちゃう。現在は、お互いの情報に干渉追求をしないルールによって、疑い合うことなく堂々としていられるのだから。……といっても末端の、つまり魔法使いの子たちには、こうして色々と隠すことにはなってしまうんだけどね」
なんといったらよいものか、といった感じに
少しだけ場に沈黙が訪れたが、すぐに治奈が口を開いた。
「リヒトという別組織があって、ウメちゃんがそっちの人間というのは分かったのじゃけど……校長がウメちゃんと呼んだのが、ちょっと気になるけえね」
先ほど、応芽の発言を止めようとした時に、慌てながらそう呼んでいる。
普段は、
誰のことも、そこに魔法使いしかいない場であっても、名字で呼んでいるのに。
「あたしの父親はリヒト幹部の一人でな、おっちゃん、樋口校長とは旧知の仲やねん。おっちゃんには、幼い頃によく遊んでもらったわ」
「ぼくは若い頃に関西で、
校長が補足する。
「恥ずかしい話なんやけど、ついでやし白状するわ……あたしな、能力を買われてリヒトに入ったんやなく、単に幹部の娘やから、幼い頃から訓練生として参加させられていただけなんや。才能がないのか、訓練所で頑張ってもよう伸びんで」
自分でいう通り、少し恥ずかしげな顔で、鼻の頭を掻いた。
「まあ、そがいな気もしとったがの」
ちょっといいにくそうに、治奈が呟く。
「なんで……そう思った?」
「何故じゃろな。ウメちゃん、知識はとっても豊富なようなんじゃけど、戦闘ではそがい圧倒的にも感じなかったからなあ。自尊心だけは、さすがエリートと思っとったけど」
「傷をえぐることを平気で。明木って、意外と口が悪いな。……あたしの、双子の妹が、えらい優秀やったんや、いいとこ全部持ってかれたのかも知れへんなあ」
「ああ、妹さんがいるんだよね。前、写真を見せてくれたもんね」
アサキの言葉に、応芽は小さく頷いた。
「見せたんやなく、勝手に見られたんやけどな。とにかく、親が、おっちゃんとの縁があって、あたしはこっちに引き抜かれたんや。無期限レンタルみたいなもんやな。魔法使いは十代のうちだけやし、最後までこっちにおるかも知れん。……色々と、隠しとってすまんかったな」
応芽はそういうと、また小さく頭を下げた。
「なにいってるの。ウメちゃんは別に、謝らなければならないようなことは、なんにもしてないでしょ」
アサキは、昨日の今日で、まだ元気の回復していない弱々しい顔に、精一杯の微笑みを浮かべると、応芽の手を両手に取って、そっと握った。
「違う組織から、とか、ちょっと驚きはした。でも、同じ目的の仲間なんでしょ? 今は今で、わたしたちの大切な仲間。これからも一緒に、頑張ってこうよ」
「あ、ああ、よろしゅうな。な、なんか照れるな」
応芽はいったん手を離すと、自ら差し出して握り返した。
楽しい雰囲気、などでは、もちろんない。
まだ、悲劇の翌日なのだ。
でも、だからこそ、傷を舐め合っていたわけだが、こうして場が少し和み掛けたところに、冷水が浴びせられた。
「仲間とかいってさあ、隠し事をしてたじゃねえかよ」
カズミである。
腕を組み、壁に寄り掛かりながら、冷ややかな目で応芽を真っ直ぐ見つめている。
「昭刃……」
一瞬にして静まり返った空気の中、カズミの名を呼ぼうとする応芽であるが、その震える声をカズミが一刀両断した。
「あたしは、お前のいうことは信じない」
と。
大きくも、語気強くもないが、冷たく、きっぱりとした言葉で。
そのまま彼女は言葉を続ける。
「仲間だって思っているなら、さっきの話、隠すほどのものか? 他になにかを隠していて、疑われそうになったから小出しにしてるんだろ。一番知られたくないこと、隠すために。違うか?」
「ちょ、ちょっとカズミちゃん、いい過ぎだよ! ウメちゃんだってきっと……」
アサキが、カズミへと顔を寄せた。
穏便に済ませたいのか、顔は笑顔だが、語調の中に、苛立ちや困惑が、はっきりと滲み出ていた。
それ以上に、苛立っているのはカズミであったが。
「いい過ぎじゃねえよ! リヒトとやらの研究で、ヴァイスタ化のこと色々と知ってたんなら、もしも話してくれていれば、正香のこと助けられたかも知れねえ。そこを黙ってて、なにが仲間だよ! 正香と成葉が死んだの、こいつのせいじゃねえかよ!」
「カズミちゃん、いい加減にしないと、わたし怒るよ」
「怒りゃいいだろ。泣き虫ヘタレ女が怒ったからなんだってんだよ。ウメも、ほら、なんとかいってみろよ。どうせまだ、なんか隠してんだろ」
「カズミちゃん!」
アサキが、珍しく声を激しく荒らげた、その時である。
「その通りや!」
応芽が、裏返った大声を張り上げたのは。
だけどすぐに、弱々しい声になって、
「その……通りや」
同じ言葉を、繰り返した。
「……確かにあたしは、一つ、大きな秘密を持っとる。でもそれは、リヒトとしてやない。慶賀応芽、個人としての秘密や。……かなえたい、夢があるんや。どうしても、やり遂げたいことがあるんや」
「かなえたい……夢?」
アサキが小さい声で繰り返すと、応芽は小さく頷いた。
応芽は、カズミにじっと冷たい目で睨まれながら、言葉を続ける。
「なんなのかは、いえへん。実は、お前らにも大いに関係あることや。でも、いえへん」
「わたしたちにも……」
また、アサキが小さな声で繰り返し、応芽が小さく頷いた。
「……かなえるには、ちょっと無茶な夢でな、でもかなえたい。周囲にどんな犠牲が出ようとも知るか。って、これまでは、ずっと、そう考えていたんや」
ひと呼吸置いて、応芽は続ける。
「でもな、今は違う。無茶をせず、誰にも迷惑を掛けずに夢をかなえる方法、考えとる。お前らが、好きやから。……お前らが、頑なやったあたしを変えたんや。それが強くなったということか、弱くなったということか、自分でも分からへんのやけどな」
「ウメちゃん……」
ちょっとくすぐったい顔で、応芽を見つめるアサキ。
なにか、悪くないものが、この場に生じ掛けていた。
だが、またしてもカズミが冷水をぶっ掛けた。
「どうでもいいよそんな話」
そのような冷たい一言、冷たい表情で、応芽の気持ちを、容赦なく突っぱねたのである。
一歩出て、応芽へと凄んだ顔を寄せると、ドスのきいた声を絞り出した。
「なんか邪魔しようってんなら、してみろよ。容赦なくぶっ飛ばす。最悪、殺し合いになるかも知れねえけど、その覚悟がてめえにあんなら、いつでもかかってきな」
それだけいうと、凄んだ顔を少し和らげる。
でもそれは、応芽への態度の軟化でもなんでもなかった。
「校長、話まだあんのかも知れないけど、あたしもう行きます。治奈とアサキも、ごめんな、あたし葬儀用の服なんか持ってねえから、なんか買っとかねえとさ。制服も考えたけど、擦り切れてボロボロだしさあ」
ははっ、と乾いた笑い声を出して、ドアへと向かうカズミへと、応芽が、もどかしそうな顔で呼び掛ける。
「あ、昭刃っ、あたしはっ、昭刃のこと……昭刃のことっ、大事な、た、大切な仲間やと思っとる!」
「もうこっちは思ってねえよ。じゃあな」
少し振り返って、半身で応芽へと冷ややかな視線を向け、微かに鼻を鳴らすと、部屋を出て、ドアも閉じずに足音荒く去っていった。
残った部屋を支配するのは、誰でもなくただ静寂であったが、やがて、アサキが、呆然とした顔をなんとか変化させて、わずかではあるが笑みを浮かべた。
「ごめん、ウメちゃん」
そういうと、応芽の身体をそっと抱き締めた。
「……なんで自分が謝るんや」
応芽は、アサキの身体に顔を隠すようにして、ずっと鼻をすすった。
「あ、ごめんね。……きっとね、カズミちゃんは、ただ気が立ってるだけだよ。昨日のことで、カズミちゃんだってまともに寝てないのだろうし。わたしは、さっきのウメちゃんの言葉を信じるし、カズミちゃんもきっと分かってくれる。大丈夫。大丈夫だから」
「ほんま優しいなあ、令堂は。どうしたら、そないなれるん」
応芽は、アサキの腕の中で、くぐもった弱い声を出すと、それきり、抱き締められるまま、いつまでも儚く身体を震わせていた。
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