第04話 忘れないよ

 広島風お好み焼き あっちゃん。


 看板の下、くもりガラスの戸を開くと、あきらはるは店の中へ入った。


 カウンターの反対側に、ヘラを両手に鉄板と向き合う父の姿が見える。

 客の数は二人。

 カウンターとテーブルに、一人ずつだ。


「ただいま」


 ぼそりとした声を出す治奈であるが、ぼそり過ぎておそらく、換気扇や焼きの音、テレビの音などに負けて、父の耳には入っていないだろう。


 店内隅の天井から、テレビが下がっている。

 画面に映っているのは、教育テレビの映像だ。

 いつもは、民放なのに。


 きっと、父が気遣ってくれているのだろう。


 治奈は思った。


 だからきっと、これから父は怒るんだ。


 店の側から入るな! と、普段通りに。


「治奈、店の側から入るなと、いつもいうちょるじゃろが!」


 ほら。


「こっちの方が近いけえね」


 また、ぼそっと元気のない声を出す。

 父の気遣いに感謝しつつも、それはそれ、まったくそんな気持ちを顔に表すことが出来ずに、沈んだ表情のまま、中へ、奥へ。

 店内を通り抜けて、居住空間へと移動する。


 小さくなったテレビの音が、また大きくなる。

 居間の畳に座っている、妹のふみが、テーブルに肘を置いて、番組を見ているのだ。


 店舗のテレビと違って、こちらは民放。

 学校帰りの時間帯で民放とくれば、当然ながらワイドショーである。


 まあ、見るだろう。

 史奈はまだ小学生であり、普段はこのような番組に興味がないのかも知れないが、自宅の近所で起きた事件が取り上げられるともなれば。

 ましてや……


 史奈と視線が合った。

 物音か気配か、史奈が不意にちらり目を動かして、治奈の姿に気が付いたのだ。


 おそらく、ワイドショーを姉ちゃんの前で見ちゃいけん、と父に釘を刺されていたのだろう。史奈は、びくり肩を震わせると、あ、あ、あ、あのっ、などといいながら、あたふた慌てた様子でリモコンを手に取り、テレビへと向けた。


「ええよ消さんでも。……事実は変わらん」


 笑うでもなく、怒るでもなく、感情の死んだ言葉を治奈は吐いた。


「……ごめんね」


 どういった顔をすればいいのか、史奈は、気まずそうな真顔で謝った。


「ほじゃから、謝る必要ないって」

「あ、あのさ、この……死んじゃった中学生って、お姉ちゃんの、友達、なんだよね……」


 事実であり、別にその言葉自体が、今さらショックなわけでもない。

 でもあらためて、自宅で、妹に、そのようなことをいわれて、返す言葉がすぐには出なかった。


 言葉が出ないどころではない。

 喉元まで込み上げ掛けていたものが、ずっと抑制していた気持ちが、どっと溢れてしまったのである。


「ほうよ。お姉ちゃんの……お姉ちゃんの、最高の、友達じゃけえ」


 通学カバンを放り投げ、覆いかぶさるように史奈へと抱きついていた。

 抱き締めていた。


 鏡がないから見えないけども、自分、たぶんぐにゃぐにゃに歪んだ、みっともない泣き顔をしている。そんな自分を、妹に見られたくなくて。


「ちょ、ちょっとお姉ちゃんっ! どうしたのお!」

「どうもせん! どうもせんわ!」


 深く、強く抱き合い、そのまま、どれだけの時間が過ぎただろうか。


 ぼそ、と治奈は弱々しい声を発した。


「……もしも、もしもな、お姉ちゃんがいなくなったら……消えてしまったら、史奈はどうする? 悲しんでくれる? いつまでも、お姉ちゃんのこと忘れないでいてくれる?」

「そういう寂しいこといってると、割り箸で目を突くよ」

「突かれてはかなわん」


 そのまま、口を閉ざして抱き合う二人。


 十秒ほど、経ったであろうか。

 震えている姉の、温もりを感じながら、史奈は、


「忘れないよ」


 まるで自分の方が年上であるかのような、優しい笑顔を作って、小さく口を開いた。


「だって、お姉ちゃんはどこにも行かないから、だから忘れない。わたしたち、いつまでも家族でしょ? だから忘れない。それとも、どこか行っちゃうの?」


 史奈は、抱き締められた窮屈の中で、小さく首を傾げた。


「行かんよ。どこへも。行くわけないじゃろ。ずっと、ずっと一緒じゃけえね」


 史奈を強く抱き締めたまま、一言一言、自分にいい聞かせるように、自分を元気付けるように、言葉を発する治奈。

 そのまま、妹の小さな身体に隠れて、すすり泣きの声を上げ続けた。


 友達を失った悲しさに。

 自分には妹が生きている、この素晴しさに。

 口を開けばああではあるけども、父や母のいることに。

 暖かな、家庭があることに。


 大切な友がいることに。

 大切な友が……いたことに。

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