第02話 疑念
渋い暖色系の調度品が、いくつか飾られている。
狭く簡素で、高級というより上質を感じさせる、落ち着いた部屋。
天王台第三中学校の、校長室である。
牛頭の壁掛けの、すぐ下に、二十インチ強の薄型テレビがあり、画面には番組映像が流れている。
いわゆるワイドショーだ。
昨日に起きた、千葉県我孫子市内の女子中学生が死亡した事件についてを、取り上げている。
女子中学生は、野犬に顔や腹を食いちぎられて死亡。
場所は友人宅の前。
その友人は現在行方不明。
適当なことを偉そうに、もっともらしく語っている男女コメンテーターたち。
と、校長室のドアが開いた。
「ごめん、待たせちゃった。主な答弁は、
会見のため席を外していた、ゴリラ顔の
口調こそ、いつも通りに軽く朗らかだが、その顔にいつもの笑みはない。
立って待っていた生徒たちに、応接用ソファに座るよう促すと、自分も部屋の奥にある肘掛け椅子に座った。
「異空との戦いの上で、ではないけれど、ついにうちからも、それ絡みの死者が出てしまったね」
腰を下ろしてからの、校長の第一声である。
アサキは、ちらり視線を左右に動かして仲間たちの顔を確認すると、ぼそり小さい声ながら、しかしはっきりと、詰問するかのような表情で尋ねた。
「以前に、校長はいいましたよね。ヴァイスタが魔法使いの成れの果てだなんて、噂だ、って」
なのに何故、と問うたのである。
問いを受けた校長は、一呼吸も置かず即答する。
「そうだよ。『
その言葉に反応して、治奈も口を開く。
「いずれにせよ、ヴァイスタは元人間なんだということが分かって、現在メンシュヴェルトの上層部は大騒ぎになってませんか?」
単純に、疑問の言葉を発しただけなのか。
ちくり棘で刺そうとしているのか。
はたまた純粋に、自分の所属する組織を心配しているのか。
治奈は、自分でも自分の気持ちを理解していないのかも知れない。というくらい、質問の言葉を吐く彼女の表情は、なんだか気が抜けてしまっていた。脱力感、悲壮感に満ちていた。
「いや実は……人間が成る、というのは分かってはいたんだ」
少女たちの表情に、一様に驚きの色が浮かんだ。
いや、よく見れば応芽だけが、あまり変化がないことが分かっただろうか。
「ただ、魔法魔力との関係が、まだはっきりしていない。先天的に強い者だけが対象なのか、
「はい、面白くはないですね。ほじゃけど、事情も分からなくはないので、責めるつもりもないですが」
治奈はつまらなそうに、ふんと鼻を鳴らした。
「その言葉だけでも感謝だ。……真実はまだ未確認ながらも、でも君たちは目撃してしまった。ヴァイスタへと変じる魔法使いを。それが仲間、友達ともなれば、どんなに辛くショックなことか、鈍感なボクにも想像はつくつもり。だから……メンシュヴェルトから脱退するのは自由だよ。戦い続けてくれと強制は出来ない。もちろん、ヴァイスタのことや魔法使いとして活動した記憶は消させて貰うけど」
メンシュヴェルトからの脱退、つまり魔道着を着てヴァイスタと戦うことをやめて、そうした知識、記憶すらない、なにも知らない一般人に戻るということである。
「わたしは残ります」
アサキの、迷いのない言葉。
迷いのない顔。
「だって、ここで魔法使いであることをやめたら、ヴァイスタと戦うことをやめたら、これまで一体なんのために正香ちゃんと成葉ちゃんが頑張ってきたのか分からない」
それだけをいうと、また弱々しい表情に戻って俯いてしまった。
カズミが、弱々しいアサキの肩を軽く叩いた。
「あたしも同じ気持ちだよ。魔法使いが戦わなきゃあ、この世は終わりなわけだし、なんにもせずに滅びを待っていたら、アサキのいう通り正香たちがなんのために戦ってきたのか分かんねえもんな」
「ほうじゃね。もう降りるわけにはいけんね。世界を守ることも大切じゃけど、それ以上に、正香ちゃん成葉ちゃん二人のために」
あらためて決意を刻み込もうということか、治奈は言葉の最後をゆっくり力強くさせながら、ぐっと拳を握った。
「でもよ、なんだって絶望することでヴァイスタなんかになるんだろうな」
カズミがぼそり、疑問の言葉を発する。
すぐに、返答があった。
「これまで唱えられていた説ではな、ああ、説っちゅうても幾つかあるんやけど、『魔法使いの成れの果て』とする場合な」
疑問に応じるのは、応芽である。
「ヴァイスタが、犠牲者の絶望を使って、犠牲者の魂を闇に染め上げて、仲間を作る、といわれているんや。数を増やしたいんやな。魔法力の強い者ほど、深い絶望の果てには、より呪われた、強大なヴァイスタになる」
「魔法力が強いほど……」
「強大な、ヴァイスタに……」
アサキ、そして治奈が、応芽の発する言葉に引き込まれて、知らずぼそりと反芻していた。
「せや。しかし犠牲者の意思が強く、絶望しつつもヴァイスタになることを拒むなら、殺し食らって闇だけ取り込む。個体数は増えへんけど、食らったその個体は強くなるし、魔法使いという敵も減るわけで、『
応芽はここで少し言葉を切り、二呼吸ほど置くと、また口を開いた。
「ただな、今回の件で、ヴァイスタがおらへんでもヴァイスタに成ることが分かったから、説の前提部分が色々と当てはまらなくはなるんやけど、でもこの説はこの説で、大枠としては間違ってはいない気がする」
「詳しいじゃんよ」
カズミが腕を組み、壁に背を預けながら、応芽を見ている。
少し下げた顔で、少し冷めた目を、垂れた前髪から覗かせて。
「まあ、小学生の頃から
「ああ、そう」
気怠そうな表情を応芽へと向けたまま、カズミは、ふんと鼻を鳴らした。
「なんや」
その態度が気に触ったか、応芽は食い付いた。
食い付かれたカズミの反応は、早かった。
「昨日の、お前のこと、なんにも解決してねえんだけど」
睨む、というまでではないが、前髪の間から、鋭い眼光を応芽へと向けた。
「せやから、なにがや」
「いわないと分からない? お前が寝間着で慌てて走ってきて、間に合わなかった、とかいって悔しがってたことだよ。あの時、正香がヴァイスタと一緒にいたわけじゃねえし、それまではその説の通りと思っていたんなら、別に一秒一分争う話じゃなかったわけだろ」
ぎゅ、カズミは両の拳を強く握るが、手の中の汗が不快なのかすぐに手を広げ制服のスカートで拭った。
応芽はそんなカズミを見ながら、焦れったそうに軽く足を踏み鳴らすと、詰め寄るように、
「い、いつヴァイスタと接触するかも分からへんやろ! あんな憔悴した状態やから、無抵抗で闇を受け入れてしまうかも知れへん。それで急がな思っただけや。悪いんか」
「いや、人間がヴァイスタと接触せずともヴァイスタに成ること、お前、知ってたんじゃねえのか」
「そんなこと……その、あたしは……」
口ごもってしまう応芽。
無言になり、そのまま困ったように、なにかを考えている顔であったが、やがて、両の拳をぎゅっと握り、身体をぶるぶるっと震わせると、喜怒哀楽の先頭三つが混ざった顔で、怒鳴り声を張り上げた。
「し、し、知っとったわっ! ……正確にはっ、そうである可能性が高いということを……知っとった!」
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