第10話 嘘だけでもないんだよ

 時は放課後。


 ここは二年三組の教室だ。


 既に生徒らは下校、もしくは部活動で教室を空けている時間帯であるが、残った女子生徒が三人、椅子を寄せ合い向き合い、座っている。


 りようどうさきあきかずあきらはるの三人だ。


 わざわざ集まった、というわけではない。


 みちおうは、調べたいことがあるからヴァイスタへの備えは自宅待機で、と先に帰り、

 おおとりせいも、誰とも口をきくことなく目すら合わせることなく幽霊じみた顔色表情で帰ってしまった。


 おろおろ気まずそうな顔で見ているへいなるの背中を、「勇気出してこいや!」とカズミが叩いて正香の後を追わせ、


「あいつら大丈夫かなーっ」

「無事に仲直り出来るといいけど」


 と、このように、残ったメンバーで、正香と成葉の心配をしているのである。


「まあ、なるようにしかならんじゃろ」


 淡々とした治奈の口調。

 顔を見れば、どれだけ不安に感じているのか一目瞭然ではあるが。


「あたし、ナル坊の背中を叩いて、無理矢理に行かせちゃったからさあ。……また大喧嘩しちゃった、とかなったら罪悪感があ……」


 カズミは椅子の上であぐらかきながら、両手で頭を抱えた。


「ほう、罪悪感とかあるんじゃの、カズミちゃんにも。まあそがいなったら、ほっぺに全力ビンタを受けるくらいなら、かわいいもんじゃろな」

「それで水に流してくれるっつーなら、別にそれくらい構わねえけどさあ」

「だ、大丈夫だよ。きっと上手く……」


 アサキが、作り笑顔で場をなごませようとした、その時である。


 教壇側のドアが開いた。

 勢い強くも弱くもなく、唐突に。


 そこに立っているのは、小柄な女子生徒、平家成葉であった。


 今日は快晴であるというのに、全然濡れているわけでもないのに、まるでびしょ濡れにでもなっているかのような、なんとも悲しそうな、なんとも悔しそうな顔で、俯いている。


 氷の冷たさ。

 そんな沈黙が、場を支配していた。


 ちょうど自分が喋り掛けていたから責任持って、というわけではないが、アサキが立ち上がり、作り直した笑顔でゆっくりと口を開いた。


「あ、あの、正香ちゃん、とは……」


 みなまでいい終えないうちに、成葉は足を踏み出し、教室へと入ってきた。

 俯いたまま、口元をきゅっと結んだまま。


 唖然として口半開きになっている三人のところまで歩くと、右腕を振り上げて、


 パアーン!


 これでもかという勢いで、カズミの頬を張った。


 カズミは唖然とした顔で、そおっと腕を上げて、打たれた頬を押さえた。


「成葉……」


 ぼそり、カズミの声。


 アサキたちの見守る中、


 く、と成葉は唇を震わせ、呻いた。

 俯いたその顔から、その目から、ぽろぽろと、涙がこぼれていた。


 あぐっ。

 しゃくり上げると、いきなり明木治奈へと飛び込んで、その胸に自分の顔を埋めた。


「成葉ちゃ……」


 驚く治奈の、その声に大声を被せて、


「また、また、喧嘩になっちゃった!」


 それだけをいうと、後はただ泣き叫ぶばかりだった。

 言葉にならない声を張り上げて。


 どれだけの間、むせび声を上げ続けただろうか。


「顔も……見たく、ない、って」


 と、泣きが少し落ち着いた成葉は、ようやくまた意味のある言葉を発した。


「でも、ね、やりあったとかじゃなくて、ほとんど会話はしてなくて、最初、から、ゴエにゃんが、そう突っぱねてくる感じで。だ、だからっ、ナルハきっと、ゴエにゃんに、絶交、されたんだ」


 悔しげな顔、悲しげな顔で、成葉は鼻をすすつた。


「そんなことは……」


 言葉を挟もうとするアサキに、成葉は声を被せ返して、自分の話を続ける。


「心配で、元に、戻って欲しかった、だけなんだ、ナルハは。でも、でもね、ずけずけと、踏み込んで、ゴエにゃんの、心を、無茶苦茶にしてしまったんだ。でもさあ、それじゃあどうすればよかったの! ゴエにゃんが辛いのを、ヘラヘラ笑って見ていればよかったの?」

「そがいなことはないじゃろ。成葉ちゃんのしたことは間違ってはおらん。これからどがいにすればええのか、それをみんなで考えよう。ね」


 治奈は、自分の胸に顔を埋めている成葉の頭を、優しくなでながら微笑んだ。


「ハル坊のいう通りだよ。正香だってきっと分かってくれるだろうし、ここ乗り越えられれば、お前ら今よりもっと親友になれると思うぜ。あたしらが嫉妬しちゃうくらいのさあ。……腹が立つなら、さっきみたくあたしの顔を好きなだけ殴っていいからさ」


 などと、みなで成葉を慰め励ましていると、また、教壇側のドアが開いた。


「昨日採点で徹夜だったからあ、もうげんかーい」


 とぐろさと先生が、顔をぶっさいくに歪めて、ふぁあああと大きなアクビを噛み殺しもせず、緊張感のまるでない様子でふらふらと入って来た。


「空気読めや!」


 カズミが腕を振り上げ怒鳴った。


「え、えっ」


 アクビも吹っ飛んで、目を白黒させている須黒先生であったが、治奈が簡単に状況を話すと、椅子を引っ張り出して輪に加わった。



「確かに、十年前のあの件は、テレビで見て驚いたなあ。先生は、その頃は隣の柏市にあるカシジョの高校生で、魔法使いの活動管轄はさらに隣の松戸だったんだけど、でも自宅の近くであり出身中の近くで起きた事件だからね。……だから、先生が先生になって、彼女を受け持つことになった時も、びっくりしたなあ」


 そこでいったん言葉を切った須黒先生は、ちら、と成葉の沈んだ顔を見ながら、また言葉を続ける。


「彼女の心の傷は、相当に深いだろうから、いつも一緒の親友である平家さんも、とても辛いのは分かるわ。……でもね、平家さんがなにをすべきか、なにが出来るか、というのは、結局のところ、平家さんがなにをしたいのか、ということだと、先生は思うな」

「なにを……したいか」


 成葉は俯いたまま、ぼそり呟いた。


「あ、あのね、ごめん、ちょっと偉そうなこというね」


 アサキが、授業中でもないのに何故か挙手しながら、成葉を見ながら遠慮がちな笑みを向けた。


「まずはさ、悪くなくても謝るんだよ。悪くなくても、でも心から。別にそれは、バカにしていることになんか、ならない。だって、仲直りしたいという、大好きだという、強い気持ちのあらわれなんだから。そこから、本当に自分の伝えたいことを、伝えていくんだ」

「ほんっと偉そうなこといったねえキミい」


 カズミは笑いながら、アサキの唇を左右に引っ張った。


「や、やめへえええええ」


 といわれてもやめないカズミは、さらにアサキの口の中に両の人差し指を突っ込んで、さらに力強く左右に引っ張った。


「学級文庫っていってみな」

「わっ、わっひゅうううんほ」

「うんこっていったああ!」

「いっへらいお!」


 アサキは、口からカズミの指を抜き取ると、反対にカズミへと掴み掛かった。


「今度はカズミちゃんがいってみてよ。わたしが口を引っ張るからさあ」

「やめろよ。あたしお嬢様だから、お前みたいにそんな言葉いっちまったら、恥ずかしさに自殺するぞ」

「いや、さっきわたしの後に自分でいってたでしょ! というか、誰がお嬢様だあ!」

「お嬢様でしょお!」


 アサキとカズミ、笑いながら手を組み合い、押し押されを続けるうちに、いつしかくすぐり合いになっていた。


 すると突然、


 ぷっ、

 と誰かが吹き出した。


 それは成葉であった。

 あはははは、大声で、足をばたばたさせながら、アサキたちを指さして笑っている。

 泣き腫らした、真っ赤な目で。

 楽しそうに。


 くすぐり合いをやめて、唖然とした表情でそれを見ているアサキたち。

 いつしかアサキの顔に、じんわりとした笑みが浮かんでいた。


「成葉ちゃん。真剣に悩んでいたのに、辛く悲しい思いをしていたのに、なんだか茶化すようなことしちゃってごめんね」


 そこで言葉を切り、二呼吸ほど置いて続ける。


「でもね、伝えたかったんだ。世の中って、楽しいことだけじゃないけど、辛いことだけでもない。本当のことは少ないかも知れないけど、嘘だけでもない。カズミちゃんを、ぱーんと引っ叩いて忘れられるなら、そうすればいいし」

「おい!」

「カズミちゃん殴った程度じゃ忘れられない辛さなら、思う存分に悔やんで悲しんで泣いて落ち込めばいい。……でもね、これだけは忘れないで欲しいんだ。わたしたちもいるんだということ」

「アサにゃん……」


 また、成葉の目にじわっと涙が溢れていた。

 成分は同じはずなのに、先ほどとはまったく異質の涙が。


 うええ、

 と、泣き声を出し掛ける成葉であったが、突然、びくり肩を震わせてた。

 すっかり、泣きが引っ込んでしまっていた。


 何故ならば、

 アサキの方こそが、自分の発した言葉に感極まって、大声で泣き出してしまったからである。


 幼子みたいに。

 上を向いて、両手でまぶたを押さえながら、

 ぼろぼろと、ぼろぼろと、透き通る純粋な涙を、アサキはこぼし続けていた。

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