第11話 一触即発

 みちおうは、自宅アパートの布団の上に寝っ転がって、リストフォンを操作している。

 まだ夕方だというのに、ぶかぶかのロングTシャツだけという、ほとんど寝間着という格好で。


 学校が終わるや否や、調べものがあるから今日は自宅待機さててもらうわ、と急いで帰ってきて、それからずっとこうしている。


 ロングTシャツが大きくめくれて、かわいらしい柄のパンツが丸見えになっているが、誰もいないから気にもせず、足を組み変え組み変え、真剣な表情でリストフォンとにらめっこしている。


 なにを調べているのかというと、今朝の登校中にへいなるから聞かされた、十年前の殺人事件のこと。


 おおとりせいの父親が、妻つまり正香の母親の不倫を疑い、口論の末、ハンマーで殴り殺した。

 一緒にいた長女つまり正香の姉も犠牲になった。


 同じく一緒にいた正香のみが、何故、生き残ったのか。


 父が、母と姉を殺害したところで我に返り、悔やみ自害した。とされているが、都合がよすぎないか。


 本当に、事件はそれだけなのか。


 このような疑いを抱いてしまうのは、今朝の、教室での一件があるからだ。

 特殊な訓練を受けていない魔法使いなら、まず気付かないほどの、ほんの一瞬ではあったが、正香を覆う生気に魔術痕を感じたのだ。


 文字通り、魔術を施した痕跡だ。

 おそらくは、記憶操作系。


 以前、仲間が殺されたショックで発狂した魔法使いが、治療施設でその術を施されていたのを見たことがある。


 ただ、正香がそうである確証は、まだない。

 サーチアプリで確認する前に、りようどうさきに止められたからだ。


 でもおそらくあれは、記憶操作魔法だ。「入れ替え」か、「忘却」かは分からないが。


 しかも、強力ではあるが低レベル、つまりは荒っぽい。


 雑で強力となると、それは、まだ訓練を受けていない、幼い魔法適格者が、本能的に施した術ということではないか。

 つまり、当時の正香が、自分で自分の記憶を操作したのではないか。


 単純に家族が死んだことを記憶操作で消したところで、報道と食い違いがあれば、その矛盾から術は解けてしまう。

 だから、そうではない部分、報道されていない闇に包まれた部分、その記憶を操作したのではないか。


 つまり、たまに見る悪夢は、あえて記憶を消さなかったから。

 ほどよく過去の恐怖や後悔と付き合うことで、術が解けておぞましい真実を思い出してしまうことを防いでいる。


 そう考えれば、辻褄は合う。


 幼少の大鳥正香がなにを体験し、どんな記憶を、魂の奥に封印しているのか。


 本当は、仲間のこんなことを考えたくはない。

 仲間のこんなことを探りたくなどない。


 でも、


「仲間、やから……」


 それに、妹、くものような者を、もう増やしたくない。

 泣き悲しむ家族を、増やしたくない。

 だから……


 布団に寝転がっていた応芽は、決心した顔で立ち上がった。

 下着が見えるほどにまくれ上がっていた大きなTシャツが、ずるずる下がって、膝までを覆い隠した。


 目を閉じ、目を開くと、両腕を交差させながら、高く掲げた。


 気の作る魔力の流れに、左腕のリストフォンが反応し、まばゆい光を発する。


「変身!」


 腕の交差を解きつつ下げながら、リストフォン側面にあるスイッチを押した。


 布団を踏み付けて立つ、赤黒の魔道着を着た、慶賀応芽の姿がそこにあった。


 スニーカーに似た靴を履いたままで、布団の上に立ってしまっているが、構わずそのまま目を閉じて、呪文を唱える。


「イェラウスコウメンム……」


 目を閉じている。

 だが、すべてが見えていた。


 ただ呪文を唱えているだけに見えるが、これは魂離脱の魔法、精神体が抜け出て、心の目で周囲三百六十度を見回していた。


 念じるだけで、視界が動く。

 念じるだけで、身体が浮遊する。


 少し、練習して感覚を思い出すと、外へ出た。

 部屋の天井を、建物の屋根を、突き抜けて、外へと、応芽の、精神体が。


 精神体を、餅のように長く長く伸ばして、その先端が、もの凄い速度で、ある方向へと飛んでいく。


 向かうのは、大鳥正香の家だ。


 現場に残された、なんらかの残留思念を読み取ることで、分かることがあるかも知れない。


 そう考えたのである。

 本当は、このようなことやりたくはないが、仲間をさらに襲うかもしれない悲劇から救えるのであれば、と。

 罪悪感に躊躇いつつも、躊躇い微塵もなく。


「フレイジイッヒドューチャスイェフェンム」


 意識の中で、呪文を唱え続けている。


 アパートに残してきた、布団の上に立っている、魔道着を着た肉体も、合わせてぼそぼそと、口が動いているはずである。


 念の強度が求められる魔法ではないが、いわゆるエネルギーの遠隔コントロールであるため、詠唱を止めるわけにはいかないのだ。

 令堂和咲の非詠唱のような、特殊能力でもあれば別だが。


「ドューチャスイェンメウラア……」


 自室アパートから長く長く伸びた餅いや応芽の精神体は、明治時代の洋館を思わせる大鳥邸の中へと、入り込んでいた。


 前を通ったことはあるが、中に入るのは初めてであり、間取りを知っているわけでもない。

 だというのに、無意識に意識を任せていると、妖気に似た負の念に、するすると精神体が引き寄せられて、気が付くと二階にある洋間の一室にいた。


 辺に刺繍の入った、赤いカーペットが敷かれた部屋だ。

 落ち着いた色合いの木製ベッド、隅には小さなテーブルが置かれている。

 それ以外にも、雑多な物が多数置かれており、それぞれ少し埃もかぶっている。

 物や埃の状態から考えて、おそらく現在はこの部屋を使用している者がおらず、物置になっているのであろう。


 この部屋は、十年前になにを見たのか。


 陰鬱としたものをこの部屋に感じるが、単に事件のことを聞かされて知っているから、そう思ってしまうだけかも知れない。


 とにかく、しらみ潰しに当たるしかない。


 まずは洋服箪笥へと、精神体の先端を伸ばして、触れた。




 ぱあん




 応芽の暮らす木造アパート自室で、風船の割れるような、大きな音がした。

 同時に、部屋の真ん中に立っている応芽の、顔の皮膚が、弾けて飛んでいた。薄皮の内側から、なにかが破裂したのである。


「うぐっ!」


 突然の激痛に、声を漏らし、ぎゅうっと目を閉じた。


 痛みを堪えながら、壁の姿見を見てみると、自分の顔の半分が、薄皮がめくれ剥がれて、赤黒く焼けていた。


「なんやこれ……」


 呆然とした顔で、ぼそり声を発した。


 大鳥家にいたはずなのに、自分の部屋の中。

 攻撃を受けたことで、術が強制解除されて、飛ばしていた意識が肉体へと戻ってしまったのだ。


 魔道着を着たまま、激痛を感じつつも呆然とした顔で、立っている。


「攻撃結界……。せやけど、なんのために」


 自分の身に、なにが起きたのかを理解すると、すぐに右手をめくれた顔に翳し、魔法による治療を始めた。


 治療しながら、思う。

 この件、確信に触れられないように、細工が施されている、ということを。


 攻撃結界を施したのは、十年前の大鳥正香が本能的にやったことだとしても、この破壊力はどうだ。

 現在も、結界と大鳥の意識は同調している、ということか。


 大鳥の成長に合わせて結界が強力になっているだけならばいいが、もしも、大鳥の意識が、記憶の戻ることをより激しく恐れ拒むようになっているのだとしたら、


 つまり現在、いつ記憶が戻ってもおかしくない状態であると、大鳥自身が無意識に感じており、それがこの激しい防御に繋がっているのだとしたら……


「あかん!」


 戻させたら、大鳥の記憶を戻させたら、あかん!


 付け焼き刃かも知れへんけど、あたし術固定の魔法少し覚えとる。

 あいつの精神を応急処置して、記憶がすぐには戻らんようにしといて、まずはそれからや。


 リヒトの指定病院に連れてってもええ。

 あたしの顔の手当なんか、いつでもええわ。

 急がんと。

 大鳥が危ない!


 顔に翳していた手を下ろすと、土足で室内どすどすドアを開けて外へと出た。


 が、すぐに踵を返して部屋の中へ戻ってくると、


「もどかしいわもう!」


 声を荒らげながら、魔道着を変身解除。


 肩が片方はだけ見えているぶかぶかTシャツ、それを一枚着ているだけの姿であることに、一瞬だけ躊躇いを見せるが、どうでもええわと靴だけ履いて、今度こそアパートを飛び出した。


 半分焼けて赤黒い顔のままで、走り出す。

 全力で。


 大鳥家、ともだちの家へと。

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