第17話 マタンゴ
マタンゴ、というとても古い映画をご存知だろうか。
おそらくご存知ないであろうが、検索すればすぐに出る。
キノコの怪物であり、その昔には、殴られボコボコに膨れ上がった様子などをマタンゴのようななどと表現されていたこともあった、知る人は知る存在、名称である。
なんと今、そのマタンゴが、天王台第三中学校の宿直室に出現していた。
そして怒られて、正座をさせられていた。
「すんませんでしたあ!」
畳に手を付いて、泣きじゃくっている
「あ、あやま、あやま、ないで、えぐっ、わわ、わたしわたしがっ、ひとっひとっ一人でっ、ト、ト、トイレっ、行けっ行けな、ひぐっ、かったのが、わ、悪いだからっ、うくっ」
アサキは、つっかえつっかえでそういいながら、大粒の涙をボロボロボロボロこぼしている。
寝巻き代わりのショートパンツを、失禁で濡らしてしまったため、ジャージのズボンを履いている。
巻き添えを食らった、カズミ共々。
下着も、お風呂後に駄目にしてしまったため、二人揃って元々お風呂前に履いていたのを急遽洗って、ドライヤーで乾かして、生乾きのまま履いている状態だ。
土下座姿勢から、ちょっと頭を上げるカズミであるが、経緯について色々と思うところがあるのか憮然としたように唇を尖らせていると、
「反省が足りてないっ!」
ゴガッ!
「いてっ! 先生コブのとこさらに殴ったあ!」
「いいからちゃんと謝る!」
「……ごめん、アサキ」
シーツを被ったアサキに驚かされ、すっ転ばされ、あまつさえオシッコをかけられ、と散々な目にあっているカズミであるが、確かに発端は自分であるため、憮然とするのが関の山で、心底怒ることも出来ないのであろう。
さて、先ほどの幽霊騒動であるが、ここで顛末を説明しておこう。
きっかけは、仲間外れにされた
みんながカズミの非道を責めたため、カズミと成葉、アサキの三人で連れ戻すため探しに行くこととなった。
その後の流れで、成葉が別行動で物理室を見ることになり、アサキとカズミは二人きりに。
廊下を歩くカズミとアサキの二人。
丁度、トイレの前を通ったところで、アサキが尿意を覚える。
先に鼻水で手を汚してしまったこともあり、トイレに行くことになった。
しかし、直前にカズミが怖い話でおどかしていたこともあって、アサキは一人でトイレに入れない。
自分が怖がらせたのが原因なのに、嫌だ嫌だと入るのを渋るアサキにカズミはイラついて、突き飛ばして強引に押し込めてしまう。
と、ここでカズミとアサキも、扉の内と外、とバラバラになったわけである。
廊下で待っているカズミであったが、「そうだ隠れてアサキのバカを怖がらせよう!」と、まあ彼女の性格を考えれば当然の成り行きと呼べる行動に出たのであるが、多目的室にこそっと隠れようとしたところ、つい書道具を落として床を墨で汚してしまった。
「いいやアサキがやったことにしよーっと」、などと独り言発しながら多目的室を出ようとしたところ、たまたま須黒先生に見られてしまっており、頭をブン殴られるわ、シャイニングウィザード食らうわ、挙げ句の果てに廊下のワックス掛けまでやらされることになってしまう。完全完璧に、自業自得ではあるが。
しばらくして、きちんと掃除をしているか様子を見に戻ってきた須黒先生は、
さて、今度はアサキの視点から語ろう。
トイレの洗面台で、鏡に映る赤毛の少女に驚いて叫んでしまうなど、相変わらずヘタレなことをしていると、物理室を出たばかりの成葉がその叫び声に気が付いて、大声で呼び掛けてきた。
その言葉によって、扉の外で待っているはずのカズミが、いないことを知ったアサキは、怖くなってしまった。
とにかく成葉とだけでも合流しようと、トイレ済ますのは後回しにしてドアを開けた。
開けたすぐのところに、成葉が立っていたのであるが、まだ物理室の辺りにいるのかとアサキは思い込んでいたため、謎の人影にびっくりして、つい大声で悲鳴を上げた。
この悲鳴が、離れたところでワックス掛けをしているカズミが最初に聞いた絶叫である。
「ナルハだよお」「お、お、おどかさないでくださあああい」と、そんなやりとりしつつも、とにかく合流したアサキと成葉。
先ほどカズミが話していた赤ちゃんの幽霊話のせいで、暗い廊下が怖くて怖くて仕方ないアサキであるが、逃げたい気持ちをぐっとこらえ、成葉の手をぎゅっと握りながら、カズミと元々の目的である応芽の姿を探して歩く。
と、そこでアサキにとって、とんでもないことが起きた。
ゴキブリを見てしまったのである。
嫌いな物ほどなんとやら、の理屈で、なんとなく目を向けた給湯室の薄暗がりの中に。
アサキ、大爆発である。
学校が崩れるのではないかというくらいの、凄まじい声を張り上げると、ぎゅっと握っていた成葉の手を離して、一人で狂ったように廊下を大爆走。
これが、カズミの聞いた二回目の絶叫である。
悲鳴を上げながら廊下を走るアサキ。
運の悪いことに、シーツを運んで反対側の階段から治奈たちが降りてきており、この瞬間しかない、という絶妙タイミングで行き交わって衝突してしまう。
アサキの身体にシーツが巻き付いて、
足を取られて転んでしまい、
なにが起きたのかも分からず、ただでさえ暗い視界が突然真っ暗になって、
そんな恐怖状態のまま、ワックスのたっぷり塗られた廊下をついーっと巨大なカーリングストーンになって、滑る。
滑る。
滑って、
そして、
なにがなんだか分からぬままに、カズミと衝突して転ばせてしまったのである。
シーツのせいでなんにも見えていないアサキ。カズミと手足が絡まってしまい、暗闇と混乱で自分に起きている状況が理解出来ず、恐怖と不安に完全にパニックを起こし掛けていたところ、「赤ちゃんの幽霊が出たあ!」というカズミの叫びを聞いて、脳がますます大混乱。
なにが自分にぶつかってきたのか状況を先に理解したカズミが、むかっ腹を立ててアサキのシーツを剥ぎ取って、顔を近付けて怒鳴る。
「地獄へ引きずり込むぞてめえ!」
まだ全然状況を理解していないアサキは、ただでさえパニック状態にあるというのにさらなる追い打ちを受けて、
元々限界破裂に近かった膀胱が耐えきれずに、起きることが起きてしまったというわけである。
以上。
そして現在。
宿直室。
「ごめん。わたしが弱いから、いけないんだ。……みんなに迷惑かけちゃった」
ようやく落ち着いたアサキは、ふーっと息を吐くと、がくり項垂れたまま謝った。
どんよりと沈み込んだ、暗い表情である。
まあ人前でオシッコ漏らして大泣きした直後なので、これで明るくあっけらかんとしている方が異常だが。
「全部、カズにゃんが悪いんだからあ。タイル廊下だったから綺麗に拭けたんでしょ? そんなくらいで落ち込まない落ち込まない」
成葉が明るく笑いながら、ぱたぱた手首を返す。
漏らしたオシッコの、始末の話である。
「違うんだ。あ、いや、完全に違うわけじゃないけど……中二にもなって二回も、って、みっともなくて情けなくなるよ。でもね、そのことだけじゃなくてね、根本の、性格のことなんだ。わたし、こんなんでいいのかなって」
ビビリでヘタレなところ。
さっきはつい、我慢して生きる方がつらい、などとカズミちゃんにはいってしまったけど。
「アサキちゃんは、強くなっとるよ」
治奈が庇う。
「そうかな」
みんな簡単に褒めるけど、それってただ戦いへの慣れというだけであって、本当の自分が強くなった、とはいえないのでは。
と、アサキは思う。
自分は別に、剣や魔法で戦う能力とか、そういうのはどうでもいいんだ。
ただ、強くなりたいんだ。
肉体よりも、心が。
「アサキさんは、とにかく優しいですけれど、それも強さだと、わたくしは思いますよ」
正香が気持ちを感じ取ってフォローを入れてくれたが、だがアサキの曇った表情は変わらない。
「優しくなんかないよ、わたしは。ただ気が小さいだけで」
「そういうの含めて素敵だって正香がいってんだから、素直に受けとけよ」
カズミがもどかしそうにテーブルを叩く。頭はまだマタンゴのようにボコボコだが。
「ほうじゃ、せっかくの合宿、記念写真でもっ!」
治奈は唐突に、明るい口調ではしゃぎ出し、リストフォンを左腕から外してこたつテーブルの上に置いた。
「よし、じゃあ撮ろうぜ! 頭ボコボコだけど、いいや!」
「もう寝る格好ですよ!」
「気にしにゃあい! ナルハは、アサにゃんのとーなりっ!」
「ズルいぞナル坊、あたしも!」
みな、アサキを中心に、ささっと集まり密着し、カメラであるリストフォンへと笑顔を向けた。
「みんな揃っておるから楽しいなあ。アサキちゃんに正香ちゃんにウメちゃんに……って、お、おらんっ! わあああああっ、ウメちゃん行方知れずのままじゃ!」
「ああ、そういやウメのバカを探してたんだっけかあ」
「ナルハ、すっかり忘れてたあ」
はっはっはっ、と肩を組んで楽しげに笑っている成葉とカズミであったが、段々とカズミの顔が険しくなっていく。
「つうかさあ……思い出すと腹が立って来たんだけど!」
「なにがあ? カズにゃん」
「だってよ、あのバカが輪を乱すようなこといって、ちょこっと反撃食らった程度で、泣き叫んで逃げたりしなければ、このイベント自体が発生しなくて、あたし須黒先生に殴られなくて済んだんだぜ」
まあ別のなにかで殴られていただろうが。
「ああくそ、イライラするーっ!」
ガシーーッとアサキの首を両手で掴んだ。
「ぢょ、なんでわだじの首をじめるのおお」
「ああ、ごめん。締めやすそうなのが目の前にあったから」
げほごほむせるアサキの背中を、カズミが笑いながら叩いていると、ドアの向こう、廊下遠くから荒っぽい足音が聞こえて来た。
カツカツ、ズンズン、
足音がどんどん大きくなってくる。
そして、
ガチャ、どばあん!
足音と同様、荒々しい音と共に、ドアが開いた。
「……自分ら! こんな薄情モンとは思わへんかったわ!」
入ってくるなり怒気を吐き散らしているのは、慶賀応芽であった。
まさか数時間もの間、ずっと外に身を潜めていたのか、服や髪の毛が枯れ草まみれである。
ほっぺたも、土で汚れている。
さらには、涙目である。目が真っ赤である。かなり泣いたのだろう。
「駐車場裏の木んとこに隠れとったのに、だあれも探しにもきいへんのやからなあ。のけ者にされた可愛そうなクラスメイトが、飛び出したっちゅのになあああ」
「黙れ関西弁! こっちはそれどこじゃなかったんだよ!」
「あいたっ! なんでわたしを殴るのお!」
カズミが怒気満面立ち上がる際に、つい目の前の、殴りやすそうな赤毛の女子を殴ってしまったのである。
「そうだよお、ナルハたち大変だったんだからあ」
成葉は別に大変ではなかったが。
「ワックス掛けやら、お化け騒動やら、アサキが漏らしちゃうわで、てめえのことなんか構っている暇、これっぽっちもなか……」
「カズミちゃあん、それえいわないでよおおおおおお」
せっかく泣き止んだアサキであったが、カズミの言葉でぶり返し、また天井を見上げて涙ボロボロ泣き出してしまうのだった。
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