第06話 いえるわけないじゃん

「……こっちは仙台より魚と野菜が、ちょっと高いかなあ。出来合いの惣菜も、なるべく控えた方がいいなあ。駅向こうのマンション一階にある、なんとか食品館ってスーパーはちょっとは安いけど、年寄りでめっちゃ混むんだよなあ。入ったら生きて出られるのかってくらい」


 リビングのテーブルで、りようどうすぐがため息を吐いたり唸り声を上げたりしながら家計簿をつけている。


 という姿を、りようどうさきは自分の部屋から出たドアの前で、複雑そうな表情で見つめている。


 ふと視線を上げ、存在に気が付いた直美は、びくりと肩を震わせた。


「い、いつからそこにっ」

「三十秒前から。……やっぱり、うちあんまり余裕ないの?」


 当然といえば当然か。こんなおっきな荷物がいるんだからなあ。


 と、アサキは胸の中に続きを呟いた。

 高校生になれば、とりあえずはアルバイトでもして家にお金を入れることも出来るけど。または一人暮らしをしちゃうとか。なるべく負担にならない方法を選びたいけど、でもあと二年ある、辛いなあ。


「あ、なにか勘違いしてない? 単に前のところと物価を比べてただけだよ。しゆうちゃんの稼ぎはそれなりにあるし、無駄使いはあたしの飲み代くらいだから余裕はあるよ。だから中学を出たら働くとかいわないでよね。大学だって行っていいんだから。というかきょうび行かなきゃダメだろう」

「ありがとう」

「家族はそんな程度で礼はいわない! むしろアサキちゃん、あまりにお金がかからなすぎ、迷惑かけなすぎだよ。全然おねだりしないし、小遣い上げろとかもいわないし、旅行とかもしたがらないしさあ。……とにかく、アサキちゃんはあたしらにとって実の子も同然なんだから、遠慮すんなあ!」

「ごめん。でも別に、遠慮とかそういうわけじゃ、ない……」


 と、思うけれど……

 どうなのかな。


 などとまた胸に呟きながら、冷蔵庫からミルクを取り出して、床の上に置かれている銀の器へと注いだ。


 音かにおいか雰囲気か、カーテンの向こう側でじゃれあっていた子猫たちは気付いたようで、争うように走ってくると争うように飲み始めた。


「よしよし、大きくなるんだぞー」


 アサキは笑みを浮かべ、二匹の柔らかな頭を撫でる。


 昨日、あきらはると一緒に公園で拾った猫である。

 貰い手が見付かるまでは、ということでここで世話しているのだ。

 探すのになかなか難航しており、ずっと飼うことになるかも知れない。


「ただいまー」


 玄関の方から、野太い男性の声が聞こえたかと思うと、しばらくしてりようどうしゆういちがリビングへと入ってきた。


「お帰り、修一さん。今日もお仕事お疲れ様でした」


 猫の頭を撫でながら、アサキが声を掛けた。


「おうっ」


 というなり修一はささっと背広を脱ぎ、背広を脱ぐなりテレビのリモコンを手にして電源スイッチオン。

 チャンネルを変え、映ったのはボクシングだ。

 ミドル級くらいの、日本人と肌の黒い外国人とが試合をしている。


「おい、ビール!」


 などといいながら、どかっとソファに腰を下ろして観戦モードに入る修一であるが、しかし直美にリモコン取り上げられ画面を消されてしまった。


「おい、なにすんだよ!」

「すぐ食事にするんだからテレビはダメー。連絡なしで帰宅時間が一時間も遅くなった修くんが悪いんだよー」

「食事中にお前の漫談みたいな独り言を聞いているのも、テレビを見るのも同じことだと思うけどなあ。……おれの念が届かったせいではしもときようへいがタイトル防衛に失敗したらどうしてくれんだよ」

「そしたら次はチャレンジャーのチャレンジに念を送ればいいでしょ。よし、それじゃお皿どんどん持ってくるからアサキちゃんはそこに並べてってね」

「うん。分かった」


 素直な返事をするアサキの前に、いった通り直美が皿やお椀を持ってくる。


 焼き魚、筑前煮、肉じゃが、お新香、ご飯、しじみの味噌汁、何故か一つ洋風のミニハンバーグ、大皿小皿、お椀に茶碗、アサキがてきぱき配置して、箸を箸置きに並べ、


「いただきます」


 夜の八時半、ちょっと遅いが夕食の開始である。


「学校、ちょっとは慣れたか?」


 場を乱す唯一の洋食であるミニハンバーグを退治しようと、さっそく箸でつまみながら、修一が尋ねる。


「うん。友達もすぐに出来たんだよ」


 アサキはちょっと得意げな笑みを浮かべた。

 これまでどの学校でもなかなか友達が出来なかったのだ。自慢したくなるのも当然というものだろう。


「うん、はるちゃんとかね。いい子だよね、あの娘」

「え、なんだよ、直美ももう面識あんの?」


 びっくりする修一へ、直美は笑顔を向けながら、


「ほら、ここのすぐ近くにあるお好み焼きの娘さんだよ」

「へえ。まあ、すぐに友達が出来たのはよかったな。いつも初日の挨拶で似合わないギャグやって見事に滑って、ずうっと日陰族だったもんな。ようやく友達が出来そう、って頃に転校になったりしてさ」


 修一にからかわれたアサキは、ムッ、とほっぺたを膨らませた。


「ギャグなんか、いったこと生まれて一度もないよっ! 『ははあん配給うううノーリタアアン』とか、『ガチガチなん? ガチガチなん?』とか、一度もさあ」

「やってんじゃねえかよ! つうかまったく似てねーっ!」

「さすが初日の掴み研究家あ!」


 夫婦二人で大爆笑である。


「オソマツ様でしたあ」


 アサキは照れた笑みを浮かべながら、深くお辞儀をした。


 こんな態度でごまかしながら、アサキは、胸の奥で二人に感謝をしていた。

 こうして、自分に対して明るくふるまってくれることに。

 自分のことを、実の娘のように愛してくれていることに。


 だから、自分も大好きだ。

 この二人のことが大好きだ。


 だから、頑張って守らないとな。

 この、世界を。


 手を伸ばして赤く装飾された銀色のリストフォン、クラフトへ指先でそっと触れた。


 まだまだ戦力にもなっていない自分だけど。

 まだまだ迷惑ばかりかけている自分だけど。


 だからこそ、頑張ろう。

 強くなろう。


 また、明日から。

 一歩一歩、進んでいこう。


「おーい。アサキくうん、聞こえてますかあ」


 直美の声。

 眼前で、直美が手をひらひらと振っている。


「あ、ああっ、な、なにっ?」

「なんでもないよ。北川コタ側の『でぃっふーーーん!』のギャグのポーズのまま、いつまでもぽけーっとしているから呼んでみただけ。……あのさ、昨日っから考え事が多い気がするんだけど、まあ学校変わったんだから当然かも知れないけど……あたしたちに隠し事とかは……してないよね?」

「し、し、し、してませんっ!」


 勘が鋭いなあ直美さんはっ!

 確かに隠し事してるよ。

 でもいえないよ。

 魔法使いになったとか、ヴァイスタで世界が滅ぶとか。いえるわけないじゃん。


「ん、なんで敬語?」

「あ、いや、隠し事とか悩み事とか、なんにもないよ。ポエムでも書いてたら、さすがに隠すだろうけどさあ」

「あー、ポエム書いてんだあ。ね、見せてよ」

「書いてないよ。例えだって」


 日記くらいだよ、書いてるのは。

 しかし繰り返すけど直美さん、勘が鋭いなあ。びっくりしたあ。

 それとも実はわたしって、ことごとくが顔に出てしまうタイプなの?

 明日、治奈ちゃんたちに相談してみよう。

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