第05話 二度目の初戦

「あれだっ!」


 カズミが、こそっと囁くような、鋭い声を発した。


 それは、走り出してものの十秒程度であった。

 すぐ近くの公園を集合場所に選んだのだから、当然ではあるが。


 ヴァイスタ、「白い幽霊ヴアイスガイスト」を縮めた呼称である。その名の通り、全身が真っ白でヌメヌメしている、身長二メートルを優に超える、手足が妙に長い不気味な存在だ。


 アサキたちは、その背中を発見したのだ。


 二体、ゆっくりと歩いている。


「誰かいるよ!」


 なるが、ヴァイスタのさらに前方を指差した。


 透明シートを何重にもしたように濁って見える、膜状の向こう側を、大学生であろうか二十歳少し前といった女性が歩いている。


 二体のヴァイスタは、その背後を追うように、足音を立てず歩いている、迫っている。


 一体が女性の背後へ、くっつくくらいまで迫ると、長い腕を振リ上げて、しならせ、振り下ろした。

 濁った膜ごと、頭上から、叩き潰そうと、振り下ろした。


「あっ!」


 アサキはつい声を発し、剣を両手に握り走り出そうとするが、


「大丈夫」


 カズミが、腕を遮断棒にして制する。



 ぼずり



 振り下ろされた白くぬめぬめした腕は、分厚い透明幕を突き破ることが出来ずに、弾力で跳ね返されていた。


 ヴァイスタは、再び拳を振り上げ振り下ろす。



 ごずり


 ごずり



 濡れた巨木が擦れ合うごとくの、なんとも気持ちの悪い音が響く。


 なにかを感じたのか、女性がはっとした顔で立ち止まり、肩越しに振り返った。

 ちょっと小首を傾げると、すぐに前を向き直って、また歩き出した。


「あの女の人、気が付いていないのかな」


 アサキが、ぼそっと疑問の言葉を発する。


「嫌な気配は感じていて、だから振り返ったりしたんだろうけど、魔力そんな高くないから見えてないんだろねえ。見えてないから、気のせいだと思いこんでしまう」


 成葉が答える。


「そうなんだ。でもこれ、このまま放っておいても問題ないの?」

「問題あるさ。異空と現界の境が薄いところがあってな、そのうちにそこが破れて、そしたらこっちに連れ込まれて食われちまうよ」


 カズミの説明に、アサキはぶるぶるっと身を震わせた。


 昨夜の、自分自身に降り掛かったことを思い出していたのだ。

 まさに、そうなりかけたのだから。


「だから、そうなる前にこうすんだ、よ!」


 カズミは、いつの間に拾っていたのか右手に持った小石を、ヴァイスタへ向け、アンダースローで投げていた。


 べち、と音がした。

 一体の後頭部に命中したのだ。


 当てられた一体が動きを止めて、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 顔のパーツがないので、振り向かれても見た目の変化はあまりないが。


 遅れて、もう一体も歩く動きを止めて、アサキたちの方を向いた。


 ごくり、

 アサキは、唾を飲んだ。


 右手に構えた剣をぎゅっと握る。汗で、滑り落ちてしまいそう。

 左手で、強く拳を握る。

 全身が、微かに震えている。


 数秒の沈黙、数秒の静寂の後、ヴァイスタが動き出した。

 アサキたちのいる方へと、ゆっくりと歩き出したのである。


「こっちくるよー!」


 アサキはびくうっと肩を大きく震わせると、悲鳴に似た情けない声を出した。


「当たり前だろバカ! それじゃあ、さっき話した作戦な。一匹を引きつけとくんだぞ」

「りょ、りょ、了解っ!」


 アサキは冷静でいようと、冗談ぽく、軍人の敬礼を真似た仕草を取った。

 どう見ても、パニック起こしているとしか思えない、カチコチ顔であったが。


 こうして戦いは、スポーツの試合以上のあっさりさでもって、開始されたのである。

 赤い魔道着を着ての、アサキの初めての戦いが。


 ゆっくりと向かってくる、二体のヴァイスタ。


 アサキは、視線そらさず正面向きつつ、横へ、横へとじりじり動いた。

 二体が完全に通り過ぎてカズミたちへと向かうのを待って、後側の一体を剣でつついて振り向かせて誘導しよう、と考えたのだ。


 だが、予期しないことが起きた。

 二体ともが回れ右をして、アサキへと向かったのである。


「えーーっ!」


 な、なんでえっ、という表情を隠さず、踵を返して、アサキは逃げ出した。


 ヴァイスタの歩調が速くなる。

 アサキを追っているのだ。


「ああそっかあ、アサキが弱っちいくせに潜在魔力が高いからかあ」


 カズミが、ぽんと自分の手のひらを打った。


 そう、判明しているヴァイスタの習性の一つとして、魔力が高く、かつ襲いやすい者から襲う、というのがある。

 そう考えると、この成り行きは当然ということか。


「冷静に解説してないで、助けてよお!」


 涙目になって逃げているアサキ。


 ヴァイスタとおっつかっつの追いかけっ子なのは、全力疾走したいのはやまやまだが、恐怖に震えてしまって、足がうまく動かないためである。


「こ、こ、こうなったらこの剣でえ!」


 やけくそ気味に叫びながら振り向くと、迫ってくるうち一体の胴体を剣を振り回して斬り付ける。

 しかし、ぶよんぶよんと震える音がするばかりで、まったくダメージを与えられているような感じがない。


 とん、と後ろへ跳んで距離を取った。


 ぜいはあ、

 ぜいはあ、


 ほとんど剣を振るってなどいないというのに、もう息が切れている。


 苦しい。

 苦しいし、それとは別になんだかとても気怠い感じが……


「魔力を無駄に出し過ぎだ! 拡散してるから威力もないしすぐバテる。全力ダッシュでマラソン走り切れるわけねえだろバカ! ふざけてんのか元の頭脳が間抜けかどっちだ!」

「そそ、そんなこといわれてもお……」


 わたし、初めてなんだよ。

 正確には二回目だけど。とにかく戦闘訓練とか、そういうの全然受けてないんだよ。


 そんな心の声など、他人に聞こえるはずもなく、


「戦いのセンスなさ過ぎなんだよ。つか一般常識的にもうちょいマシに動けねえのかよ。もういいやお前は。黙って見てろ。作戦変更だ」


 マシンガンでバスバスバスバス容赦なく撃ち抜かれた。


「はい……」


 心の中だけは好きにいえても、新米の身では強くも出られず、アサキは申し訳なさそうに肩を縮めて、カズミと成葉の背後へと退いた。

 二体のヴァイスタそれぞれの前に、カズミと成葉がアサキを守るように立ちはだかっている立ち位置だ。


 カズミと向き合うヴァイスタが、なんの予備動作もなく突然に長い腕を振るった。

 ぶうん、と唸るそれを、カズミは予期していたか、すっと身を屈めてかわしつつ、地を蹴って懐へと入り込んでいた。


「うりゃあ!」


 叫びながら、コマのごとくに身体を高速回転させ、両手それぞれに握った短剣で、ヴァイスタの胴体を斬り刻んでいく。


 いや、

 攻撃はすべて弾き返されていた。


 傷もなければ、よろけることすらもなく、なんのダメージも受けていないのか平然とした態度で、もう一本の腕もカズミへと振り下ろした。


 間一髪、カズミは後ろへ跳んでかわす。

 風圧で、前髪がばたばたなびいた。


「くそったれ、防御力の高い個体かよ」


 苦々しい顔で、舌打ちした。


「頑張れえ、カズミちゃん、成葉ちゃん!」


 まだまったく体力が回復していないアサキが、はあはあ息を切らせながらも、大きな声援を送った。


 そう、成葉も既に、もう一体との戦闘に入っていたのである。


「ナルハスペシャル!」


 小柄な身体を高く高く跳躍させて、叫びながらヴァイスタの頭上へと、両手に持つ巨大な大刀を振り下ろしていた。


 なにがスペシャルということではなく、単なる気合を入れるための掛け声ということだろうか。いずれにせよ、その気合も虚しく、攻撃はぼよおんと跳ね返されてしまった。


「うえー、こっちの個体も防御型だあ。手が痺れたよお」


 とんと跳躍して、ヴァイスタとの距離を取ると、大刀を道路に突き立てて、しかめっ面になりながら両手をぷるぷるっと振った。


 それらの戦いを後ろから見ているアサキは、ぎゅっと拳を握った。


「黙って見ていろ……といわれたけど……」


 でも、なんか強そうだよ、このヴァイスタ。

 なにかやれること、なにか手伝えること、しないと。

 やれること、わたしに、出来ること……

 よおし。


 アサキは決心した表情で、顔を上げた。


「わたしが隙を作る!」


 叫んだ。

 まだ魔力も体力も回復していない、呼吸も整っていない苦しそうな表情であるが、構わず駆け出し、カズミと成葉の間を抜けて前に出ると、ヴァイスタの一体へと飛び込んでいた。


 飛び込みつつ、ごろんと身体を丸めて前進し、股の間を抜けていた。

 立ち上がるなり、わあああと叫びながら、剣を両手に持ってヴァイスタの背中を斬り付けた。


 虚しく弾き返される。

 だけどアサキは、迷うことなく次の一振りを放っていた。


 通じなくとも構わない!


 そう心に叫び、何度も、何度も、斬り付ける。

 ヴァイスタがゆっくりと、アサキの方へと振り向いた。


「カズミちゃん、成葉ちゃん、いまだよ!」


 疲弊に歪んだ表情を隠さず、大声で叫んだ。


「了解、アサにゃん!」

「少しはやるじゃねえか! そんじゃいくぜえええ!」


 カズミは、うおおおおと獣のように吠えた。


「イヒウェルデディチ ヌアンシュケルテン」


 呪文を唱えると、足元に青く光る五芒星が現れていた。

 カズミはすっと腰を落とすと、両手の短刀を改めて構え直し、


「超魔法グローゼンブリッツ!」


 地を、五芒星を蹴って、ヴァイスタの無防備な背中へと飛び込んでいた。


 カズミの身体が、目にも止まらぬ速度で回転し、ざくざくざくざく、今度こそヴァイスタの肉体を切り刻んでいく。

 自転しながら、さらにぐるりとヴァイスタの周囲を一周。表面をべろべろに切り裂かれて、さすがのヴァイスタも、受けたダメージに足元がふらついている。


「皮は剥がした! 成葉、とどめだあ!」

「了解! 今度は決めるよ、ナルハスペシャルう!」


 叫びながら高く跳躍した黄色の魔法使い、両手に持った大刀で、背中から袈裟がけの一撃を浴びせた。

 とん、と着地し、もう一度高く跳躍すると、宙でトンボを切った。


「昨日の牛丼タマゴのカラが入ってたあああああああ!」


 それが怒りのスイッチになるのか分からないが、とにかく成葉の絶叫と同時に、彼女の全身が黄金色の輝きに包まれていた。


 振り上げた両手の大刀を、今度はヴァイスタの正面から、渾身の力を込めて振り下ろし、叩きつけていた。


 着地と同時に、裂けていた。

 ヴァイスタの身体が。

 頭頂から股間まで、真っ二つに。


「ナイス成葉。んじゃ昇天よろしくう!」


 そういいながら、カズミは既にもう一体へと飛び込み切りつけていた。


「な、成葉ちゃんっ! これ、ま、まだ動いてるよおっ!」


 悲鳴半混じりの震える声を上げるアサキ。

 でもそれは、決して不自然な反応でも情けない言動でもないだろう。


 頭から完全に真っ二つになったヴァイスタの肉体断面から、にょろりと細長い粘液まみれの肉片が伸びて、お互いにくっつき合おうとしているのだから。


 悲鳴を上げ逃げたくなるのが、当然というものだろう。


「これがヴァイスタなんだよ。どれだけダメージを与えても決して死なないんだ。だから、ダメージ与えて一時的に動きが止まったところを狙って、魂自体を溶かすんだ。それが昇天という儀式。昨日もハルにゃんがやってたでしょ?」


 成葉は、両断され分かれて倒れているヴァイスタの、間にしゃがむと、左右の腕を伸ばしてそれぞれの身体へと触れた。


「よく見ててね。……イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ!」


 成葉が呪文を詠唱すると、ヴァイスタの身体に変化が起きていた。


 重力の法則を無視して、すーっと起き上がったのである。

 手で支えることもなく、分断された胴体が、それぞれ、ふわりと。


 叩き斬られて地に崩れた時の映像を、そのまま逆再生しているかのようである。


 あっという間に、完全に、元の姿に戻っていた。

 真っ二つに両断される前の状態に。


 いや、完全に、ではなかった。

 元の姿はのっぺらぼうのはずであるが、現在、顔には魚に似た小さな口が存在していた。


 そしてその口が、にやーっと満足げに笑ったのである。


 直後、頭頂がきらり輝いて、さらさらとした光の粉になって、上から下へと、その肉体は空気に溶けて、消えた。


 立っていた場所にわずか残っていた光の粉も、すぐ風に運ばれて、存在していた痕跡は完全に消え去った。


「どういう気持ちで昇天していくんだろうね」


 気持ち悪さと寂しさという二種類の感情の混じった複雑な表情で、アサキは呟いた。


「さあ。感情なんかないんじゃない。ナルハも最初は同じようなこと考えてたけど、すぐに慣れて、そんなこと考えもしなくなるよ」

「そうかなあ」


 まあ、下手をしたら自分が殺されるわけで、割り切らないととても戦い続けることなど出来ないのか。


「お前ら手伝えよお! 残り一匹! 人海戦術だ! アサキも加われえ!」


 声のする方を視線向けると、カズミとヴァイスタが一対一で交戦中だ。


「ごめんカズにゃん! よしっ、アサにゃん、やろっ!」


 成葉が大刀を両手に握って走り出す。


 アサキは小さく頷くと、右手の剣をぎゅっと握りしめ、そのあとを追った。


 そうだ。

 死ぬか、生きるかなんだ。

 この戦いは。

 ヴァイスタとの戦いは。

 殺さなければ、自分が殺される。

 我々が負けたら、世界が滅ぶ。

 戦って、倒して、この世界を守るんだ。

 怖いとか悲しいとか、それは戦いの後だ。

 わたしがだらしないと、みんなに迷惑がかかる。みんなの生命を危険にさらすことになる。

 だから、だから、だから、

 やるぞおっ!


「今度はわたしに任せてっ!」


 成葉を追い越し、そして高く飛んだ。


 両手に握った剣を振り上げ、少しだけ回復した魔力をすべて剣に集中させる。


 アサキスペシャルといおうかいうまいか、とにかく汚名返上の一太刀を浴びせてやる、という気持ちだけは満々であったのだが、


 バズン!


 人生ままならず。

 横殴りの直撃をモロに食らって、アサキはあっけなく吹っ飛ばされていた。


「あいたあっ!」


 壁に後頭部や背中を強打し、ずるずるーっと地面に落ちると、そのままぐったりしてしまった。


「くそ弱えなああああ! お前絶対に体育の成績1だろーーっ!」


 カズミは怒鳴るだけ怒鳴ると、すっかりあきれ顔になってため息を吐いた。


「いや、けしてそんなことは……」


 薄れゆく意識の中で、必死に弁解しようとするアサキ。


 結局、汚名返上ならず、ますます積み上げてしまうだけだった。

 本当に、わたしなんかが世界を救えるのかなあ。


 そんな不安を胸に呟きながら、アサキは気を失った。

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