第15話 紫色のリストフォン

「今度は、わたしが助ける番だあ!」


 りようどうさきは、大きな声で叫ぶと、走り出していた。


 ヴァイスタの背中へと、飛び掛かっていた。

 わあああ、と雄叫びを張り上げながら、右手を振り上げ、殴りつけた。


 ぬるりと震える気味の悪い感触。

 ゼリーを潰したような、ぶちゅんという音がするが、実際には潰れるどころかアサキのやわらかな拳は弾力で跳ね返されていた。


 まるで効いている手応えはなかったが、それでもアサキは、殴り続けた。

 今度は左手、今度は右手。


 あまりの貧弱さに気付いていないのかというくらいに無反応のヴァイスタであったが、さすがに鬱陶しくなったということなのか、ずずっと踵を擦るようにゆっくりと振り向いた。


 無我夢中で殴り続けていたアサキであったが、いざ自分へと相手の意識が向くと、途端に恐怖が戻って手の動きが止り、足もすくんで動けなくなってしまっていた。


「あ……」


 見上げ、掠れた声を絞り出すのが精一杯だった。


 そんなアサキを見下ろしながら(顔に目はないが)ヴァイスタが、ゆっくりと右腕を振り上げる。


 ぶん、

 アサキに向けて、その手が振り下ろされた。


 凄まじい絶叫が空気を引き裂いて、静まり返った白い闇の中に響き、同時にアサキはごろごろと転がっていた。


 転がりながら頭を何度もぶつけて、意識が吹っ飛び掛けるが、なんとか気を強く持って堪えた。


 いま、自分に何が起きた? 確か、何か柔らかいものが、自分の腰に抱き付くように飛び込んできて、凄い悲鳴が聞こえたかと思うと、ぶんと真横に飛ばされて、それで……


 なにかが自分に絡み付いているのにアサキは気付き、慌てて上半身を起こした。


「治奈ちゃん!」


 やはり、それはあきらはるであった。

 ヴァイスタからアサキを庇おうとして、攻撃を受けてしまったのだろう。


「治奈ちゃん! 治奈ちゃん!」


 必死に呼び掛けるが、意識を失っているのかぐったりした様子でまったく反応がない。


 白い悪霊、ヴァイスタが、ゆっくりと、ゆっくりと、二人のいる方へと近づいてくる。


「ごめんなさい、治奈ちゃん、余計なことしちゃった。わたし、余計なことしちゃった」


 アサキは、罪悪感と死への恐怖から、すっかり涙目になっていた。

 顔を上げると、ヴァイスタが白い肉体をふるふる細かく震わせながら、静かにこちらへと歩いてくるのが見える。

 滲む涙を拭うと、険しい表情で前方を睨んだ。


「考えろ」


 胸に手を当てて、ぼそりと声を出した。


 どうすればいい?

 泣いているだけじゃ、なにも変わらないぞ。

 わたし、どうすればいい?

 なにが、出来る?

 考えろ。

 そして、絶対に生き延びるんだ。

 わたしたちの世界に、戻るんだ。


 実際のところ気持ちに余裕は微塵もなく、パニックを起こす寸前であったが、なんとか冷静であろうと、胸に言葉を唱え続ける。


 その間にも、ヴァイスタが少しずつ近づいてくる。

 妙にゆっくりとした歩みなのは、意識的なのだろう。もしもこの悪霊に、意識というものがあればの話であり、先ほど治奈がいっていた通り、絶望させて食らうということなのであれば。

 勝利を確信したのなら、後はどうすればより相手を絶望に追い込めるか、ということだ。


「あ……」


 アサキは、はっと目を見開いていた。

 今日の学校の帰りに、公園に寄った時のことを思い出していた。

 治奈が躊躇いがちに、バッグからなにかを取り出そうとしていたことを。


 捨て猫の鳴き声で、うやむやになってしまったのだけど、あれは、なにを出そうとしていたんだろう。

 バッグに入る、片手で簡単に出せそうな小さな物……

 あれは、なんだったんだ。


 視線を落とし、ぐったり横たわっている治奈を見る。

 左腕にはリストフォン。この時代にリストフォンなど珍しくないが、銀と紫というカラーリングは見たことがない。

 彼女が身に付けているこの変わった服や鎧みたいなものの、装飾部分の色も紫……


 もしかしたら、リストフォンをわたしに渡そうとしていたんじゃないか?

 きっと、仲間に誘おうとしていたんだ。

 世界を守るために。

 わたしなんかになにが出来る、とは思うけど、それはともかく。

 きっとこのリストフォンが、ヴァイスタと戦う道具なんだ。

 とても武器には思えないけど、でも、きっとなんかの役に立つ物なんだ。

 だったら……


「ごめん治奈ちゃん、借りる!」


 意識を失っている治奈の腕を持ち上げて、リストフォンを取り外そうとする。

 留め具が少し複雑な形状であったが、焦りながら適当にいじっているうちになんとかバンド部分が外れた。


 と、その瞬間、


 ふん、


 風が唸りを上げて一気に駆け抜けた。そんな音がし、同時に、明木治奈の身体が、というよりも服装が、一瞬にして変化していた。

 自宅でくつろいでいるような、スエット姿になっていた。


「姿を変える道具、ってこと?」


 どんな仕組みによるものかは分からないけど、きっとそうに違いない。


 アサキは立ち上がり、ヴァイスタを睨み付けた。

 睨みながら、リストフォンを左腕に装着しながら、ゆっくりと自らヴァイスタへ近寄っていく。


「アサキちゃん、無茶じゃけえ! はよ逃げんと!」


 意識を回復したらしい治奈の、悲痛な叫び声を背中に受けながら、アサキは小さく口を開く。


「逃げられないよ。そんなボロボロになるまでわたしを守ってくれた、治奈ちゃんを置いていくなんて、出来っこないよ。だから……」


 アサキは前方を、ヴァイスタを睨んだまま、


「だから今度はわたしが、治奈ちゃんを守る!」


 左腕を振り上げる。

 その叫び声に、呼応したのだろうか。リストフォンが、眩しく光り輝いた。

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