第01話 ママチャリ強虫ペダル

 自転車を漕いでいる。


「うおおおおお!」


 あきかずが、凄まじい雄叫びを張り上げながら。

 真っ赤なママチャリを。


 急な上り坂であるため、速度はほとんど出ていない。

 速度こそ出てはいないが、しかし運転は実にダイナミックかつスリリング。


 ぎっちらぎっちら、ガッチャンガッチャン、買い物カゴに詰め込まれた荷物が、飛び跳ねて落ちそうになるのを、巧みなハンドルさばきで、前輪をスライドさせてすくいながら、手動式かき氷のハンドルのように、ガリガリガリガリ豪快にペダルを踏み込んで、坂を上っている。


 自転車の前カゴだけでなく、背中の巨大リュックも物がぎっちり入っているようで、パンパンに膨らんでいる。


 ようやく、この長い急坂の、終着地点が視界に入って来ようかというところで、カズミはラストスパートをかけた。


「おおおおおおおっ!」


 ペダルを踏み込む足に、脚力を限界まで込める。

 チェーンが切れるか骨が砕けるか、どっちが先かというくらいの力を。


 ターボエンジンの点火に、自転車が信じられない加速を見せる。

 鯉の滝登りのように、物理法則完全無視で、ぐんぐん進んでいく。


「頑張れー! カズミちあゃん!」

「カズにゃんファイトー!」

「コケたら笑うでえ」


 坂の上に立っている、りようどうさきへいなるみちおうが、楽しげな顔で賑やかに声援を送っている。

 いや、慶賀応芽のは声援とはちょっと違うか。


 他にいるのは、あきらはると、おおとりせい


 この五人が見守っている中を、カズミの漕ぐ自転車は、がちゃんがちゃんと金属を叩き付けるような、けたたましい音を立てて、走る、というか登る。登っている。


 その音や豪快な雄叫びは、正直近所迷惑であろうが、カズミの前に常識無し、がっちゃんがっちゃんペダルを踏み込み踏み込み踏み込み抜いて、そしてついに、ゴオオオオオーール!

 勢い余り、ちょっと宙を舞って、そして、どしゃりっと凄い音とともに、着地した。


「凄い、カズミちゃん!」

「五輪出られるよ五輪!」


 盛大な拍手で迎える、アサキたち五人。

 無駄な努力を単にからかっているだけ、に見えなくもないが。


 何故に無駄かといえば、坂があまりにも急で、どう考えても漕がずに押した方が遥かに効率がよいからだ。


 とにかくそんなこんなで、坂道を登り終えたカズミは、


 ふいー


 疲労を吐息に混ぜながら、心地よさそうに額の汗を拭った。

 理屈など関係ない。坂があるから登る。そんな顔だ。


「買い物、お疲れさん」


 治奈は近寄りながら、カズミの自転車に、まじまじとした視線を向けた。


「よくやるけえね、こがいな坂を。ただのママチャリじゃろ」


 なにか細工でもしていないか、とフレームやタイヤをこんこん叩いたり触ったりしてみるが、種も仕掛けもないようだ。


「なんてことねえよ。あたしはペダルだからな」


 サドルにまたがったまま、得意がって胸を張るカズミ。


「ねえ、強虫ペダルってなあに?」


 アサキが、疑問符ステッカーをぺたぺた貼り付けた真顔を、ぐぐぐーっとカズミへと寄せた。


「うるせえな、なんとなくいってみただけの言葉にいちいち食い付いてくんなよ!」


 ズガーーッ、と頬へめり込むカズミの鉄拳。

 鬱陶しさに切れたのだろう。


「あいたあっ! わ、わたし殴られるようなこといいましたかあ?」


 アサキは、ほっぺた押さえて泣きそうな不服そうな表情である。


「もうその顔自体が殴ってくださいって顔なんだよ」

「どんな顔だーーーっ!」


 理不尽暴論に納得いかず、アサキは抗議の雄叫び張り上げる。


「そんな顔やな」


 いつの間にか横に立っていた慶賀応芽が、涙目アサキの小さな鼻をちょこんとつっつくと、わははと笑った。


「そうそうその顔……って、関西系嫌味キャラの分際で、さりげなく溶け込んでくんじゃねえよお!」

「なんやあ? 嫌味キャラあ?」


 アサキを挟んで、またやり合いを始める二人。


「どう考えても嫌味キャラだろが、初対面の時から、無駄な毒舌ばかりぶちまけてんじゃねえかよ」

「気を遣うてだいぶオブラートに包んどるわ」

「凄まじく品質の悪いオブラートだな」

「まあまあ、カズミちゃん。今日は、ウメちゃんのための日なんじゃからっ。こらえてこらえて」


 治奈が仲裁に入り、カズミの肩をやさしく叩いた。


 一人だけ我慢を強いられたと思ったか、カズミは不満げな顔で、ぐぬぬっと言葉を飲み込んだ。


 それを見てスッとしたか、それとも持ち越さない性格なのか、応芽はもうケロリと澄ました顔である。


「でもさあ、さりげなく溶け込んでるってのはホントだよねー。いつの間にか、いて当然になってるもんねー」


 と、平家成葉が不思議そうな楽しそうなといった顔だ。


「ほうじゃのう。紆余曲折はあったにせよ。……アサキちゃんなんか、いまだに他人行儀でよそよそしいとこあるけえね」


 治奈は突然、やばっという表情になって、慌てて、手で口を塞いだ。

 もう全部喋ってしまった後なので、そんなタイミングで塞いだところで意味がないのだが。


「えーーーーっ。そんなことないよおーーっ。他人行儀じゃなあい!」


 指をぷるぷる震わせていたアサキは、突然、駄々こねる幼児みたいに身体を左右に振り振り暴れ始めた。


「なんかショックだああ。……かなり頑張っているのにいいいいい」

「あ、あ、あの、ごめんね、アサキちゃん。冗談、冗談じゃけえ。……とっ、溶け込んどるよ。打ち解けとるから、こがいな軽い冗談もいえるわけで……」

「そうですよ。アサキさんが頑張っているのは、見ていてよく分かっていますから」


 笑顔でフォローするのは大鳥正香である。


「……あれ、ゴエにゃん、なんかいつも以上に笑顔が暗くなあい? なんかあった?」


 正香の笑顔に、なにか陰りの色を読み取ったのだろうか。

 幼馴染の親友である、平家成葉が尋ねた。


「いえ、別になんにもないですよ」

「ならいいけどさ。……それより、アサにゃんの話だけどさあ、ゴエにゃんのいう通りその頑張りがさあ、思い切り見えるというか、やたら主張をするから、なんていうのかなあ、よそよそしく感じるんだよねえ」

「ええーっ」


 せっかく正香がフォローしてくれたというのに、成葉が正直なことをズバズバいってきたものだから、アサキの胸にはブッスリブッスリと矢が突き刺さって、立っているのもやっとというくらい、フラフラよろけてしまった。

 という状態のアサキに、成葉はさらに構わず、平気で言葉を浴びせる。


「そうやって溶け込もう溶け込もうと意識してるせいなのか、アサにゃんっていつもオーバーリアクションだしさあ」

「その発言、異議ありギャハーーーーーーー!」


 アサキの、奇妙な絶叫が、天王台の住宅街に轟いた。

 オーバーリアクションは生まれつきだあっ、と指をピッと突き出し主張しようとして、うっかり電柱を思い切り突いてしまったのだ。


 ぐぐ

 あまりの激痛に、


「いだいよおおおおお。指がああああ。ぐうううううう」


 指を押さえて屈み込んでしまった。

 なんだかみっともない光景である。


 涙目で必死に痛みをこらえているアサキの背中を、慶賀応芽がポンポンと優しく叩いた。優しくといっても、別に慰めるつもりではないようだが。


「あんなあ、気を悪くしないで欲しいんやけどな、ちょっと疑問に思ったんで聞いとくな。……自分ち、両親もバカやろ」


 ピコーン。

 本日の毒舌カウントプラスワン。


「くううう、いったああああ……。実の親はね、たぶん……娘が、こんなだし」


 おバカが遺伝というならば、応芽のいう通りなのだろう。


 アサキは、まだ痛そうに指を押さえたまま、立ち上がると、涙と鼻水でみっともなくなっている顔で、恥ずかしそうにえへへっと笑った。


「ん? なんや、実のって?」

「ああ、アサキちゃんな、義理の両親に育てられとるんよ」


 問いに、治奈が代わって答えた。


「ああ、そうなんや。最初から?」

「小学五年の時から」


 アサキが正直に答える。

 別に隠していることでもないので。

 実の親が、もうこの世にいないことなども。

 その実の親から虐待を受けていたことだけは、あまり他人に話したくないことであるが(といっても以前、義母が酔って治奈に話してしまっているが)。


「小五か。すっかり物心がついてからやから、色々と窮屈やろ。……あたしは、こっちきてからの一人暮らしやから、思いのほか気楽でええで」

「え、え、ウメちゃん一人暮らしなんだ。中学生で一人暮らしって出来るの? してもいいの?」

「駄目やなんて、日本国憲法にも都道府県の条例にも、マグナカルタにも、どこにも書いてないで」

「へえ、凄いなあ。ウメちゃん、一人暮らしなんだあ。大人だなあ」

「いや、そんなことないけどな、適当にやってるだけやし。ゴミもよう出されへんくらいやし」


 単純に褒められて、まんざらでもなさそうな応芽の表情である。


「ウメキチが大人でも子供でも、どうでもいいけどさあ、それより、へっとへとのカズミ様の荷物を、少し持ってやろうって奴は、いねえのかよ!」


 自転車カゴにでっかい荷物山積み、背中もバカでかいリュックぎっちり、のカズミが、さすがに痺れを切らして、怒鳴り声を上げた。


「あ、ご、ごめんなさいっ。じゃ、わたしはこれっ」

「では、わたくしは残る方を」


 前カゴに積まれた大きな二つのレジ袋を、アサキと正香が、それぞれ取り出して、手に提げた。


「へとへともヘチマもあらへん、チャリ降りて押せばいいところを、勝手に急坂漕ぎチャレンジしただけやろ」


 応芽だけは全然優しさなど見せず、むしろ呆れたといった表情で突っ込んだ。


「やかましい、関西弁! 分かっちゃいるけど、この坂に差し掛かると、つい漕ぎたくなっちゃうんだよ」

「ますます自分の責任やろ。まあええけどね。ほなあ、行こか」


 応芽は、くるり踵を返して歩き出した。

 と思うと、またすぐにくるり。


「そもそもどっちや、あきらの家って」


 そこでこれから、応芽の歓迎会が開かれるのだ。


 そのための買い出しを、カズミが一人で引き受けて、それでママチャリの前カゴとリュックに荷物がぎっちぎちだったのである。


 たっぷり恩を売っとけとか、好感度上げとけとか、仲良くしておいた方がいいよ、などとみんなにいわれて、ついその気になって。


 やっぱり顔を合わせれば、このように争ってしまうし、いずれにしても応芽はぜーんぜんカズミのそんな努力を感じている様子もなかったが。


 いや……そうでもないか。


あき、ほなそのリュックあたしがしょったるわあ。重かったやろ」


 応芽が元気に笑いながら、カズミのリュックを背中から、半ば強引にもぎとったのである。


 そのせいで自転車がカズミごと豪快に転倒して、また二人は胸倉掴んでやり合うことになるのであるが、それはそれとして。

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