第02話 一応歓迎会一応

「おー、カズミちゃんたち、久しぶりじゃの。話は、はるから聞いとるけえ」


 店の中に入るなり、カウンターの奥にいるあきらひでが威勢のよい声で出迎えた。

 秀雄は治奈の父親であり、ここ「広島風お好み焼き あっちゃん」の店主である。


「ああ、どうもおじさん。えっと、本当にここを借りちゃっていいんですかあ? 一応こいつの一応歓迎会なんすけど一応」


 あきかずが、一応一応連呼しながらみちおうの肩を叩いている。


 応芽が、鬱陶しそうに、パシリその手を払った。


「おう、今日はもともと五時半からなんでの。五時くらいまでに終わるんなら、まったく問題ないけえね」

「じゃあすみません、遠慮なく場所使わせてもらいまあす」

「おう、賑やかな環境で店の仕込みをするのも、気分が変わってええからのう」


 明木秀雄は、無骨な顔と声に似合わない可愛らしい笑みを浮かべた。


「一応一応って、なんで三べんもいうんや!」


 応芽が、かなり遅れたタイミングでカズミの台詞に突っ込んだ。


「え、だってそこ一番大切なとこだから」


 ピクリ、と応芽の頬が引きつった。

 が、すぐに小さなため息を吐いて、


「まあええわ。好かれよ思うとらんし」

「まあええなら最初から黙っとけ。こっちの耳が減る」


 そんなしょうもない会話をしながら、カズミは先ほどまで背負っていた大きなリュックを開き、中身をどんどん取り出して、無造作にテーブルへと置いていく。


 色々と入っているが、基本的に食べ物、飲み物、お菓子、の類である。


 おおとりせいりようどうさきも同様に、自分たちの持っていたレジ袋の中身を取り出して、テーブルへと置いていった。


「ずいぶん買うたのう。じゃけえ、みんな、あんまり食べ過ぎん方がええぞ。後で、最高のお好み焼きを焼いたるけえね」

「はい、どうも……」


 と、カズミが後ろ頭に手を当てながら、応芽たちへと振り返った瞬間、飛び込んで来た映像に、


「もう食ってんのかよ!」


 思わず驚き、叫んでいた。


 応芽と成葉が、唐揚げの入ったフードパックを開いて、手掴みで食べていたのである。


「なかなかイケるねえ、外側がカリッとしてて。ね、ウメにゃん」

「まあ悪くはないな。って、今更やけどウメにゃんてなんや!」

「じゃ、お梅ちゃん」

「絶対いま漢字で梅って思うたやろ! お婆ちゃんみたいやん」

「じゃ、やっぱりウメにゃんだあ」


 こんな学芸会のゆるゆるコントみたいな会話しながら。


「なんで平家成葉に、そんな変な名前で呼ばれにゃならんのや」

「だあってさあ、下の名前がおうでしょ。オウにゃんって変じゃなあい? 呼ばれたいなら呼ぶけど」

「せやから、そもそもどうして名前に『にゃん』を付けにゃならんねんゆうとんじゃ。ここは秋葉原か日本橋か。つうか、うちらもう中二やで、堪忍してや」

「あのねえ、成葉ちゃんはねえ、みんなをそうやって呼ぶんだよ」


 アサにゃんが首を突っ込んだ。

 首を突っ込むだけでなく、手もぐいっと突っ込ませて、唐揚げを一つ摘んだ。


 応芽と成葉もさらに一つず取って、結局、フードパックをまるまる一つ空けてしまった。


「お前らなあ……せっかくハルハルの親父さんが美味いの焼くぞって気合入れてくれてるのに、ほんっとデリカシーというかマナーというか常識というかもろもろ欠落したやつらだなあ。あーやだやだ」


 はあああっ、とため息を吐くカズミ。


「そういうの一番欠落してるのカズにゃんじゃないかあ!」

「単にお腹すかせときたいだけのくせに!」


 ハムスターのヒマワリみたいに、口にいっぱい詰め込んで、モゴモゴ反撃している成葉とアサキに、

 図星をつかれたか、ぐっ、とカズミが言葉を飲んでいると、


「こんにちはあ」


 店の奥から、元気な、幼い声が聞こえてきた。

 治奈の妹であるあきらふみが、ひょっこり顔を覗かせた。


「おーー、フミにゃあん。ひっさしぶりいっ。今日もとっても可愛いねえっ、お姉ちゃんと違ってえ」


 成葉がささっと近寄って、笑いながら頭を撫でた。

 自分より背の小さい子と接する機会がほとんどない彼女は、この治奈の妹のことが可愛くてたまらないのである。


「つ、つまりお姉ちゃんの方は、可愛いではなく美人ゆうことじゃな」


 可愛い妹の姉は、頑張ってよい方へ捉えようとしているようだが、しかし頬がぴくぴく引きつってしまっている。


「ああっ、紛らわしくてごめんねハルにゃん、言葉が足りなかったからあ、確かにそんな前向きな意味にも受け取れちゃうよねーっ」


 あっけらかんと笑う成葉の両肩に、治奈の両手が荒々しく落ちる。


「発言の真意通りの後ろ向きな言葉を、いまここではっきり聞かせて貰いましょうかあ」


 引きつっている顔を、ぐぐーっと成葉へと寄せた。


「実際、貰い手ないけえね。このままじゃと」


 明木秀雄が、キャベツをトントン刻む音にわざわざ乗せたのか紛らわそうとしたのか、とにかくぼそっと呟いた。


「お父さんっ!」


 いずれにせよ、治奈の耳にははっきり届いたようで、ぎろりと睨む視線の矛先が、成葉から父親に変わった。


「なん、ほんとのことじゃろが。勉強もせんとマンガばかり読みよる。テレビゲームばっかりしちょる」

「別に、こ、こがいなとこでいう必要ないじゃろ!」

「こがいじゃからいうんじゃ。家事もせん、料理もお好み焼きしか知らん。風呂上がりにパンツ探して素っ裸でウロウロしとる。嫁に行けん」

「分かったよ。しっかり勉強すりゃええんじゃろ。料理もお母さんに教えて貰うけえ」


 このような場を上手く利用されやり込められて、むすーーーっと潰れたような顔の治奈である。


「なんや、明るい家族やなあ」


 でも、微笑み浮かべながらの、応芽のさりげない言葉に、


「……それが自慢じゃけえね」


 不満どこへやら。

 家族を褒められ、嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな顔で笑った。


 恥ずかしそうなといえば、奥のテーブルで史奈とアサキが、もっと恥ずかしい話をしているが。


「そしたらお姉ちゃん、地震じゃあってパニック起こしてお風呂から飛び出しちゃってねえ、びしょびしょ素っ裸で外へ出ようとするから、やめてえって止めるの大変だったんだよお」

「うえーーー、ほんとに家ではそんな感じなんだああ。イメージ変わるなあ。それは妹としても恥ずかしかったねえ」

「恥ずかしいどころじゃないよお」

「フミ!」


 ダンッ、と治奈がカウンターを、拳で殴り付けた。


 びくり肩をすくませた史奈は、口をぎゅっと閉ざし、うつむきながらも、おかしそうにアサキと笑みを交わしあった。


 そのアサキの方が、ちょっと変な顔になった。変というより、クエスチョンマークのシールがぺたぺた貼られたような顔になっていた。

 テーブルの対面に、正香とカズミが座っているのだが、その正香の様子がどこかおかしいことに、気が付いて。


 どこがおかしいんだろう。

 ああ、そうだ。

 いつも穏やかな笑みを浮かべているのに、なんだか真剣な、思い詰めた顔をしちゃっているんだ。

 どうしたんだろう。


「ね、正香ちゃん、具合悪いの?」


 尋ねると、正香は不意に声を掛けられたことにビクリ肩を震わせ、ハッとした顔を上げた。


「いえ、なんでもありません」


 ようやく、笑みを浮かべた。

 いつもの笑みとはちょっと違う気もするが。


「ならいいけどさあ」

「おー、アサにゃんも気付いたあ? なーんか最近のゴエにゃん、暗いんだよねえ。いつも暗いけどそれ以上にさあ」

「ですから、わたくしは別にどうもしてはおりません。普段通りですよ。ご心配ありがとうございます」


 作り直すかのように、また笑みを浮かべると、正香、ふと視線きょろきょろさせて、


「ふと思ったのですけど、わたくし、ここへきたのは初めてですね」

「えーーっ、そうだっけえ?」


 片あぐらを組みながら驚いているのは、カズミである。


「はい。ご両親とは、運動会や授業参観の時などにお見かけして、少しお話もしておりますし、初めてではないのですが」

「そっか。そんじゃあ正香も、治奈の親父さんのお好み焼き、食べたことねえんだ」

「ええ。そもそもこれまで、お好み焼きという食べ物自体を、食したことがありません」

「えーーーーーっ。美味いのに勿体無いなあ。まあ正香らしいといえば正香らしいか。大衆食全般、給食以外で一度も食べたことなさそうだもんなあ」

「大衆食でまことに申し訳ございませんねえ」


 カウンターに一人座っている治奈が、頬杖ついてぶすくれている。

 勉強しないとか、地震に裸で外へ出ようとしたりとか、もろもろ暴露されて、もともと虫の居所が悪かったのだろう。


「んだよ、美味いって褒めたろが!」

「ほじゃけど、わざわざ大衆とかいわれると……そもそも美味しいのは当たり前じゃ!」

「わざわざ高級とかいっても嫌味でしょうが!」


 などと、治奈とカズミが軽くやり合っていると、今度はアサキがきょろきょろ視線を泳がせ始めた。


「そういや、わたしもこのお店は初めてだあ。史奈ちゃんと会ったのもお」

「ツーテンポ遅いんだよ、その話! つうか、そのくせフミちゃんとは馴染んでんのかよ! 同じ学年とはよそよそしいくせに、なんなんだお前は。幼児か」


 カズミの、ぽっかん殴りながらの、矢継ぎ早な突っ込みに、


「うん、小四のフミちゃんの方が大人だよお」


 アサキは、頭に手を当てながら、笑った。


「高級や大衆やって、不毛なやり取りようするわ」


 いつの間にか、成葉と一緒にスナック菓子にまで手を出している応芽が、不意に口を開いて、つまらなそうな表情で横槍を入れた。


「でも、大事なポイントじゃろ? さすがに高級ではなくとも、大衆の中での上位にいたい。ほじゃけど、そもそも大衆とも呼ばれとうない」

「こだわろうっちゅう気になるのが分からへんわ。だって広島のって、お好み焼きゆうたかて、勝手にそう呼んどるだけの、あれやろ、意味不明なソバが敷いてあって、上にぺらぺらーんとした薄っ皮が乗っかっとるだけの。キャベツばっかりの」

「そ、そこがええとこじゃけえね。ソバもぺらーんも意味あってそうしとるのよ」


 治奈が唇を尖らせる。

 落ち着こうと、必死に笑みを浮かべようとしているが、ぴくりぴくり、頬の肉が引きつってしまっている。


「いやあ、食うたことはないねんけどな。どこぞの郷土料理としてならともかく、お好み焼きとはちゃうやろあれは。別物や。層になっとるのに、調和が微塵もないやん」

「食うてからいええええええ!」


 立ち上がりながら、ダガーンと激しく拳をカウンターに叩き付けた。


「おー珍しいっ! ハルにゃんが怒ったああ!」


 成葉が、面白おかしそうに囃し立てる。


「別に怒ってなどはおらん! さっき成葉ちゃんがいっていた通り、うちは可愛いより美人、大人じゃけえね」


 誰も一言もそんなこといっていないが。


「ほじゃけど、食べたことないモンにうちのメニューをボロカスいわれるのは我慢ならん。……ウメちゃん、『関西風』のお好み焼きは焼きよる?」

「『お好み焼き』なら、まあ得意やで。豚玉やな」


 応芽は、にやり不敵な笑みを浮かべた。


「よおゆうた。ほいじゃあ、うちとウメちゃんと、どっちの作るのが美味しいか、勝負じゃ!」


 治奈は、ぐっと握る右拳を応芽へと突き出した。


「構へんで。ここの調理場、好きに使うてええんか?」

「勿論よ。具材も、お誂え向きにたっぷり仕込んであるけえね」

「え、え、ちょっと、おい、それ店の……」


 治奈の父、秀雄が焦った表情で手を伸ばす。


「広島人のプライドがこの勝負にかかっちょるんよ! うちの双肩に! この拳に! カープのメットのような赤い血に!」


 治奈は、ぐっと握った右拳を父へと突き出した。


「広島の、プライド……。よおし、思い切りやれえ! そばも豚もキャベツも好きなだけ使え! じゃけえ負けたらもう家には入れん!」

「上等!」

「おう、その意気やよし! お好み焼き屋の娘じゃ」


 秀雄と治奈は、笑みをかわしながらコツンと拳を合わせた。


「絶対に負けんよ」

「おお、目が燃えとるけえね」


 秀雄はしばらく娘と目を合わせていたが、やがて、くるり応芽の方を向いた。


「コウメちゃんとかゆうたな、関西のお嬢ちゃん。残念じゃけど、戦う前から勝負ありじゃな。治奈は、容姿だけは並より上じゃが、漫画とゲームばかりで勉強はバカじゃけえ。たまに、思いついた下品な駄洒落に、一人で受けとる。ほじゃけど、鉄板を前にしたら、なかなかの腕前よ」


 腕を組んで、はっはっはっと高笑いした。


「褒めるつもりなら、余計なこというのやめて欲しいんじゃけど。……ウメちゃん、覚悟が出来たら始めよな」

「おう、こっちはいつでもええで」


 応芽は不敵な笑みを浮かべながら、指をぽきぽき鳴らした。


「負けんよ」


 治奈はそういうと、自分も指をぽきぽき鳴ら……そうとしたがいくら頑張っても全然鳴らないので、ごまかすように、そそくさ調理の準備に取り掛かった。

 取り掛かりながら、こっそりともう一回、指を鳴らすのにチャレンジしたら、今度は鳴ったが、こすっ、と微かな音しか立たず、恥ずかしそうに咳払いをした。


「ほな遠慮なく使わせてもらうでえ。……勝負開始い」


 応芽の、リラックスしているような、余裕綽々な態度。


 を横目に治奈は、


「焼きでは負けんっ! 鉄板点火じゃあ!」


 ごおおおとっ目にメラメラ炎を燃やしながら、叫んだ。


 広島大阪お好み焼きバトル。

 こうして、火蓋が切って落とされたのである。

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