第8話 夫婦

 九龍頭と井筒警部は娘の薬師寺朝香の部屋を訪れた。扉をノックすると不機嫌な声が聞こえた。井筒警部は頬を軽く張って揉みほぐすと、極めて柔和な声を出した。


「お話、宜しいですかな?」

「なに?まだ何か?」


 扉が開く。その向こうにはきつそうな顔立ちの朝香がいた。部屋に招くように朝香は体をずらす。

 九龍頭と井筒警部は部屋に入る。部屋にはきつめの香水の香りがする。遠慮もなく朝香はペルメルを1本抜いて火を点けた。


「事件のこととは直接関係あるかどうかは、まぁ分かりませんが、お父様とは?」

「まぁ、男親ですからね、そんな莫迦みたいにペラペラペラペラ話すような間柄でもありませんわ」

「ほぉ、それではお母様とは?」

「お母様というのは?」


 解っているくせに勿体ぶったような口調で朝香は言った。


「薬師寺美沙絵さんですよ」

「そっちですか。いい人ですわよ。あの人には勿体ないくらいにね」

「一緒に旅行に行くくらいにねぇ……」


 九龍頭は訊いた。朝香は紫煙を吹き上げながら答える。


「あの人は、どちらかといえばちょっと年の離れたお姉ちゃんみたいなものかしら。先日の旅行は珍しく美沙絵さんからお誘い戴いたんです」

「そんな時期に、まさかお父様がねぇ」

「あんな気持ちの悪い曰く付きの人形なんて、莫迦みたいに高い金を払って買うからですわ。罰でも当たったのよ。何?黒柳ナンタラって……聞いたこともないわ」


 ぼやくようにぺらぺらと話すと、また朝香はペルメルを銜えて煙をふかした。


「私としては些か理解できないところがありますのよ。あの美沙絵さんったら、あんな人のどこがよかったんだか。旅行先でも心配で電話をかけたりして……まぁ性分なんでしょうけどもね」

「それが、夫婦ってもんですよ、お嬢様」


 井筒警部が言うと、朝香は肩を竦め、ひっきりなしに紫煙を燻らせた。


「それにしても、お母様が亡くなってから、もう結婚なんてしないとか言ってたのにねぇ……あら、少し喋りすぎたかしらね」


 九龍頭は苦笑いを浮かべると、小さく頭を下げて部屋を出た。


「何だかんだで、色々お話くださいましたね」

「そうですね、しかしあれは……嫁の貰い手はなさそうですなぁ、気の毒ですが」

「おや、用は済んだのかい?刑事さん」


 部屋の前を通りかかった和馬がややふらつきながら言った。少し熟柿の香りがする。昼間から吞んでいたのだろう。


「俺にもあの人は殺せないからね」

「ほう、というのは?」

「あの日は仲間と吞んでいたんだよ。不在証明アリバイが知りたきゃ、銀座の【トロイ】っていうクラブに電話して聞いてみれば?」


 九龍頭は腕組みをして和馬に訊いた。


「話、聞いてたんですか?」

「聞こえてくるよ。ほら、姉さんは声がでかいから」





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