新年おめでとうございます。鷹香一歩です。
「忘却」を読んでいて、官邸や内閣府の官僚のことを不憫に思いました。
そう「桜を見る会」です。招待名簿の総理枠である60番台をはじめ、“覚えているのに忘れたこと”にしなければならない命令を受けて、余計に記憶に刻まれてしまう矛盾。彼らにとって最後の一文は“生きていくために忘れてしまう記憶”ではなく、“生きていくために忘れたふりをしなければならない記憶”なんです。哀れですね。
今年もよろしくお願いします。
作者からの返信
鷹香 一歩 様
コメントありがとうございます。
あけましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします
確かにある人が使ってから「記憶にございません」と言えば何でも通るような風潮ができてしまいましたからね。
その一方で、先日まんまと国外逃亡を果たした人の妻への逮捕状は記憶にないを含む程度の偽証罪が理由という、なんともちぐはぐな国だと思いました。
哀れとはいえ、逆に言うと「忘れたふり」をすれば生きていけるのですね。何とも平和な国です。
今後ともよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
過去に、認知症の方と多く触れ合う場所で働いていました。
その時のことを鮮明に思い出します。
ふと、何かを思い出したかのように、突然話し始める方が多くって、とても驚いたのを思い出しました。
その時のことを思い返してみると、何かきっかけをこちらから与えていたのかもしれません。
ある種、記憶のコントロールが難しいから「忘れている」と、思われがちなのかもしれませんね。
そして、今年も矢指様の作品を、楽しみにしております。
作者からの返信
誉野史 様
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
認知症の人が、家族と一緒の時はボケているのに、人が来るとしゃっきりしたりということも見たことがありますし、ふと、急に昔の話をし始めたりというのもありました。
医学的には本来であれば繋がるはずの記憶がどこかで切れてしまうから、普段は忘れているように見えて、昔のことは覚えているという感じになるのではないかという話も聞いたことがありますし、難しい問題ではありますが、ご家族は大変ですよね。
本年もよろしくお願いいたします。