第二章 初めての任務


 翌日、俺とスグは早速天馬への旅路についた。

「まさか、お前が馬に乗れるとはな」

 馬は高級品だ。それゆえ貴族や役人以外で乗りこなせる者はほとんどいない。

「昔、牧場で働いていましたから」

「ああ。なるほどな」

 赤眼は、この国でも最も卑しいとされており、就ける職業が制限されている。家畜に関わる仕事は、その数少ない仕事の一つだ。

「いずれにせよお前が馬に乗れて助かった。天羽まで歩いたら三日はかかるところだ。

 これから向かう天羽は、弓の国にある都市だ。

 弓の国は、王朝にとって最も重要な地域である。

 その理由はただ一つ――塩山があるからだ。

 採掘された良質な塩は、国内に供給されるばかりでなく、西方の国々にも輸出され、王朝に富をもたらしている。

 貴族だろうと庶民だろうが生きるためには塩が必要。それを安定的に供給してくれる塩山がどれほど重要かは説明するまでもない。

 そもそもこの国が、燕と張り合えるほどの大国に発展したのは、塩山を手に入れてからなのだ。

 この塩山を巡っては、こんな話がある。

 ある時、西方の蛮族が押し寄せてきて、弓の国の塩山を占拠してしまったことがあった。

 しかし、その時、ある一人の平民の男が、民を率いて塩山を奪還した。

 その男はその功績で、従五位に叙され殿上人になったのだ。この国が始まって以来、平民が貴族になった実例は他にはない。しかも百年前は今よりも遥かに身分制度が厳しく、貴族にあらずんば人にあらずというような時代だった。そんな時代に、平民が殿上人にまで出世したという事実は、塩山がこの国にとってどれだけ重要な拠点であるかを物語っているだろう。

「俺は生まれこそ都だが、弓の国も俺にとっては故郷みたいなもんさ。武人になって初めての駐在地が弓の国だったし、今も姉さんが住んでる」

 弟子と仲を深めるために、そんな世間話をする。スグを弟子して一日がたつが、まだまともに会話もできない。警戒されているのか、あるいはそもそも社交的ではないのかわからないが、スグはほとんど口を開かなかった。一日でも早く信頼関係を作らないと、任務に支障も出るだろう。

「お前はどこの生まれなんだ」

 俺が聞くとスグはぶっきらぼうに答えた。

「弓の国の塩山の近くです」

 意外な答えに驚いた。

「お前、弓の国の生まれなのか」

「はい。生まれも育ちも」

「なら、仕事のついでに故郷に寄ろう。ご両親に挨拶をしなければ」

 武人にとって弟子は家族も同然の関係になる。俺の家族にスグを合わせるのももちろんだが、スグの家族に俺が会うのも重要な儀式だ。

 だが、スグは首を横に振った。

「両親はいません。死にました」

 そう言う彼女の横顔に悲しみはなかった。彼女にとってそれは当たり前のものとして受け入れた現実なのだろうか。

「なんだ、俺と一緒だな」

 俺が言うとスグもこちらを見た。

「だが、俺には姉がいる。だからお前にはあとで俺の姉を紹介するよ」


 @


 半日馬に乗り続け、ようやく今日の目的地、北塩にたどり着く。目的地の天羽ほどではないが、駅があるため、それなりに栄えた村である。

 ありがたいことに、ちょっとした宿もあった。

「今晩二部屋、取れるか?」

 宿の女将に聞くと、幸い部屋は空いていた。荷物を置きたいので先に部屋に案内してもらう。決して贅沢な部屋ではないが、一晩横になるには十分だった。


 リュウたちはそれぞれの部屋に荷物を置いてから、宿に併設されている食事処に向かう。

 広い屋根の下に、粗末な机が二つ置かれていて、その一つには先客が座っていた。二人組の男で、袴を着ており、それなりの身分であることが伺えた。

 リュウは先客の注目を集めないように、静かに席に着く。

 だが、狭い食事処で隣に客がくれば、それがどんな人間なのか一瞥するのは自然なことだ。そして、先客の男は、スグを――スグの瞳を見ると、露骨に舌打ちした。そして、机を手のひらで叩いて威嚇する。

「おい、お前」

 ああ、めんどうくさいことになった。と内心ため息をつく。

「赤眼を席につかせるとは、何事だ?」

 男はまるで汚物でも見るように顔をしかめてスグを見た。

 無駄な争いに時間を割くほど暇ではないので、普段ならこんな客がいる店からは早々に撤退するのだが、この村ではここ以外で飯にありつけないのだから、引くわけにはいかない。

「なんだ、不快ならばお前たちが出て行け」

 俺がそう言うと、

「なんだと? お前、郡司様になんて口の利き方を」

 因縁をつけてきた男は、この辺りを治める豪族だったらしい。

「なんだ、意外と小物じゃないか」

 俺はスグと目線を合わせて言った。スグは少し戸惑った様子で俺たちの様子を伺っている。

「な、小物だと?」

 と、男がバッと立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。

 そして男の手が俺の胸ぐらをつか――もうとしたので、その手首をとって一捻り。次の瞬間、男は背中から地面に転がることになった。

「郡司様!」

 お付きの男が慌てて郡司に駆け寄る。

 俺は最短で決着をつけるために、倒れ込んだ男に、懐から取り出した通行手形を取り出して見せつける。

 そこには当然王朝の印が描かれている。

「俺を誰だと思っている。武衛府剣師、正六位、白河リュウの名を知らないとは言わせないぞ」

 手形を見て、男たちは唖然とした。

「け、剣師様!?」

 それまで踏ん反り返っていた二人が、突然膝をついて頭を下げた。

「も、申し訳ありませんでした!!」

 その変わりようを見てつくづく器の小さいやつらだと思う。

「謝罪はいいから、黙って席に戻って飯を食え」

 俺がそう言うと、郡司は立ち上がり「失礼しましたぁぁぁ」と叫びながら走り去っていった。お付きの男も慌てて追いかける。テーブルを見ると荷物が置きっ放しになっていた。

 俺はため息をついてスグの方を見た。

「今度からはお前が俺の代わりに俺の紹介をしてくれ。自分で名乗るなんて、恥ずかしい」

 俺の言葉にスグは無言だった。どう反応していいかわからないと言う感じだった。

「さぁ、飯を食うぞ」

 と、俺たちのことを遠巻きに見ていた女将がこちらにやってくる。

「騒いですまないな。あいつらのお代は俺が代わりに払うから、許してくれ」

 俺が言うと、女将は複雑な顔をした。

「お気遣いありがとうございます」

「それで、料理は何がある?」

 聞くと「肉も魚もございます」と言う回答があったので、肉をもらうことにした。 

「では米と肉を」

「承知しました。ついでに、団子などはいかがですか?」

 と、女将から団子という言葉が出た瞬間、リュウの視界で、スグがビクッと肩を震わせた。

「このあたりは塩だけではなくて、団子も有名なのですよ」

 女将が説明する。

「ああ、そうだな。弓の国といえば団子だ。せっかくだからもらおう。お前はどうする?」

 スグに聞くと、彼女は女将に、

「安いのは肉と魚どちらですか?」

 と、そんなことを聞いた。

「安いのは、そりゃ魚だね」

「じゃぁ、わたしは魚を」

 女将はそれで厨房へと戻って行く。

「おい、まさかお金のことを気にしてるのか? ご飯くらい俺が出してやるぞ?」

 俺が言うと、スグはぶんぶんと首を振った。

「自分のことは自分で面倒を見れます」

 まだ遠慮しているのか。

「まぁいい」

 別に無理強いすることではない。気を取り直して料理を待つ。だがその間俺たちの間に会話はなかった。

 少しして、先に豚の肉と白米が乗った皿が出てきた。

「先に食うぞ」

 冷めないうちに手をつける。と、数口食べた後、スグの分の料理も運ばれてきた。魚の方が安いというが、出てきた魚は見た感じわりあい立派なものだった。

 旅の疲れもあり、俺たちは黙々と料理を口に運ぶ。

 と、料理がなくなりかけたところで、名物だという団子が運ばれてきた。  

 串に三つの団子が刺されていて、上には何かの豆で作った緑色の餡が乗っかっていた。

 口にすると、ほのかな甘み、そして焦げた部分ののいい香りを感じた。やはり、弓の国に来たら団子は食べないとな。

 ――と、俺はふと強い視線を感じて、その主に目を向ける。

「なんだ、団子が好きなのか」

 聞くと、スグはぶんぶんとまた首を横に振った。

「いえ、別にそういうわけでは」

 だが「団子が大好きです」と顔に書いてある。

 確かに、明日も生きていけるかどうかという瀬戸際に立たされている賎民にとっては団子なんて贅沢品もいいところだろう。

 だが、俺はこれでも朝廷に仕える役人だ。余るほどではないが、それなりに金は持っている。

「団子一つ弟子に奢ってやれない剣師がいるか」

 俺は団子を注文するために女将を呼ぶ。

 だが、それに対してスグは、少し声を荒らげて言う。

「だから結構です! 奢ってもらうなんて、それでは遊女と一緒ですから」

 その一言に俺は一瞬言葉を失う。

 赤眼は最下層。同じ賎民でも奴婢である遊女の方が、身分が「高い」。だが、赤眼には職人として生計を立てているものも多く、「主人に使役される奴婢とは違うのだ」と言う自尊心があるのだ。

 それ自体について、俺は何も思わないが……

 彼女の言葉は、俺にとって禁句に近いものだった。

「……遊女がみんな奢られたくて奢られてると思うなよ」

 子供相手に露骨な感情をぶつけるつもりなんてなかったが、自然と声が低くなってしまった。

 俺が怒ったのを見て、スグは急に表情を濁らせて小さくなった。

 少しして、呼ばれた女将が注文を取りに来た。

「……女将さん、この団子はうまいな。もう一つくれ」

 別に当てつけをするつもりはなかったが、自然と自分の分の団子を追加注文していた。



 翌日、宿を出て半日ほど馬を走らせると、とうとう目的地が見えてきた。

 弓の国第二の街、天羽だ。

 都と違い、自然発生的に生まれた街なので通りはまっすぐではなく、全体的に雑多だ。特に外縁部は市場になっていてることもあり人通りが多く、その印象を強めている。

 言うまでもなく、市場の広さや商品の多さで言えば、都のそれに敵う筈もないのだが、不思議と活気では負けていない気もする。雑多さが、逆に活気を感じさせるのかもしれない。

 俺たちは市場の商品に時折視線をやりつつ、街の中央にある役所へ向かう。

 十分ほど歩くと役所が見えてきた。決して豪勢というわけではなかったが、壁に囲まれていて他とは明らかに規模も作りも違うので一目でわかった。

 門のところで守衛に通行手形を見せる。

「白河様ですね。中で国司様がお待ちです」

 守衛に案内され、国司がいる部屋へと通される。

「剣師様がいらっしゃいました」

 部屋の前で守衛がそう言うと「戸を開けよ」との声。守衛が扉を開けると、中年の太った男が出迎えた。

「弓の国、介(すけ)の宮木と申します。剣師様の到着をを心待ちにしておりました」

 長官(かみ)は国都の方に駐在しているだろうから、次官(すけ)の彼がこの街の総括者ということになる。大国の次官となれば、位階は六位。俺と同格であるが、それでも彼が頭を下げるのには、俺が都から来たからではない。本当に、武人の力を必要としているからだろう。なにせ、定住者だけでも七千人を超える大きな街に、今は武人が一人もいない状態なのだ。これはかなり危険な状態と言える。

 だが、そんな歓迎の雰囲気が、次の瞬間――介の視線がスグに向いた瞬間――一瞬で陰りを見せた。

「剣師様。なぜ赤眼をお連れになっているのですか」

 介は、露骨に顔を歪ませていた。

「なぜって、俺の弟子だからですよ」

 俺が言うと、介は信じられないと言う表情を浮かべる。

「弟子とは……まさか、武人になるというのですか。その赤眼が?」

 やれやれ、俺はこの先このやり取りを何回すればいいのだろうと思った。

「武人の弟子が武人になるのは当然でしょう」

 俺が言うと、介は嫌悪感を隠そうとしなかった。

 任期中こいつと仲良くやっていくことはできないということを悟って気が重たくなったが――

 しかし、介の次の言葉は俺が思っていたよりもはるかに過激だった。

「この街に、赤眼が居座ることなど、許可できませんな」

「……なんだと?」

「赤眼には赤眼にふさわしい場所というものがあります。この街の秩序を守るためです」

「俺は朝廷の命令でこの街に来たんだぞ? それを、街に泊めないだと?」

「それならなおさら。街を守る仕事ならば、敵は外からやってくるのですから、外にいてもらうのが好都合でしょう」

「なッ……」

 呆れて物も言えないとはこのことだった。

「幸い、武人様がもう一人来てくださる予定です。その方がいれば、ひとまず街の中は安全でしょう」

 確かに、師匠は俺以外にもう一人の武人を派遣すると言っていた。

「……いいでしょう。国司様が拒むなら、従わざるをえません」

 俺はこいつとは会話が成立しないと諦めて、踵を返す。

「スグ、いくぞ」

 俺が言うと、戸惑った表情を浮かべたスグは俺と国司の顔を交互に見てから、俺についてきた。

「あの、大丈夫ですか。街を守るのが任務なんですよね?」

 とスグが心配そうに言ってくる。

「別になんの問題がある? 俺の任務は国司の付き人になることじゃない。勝手に寝泊りして、魔物が襲ってきたら戦えばそれでいい。なんの問題がある?」

 足早に役所を後にして、街の外縁部へ向かった。

 幸い、天馬は広い。目立たないところでのんびり過ごしていれば、国司と会うこともないだろう――という目論見だったが。

 適当な宿を見つけて、女将のおばさんに尋ねる。

「いらっしゃい」

「おい、部屋を取りたいんだが、空いてるか?」

「そりゃもちろん空いて――」

 と言いかけて、笑顔だった女将の顔が、急に濁った。

「いや、ダメ。赤眼はお断りだよ」

「なに?」

「卑しい人間はお断りだって言ってんだ」

「おい待て。俺が誰だかわかってるのか。武衛府の剣師だぞ?」

「あら、剣師様でしたか。こりゃ失礼。でもね剣師様だけが泊まるんならいいですよ。でもね、赤眼はお断りなんです」

 俺は思わず顔をしかめる。

「ほらほら、出てけって」

 まさに取りつく島がない。仕方がなく宿を後にする。

「全く腹立たしいが……宿は腐る程あるさ」

 スグにそう言うと、彼女はひどく気まづそうな顔をしていた。

 俺は足早に歩いて、別の宿に入る。

「すいません。部屋を探してるんですが」

 ――だが、次の店の反応も同じだった。

「赤眼と同じ宿の下で寝られるか。ほらほら帰った」

 流石におかしいと思いながら、たまたま連続で<高貴な>な主人の宿に入ってしまったのではないかと思って、さらに別の店へ行く。

 だが、どの宿でも同じように断られた。

 確かに、赤眼は身分が低い。だから差別される。

 だが王宮に入れないってんならまだしも、ただの宿に泊まれないってのは異常だ。

 貴族は世間体を気にするのが、商人なら、金さえ払ってくれれば誰でも<お客様>ってのが普通だろうに。

「……もういい。天羽に泊まるのは諦めよう」

 俺がそう言うと、スグが聞いてくる。

「任務はどうするんですか?」

「国司自ら助けなど要らないってんだ。ならお節介を焼いてやる義理はない」

「……野宿するつもりですか」

 スグが俺の顔を伺いながら聞いてくる。

「いや、さすがにそれは勘弁だ。近くに賤民の村があったはずだ。宿があるかわからないが、なければ豚小屋にでも泊めさせてもらうことにしよう」


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「こんなボロ家で、本当によろしいのですか」

 俺たちは近くの賤民の村で、宿を貸してくれと頼み込んだ。

 旅人が来ることなど想定していない賤民の村には当然宿なんてものはないが、幸い空き家が一つあって、そこを使わせてもらえることになった。

 元々賤民の家は粗末なものだ。それが長期間使われていなかったのだから、居心地のいいものであるはずがない。壁は隙間だらけだし、天井には蜘蛛の巣が張っている。だが、幸い作りはしっかりしていた。これならしばらく滞在しても、屋根が落ちてくるようなことはあるまい。

「雨がしのげれば十分だ。本当に助かる」

 俺は巾着から銅貨を取り出して、村人に差し出した。

「そんな。魔物から守ってくれるというだけでもありがたいのに、宿代までいただけません」

「気にするな。どうせ国の金田」

 俺は無理やり銅貨を男に握らせて、手であっちへ行けと言う仕草をした。

「また困ったら呼ぶから、助けてくれ」

 俺がそう言うと、村人は深く頭を下げてから自分の家へと帰っていった。

「まぁ、上等とは言い難いが、軽く中を掃けば十分だろう」

 俺は、村人から借りた二本の箒のうち、一本をスグに手渡した。

 スグはそれを受け取らず、俺の目をまじまじとみる。

「どうした、掃除は苦手か?」

 聞くと、スグは首を横に振る。代わりにこう言った。

「拒否されてるのはわたしだけです。わたしなんて置いていって街に泊まればいいのに」

 なるほど、自分のせいで街に入れてもらえなかったのを、申し訳なく思っているらしい。

 常々生意気なガキだと思っていたが、他人に迷惑をかけることをよしとしない性格は評価できる。

「気にするな。羽毛の布団で寝ようが、麻の布団で寝ようが、寝てしまえば変わらないさ」

 俺は黙り込むスグに、箒を無理やり渡す。そして入り口に向かって溜まった塵を掃き出していく。

「街にいれば、面倒な仕事があったが、それがなくなったと思えば気楽なもんさ。休暇をもらったと思ってのんびり過ごそう」

 俺が言うと、スグも箒を動かし始めた。


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 天羽にやって来た翌日、村に突然の来訪者があった。

「おーい。誰か出てこい」

 辺りにバカみたいな大声が響く。

 何事かと外に出て、声がした方に歩いていくと、村の入り口に馬車が止まっていた。

「平伏せ、賎民ども!」

 ぶしつけ呼び出されて、挙句頭を下げろ命令される村人たちを見て、全くどこのバカ貴族が現れたのかと思った。だが、声の主を見ると、そこには知り合いの姿があった。

「おいおい、平伏せと言っているだろ……」

 と俺にそう言いかけた貴族は、俺の顔を確認するや、驚いた表情を浮かべた。

「なんだ、白河リュウじゃないか。なんでこんなところにいるんだ」

 声の主は、烏崎ハルだった。その後ろには、烏崎の弟子になった、例のボンボン娘、御堂ユキの姿もあった。

「それはこっちのセリフだ。なんでお前がここに」

「馬車が壊れてな。それでこの村が見えたものだから、直してもらおうと思って」

 なるほど、後ろを見ると、確かに馬車の車輪が一つ壊れていた。それでも無理やり引っ張ってきたからだろうか、馬車を引く二匹の馬を見ると、どこか疲れているようにも見えた。

「いや、俺が言ってるのは、なんでお前が弓の国にいるのかってことだよ」

 もう答えはわかりつつあるのだが、あえて聞く。すると思っていた通りの答えが帰ってきた。

「なんでって、天馬を守る任務のためさ」

 なるほど、俺以外にもう一人街を守る任務に就くといっていたが、結局こいつが任されたのか。

「お前こそ、なんでこんなところにいる? お前も天羽を守る任務を任されたんだろ?」

「色々あってな。この辺りで見張りをしているんだ」

 俺が言うと、烏崎は「ああ」と一人で納得したようだった。

「大方、赤眼の弟子なんて連れてるから国司に嫌われたか。まぁ無理もない。お前たちのように貧しい者たちには、賎民の村がお似合いだな」

 烏崎は息を吐くように俺たちを煽ってくる。全くもって、今すぐ殺してやりたいくらいだが、しかし相手にするだけ無駄だ。

「まぁ、お前ほどの(・・・・・)武人がいれば街も安泰だな。貴族同士、国司殿とせいぜい仲良くやって、街を守ることに精を出してくれ」

 俺はそう言って踵を返す。これ以上やつの顔を見ているのは不快だった。

 いつか大将になった暁には、真っ先に流刑にしてやると心に誓った。


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 村で過ごすこと七日。

 魔物が出るという前評判とは裏腹に、村には平穏な時間が流れていた。

 そして平和が続く限り、武人には仕事がない。日が昇れば起きて、日が沈めば床につく。

 唯一の仕事と言えば、稽古だけだった。

 武人たるもの、日々武術の鍛錬を欠かしてはいけない。俺もスグも剣を握らなかった日は一日たりともない。

 だが今日まで、稽古はバラバラにやってきた。俺は形の練習をしていたし、スグは素振りに勤しんでいた。

 しかし、せっかく師匠になったのだから、一緒に稽古をしない手はない――とずっと考えていたのだが。

 問題は、何を教えるかだ。

 純粋な剣の技術だけでいうと、スグは俺よりも強い。

 では、何か<形>を教えるのが普通だろうが、残念なことに、特定の形を教えるということは俺にはできない。俺があらゆる流派を会得できるのは、自慢のようになってしまうが、そういう才能があるからだ。だから、その過程を理屈立てて他人に説明することはできないのだ。

 いずれ、形を教えることができる別の先生を見つけてやらねばと思うが、とにかく今は無理なのだ。

 じゃぁどうするか――

 考えた結果、俺は<教える>ことを放棄することにした。

 代わりに――一緒に成長することにした。

「スグ、ちょっと組手に付き合ってくれ」

 俺が言うと、スグは黙って荷物から木刀を取り出した。

 試験で、本気を出したにも関わらず敗北した記憶はまだ鮮明に残っているが――

 敗北を恐れていては成長がない。年端もいかない少女に負けるのはもちろん悔しいが、成長するためには挑んでいかなければ。

 俺たちは小屋を出て、村のはずれにある河原に向かった。

 俺が剣を構えると、スグもそれに呼応した。

 お互いにその瞳を見つめ合う。今スグの頭の中には、俺が将来とるであろう行動が鮮明に描かれているであろう。それが星読みの眼の力だ。

 普通に考えれば、そんな並はずれの力を持った人間を相手にして勝てるわけがないと思うかもしれない。

 だが、自分の行動を先読みしてくる相手であっても対抗する手段がないわけではないというのは、前の組手で証明した通りだ。

 少しの間互いに様子を見た後、俺は自ら動いた。脱力から体が地面に落ちるその力を前進するのに利用して、一瞬で間合いを詰める。

 当然。俺の動きを完全に読んでいるスグは、その攻撃を軽くさばく。だが、反撃する隙はない。

 そのまま二の太刀を繰り出す。

 単純な攻撃は、単純であるがゆえ最速・最短の攻撃だ。そして最速・最短の攻撃は、来ることがわかっていても避けられない。

 読まれても構わない。ただ全力で打ち込んでいけば、剣戟は成立する。

 もちろんスグの強さはその「眼」だけではない。

 一振り、さらに一振り。ただがむしゃらに打ち込んでいき、それをスグが捌く。

 剣を振るうことには、もしかしたら粗雑なイメージがあるかもしれないが、とんでもない。実際は、針穴に糸を通すようなそんな緻密な作業だ。

 一振りするたびに、己という剣がどんどん研ぎ澄まされていく感覚。

 そして、その感覚は、俺だけが持っている訳ではない。スグも全く同じ感覚を持っているはずだ。

 何故なら――剣は、対話だから。お互いの力が、お互いのいいところを引き出しあう。

 俺たちはしばらくの間、無我夢中で打ち合う。そして、それが二十回ほど続いたところで、俺たちは同時に一歩引いて剣を納めた。

 息を整えてから、スグが少し驚いたと言う表情を浮かべて言った。

「なんか……今不思議な感覚でした」

 おそらく初めての感覚だったのだろう。俺はその正体を告げる。

「これが――<共鳴>だよ」

「共鳴、ですか?」

「二人が無心で向き合ったとき、互いに互いを高め合うんだ」

 俺がそう説明すると、スグはそのまるでさっきの感覚を噛みしめる様に剣の柄をさすった。

 試験の時も感じてはいたが、やはり彼女とは相性がいい。一緒に稽古を重ねていけば、二人とも確実に成長できるだろう。

「さぁ、今日は帰るか……」

 と、俺が言った次の瞬間。

 突然、あたりに悲鳴がこだました。

「……なんだ?」

 俺たちは顔を見合わる。そして村の方へと目をやると、十人ほどの村人ががこちらに向かって全力で走って来た。

 顔面蒼白になった彼らは俺たちに駆け寄って来た。

「剣師様ッ!」

「どうしたんです?」

「死人だ! 死人が襲って来てるんです!」

「なに?」

 どうやら魔物が出たようだった。

 俺たちは木刀を放り出して、代わりに真剣を拾い上げ、村の方へと駆け出した。その途中、逃げ惑う村人たちとすれ違う。

 そして村の真ん中くらいまで来たところで、俺たちはとうとうそいつらと相対することになった。

 ――村を襲っていたのは、人間――だったものだ。

 人間の死体に<黄泉の石>を埋め込んで作られた、死した兵隊。

 その腐りかかった体に、乾いた血でまみれた服。悪臭を放つその死人は、ざっと数えると視界にいるだけでも、二十体。

 俺とスグは、一も二もなく剣を引き抜いて亡者に斬りかかる。

 近場にいた個体を一刀両断、返す刀でもう一体も斬り裂く。

 と、後ろで銀刃が光るのを感じた。振り向くと、二本の刀が同時に俺に襲いかかって来た。咄嗟に受けると、その重みは本気で踏ん張らなければ受けられないほどだった。

 体に無駄な力入っていないから攻撃が重たい。武術では、力を抜くことを<死人のように>なんて下品な例えで表現したりもするが、こいつらの怪力はまさにそれだ。失うものがないやつの強さ、とでもいうべきか。

 受け止めた刀を無理やり跳ね返して、その隙に二体を袈裟斬りにする。

 だが、休む間も無く、次の個体が襲ってくる。

 のろまそうに見えて、案外に機敏に動く。

 もちろん何体相手にしようと攻撃を見切れないような相手ではないが、油断はできない。

 俺は近くにいた敵を仕留めて、少し離れたところにいる数体に焦点を合わせる。

 右手を引いて、剣の切っ先を向け、そして駆け出す。

「――天流乱星!」

 青い刀で、一直線上にいた三体をまとめて吹き飛ばす

 そしてあたりを見渡すと、少し離れたところでスグが最後の一体を仕留めたところだった。

 幼い少女が無類の強さを誇っていることは知っていたが、実戦ではどうなるかと心配していた。でも、全くもって杞憂だったようだ。スグを見ると、返り血一つ浴びず、平然としていた。

「死人の<殺気>も見えるのか」

 俺が聞くと、スグは「石ころにだって<殺気>はあります」と答えた。

「大したもんだ。……もう他の殺気は感じないか?」

「少なくともこの村にいる魔物は全部倒したと思います」

「それなら一安心だ」

 俺は鞘に刀を収める。

「……街の方は大丈夫でしょうか」

 スグは心配そうに言った。

「賎民の村だけ襲われるなんてありえない。たぶん、街も襲われてるだろうなな……ま、俺らには関係ないことだが」

 俺は欠伸をしながら、荷物を取りに川へと向かって歩き出す。だが、次の瞬間スグの右手が俺の手を掴んだ。

「何を言ってるんですか!? 街を助けに行かないと」

 スグは真剣な表情で言う。俺はそれに心底驚いた。

「おいおい、あんなクソな奴らを助けるのか? お前が街に泊まるのを拒否した奴らだぞ?」

「関係ありません。人を救うのが武人でしょ?」

 あまりのお人好しぶりに、驚きを通り越して感心する。

「馬鹿馬鹿しい。俺は行かないぞ、めんどくさい。身分が低いからと人を馬鹿にするような奴ら、何人死んだっていいじゃないか」

 俺が言うと、スグは顔を真っ赤にした。

「それでも武人ですか!?」

「恩を仇で返されるのは目に見えてる。あとで失望するだけだ」

 と、俺が街を救いに行く気がないとようやく気が付いたのか、スグは剣を鞘にしまってそのまま踵を返す。

「おい待て、本気で街に行くのか? 俺は行かないぞ。やめとけって。お前が戦うような価値はない」

「わたしは一人でも行きます」

 そう言って、スグはなんのためらいもなく馬にまたがって街へと向かっていく。

「……なんだよ」

 まさか弟子を一人で行かせるわけには行かないので、俺も仕方がなく馬にまたがった


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 全速力で馬を走らせ、スグに追いつく。

「全く、絶対後悔するぞ。助けたって、なんの見返りもないんだからな」

 俺が言うと、スグはまっすぐ前を見ながら「見返りなんていりません」とキッパリ言い切った。

「ちょっと……おい、あれ」

 街の中心から煙が上がっているのが見えた。魔物の襲来とは全く関係なく煙が起きただけ……ならいいが。

 やがて、街の入り口につくと――街は混乱のさなかにあった。

「……これは」

 道路のいたるところで魔物が街人を襲っていた。その数は賎民の村を襲ってきたのとは比べ物にならない。

 あたりを見渡すと、なすすべなく殺されて道端に横たわっている人が何人ももいる。

 ――すぐさま剣を抜いて、一番近くにいる魔物に斬りかかる。

 幸い、死人は怪力以外取り柄がない。抵抗を一切許さず、手当たり次第次々と斬り捨てていく。俺とスグ一瞬で見渡す限りの魔物を片付けた。

「これで終わり……じゃないよな」

 相変わらず、街の中心部分から人が逃げ回ってくることを考えると、まだまだ敵はいるらしい。

 スグは俺の次の言葉を待たずに走り出した。俺もそれを追いかける。

 悲鳴と逃げ惑う足音――それらに鉄の音が混じる。ある程度等間隔で鳴り響くそれは――間違いなく剣戟。

 おそらく、兵隊か烏崎たちが戦っているに違いない。

 道路駆け抜けて、やがて街の中心部の広場が見えてくる――

 地面にはなぎ倒された兵隊たちの姿。

 そして今、烏崎が銀色の甲冑をかぶった男と剣を交えていた。

 兜の下には肌色が見え隠れしている。どうやらこいつは死体ではなく、生きた人間らしい。

 しばらく様子を伺っていると、烏崎が防戦一方だということがわかった。

 と、その後方に意識を失って倒れている子供を見つける。慌てて駆け寄ると、烏崎の弟子の御堂ユキだった。幸い傷を負っているわけではないので、どうやら壁に叩きつけられて気絶したらしい。

 この戦場に放置するわけに行かないので、手短な建物の中に横たえる。

 そして外に戻ると、烏崎と男はまだ激しい剣戟を繰り広げていたが、烏崎の動きには疲労が見えていた。

 真正面から重たい攻撃を受け続けているせいでだろう。

 わずかにだが――しかし玄人にとっては一目でわかるほど動きが緩慢になっていく。

 そして――

 甲冑男の大振りを受けきることができなかった。受けた剣ごとなぎ倒されて、地面に吹き飛ばされる。そのまま動かない。どうやら気を失ってしまったようだ。

 甲冑男はのろのろと倒れた烏崎に向かって歩いて行く。

 憎い女だ、このまま殺させてもいいが――一瞬そんな邪念も浮かんだが、しかしここは正義を貫くことにした。

 地面を蹴り、一気に男との間合いを詰める。

「天流乱星ッ!」

 最速・渾身の一撃で、反撃どころか、防御の時間さえ与えない。

 青白く光る剣が、次の瞬間、男の甲冑に突き刺さる――と思ったが、

「甲撃!」

 男の甲冑が鈍色に光る。

 次の瞬間、強い衝撃。俺の一撃は男の甲冑に当たり、そしてその衝撃は俺に向かって跳ね返ってきた。耐えきれず、体を翻して間合いを取る。

 どういうことだ――

 天流乱星は、俺にとって最強の一撃。それを受けて、男はビクともしなかったのだ。

 とあぐねていると、今度は男から攻撃してきた。

 全く持って愚鈍な一撃。その動きは完全に読み切ることができる。もちろん逃げ回れば追いかけてくるので、ギリギリのところで受け流す――

 だが、やってきたのは途方も無い衝撃だった。

 ――重たいッ!

 受け流すなんて、そんな生ぬるいことを絶対に許さない、そんな重さ。全身全霊で圧を散らさなければ、吹き飛ばされてしまうだろう。

 苦戦する烏崎を見てやっぱりあいつは二流だなと思ったが――これは、男が強すぎるのだ。

 なんとか攻撃に耐え、体勢を整えようとするが、男は攻撃を重ねてくる。

 動きは見え見えだが隙をついて、甲冑に攻撃を叩き込んだところで、通用しないのはさっき痛いほど感じた。 それに、一度相手が攻撃を繰り出せば、俺は全力で受け流すしかない。わずかにでも気を抜けば、待っているのは死だ。

 攻守ともに隙がない――

「クソッ」

 防戦一方。

 俺はいくつもの形を会得しているが、男の圧倒的な防御力に太刀打ちできる形は一つもない。

 何か策を――と考えようにも、その余裕も与えてくれない。

 一撃、一撃をなんとか受けきるので精一杯だ。

「クソ」

 なすすべなく攻撃を受け続け、だんだんと体に衝撃が蓄積されていく。

 肢体が悲鳴をあげていた。

 ――それから数度の斬撃をなんとか受けきったとき、唐突に男が間合いをとった。

 一休み――なんてことは絶対にないとわかった。

 男の放つ殺気が、地面を震わせているような錯覚を覚える。

「甲撃」

 先ほど俺の攻撃を弾き返したのと同じ形。今度はそれを攻撃に転用するらしい。

 男の持つ剣が鈍色の光を放ち、次の瞬間男は一直線にその剣の切っ先を突きつけてきた。

 この攻撃は絶対に受け流せないと理解して――代わりに最強の攻撃で迎え撃つ。

「――天流、乱星!」

 鈍色の光と青色の光が交差する。

 絶望的な衝撃。全身の骨にひびが入ったかのような痛み。

 わずかに数秒、歯を食いしばってなんとか均衡を保つのが精一杯だった。

 すぐに体が耐えきれなくなり、次の瞬間俺は後ろに弾き飛ばされていた。

 まともに受け身を取ることもできず、地面に叩きつけられた。

 暗転した世界。必死に瞼を開け、なんとか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

 ――男はゆっくり、しかし着実に近寄ってくる。

 歩いてきた、その流れで、男は剣を振り上げそして振り下ろす――

 ――鈍い刃が振り下ろされる。

 死を覚悟した――次の瞬間、閃光が走った。

 俺に振り遅されようとしていた剣は、代わりに横から現れた銀の刃を向かい打つ。

 ――スグの剣が、男の凶刃から俺を守ったのだ。

「剣師様のくせに、なにしてんですか」

 紅色の瞳が、男を鋭く睨みつけながら、彼女はそう呟く。

 俺がてんで敵わなかった男を相手に、スグは互角の鍔迫り合いをしていた。

 あの小さい身体の一体どこからあんな力が――

 俺は一瞬あっけに取られるが、なんとか理性を取り戻し渾身の力で立ち上がり男から距離を取る。

 男はその鍔迫り合いに勝機を見出せなかったのか、自ら後方に跳躍し、距離を開けてから、再び振りかぶってきた。

 スグは再び正面から迎え撃つ。

 単純な腕力だけ考えれば、どう考えても男の方が強い。

 だが、スグの剣には芯があって、しかもそれはどこまでも研ぎ澄まされている。

 完璧に直線の攻撃と、「曲がった」攻撃が交われば、逸らされるのは必然曲がった攻撃だ。

 それゆえ、半分以下の体重しかないスグと、怪力男の剣戟が成立していた。

 甲冑男はあくまで無表情で、そこに感情の機微は読み取れないが、剣は正直だった。もともと精緻ではなかった剣筋が、今はさらに雑になっている。

 子供相手に互角ということに苛立ちを感じているのだろう。

 男は渾身の一撃を放ち、その反動を利用いて再び後方に飛び引く。

 そして男の剣が鈍色に光る。

 ――また、あの技を放つ気だ。

「――甲撃」

 俺の全力をいとも簡単に跳ね除けた必殺の一撃。

 それに対して、スグは剣を正中に構え、そして地面を蹴って自ら男へと斬りかかっていた。

 ――真正面から勝負を挑むつもりだ。

「おい――」

 ――ダメだ。

 そう言おうとしたが、声が出なかった。

 スグはまっすぐ敵に飛び込んでいく。

 俺が、渾身の形を持ってして勝てなかった攻撃に、形も使えずただ剣一本で斬り込むなんて――

 だが、次の瞬間、ありえないことが起きた。

 スグの剣が、男の渾身の一撃を完璧に受け止めて見せたのだ。

 スグは男の放つ剣圧に、歯を食いしばり、血管を浮かび上がらせて必死に耐える。

 ほぼ互角――だと。

 スグが放ったのは、なんの形でもない。

 ただの一閃だ。

 だが、その一閃が、男の形を迎え撃った。神影流最終奥義である<天流乱星>を持ってしても全く歯が立たなかった形と互角。それは――もはや「形」の領域だ。

 男は眉をひそめた。自分の攻撃を受け止められたことに驚いているのだろう。

 だが、状況が好転した訳ではない。スグの圧倒的な攻撃力を持ってしても、男の形を破るまでには至らなかった。それは、俺たちの手にあいつを倒す方法はないことを意味する。

 頭の中でこれまで会得した様々な形で突破できないか考えるが、いい考えは浮かばない。

 そして俺が指をくわえて見ている間も、弟子と男の攻防は続く。

 ――若干、スグが押され始めた。

 瞬間的には男の形と同等の力を持っているとはいえ、基本的な身体能力、特に腕力は男の方がはるかに優っている。それゆえ剣戟を続ければ、徐々に無理が生じて来るのだ。

 と、スグが疲れてきたことに気がついたのか、男は一気に決めにかかった。

「――甲撃!」

 男の構えが剣が鈍色に光る――

 と、その時だ。構える男を見て、俺はあることに気がついた。

 最初に俺が男の甲冑に形を叩き込んだときは、鎧が鈍色に光り輝いていた。

 しかし、今スグと激突したときは剣の方が輝いていた。

 防御する時は甲冑が光り、攻撃する時は剣が光っていたのだ。

 ということはつまり――攻撃している時、甲冑の方は無防備なんじゃないか。

 もしその仮説が正しいなら――

 スグは再びあの<形になりかけた>全身全霊の一閃で迎え撃ち、スグの剣と男の剣が激突する。

 二つの力が押し合って、わずかな均衡が生まれる。

 ――もし俺の仮説が正しいなら、今が絶好の機会!

 俺はその瞬間全力で地面を蹴り男の甲冑めがけて剣を突き出した。

「――雷火!」

 その無防備な脇腹に剣を突きつけられ男は――ほんの少しだけ驚いた表情を浮かべた。だがそれは決して、死に直面した人間のそれではなく――

 次の瞬間火花を散らしながら、俺の剣が甲冑と激突した。

 剣が男の甲冑を突き破ることはなかった。わずかばかり傷つけることはできたかもしれないが、しかし俺の剣はやはり跳ね返されたのだ。

 どうやら俺の仮説は半分不正解だったようだ。

 やはり形を使っている間は防御力が弱まるのは間違いないようだが、全く無防備という訳ではない。しかもタチが悪いことに、俺の形を寄せ付けない程度の防御力は残しているのようだ。

 ――だったら。

「スグ、俺が奴の足を止める」

 俺はそう言って二人の間に割って入る。

 男は蝿にでもたかられたような顔を見せた。

 そこから再び、絶望的な剣戟が始まる。一撃がさっきよりも重たく感じるのは、自分が疲れているからか、男が本気を出しているからか――

 一撃受けるたびに、脳天を貫かれたような衝撃が剣を通して全身に響く。

 だが、辛抱強く、その時を待つ――

 そして――すぐにその時はやってきた。

 男は距離を取り、そしてその剣に再びあの鈍色の光を宿す。

「甲撃!」

 男の攻撃の重たさを思うと絶望的な気分になるが――

 俺は剣を正中線に構えて男の形を迎え撃つ。

 受け流すのではダメだ。

 正面から受け止めないといけない。

「――舞葉!」

 己の存在の線をどこまで薄くすることで、舞い散る葉っぱのように攻撃を受け流す柔術。

 普通の攻撃ならこれで受け流せるのだが、男の攻撃は<太く>完璧に受け流さすことはできない。

 それでも受けてしまう衝撃は――

「――伝地!」

 全身に受けた攻撃を、両足を通して地面へと受け流す。

 受ける衝撃を少なくして、そして受けてしまった衝撃は地面へと受け流す。二つの形の組み合わせで衝撃を最小化する。

 ひらりと舞う木の葉のような軽やかさと、根を地面を貼る植物のような踏ん張りを両立する――俺だからこそ

きる離れ業だが、しかしそれでも衝撃を完璧に無効化することは叶わない。

 男の剣が放つ圧力が、全身を締め付ける。

 一瞬、ほんの一瞬、わずかにだが形の正中線がズレた瞬間、右腕に激痛が走った。

 あまりの痛みに意識が飛びそうになるが、死への恐怖が俺に正気を保たせた。

 受け止めきれた――訳ではないが、しかし、確実に男の足は止まっている。

「スグ、今だ!」

 言うと、俺の意図は伝わったらしい。

 俺の目線は男と合ったまま。しかし、殺気でスグの剣がこちらに向かってくるのがわかる。

 己の全身全霊を、たったの一撃に、どこまで研ぎ澄ませて集中させる。

 たったそれだけの、ある意味究極に単純な技。

 だが――その単純ゆえに、その技には迷いがない。

「――撃砕!」

 とうとう彼女はその形の名前を――己の形の名前を口にした。

 俺の視界に赤い光が現れ、その瞬間、男の脇腹に突き刺さった。

 ふと見上げると、男の顔は驚きで満ちていた。そこには痛みの苦痛はなかった――それはもしかしたら忘れてしまったのかもしれない。

 そして、不意に身体が軽くなった。

 視界から男が消えていた。

 拮抗していた力は行き場を失い前のめりになる。手をつくことさえできず、耳と頰から地面に倒れこむと、視界にはスグと男が見えた。男は剣を横腹に突き刺され、うなだれて身動き一つ取らない。

 力を振り絞って、立ち上がろうとしたが、右手を地面についた瞬間、激痛が走った。

 ――ダメだ。多分、折れてる。

 思わず悪態をつきそうになるが、あれだけの攻撃を真正面から受けて腕一本で済んだのだから運が良かったと思うべきだろう。

 なんとか左手だけで立ち上がり、スグの元へ歩く。

「やった、のか」

 スグは男の体から剣を抜きさる。美しく光っていた刃が、今は柄の部分以外赤色に染まっていた。

 そして次の瞬間、スグの手から剣が滑り落ち地面に落ちる。彼女自身も膝をついて俯いた。

「大丈夫か」

 そう聞くが、返事はなかった。あの一撃に、文字通り全身全霊を注ぎ込んだのだろう。

 それに――いくら並みの武人より強いとはいえ、十二歳の少女だ。きっとその手で人を殺したことなどないだろう。その重みを知るための時間が必要なのだ。

 周りを見渡すと、建物に隠れていた街人たちが少しずつ外に出てきた。

 怪我をしている者は少なかった――少なくとも生きている人間の中には。襲われた人間は皆一様に死んでいるのだ。地面には魔物や、男の剣に引き裂かれた街人の死体が散乱していた。

 男に苦戦したのは間違いないが、それでも最初から俺たちがここにいれば、被害はもう少し小さく済んだだろう――。

 と視界の隅で、地面に倒れていた者が一人、上半身を起こした。烏崎だ。そう言えば、さっき甲冑の男に吹き飛ばされて気絶していた。

 見ると額から血を流してはいるが、大きな傷はなさそうだった。

 助けてやる義理もないので無視して、次の行動を考えようとしたが――

 向こう側から、複数の重たい足音が聞こえてきた。現れたのは街の兵隊――に護衛された国司だった。国司は烏崎に気がつくと、慌ててそばに駆け寄った。

「剣師様!」

 烏崎は声をかけられ、力なく国司の顔を見る。

「大丈夫ですか」

「ああ、なんとか」

「それはよかった。街の北半分にいた魔物は兵士が一掃しました――どうやら、甲冑の男も倒したようですね。流石です」

 と、男の死体を見て国司が笑みを浮かべる。だが、さっきまで気を失っていた烏崎は状況が飲み込めないようだった。

 ――と、次の瞬間、国司が俺たちの存在に気がついて、苦い表情を浮かべる。

「なぜあなた方がここにいるんですか」

 街を救った英雄に対して、その言い方はないだろうと思った。

「なぜって、そこの貴族様が弱すぎて敵を倒せなかったから、代わりに倒してあげたんですよ」

 その事実を告げると、国司は一瞬烏崎を見たのち、毅然とした態度で俺を睨んだ。

「なんであれ、この街には入るなと申したはずですが」

「……なんだと?」

「この街から出て行ってください。今すぐにです」

 あまりの暴虐ぶりに唖然としていると、野次馬になっていた街人からも罵声の声が飛んでくる。

「そうだ帰れ! 卑しい奴が街に入るんじゃない!」

 一人目がそう口にしたのを皮切りに、次々に「帰れ」と咆哮する。怪我をしている者まで加わる始末だった。

「お前らがいるから魔物が現れたんだろ!」

 しまいにはそんな言葉まで聞こえてくる。

 そしてある男が、地面から泥を救いあげてスグに投げつけてきた。スグは自分の胸にそれが当たるのを、避けもせず、ただまっすぐ街人たちを見た。

 人を殺して、助けた人に憎まれて――普通なら耐えきれない出来事だろう。だが、それも全て彼女が望んだことだった。

 彼女は見返りを求めて人々を助けたわけではない。ただ彼女にとって人を助けるのが当たり前で、だから助けた。

 でもだからこそ、そんな純粋で優しい彼女だからこそ、この扱いにはひどく憤りを感じた。 

「どこまで腐ってんだ、この街は」

 ――この場で全員切り殺してやりたいところだ。

 だが、バカに付き合う必要はないと思い直して踵を返した。

「スグ、先に帰っててくれ。俺は駅で王宮に手紙を出してから帰る」

 スグは頷くこともなく、トボトボ街の外へ向かって歩き出した。その表情には悲しみではなく、深い諦めがあった。

 俺は駅に向かい、王宮への手紙を認(したた)める。

 街の被害状況を書き、ついでに烏崎の無能っぷりも詳細に記載した。

「頼んだぞ」

 係の人間に紙を手渡して、駅を出る。

 空を見上げて一息をついてから、村へ向かって歩き出す――

 と、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。

 振り返ると、中年の街人だった。

「なんだ? 俺に泥なんて投げつけたら斬るぞ」

 俺が言うと、男は首を振った。

「いえ、そんなことはいたしません。ただ、剣師様たちにお伝えしたいことがあって……」

「何?」

「皆剣師様にひどいことを申しましたが、国司様の手前、ああするしかなかったのです。国司様は赤眼が大嫌いで、前に病気の赤眼を介護した医者が棒叩きの刑にされたこともあるくらいなんです」

 いくら赤眼が嫌いでも街を襲撃されたすぐ後、こぞって声を荒らげるものかと不思議に思ってはいたが、なるほど、それならば納得が行く。

「我々も、本当は街を救ってくれたことを感謝しているのです。なので何かお礼をさせてください。国司様の目があるので大々的にはできませんが……何かご所望のものがあれば、お礼に贈らせいただきます」

 そんな提案を受ける。

「別にお前らに感謝されたくて戦った訳でもないから、お礼など」

 と固辞しようとするが、街人は、

「そう言わずに……我々も命を救ってもらったのにあのような態度をとって、心が痛んでいるんです」

 と引き下がる様子がない。

「……特に欲しいものはないが」

 ものを貰うくらいなら、金でももらった方がいい……と思ってそう伝えようと思ったが、俺は唐突に一つ、欲しいものを思いついた。

「ああ、そうだ」

 希望を男に伝えると、少し驚いた表情をしたが、俺にはかなりの妙案に思えた。


 @


 村に帰ると、逃げていた村人たちは既に戻ってきていた。魔物によって入口が少し荒らされたが、幸いなことに、人にはほとんど被害がなかったようである。

 安心して寝泊まりしている小屋に帰ると、スグはいなかった。

 服を洗っているのだろうと川の方へ向かうと、案の定服を洗って乾かしているスグの姿があった。

「スグ」

 声をかけると、彼女は暗い顔をこちらに向けた。 

 村人も別にお前が嫌いでひどい扱いを訳ではないのだと、そう伝えようと思ったが……それは本人たちの口から言うがいいだろう。

 今の俺には別に言うべきことがあった。

「ありがとう。お前がいなきゃあいつには勝てなかった」

 少し悔しいがそれは事実だった。スグがいなければ今頃俺は死んでいるか、民を放り出して逃げ出していただろう。

 俺が言うと、彼女はわずかに口角を上げた。

 それ以上言葉を重ねても、彼女の心が晴れることなどないとわかっているので、俺は黙って彼女の隣で上着をを洗う。

 日は沈みかけていた。俺たちは洗濯を終え、濡れた服をカゴに入れて宿に戻る。

 と、その時ちょうど向こうから数名の人間が現れた。

 格好で賎民ではないとわかった。一体街人が何をしにきたのかと思ったが、見るとその先頭に立つのはさっき俺に話しかけてきた中年の男だった。

 彼らは俺たちを見つけると、勢いよく駆け寄ってきた。

「剣師様」

「こんなに早く持ってくるとは思わなかった」

「国司様用に作ってあった分がありまして。国司様には、死体どもに食われたとでも言っておきます」

 スグは何が起きているのかとぼうぜんと俺たちの方を見ていた。

「街を救ってくださったお二人に、ささやかですがお礼を」

 と、おじさんの後ろにいた若い女が、両手のひらを合わせたより少し大きいくらいの包みをスグに差し出した。

 突然のことに、スグは包みを受けとることができずに、俺の顔を見た。

「くれるつってんだから受け取れよ」

 催促すると、スグは持っていたカゴを地面に置き、恐る恐るといった感じで包みを受け取った。

「腐るのが早いですから。今日のうちには食べちゃってください」

 おじさんがそう言うので、スグは包みの紐を解く。

 中から出てきたのは、真っ白な団子だった。

「弓の国一番と名高い。高松屋の団子です」

 おじさんが言うと、スグは「高松屋の!?」と声をあげた。

「なんだ知ってるのか」

 高松屋は弓の国一番の菓子屋として有名だが、基本的には金持ちのための店で、貧乏人が気軽に立ち寄れるような店ではない。俺も名前は知っていたが食べたことはなかった。

「ええ、噂で聞いたことがあるだけですが……本当にいいんですか?」

 スグが聞くと、おじさんは笑みを浮かべて「もちろん」と言った。

「あんこに砂糖を使ってるから死ぬほど甘いんです」

 とおじさんが説明する。砂糖といえば西方からもたらされる高級品で、この頃は国内でも栽培に成功して供給が増えたとはいえ、未だ庶民にはとても手に入らない代物だ。

「それでは……」

 スグは恐る恐ると言った風に団子を口に運ぶ。

「あの……」

 あまりの美味しさに言葉が出てこないようだった。

「そんなに美味しいのか」

 聞くと、スグは団子一つつまみあげて、突き出してきた。俺はそれを口で直接受け取る。

「ああ、確かにこれはうまいな」

 確かに、有名なだけあって、その団子は頰が落ちそうなほど美味しかった。

「でも俺は甘いものはそこまで好きじゃないんだ。残りは全部お前が食べていいぞ」

 俺が言うと、スグは「一緒に食べましょうよ」と言ってきたが、俺は本当にいらないとだけ言って、少し離れたところに腰を下ろす。

 スグは街人に囲まれながら、美味しいそうに残りの団子を食べる。

 その様子を見て思った。

 お前、そんな笑顔、できるんだな。

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