赤眼の王道

アメカワ・リーチ@ラノベ作家

第一章 弟子


「白河リュウ。汝を、正六位、武衛府剣師に任ずる」

 煌びやかな赤色の着物に身を包んだ王女様が読み上げた巻物を再び丸め、俺に差し出した。俺はその真ん中に手をそっと添えて受け取る。そして頭を垂れたまま後ろに下がる。そして王女は役目を終え、広場を後にした。

 これで、俺のためだけに行われた除目が終わった。春と秋に行われる正式な行われる除目に比べると極めて質素だが、逆にありがたかった。これが正式な除目ならば、全員の叙任が終わるまで数時間は立ちっぱなしになるところだ。

 王女がいなくなったことで、出席していた武人たちの緊張が一気に解けた。そそくさとその場を立ち去る者もいれば、その場にとどまって同僚と雑談に興じる者もいた。

「おめでとう」

 と、一人の女性が俺に話しかけてきた。

 濡鴉色の美しい髪は腰まで流れていて、顔立ちも整っているが、目つきがどうにも悪い。

 ――烏崎ハル。

 同い年の十八歳で、俺よりも早く正六位剣師に昇進しているが、武術の実力は俺の方が圧倒的に高い。素手で戦っても勝つ自信がある。

 別に目立った功績を挙げた訳でもなく、出世の速度の差は単純に身分の差。こいつは貴族なので、平民の俺とは出世の基準が違うのである。

「<剣師様>に祝っていただけるとは、至極光栄です」

 俺はあえて昨日まで同様敬語で返答する。こいつのことは嫌いだが、今は好んで喧嘩をしてやろうとは思わない。せっかくのいい気分が台無しだ。だから俺は適当にあしらってその場を離れようとする。だが、烏崎はニヤつきながらこんな言葉をかけてきた。

「しかし、上がれるところまで上がってしまって。この後お前は何を目標に生きて行くんだ?」

 上がれるところまで上がった、か。

 確かに、六位と五位の間には明確な差がある。

 六位は平民がなれる最高位。

 それより上は貴族にのみ許された地位だ。

 十八歳にして六位剣師になった。これはとんでもなく早い出世で、誰もが羨む成功譚である。しかし見方によっては、十八歳にしてこれ以上の出世は望めないということも言えるのだ――少なくとも一般的な考えでは。王朝が始まって以来、平民が少将以上に出世した例はないのだから。

 ――いや、冗談じゃない。こんなところでは終わらないぞ。

 六位剣師は通過点に過ぎない。俺は絶対に大将になるのだ――それもできるだけ早く。

「すみませんが、失礼します」

 俺はそう言って、無益な会話を無理やり中断した。仕事に戻るために事務室に向かって歩き出す。

 と、広場の出口付近で、また一人の武人に話しかけられた。

「剣の腕前は買っていたが、まさか剣師にまでなるとはな」

 話しかけてきたのは、左目に眼帯をした中年の男だった。

 かつて「王宮一」と言われた武人、一条ゴウ。

 王族の流れを汲む上級貴族である一条家の長男坊である。

 一条は名門中の名門で、父は右大臣、叔父は近衛府の大将と、それぞれ文官・武官の最高位まで上り詰めた。そんな一条家の跡取りで、しかも文武の才能に恵まれたゴウは「王以外であれば何にでもなれる」立場だった。

 だが、ゴウは権力を嫌い、正義を重んじた。それゆえに、数々の功績をあげながらも、未だ従五位少将に甘んじている。実力だけでは出世できないという宮中の現実を如実に示す人物である。

 ――そして、俺が出世競争を勝ち抜くに当たってなんの役にも立ってくれないこの男は、俺の上司であり、師匠でもある。

「師匠と違って、俺は出世のことしか考えてないですからね」

 そんな軽口を言うと、師匠は苦笑いして言った。

「かつて賎民の女の子を救うために秘密の抜け道をバラして、鞭打ちの罰を受けたあの頃のお前はどこへ行ったのか」

 それは俺が武人になった頃の――わずかに五年前の出来事だが――苦い思い出だった。

「そんなあまちゃんの武人は、とうの昔に死にましたよ」

 今の俺にとっては出世が全て。出世できるなら例えば罪びとの奴婢でも助けるが、出世に関係ないなら王様だって助けない。

 師匠は――内心どう思っているかは知らないが――笑いながら続けた。

「この勢いだと、もうじきお前に追い抜かれるかもしれないな」

 平民が中将・少将(すけ)に昇進した例など、王朝が始まって以来一度もないということを、師匠は当然知っているはずだが、それでもあえてその可能性を口にした。俺のことを認めてくれている何よりの証拠だろう。

「そうありたいものです」

 前例はないが、俺はこんなところで終わるつもりは毛頭なかった。

「まぁ、それでも今はまだ俺の方が上だ。少将様である俺が、弟子のためにお祝いをしてやるとしよう。今日の夜、どうだ?」

 師匠はつい先月まで、僻地での任務に当たっていたため、食事をするのは相当久しぶりだった。もちろん俺にとっても嬉しい誘いだ。だが、

「今日は駄目なんです。先約があって」

 俺が言うとゴウは笑って返す。

「なに? 既に予定が? 昇進はさっき発表されたばかりなのに。昇進を既に知ってるやと言ったら、まさか大将からの誘いじゃあるまい?」

「バカ言わないでください。大将と飲むくくらいなら、その辺の奴婢と井戸水でも飲んでいた方がマシです」

「そりゃそうだ。だが、それじゃぁ誰から誘われてるんだ?」

「大将の他にも俺の昇進を知っていた人が、一人だけいるでしょう」

「ええ、まどろっこしい。どいつのことだ?」

「師匠、<どいつ>なんて、失礼ですよ」

「……まさか」

「ええ。王女様がお祝いの席を設けてくれるんです」

 俺が言うと、ゴウは口を開けて驚いた。

「王女様が相手とあっては、少将ごときではどうしようもないな」

「ええ。なので、師匠のお祝いはまた後日に」


 ◇


 俺は一度自室に戻って、祭り用の正装に着替えた。そして万に一つ、道中に服が汚れないように一歩一歩注意しながら歩く。そして普段全く近寄らない――近寄ることさえ許されない場所へ向かう。

 王宮といっても大半の場所は、役人ならばある程度は自由に行き来できる。だが、この塀で囲まれた区画は全く別だ。

 一つしかない入り口で許可書を提示すると、門兵は顔色一つ変えずに扉を開いてくれた。

 ――中にはいると、建物の入り口のところで、一人の女性が出迎えてくれた。

 この国で二番目に偉い女性――

「よく来てくれました」

 この国の王女様である。先ほど除目で官位を授けてくれた時とは打って変わって、花柄があしらわれた宴席用の派手な着物に身を包んでいる。

「外でお待ちなさらずとも」

「大切な友人が来るというのに、部屋で踏ん反り返っているのは無礼でしょう。それに、待ち遠しかったのだから仕方がないじゃないですか」

 王女様はそうやってまっすぐに好意を伝えてきた。

「恐縮です」

「さぁさぁ、中に入ってください」

 王女様に導かれて殿舎に入る。入り口から廊下を十メートルほど歩き、小さめの部屋に通される。

 中に入ると、イグサのいい匂いが漂ってきた。テーブルを挟んで座布団が二つ、入り口から見て平行に置かれていた。その右側に王女は座った。俺は自分が座るべき下座を奪われて立ち尽くす。

「遠慮しないでください。今日の主賓はあなたですから」

「恐縮です」

 胡座(せいざ)で座ると、早速女官が料理を運んで来る。

 そして王女様がお銚子を手に取る。俺がすかさず盃を差し出すと王女は並々注ぐ。そしてそのまま手酌した。

「では、そなたの武功と昇進に乾杯」

 王女が盃に口をつけたのを見てから自分の盃に口をつける。

「え……」

 と、俺は思わず言葉を漏らした。

 王女の方を見ると、いたずらをした子供の様な笑みを浮かべていた。

「お酒だと思ったら……ものすごく甘い」

「砂糖水ですよ。甘いのがお好きでしょう? だから用意したんです」

 なるほど王女様の気遣いだったか。

「ありがとうございます」

 実はお酒は苦手だった。

「昇進おめでとう」

 と、俺の昇進を指図した張本人から祝福の言葉をもらう。

「全ては王女様のおかげではありませんか」

「何を言います。たった一人で赤岩城を奪還してみせた<英雄>を剣師にせずに、誰を剣師にするのですか」

 今回の俺の昇進は、少し前に起きた<突>出身の人々が起こした反乱を沈めたことが直接の理由だった。

「恐縮です」

「でも、まだまだこれからです。リュウにはもっと活躍してもらって、早く昇進してもらわないと」

 その期待は素直に嬉しかった。

「……実は、私も縁談の話が上がっていて」

 と、王女は突然そんな話題を切り出した。脈絡がない様に感じて驚く。

「縁談、ですか」

「三条の息子をと言われました」

 三条と言えば左大臣も排出する一族である。最上級貴族だ。やはり王女の縁談相手ともなると、それくらいが妥当に思える。

「では、ご結婚をなさるんですか」

 俺が聞くと、王女はブンブンと首を振った。

「もちろん拒否しましたよ! でも、王様もそろそろ、としつこくて。つまり何が言いたいかと言うと、私もそう長くは待てないと……」

 もじもじしながら言う。

「そうですね。理想のお相手が見つかるといいですね」

 俺はそう言ってから、もう一度盃に口をつけた。

「……不敬罪で処刑しますよ」

 と、いきなりそんな怖い言葉で出てきた。俺は口に含んでいた水を危うく吹き出しそうになる。

「な、何か不敬なことをしたなら申し訳ありません!」

 特に不敬なことをした覚えはなかったが、とりあえず謝る。

 すると、王女は少しだけムッとした表情を浮かべて、それから「……ところで」と露骨に話題を切り替える。

「明日から研修生の採用試験がありますね」

「ええ」

 明日は、王宮の武人たちによる研修生の一斉採用試験が行われるのだ。

 研修生は、武人に弟子入りして学ぶ、武人候補のことである。

 武人になるには基本的に科挙を受けることになるが、それ自体は研修生以外でも受けることができる。

 逆に研修生になったからといって科挙は免除されないのだが、研修生になれば、王朝に生活を保障された上で武術を学ぶことができるので、多くの武人志望者が弟子入りを希望する。

「特例であなたが弟子を取れるように、大将に話を通しておきました」

「え?」

 正式に研修生の師匠となれるのは、二十歳以上、かつ従七位以上の武人だけだ。俺は、位階の要件は満たしているが、年齢要件を満たしていなかった。だが、それを王女が特例で認めてくれたのだ。

「あなたは若いですが、<剣師>です。あなたのような人が剣の師匠とならずして、誰がなるのでしょう」

 これは予想外に嬉しいことだった。下手をすると、昇進したことと同じくらい嬉しいかもしれない。

 弟子を持つことは武人にとって一人前の証。

 しかも、弟子の功績は師匠の功績にもなるので、優秀な弟子を持つことができれば、体が二つになったも同然。武功もあげやすくなるだろう。

「ありがとうございます」

「いや、別に礼を言われることではないのです。そうではなく、国のためにもっと頑張って欲しいと言う、そう言うお願いなのです」

 王女は盃を置き、俺の目をまっすぐ見て言った。

「<燕>や<突>の驚異は日に日に増しています。もっと武人を増やしていかなければなりません」

 優秀な人材の確保。それは王女がもっとも力を入れている問題だった。

 隣国である<燕>は、我が国の30倍はあろうかと言う大国だ。しかも、次々に周囲の国家を制服し、日に日にその力をましている。今の所、燕国と我が国の間では、表面的には平和が保たれているものの、しかしいつそれが崩れるもわからない。

 そして<突>は、西方の遊牧民国家で、我が王朝とは因縁の関係だ。先の大戦で疲弊して今は束の間の平穏が訪れているが、いつ再び戦争になってもおかしくはない。

 王女は来たる日に備えて、富国強兵の必要性を強く認識しているのだ。

「そして、これはあくまで<できれば>なのですが……」

 と王女は少し間をおいて言う。

「もし、身分が低くても、才能のある人がいたら、弟子にしてあげて欲しいのです」

 それは、王女らしいお願いだった。

 別に、王女は身分が低い者を哀れんでいるのではない。

 富国強兵のためには、身分に関係なく人材を登用する必要性を強く感じているのだ。

「もちろん、弟子は武人にとって<家族>も同然の存在ですから、あなたの気持ちが一番なのですが」

 これはさらなる成功の機会だ。もし俺が、貧しい者を育ててそいつが科挙に合格すれば、王女様の信頼はさらに厚くなるだろう。

「まだどんな人が試験を受けに来るか知らないので断言はできませんが、貴族の教育は貴族に任せておくことにします」


 ◇


 翌日。午前中に書類仕事を片付けてから、王宮の外にある武衛府専用の広場に向かった。

 研修生の採用試験の監督をするためだ

 広場に入ると、人々の視線が自分に集まるのを感じた。

 広場には既に、二十代から十代の男女が三十人ほどの人が集まっていた。貴族もいれば平民も賤民もいる。

 だが、これだけの人数がいるにも関わらず、雑談をするような者は一人もいなかった。皆険しい表情を浮かべている。これから少ない椅子を巡って競う敵同士なのだのだから当然か。

 武人になることは、平民にとっても貴族にとっても身を立てるための有力な手段のひとつだ。それゆえ、今日の試験にはそれぞれの人生がかかっていると言っても過言ではない。

 奥に設けられた台に登ると、すでに他の武人が集まっていた。

「……なんだ、どうしてお前がいるんだ」

 烏崎の姿を見て俺は思わずそう言った。こいつは俺と同い年だ。本来なら弟子を取る資格はないはず。

「なんでって、弟子を取るために決まってるだろ。大将から特別に弟子を取る許可をもらったんだよ」

 武衛府の大将は、烏崎の親戚。だからこいつは贔屓にされている。

「お前こそなんでここにいるんだよ」

「何でって、弟子を取るために決まってるだろ。王女様が許可をくれたんだよ」

 俺が言うと、烏崎はけっと唾を飛ばして露骨に不機嫌な顔をした。

「王女様に気に入られていい気になりやがって」

「そりゃ俺のセリフだ。お前の弟子なんて、かわいそうで仕方ない」

 俺はあえて烏崎から一番遠い席に座った。

 それから少しして、試験の監督官である棍中将がやってきた。ちなみにこいつも大将の一派で、その<腰巾着ぶり>は宮殿内でも有名だ。大した武功もなく、武術の腕前も三流なのに、中将と言うのだから呆れるものだ。

「さて、今回はどれだけ優秀な者がいるかな」

 と、中将が広場に集まった人間を見渡して言った。

「……おい、あそこ」

 と、突然、受験者の中の一人を指差す。

 俺もつられて目線を向けると、そこには一人の少女がいた。

 ――赤眼の少女だった。

 奴隷階級である<奴婢>よりも、さらに低い身分とされるのが<赤眼>だ。

 人にあって人にあらず。この国ではそんな存在とされている。

「赤眼が武人の試験を受けようってか。こりゃまた不謹慎なやつですね」

 と烏崎。

「全くだ。都に足を踏み入れるだけでも罪なのに、役人なろうなんて」

 と中将は舌打ちをした。

「もうちょっとお乳が膨らんでから出直せば、遊女くらいにはなれるかもしれませんが」

 別の武人が高笑いしながら言った。それに周りの腰巾着軍団も笑った。

「つまみ出しましょうか」

 と烏崎が中将に言うが、少将は首を振った。

「そうしたいのは山々だが、身分に関わらず試験を受けさせよとの王命だ。試験を受けさせないわけにはいかない」

「全く、やれやれですね」

 そして定刻になり、中将が広場に宣言する。

「それでは、試験を始める!」

 試験は、二科目行われる。

 一つ目は、各々が会得した<形>を披露するもの。

 二つ目は、武人との木刀を使った組手だ。

「まずは、<形>の試験から始める。名前を呼ばれた順番に前に出てきて、得意の<形>を披露せよ」

 <形>は武人が使う異能の技である。才能のある者が修行の末に身につけられるもので、人智を超えた神業だである。

「御堂ユキ」

 真っ先に呼ばれたその名前を聞いて、俺は驚いた。

 ――御堂といえば一条家や三条家と並び立つ上級貴族である。

「しかし、大納言様によく似て整った顔立ちをしておりますな」

 烏崎が、隣の武人に耳打ちしたのが聞こえた。御堂大納言の娘、つまり左大臣の孫だ。

 武人の世界は、役人の中でももっとも<実力主義>の色合いが強い。しかしそれは他の役職に比べて、という話だ。貴族が圧倒的に有利なことに変わりはない。

 左大臣の孫となれば、彼女の出世は間違いない。彼女には<別の道>が用意されているのだ。

 しかし、それにしても幼い。先ほどの赤眼の少女もそうだったが、せいぜい十二、三歳といったところだろう。こんな幼気な少女が、武人として勇ましく戦う姿は全く想像できないが。

「それでは、得意の形を披露せよ」

 ユキは銀色の瞳で俺たちを一瞥したあと、広場の中央に置かれてる岩を見据え、刀を抜く。

 ――その瞬間、俺は認識を改めた。その瞳が、まさしく命を賭した戦いを知っている者のそれだったからだ。

 そして、ユキはすっと刀を握った拳を耳の後ろに引っ張り、切っ先をまっすぐ向ける。

 この独特の構えは――

「神影流、奥義」

 次の瞬間、刃が青白く光る。

 そして、少女はその構えのまま駆け出し、跳躍し――――刀を岩に向かって突き出した。

「――天流、乱星」

 刀の切っ先が岩に触れた瞬間、岩が文字通り粉々になって吹き飛んだ。一拍おいて爆音が鳴り響く。 

「こりゃすごいな」

 中将が呟く。

 神影流は、一部の貴族にのみ伝わる武術で、会得が極めて難しいとされている。その中でも奥義とされているのが<天流乱星>だ。会得している人間は、都でも数名程度という奥義の中の奥義だ。

 それを、こんな幼い少女が会得しているとは。まさしく驚嘆の一言だった。

「……下がりなさい」

 中将の言葉に、ユキはさっと刀をしまって、一礼してから下がった。

 見ていた他の武人たちも、口にしたり、あるいは表情に出したりして、ユキの優秀さをたたえた。

 ――そして、中将がわざとらしく咳払いをして、次の受験者の名前を呼んだ。

「――スグ」

 名前だけが呼ばれた。苗字を持たないので賎民だとわかった。

 ――そして、前に出てきたのはあの幼い赤眼の少女だった。

 未だかつて、赤眼が武人になった例はない。科挙は貴族でさえ合格できるとは限らないのに、人でさえない赤眼が武人になれるはずがない――それはあまりに当たり前のことだ。

 いくら幼いとはいえ、それくらいのことはわかるだろう。

 それでも試験を受けにきた。ということは、それなりに――常識をひっくり返す程度には武術の腕には自信があるのだろう。

 果たして、どれほどの技を見せてくれるのか――

 だが、次の瞬間赤眼の少女は思いもよらぬ言葉を放った。

「わたし、形は一つも使えません」

 なに?

 武人になるための試験なのに、形を一つも使えないだと?

「からかっているのか」

 いつもなら賎民に対して蔑みの視線を送る中将が、今は呆れ返ったという表情を浮かべた。

 だが、それに対して少女はまっすぐな目線で返す。

「形が使えないと、大将になれないなんて、聞いたことがありません」

 ――少女の言葉に、武人だけでなく、試験を受けにきた者たちにも衝撃を与えた。

 今なんと言った。

 大将になる、だと。

 大将は、武衛府や近衛府の長官職。貴族の中の貴族だけに認められた地位だ。

 確かに平民でも――そして今や蔑まれる賎民でさえ、才能があれば武人になることはできる。だが、言うまでもなく貴族でない者が大将(かみ)や中将・少将(すけ)になった例はない。

 貴族は生まれ持っての貴族。

 平民は生まれ持っての平民。

 賎民は生まれ持っての賎民。

 そして赤眼は、言うまでもなく、生まれ持っての赤眼なのだから。

 だが、それにも関わらず、少女は大将になると言った。強い者が大将になるはずだという、あまりにも幼稚な発想からだろう。

「賎民のガキが、しかも形を使えない奴が、大将になるだと? ええい、もう良い。下がれ」

 中将が唾を飛ばしながら言った。スグは大人しく後ろに下がる。

 全くもって、とんでもないことを言う奴がいたもんだ。

 形は使えない。

 しかも身分は赤眼。人間とさえされない身分。

 それなのに、この国の頂点の一つであるである大将になると。

「狂ってるな」

 と、ある武人が口にした。

 全く持って同感だが――

 彼女の思いは否定できまい。

 ――俺もその狂った人間の一人なのだから。


 ◇

 

「それでは、木刀を使った組手の試験を始める」

 形の披露会が終わり、今度は実践的な試験に移る。

 木刀を使った組手だ。

 流石に生身の人間との戦いで、形をぶっ放し合うわけにはいかないので、形は禁止。純粋な体術のみで戦う。

「それでは――御堂ユキ」

 先ほど形の披露で神影流の奥義を見せた天才少女の名前が真っ先に呼ばれた。

「白河リュウ。お前が相手をしろ」

 中将が、右側の口角を上げて言った。

 あわよくば、俺がユキに負けて、恥をかけばいいと思っているのだろう。

「承知しました」

 俺は羽織を脱いで、見物席から広場へと降りていく。

 雑用係から木刀受け取り、少女と向き合う。

 貴族特有の銀色の瞳でにらみつけてくる。まだ幼いとはいえ、その目は戦士の目をしていた。

 お手並み拝見だ。

「さぁ、かかってこい」

 少女は返事をするもことなく、代わりに木刀の切っ先をこちらに向けて、半歩右足を下げた。

 しばしの沈黙。そして、前触れなく唐突に彼女は動き出した。勢いよく地面を蹴って斬りかかってくる。

 意外に早い。それが素直な感想だった。

 ――と言っても、斬りかかってくる方向も威力も予想の範囲内だ。

 俺はあえて彼女の一撃を真っ正面から受ける。

 カンッっと木がぶつかる甲高い音が広場に鳴り響いた。その一撃は、小さな体から生み出されたにしては重たいものだった。その一撃で、彼女には平凡な武人と同じぐらいの実力があることを理解した。

 彼女は自分の攻撃が真正面から完璧に受け止められたことに一瞬驚いたが、すぐさま次の攻撃に移る。

 次々繰り出される斬撃は切れ目がない。力任せにではなく、摂理に従って剣を振っている。

 俺が同じくらいの歳の時はこんな風には動けなかった。

 ――だが、さすがに剣師である俺を脅かすほどではない。

 俺は彼女を攻撃を全て見切って、受け流していく。

 普通なら、自分の攻撃がことごとく受け止められれば平静ではいられないだろうが、彼女はその後も淡々と、しかし全力で打ち込んできた。

 結局ユキの攻撃は二十買いほど続いた。だが攻撃が通る気配がないことを感じたのか、ユキは一旦間合いを取った。

「俺に勝てないのはわかっただろ。だから、形を使っていいぞ」

 俺がそう言うと彼女は眉がピクッと動いた。

 決して挑発でそう言ってるのではなかった。そうではなくむしろ彼女の力を認めたからこそ、彼女の全力が見たいと思ったのだ。

 だが彼女はそれを挑発と受け取ったようだ。その瞳に殺気とはまた違う別の感情がにじむ。

 両手を耳の後ろに持ってくる、神影流の構え。

 ――天流乱星を放つ気だ。隠す気など全くない。受け止めきれるものなら受け止めてみろと言わんばかりだ。

 確かに、天流乱星は、俺の知り得る限り最高の攻撃力を誇っている。正面からぶつかればひとたまりもない――普通は。

 彼女の剣が青白く光る。その光は次の瞬間俺に向かってまっすぐ向かってきた。

 それに対して――俺もまた――両手を耳の後ろまで引き、そして、

「「天流乱星!」」

 俺の声と、彼女の声が共鳴してこだました。

 剣の切っ先がぶつかる瞬間に見えた彼女の表情は、驚きに満ちていた。

 轟音を立てて青い光がぶつかり、次の瞬間、ユキの木刀が砕け、彼女は振りかぶったのとは逆の方向に吹き飛んだ。

 ――相手は幼い少女だ。もちろん相当に手加減をしたから、大きな怪我をするようなことはないはずだ。

 実際、少女はうまく受け身をとって衝撃を緩和していた。高価そうな服が泥で台無しになってはいたが、体のほうは無傷だった。

 わずかに数秒ののち、ユキは立ち上がり、そしてこちらを睨みつけて言った。

「なぜその技をあなたが」

 それは当然の疑問だろう。なにせ神影流は、ごく一部の上級貴族にのみ伝わる奥義。

 それを、俺みたいな平民が突然使えば驚くのは当然だ。

「俺、だいたいの普通の(・・・)形は全部会得してるんだよね」

 俺は驚愕の表情を浮かべる少女を残して、観客席に戻る。

 席に着くと、いきなり烏崎が声をかけてきた。

「さすが<守りのリュウ>は違うな」

 守りのリュウというのは俺に対する蔑称だ。別に俺が防御に優れているという話ではない。

 武術を極める時には<守破離>の三段階を踏むという考え方がある。

 まずは他人を真似る「守」。

 そして真似たものに、独自の改良を加える「破」。

 最後にそこから、今までになかったものを作る「離」。

 これが武術を極める基本の形になるというのだ。

 <守りのリュウ>は、この守破離の「守」から来ている。

 俺は多くの流派の形を習得してきた。が、そこから独自の改良を加えたり、新たな形を生み出したりということはあまりしていない。それで、人の真似をしてばかりだという意味で<守りのリュウ>と呼ばれているのだ。

 まぁ、好きにほざいていろって話だ。

「では次――スグ」

 と、苗字を持たない賤民の少女が呼ばれた。

 その姿に、武人はもちろん、他の参加者――奴婢でさえ、蔑んだ視線を送る。

 だが、彼女は毅然と背筋を伸ばして前に歩みでた。

「私が相手をしましょう」

 そう名乗り出たのは烏崎だった。

「平民に任せると、手加減しないとも限らないですからね」

 と、烏崎は俺の方を一瞥からしてから広場に降りていった。

 ――どさくさに紛れて、いたいけな少女をいたぶるような真似をするのではないかと心配になった。

「少々痛い目を見るかもな」

 と烏崎は、賎民の少女に向かってそう言った。

「貧しい身分で、武人になろうとした罪を償うんだ」

 貴族という輩は、平民や賎民には何をしてもいいと思っているものだ。相手が少女だろうと関係はない。

 いざとなれば、止めなければ――と思ったが。

 次の瞬間。

「わたしは、武人になろうとしているんじゃありません」

 と、赤眼の少女は透き通った声で宣言した。

「わたしは、大将軍になるんです」

 その様子を見ていた武人や受験者たちから、どっと笑いが怒る。 

 だが、スグはそれを気にした風はなく――突然思ってもみなかった行動に出た。

 木刀を地面投げ捨てたのだ。

「何の真似だ」

 烏崎は怪訝な表情を浮かべて問うた。

 するとスグは言う。

「素手であなたに勝ってみせます」

 ――悪い冗談か。

 どれだけ体術に自信があるかは知らないが、しかし武人相手に武器を手放すなど。

 確かに烏崎は二流だが、それでも剣師の端くれ。剣を持ってさえ勝てないであろうに、自分だけ丸腰で戦うなんて、何を考えて入るんだ。

「……その無礼、殺されても文句は言えないぞ」

 怒りに燃えた表情を浮かべる烏崎。

 お互いに木刀を構えて、対峙する。

 ――烏崎は自分から動いた。

 目にも止まるの早さで距離を詰め、最低限の動作で刀を振り落とす。そこには一切の手加減はなかった。もしそのまま直撃すれば、いくら木刀でもただではすまない。

 ――だが、次の瞬間、思ってもみなかったことが起きた。

 スグは最初全く動かなかった。

 だが、刀が自らに振り下ろされる瞬間になって、突然ひらりと体をひねって、その斬撃をかわしてみせたのだ。

 烏崎の表情が一瞬濁るが、それでも攻撃の手を緩めなかったのはさすがか。

 空振りしたあと、最低限の動きで二の太刀を繰り出す。だがスグは次の攻撃も紙一重のところでかわした。そして次も、その次も、完璧にかわしてみせた。

 いくら木刀とはいえ、剣師の振るうそれをまともにくらえば、ひとたまりもない。それなのに、少女は文字通り紙一重で攻撃を避け続ける。わずかにでも動作が遅れれば、たちまちの小さな体が凹むことになるというのに、そこに恐れは全く見られない。

 そうまるで――どこから攻撃されるのか分かっているかのようなそんな動きだった。

 観客席がザワつき始める。

 烏崎の表情にも焦りが見えた。

 烏崎は二流だが、それでも人並みの力はある。それなのに10歳そこらの少女に攻撃を当てることができないでいるのだ。

 そして、烏崎は二十回ほど剣をふるったところで、一旦間合いを取り、息を整えた。

 それを平然と見つめる赤眼の少女は、淡々と事実を伝える。

「あなたの攻撃は絶対に当たりません」

 自信があるというよりは、それが世の中の摂理だと言わんばかりの断定的な口調だった。

「なんだとッ……」

 愚弄されたと感じたのだろう。烏崎は再び刀を握り直して、振りかぶった。

 だが、それに対して――ついに、スグが反撃にでた。彼女の小さな掌底が――烏崎の手首を撫でる。そして、そのまま横滑りして、そして木刀の柄に触れた。そして烏崎の手から木刀がするりと奪われ、そしてその流れのままに体を回転させて右足のかかとを烏崎の腹に叩き込む。

 小さい体でも、その全ての体重がまっすぐ攻撃に乗れば、威力は絶大だ。烏崎は腹を抱え込んで、地面にうずくまる。

 スグは、奪った木刀を再び地面に投げ捨てて、そして烏崎を見下ろした。

「あなたの殺気は丸見えです」

 烏崎は腹を抱えたまま、なんとか視線を上げて、スグの瞳を――その紅い瞳を見た。

「まさか……」

 ――星読みの眼。

 敵の殺気を、脳裏に浮かべて、攻撃を先読みする。

 そんな力があることは、書物を読んだことがある。

 だがまさかこうして現実に実在しているとは思いもしなかった。

 少女は形が一切使えないと言った。それで一体どうやって戦うのだと思ったが、しかし敵の攻撃が全て読み切れるのであれば、確かに戦いようはある。

 スグは勝負ありとばかりに、烏崎を一瞥してから、後ろに下がった。烏崎はしばらく呆然としていたが、なんとか立ち上がって席に戻ってくる。

 ――意気消沈した烏崎に、話しかける者はいなかった。

 その姿を見ていると、いい気味で気分が晴れる。せっかくだから、普段散々嫌味を言われたり妨害されている恨みを晴らしたいところだが……

 しかし、今はやらなければいけないことがある。

「中将、私もあの子と戦います。いいですね?」

 俺が言うと、中将は返すべき言葉が見つからない様子だったので、その沈黙を肯定と受け取って、下へと降りていった。大方、同じ派閥の烏崎が完敗した相手に、俺が勝ったりすれば面子が立たないということと、武人の名誉を守るために誰かがスグに勝たないといけないという思いが交錯しているのだろう。

 ――だが俺は何も自分の力を示したいから戦うのではない。

「スグ、俺と勝負しろ」

 俺が呼びかけると、赤眼の少女は再び前に出てきた。

 そして俺を一瞥すると、先ほど捨てた木刀を拾い上げ、それを身中に構えた。流石に、俺相手に丸腰では勝てないと判断したようだ。

 俺は小さく息を吐いて、そして、木刀を握る手の内を整える。

 彼女に星読みの眼があり、俺の攻撃が全て読まれているとしたら――一見勝ち目はないように思える。

 だが――

 体の中で気を練っていく。

 しばらくお互いににらみ合い、間合いを取る。

 奇襲をかけりはしない。そんな小細工は無意味。

 ただ、自分の中で、最高の一撃を出せる時を待っているのだ。

 そして、自分の中で意識がただの一点に集まった――瞬間、俺は自然と駆け出した。

 ただ、まっすぐ斬り込む――

 スグは、今度は烏崎にしたように避けたりしなかった――いや、できないはずだ。

 代わりにスグも同じように剣を振りかぶる。

 ――まっすぐに刀と刀がぶつかる。わずかな衝撃、しかしお互いにそれ以上の衝突は自然と忌避してそのまま斬りぬける。

 すぐさま向き直り、お互いの瞳を見つめる。

 やはり――

 俺は自分の<作戦>が正しかったことを確信した。

 自分の攻撃が筒抜けでも、対等にやり合うたった一つの方法。それは、敵を圧倒するような渾身の攻撃を繰り出すことだ。

 例えば、雷が自分に落ちてきたら、それが例え予期できたとしても防ぐことはできないだろう。いくら事前にわかったところで防ぐ術がないのだから。

 それと同じで、わかっていても、どうしようもないくらいの攻撃を繰り出せば、いくら攻撃を読まれても問題はない――。

 だが、予想外だったのは、俺の渾身の攻撃を彼女がしっかりと迎撃してきたことだ。

 今の攻撃は、正真正銘俺の本気の一振りだった。俺の本気の一撃を、まさかのあの小さい体が受け止められるはずがないとたかを括っていたが、彼女は見事に受け切って見せたのだ。

 ――純粋な体術でも、俺はこの少女に勝てないのか。

 今すぐに降参して引き上げたいところだったが、しかし少しでも隙を見せれば、その瞬間に頭をかち割られるだろう。

 ――今度はあちらから動いてきた。まっすぐに、けれどやはりどこにも隙のない斬撃。俺はそれを真正面から受け止める。

 刀が触れ合った瞬間、お互いの<重み>が体に伝わっていく。

 さっきよりもさらに重いッ!

 ――こんな小さい体のどっからこんな重みが出てくるんだ。

 なんとか斬り流して、攻撃の勢いを四方に散らす。だが、スグは攻撃の手を緩めなかった。さらに返す刀でもう一撃。よどみも、妥協も一切ない攻撃だ。

 俺は、それに対して全力の攻撃で返す。

 攻撃は最大の防御――死なない方法は、全力で斬り返すことだけだ。

 だが、彼女の攻撃は少しずつではあるが重みをましている。

 ――共鳴。

 高次元の者同士が真剣に斬り合ったときに、お互いの力が引き出される現象だ。

 当然俺も彼女によって力を引き出されている――だが、その割合は彼女の方がわずかに上だった。

 今はまだギリギリのところで均衡を保っているが、一撃、もう一撃と刀を交わすたび、少しずつではあるが、その差は広がっていく。

 そして――

 繰り出された一撃。彼女の紅い瞳が光った。

 俺も渾身の力で切り返すが――

 重みに耐えられず手の内がわずかに崩れた。結果、彼女の斬撃を芯で受けきることができず――俺の木刀は彼女に斬り折られた。

 ――勝負ありだ。

 完敗だった。

「……俺の負けだ」

 素直に負けを認め、踵を返す。

 折れた木刀の柄を地面に投げ捨て、乱れた服を整えながら、なるべく毅然と席に戻っていく。


 @


 赤眼の少女が二人の剣師を下した衝撃的な組手のあと、周りの者はまるでそれがなかったかのように振る舞い、試験は定刻通りに終了した。

 試験が終わった後、受験者たちは解散し、試験官の武人たちは選考のために王宮へと戻る。

「今回の志望者はまぁまぁだったな」

 総括の中将がそう口にして、選考が始まった。

 選考と言っても、仕組みは単純で、それぞれの武人が弟子にとりたいと思った人を指名するという仕組みだ。指名が被った場合は話し合いが行われるが、基本的には位階が上の武人の希望が優先される。

「御堂のご令嬢は私が面倒を見たいと思っています」

 会議が始まるなり、烏崎が一番乗りでそう宣言した。御堂家の後ろ盾で出世してきた烏崎が、御堂ユキの師匠になるのはある意味当然の流れだ。むしろ、御堂の娘もその前提で試験を受けに来たに違いない。

「わずか12歳にして神陰流の奥義を会得したその才能は計り知れません」

「その通り。さすがは御堂家のご令嬢だ。将来、大将になること間違いなしだ」

 と、腰巾着の中将も褒め称える。

 確かに、俺の目から見ても、それなりの才能があるのは間違いない。

「では、御堂のご令嬢は、烏崎に任せるということで異論はないな」

 もちろん、口を挟むものなどいるはずもなかった。

「では、次に――」

 その後も、各々の武人が弟子にしたい受験者を宣言していく。

 そして――あらかたの武人が希望を出し終え、沈黙が会議室を支配した。

 ――赤眼の少女を――剣師に勝ったあの天才を、弟子にとりたいという者は現れなかった。

 弟子が武人になれば、それは師匠の功績になり、出世にも影響する。武人にとって、優秀な弟子は喉から出が出るほど欲しいものだ。

 それなのに、誰一人少女の師匠になると言わないのは――その身分を忌避しているのだ。

「それでは、希望も出尽くしたところで……」

 と中将が閉会を宣言しようとした時――

「待ってください」

 俺はこの会議が始まってから初めて口を開いた。

「なんだ?」

 中将が不機嫌そうな表情を浮かべる。

「スグは、私が面倒を見ます」

 俺が言うと、ほとんど条件反射のように中将が顔を歪めて言う。

「お前、正気か?」

 それに、烏崎も続く。

「バカは休み休み言え。赤眼が役人なれるわけがないだろ?」

 武人はただの戦士ではない。王朝に遣え、官位を授かる武官だ。

 確かに文官に比べれば実力主義の世界ではあるが、いくらなんでも「人でさえない赤眼」が武人になれるはずがない。それはおそらくここにいる全ての人間の認識だろう。

 だが、

「王様のお達しを――王命を、みなさまお忘れですか」

 俺が言うと、武人たちは黙り込んだ。

 昨年、王は国力を増強するため、身分を問わず優秀な者を登用せよとのお達しを出した。

 つまり、赤眼であっても優秀であれば役人にする。それが王命だ。

 もちろん、それは大きな反発を生んでいるが、王命はこの国において最も強い力を持つ。

 王命に逆らえば、それがたとえ叛逆などでなかったとしても、大罪になる。

 貴族なら官位剥奪、平民なら賎民に身分を落とされ、賎民なら死罪――それが王命に背く代償だ。

 剣師だろうが、大将だろうが、王命には逆らえない。

「今日からあの子は私の弟子です。いいですね」

 俺が言うと、中将は沈黙で答えた。


 ◇


 会議を終えるなり、俺は雑用係にスグの――これから俺の弟子になる人間の居場所を聞き出した。

 都の宿ではなく、少し離れたところにある賎民集落に泊まっているとのことだったので、馬を借りて走らせた。

 都の南に馬を走らせ、林に沿って行くと、粗末な建物が並ぶ集落にたどり着いた。

 赤眼は街に住むことはできないので、こうして街の外れに集落を作っていることが多いのだ。

 俺は手頃な村人を捕まえて尋ねる。

「宿があると聞いているがどこだ?」

「こちらでございます」

 案内されたのは、宿というか、家畜用の小屋のような建物だった。木の壁はパッと見ても隙間が空いているし、屋根の藁もボロボロで雨風をしのげているとは思えなかった。

「おい、スグはいるか?」

 外から呼びかけると、扉がゆっくりと開き、紅い目をした少女が姿を現した。

 こうして近くで見ると本当に小さな女の子で、とても烏崎を素手で倒したとは思えなかった。

 スグは、刀を差した俺の姿を見て、自分が試験に合格したことを悟ったようだ。言葉はないが、安堵の表情を浮かべたようだ。

「今日から、お前の師匠になる、白河リュウだ」

 だが、俺がそう言うと、スグの表情が濁った。

「あなたが……師匠に?」

「そうだ」

 斬り合っていた時は、あれほど感情を見せなかった少女が、今は露骨に不満を表明していた。

 そして、次の一言でその理由がわかった。

「てっきりもっと強い人が師匠になるのかと思っていました」

 ピキッとこめかみが動く。

 誰も引き取り手がいないところを、平民最年少で剣師に昇格した俺が師匠になってやろうというのに。まさか弱いやつ扱いされるとは

 子供とはいえ、全くもって無礼極まりない。

「はは。なかなか生意気なことを言うじゃないか」

 しかし。俺もいい大人だ。ここは一つ寛大な気持ちで、笑ってでその場を収めることにする。

 ――だが、それに対してスグは無表情のままこう返す。

「でも、事実でしょう。武人は師匠から強くなる方法を教わるのですから、自分より弱い人に弟子入りしても得るものがありません」

 なんと無礼な子だろう。

 確かに、組手で負けはした。だが、あれは形なしでの戦いだ。本気で殺し合いをすれば、俺の方が強いに決まっている。

「……とにかく、お前は俺の弟子になって武人になるのか、それともこのまま貧しいままでいるのか、どっちなんだ。一応言っておくが、王宮に俺より強い武人はいないし、他のもっと弱い奴らもお前を弟子にとりたいとは言わなかったぞ」

 俺が言うと、少女は沈黙する。そして、少し考えて――結局頭を下げた。

「とりあえず、よろしくお願いします」

 ……とりあえずってなんだ、とりあえずって。

 しばいてやりたい。


 @


 それから俺はスグを連れて都に戻る。

「弟子を取ったから、手続きをしてくれ」

 武衛府の事務室にいきそう言うと、係の人間は目を丸くした。

「弟子って、まさか、その子ですか?」

「他に誰かいるか? あいにく霊感がないので、この子以外の人間がいることを感じられないが」

「……、赤眼を武人にするんですか?」

「何か問題があるか?」

「問題どころかそれ以前の……」

「お前は、例えば身分が低くても有能なものは登用せよとの王命を忘れたのか」

 俺が言うと、男はハッとして、そしてそそくさと手続きを始めた。

 ……この手の反応は全くもって予想通りだった。おそらくこれから行く先々で同じやり取りを繰り返すことになるのだろう。

 卑しい者を弟子にせよとの王女様の後ろ盾があってのこととは言え、毎日このやり取りをするかと思うと気が滅入る。

 登録を済ませた後、その足で一条ゴウ――師匠の元へ向かう。

 扉を叩くと、すぐに返事が返ってきた。 

「弟子を取った報告にきました」

 俺がそう言うと、師匠は笑みを浮かべた。

「まさかこんなに早く弟子を取るとはな」

 その顔に、スグを蔑む感情は全く見られなかった。ゴウはもともと身分というものに全くもってこだわらない性格で、「王様以外は全員同じ」くらいに思っている変わり者だった。まぁ、だから出世できないのだが。

「こちらが、一条少将だ。俺の師匠。つまり、お前の大師匠ってわけだ」

 俺が言うと、スグは無言で頭を下げた。

「君の噂は聞いているぞ。烏崎とリュウ、二人の剣師を左手の小指一本で倒したと宮中でも話題になっている」

 スグは何も答えなかった。相手が高級役人だから緊張しているのか、あるいはそもそも口下手なのか。

 だが、黙り込むスグに対して、特に気を悪くした風もなく、ゴウは続けた。

「ここは一つ、今度、私も君に剣を教わることにしよう」

 とゴウは豪快に笑いながら言った。普通に考えれば冗談なのだが、もしかしたら本気で教わるかもしれないと思うわせるのがこの中年だった。

「ところで、弟子を取ったら家族に紹介するのが習わしだが」

 武人にとって、弟子は家族に準ずるものだ。それゆえ弟子をとった際には、まず自分の家族に紹介し、契りの酒を酌み交わすのが習わしだった。だが、俺には紹介すべき父も母もいない。

「もしお前がよければ、うちに来てもいいんだぞ」

 親のいない俺にとって、師匠は本当の家族に一番近い存在だ。それゆえ、師匠の家族に俺の弟子を紹介するのは、もはや当然のことのようにも思える。

 だが、まずは俺の<本当の家族>に会わせてからが良いだろう。

「ありがとうございます。でも、まずは姉に合わせようと思っています」

 俺が言うと、

「……金はあるのか?」

 金がないと言えば、多分金を出してくれるだろうと思った。それが師匠の性格だ。

「貯金を使おうと思います。昇進して俸禄も上がりましたからちょっとくらい大丈夫です」

「ならば、それが良いな。だが、その後で、うちにも来てくれ。別に<家族>は何人いても構わないだろう」

「ええ、もちろんです」

 と、ゴウはおもむろに机の上に置かれていた束から、一枚の紙を俺に差し出した。

「姉に会いに行くのであれば、ちょうど次の任務は都合がいいな」

 受け取ると、俺の次の仕事の内容が書かれていた。

「弓の国で最近、魔物が出て民を襲っているのは知っているな」

「ええ、もちろん」

「それで応援要請があった。天羽に二人よこして欲しいと言われているんだが、とりあえず一人目はお前に任せる」

 天羽は弓の国の第二の街だ。俺の姉は弓国城の近くに住んでいるので、確かに渡りに船だ。

「任期は最長四週間、ですか」

「ああ、常駐の武人が負傷してな。代わりを探しているところで、お前はそれまでの繋ぎだな」

 こういう風に地方で人が足りなくなった時に穴埋めをするのも武衛府の主要な仕事だ。

「急ですまないが、今街には一人も武人がいない状態だから、急いで向かってくれ」

「それでは、早速明日から向かいます」

「ああ、頼んだ。気をつけてな」

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