第23話『そして彼を見送ってあげよう』

 綺麗だなあ。

 あの水ようかんが、光りの中で解けていく。少しずつ、少しずつ。それは世界に遍く広がり、大地も、海も、空も、果ての宇宙までをも白く染め上げていく。


「人の気持ちか」

「いわなければ分からないし、いってもわからんものだなあ」


 ふたりは、彼女が抱いていた想いについては口にしない。それがそうだったと気が付いたにしても、言葉にした瞬間に彼女の思いが嘘になるような、秘しておきたい想いだと感じているようだった。


「これにて完結」


 僕は呆然と光りと白に還る世界に見入るふたりのもとに近づき、ナグルファルを胸ポケットから取り出す。


「執風先生?」

「ハヤテ?」

「軸の方はシロエに、キャップの方はクロエかな」


 僕は、シロエの右耳の後ろに復活してきている角の部分にペン軸を添えると、撫でるように馴染ませる。同じように、クロエの左耳にキャップを馴染ませると、ふたりの両角は短いながらも立派な輝きを取り戻す。


「うん。これでいいや」


 僕は、解け逝く自分の体を感じていた。


「ちょっと、体が!」

「――そうか、完結は、この世界の完結はハヤテの魂も……」


 そういうこと。


「僕の最期の夢が叶ったよ」


 短い付き合いだったが、濃厚な時間だったな。

 でも、僕の最期の夢。


「もういっかい見たかったものがあってさ」


 ああ、だめだ。

 もうそれが見えなくなってきた。

 それでもなお、またこれを見たいと思うから、作家は業が深い。


「面白かったよね、シロエ」


 彼女に手を差し伸べる。


「よく頑張ったね、クロエ」


 彼女にも手を差し出す。


「うん」


 ふたりは握り返してきてくれる。

 そう。この満足をもういっかい味わって死にたかった。

 ようやく死ねる。

 後悔も無念はないが、「ああもうちょっと書きたいなあ」という思いは残る。これは仕方がない。もういっかい思うが、作家の業だ。


「この先、君たちがどのような世界を作るか分からない。けど、失敗したと感じても、そこに生きる魂のためにも必ず完結させろよ。まあ、なかなか完結まで書けなかった俺が言えることじゃないが」

「うん」

「うん」


 手の感覚がだんだんなくなってきたな。


「私ができるのはここまで。あとは自由に。命への冒涜をせぬような、立派な創世の竜に、見守りの竜に、看取りの竜になってくださいね。もっとも、そんなドラゴンに最期に看取られる栄誉を得られただけでも、いい経験。でも、活かすのは……生まれ変わりがあるなら次の人生ですかね」

「業が深いな」

「それが、作家の――創作者の囚われか」

「死ねばそこまで。あとは無ですよ」


 ふたりの竜は、互いに目配せをする。


「安心しろ、死ぬまで手を握っていてやる。真っ暗な部屋で、誰もそばにいない中で死なせることはしないよ」

「ああ、そういえばそんな死に方してましたね私。これもロスタイム、有難いことです。可愛い竜娘に看取って貰える。ああ、これは幸運。うん。妻に申し訳ないが、まあいまさらかねえ。はっはっは」


 目も、だんだんと見えなくなってきました。

 肉体が死んでるわけではないのでしょう。死んだ肉体から離れていた魂が、光りとなって解けている輝きの中にいるからでしょうね。


「双子の竜が作る世界、応援していますよ」

「うん。うん」


 それがどちらの言葉だったのか私には分かりません。

 ああ、感覚もすべてが温かく感じてきました。

 こんな商売をしてきた男の最期の最期として考えると、果報者だといわざるを得ません。


わたしたちも、すぐに逝く。ありがとう、親切な小説家。けだし、文士を名乗るに値する豪傑、文豪であったと私だけは認めてあげる」


 これは嬉しい。

 文豪か。

 贈り名として、頂戴していこう。


「では」


 私はついぞ叶わなかったもうひとつの夢。今際の際でいいたかった決まり文句を口にする。


「執風ハヤテ先生の次回作にご期待ください」


 ふたりは頷いてくれたような気がした。

 光りの中でそれを確かに感じ、そして私の命は暗い闇の中へ。

 光は真実を照らす心の息吹。

 闇は安寧をもたらす畏怖の歌。


「ああ、面白い話のネタがこんなときに思いつくんだもんなあ……」


 ほんとに、寝る前っていっつもこうなんだ。

 そう、寝る前は――いつも――…………。

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