第21話『あの夢を思い出そう』

 僕の右にシロエ。

 僕の左にはクロエ先生。

 三人横一列に座り、遠くのスクリーンのみが見える暗い映画館。ポップコーンや飲み物はなしだ。


「お義父さんとの出会いは、赤ちゃんの頃。王国が南の共和国との戦いをしていた頃。異界からの魔物を率いて攻めてきた共和国軍の魔法使いを倒すため、剣士バランが奇襲をかけた。並居る魔物と兵士をくぐり抜け一騎打ちで魔法使いを倒したとき、生け贄にされそうだった私をみつけてくれた」


 共和国は豪族の合議制。ガーランドの手引きだろう。手の者に操りやすい魔物を与え、戦をしかけさせたのが裏事情。その狙いは、誘拐したアリシアを剣士バランに見つけさせるため。

 剣士バランは流れの冒険者だったがこの戦いにより怪我を負い、冒険者引退の際に救国の報酬を頂戴したのを幸いに、アリシアを引き取り養生生活を送ることになったという。


「男手ひとつで私を育てるのは大変だったらしいけれど、となりのエンティマイヤおじさんも同じような身の上だったらしく、助け合うように頑張ったと、よく聞かされたわ」


 可愛い女の子だった。魔法使いエンティマイヤの記憶だろう。娘のサラと、アリシアの成長がスライドショウのように流れていく。僕は魔筆からの情報で知っていたが、こうして当事者から聞かされると受ける印象は変わる。


「私が物心ついたときに、体を治しきったお義父さんは兵士長に抜擢された。共和国への鬼瓦、睨みを利かせるための勇者。戦争自体は終わっていたし、お給料をもらいたいから引き受けたらしい。いつも自宅にいたお義父さんが外に出て働くようになって、寂しかったなあ」


 わかる。いや、バランさんの気持ちがよく分かる。

 十年も経てば報酬も心許なくなるだろうし、住む場所と大金の報酬をもらったとはいえ、子を育てるにあたってはお金がいくらあっても足りないのだ。大金が欲しいのではない。定期的な収入という誘いが断れなくなるのだ。

 わかる。すっごくわかる。定収入の誘惑。

 糸を引いていたのはガーランド。生け贄の聖女をそこそこ遠く、そこそこ近い場所で健やかに、正しく、文武両道で育てなければならない。この環境こそ理想だったんだろう。

 エンティマイヤ家の事情も、もしかしたら悪魔が糸を引いていた可能性はある。というか、引いていただろうな。あの悪魔に関しては読める。


「十歳になったら王国の子供は親からの教育を離れ、いろんな職業の親方師匠のもとで働きながら勉強をする倣わし。魔法の師匠に、作法の勉強、武者修行で砂漠や遺跡へ戦いに赴いたこともあったなあ」


 思い出は温かいものだった。この気持ちは、兵士長になったバランのものだろう。彼だけじゃない。アリシアを取り巻く色々な人の気持ちだろう。

 魔筆で知ったような気持ちになっていたけれど、この温かさは分からなかった。文字で伝えることの難しさを痛感する。

 剣はバランさんが教えていたみたいだ。彼が開いてる訓練場に通っているアリシアと、騎士の家に生まれた淑女の倣いとして通い始めたカーシャ。ふたりの出会いもまた必然だったんだろう。

 アリシア、カーシャ、そしてサラ。

 三人は切磋琢磨しながら成長していく。喜怒哀楽。隠しようもない感情の中、それでも三人はともに大人へと成長していく。


「師匠のもとで勉強をしているときに、留学の話が持ち上がった」


 アリシアが先生ではなく師匠と呼ぶのは、魔法使いの老人のことだ。その師匠が、覚えのよいアリシアを魔法王国に留学体験をさせようと動いたらしい。魔道に触れること、そしてアリシアに深く魔へと傾いてもらうためにガーランドが促したのだろう。


「サラといっしょに魔法王国に。彼女は王国蔵書と研究の坩堝、魔法学園に入り浸り。私は……王国から勧められた魔道次元学問への研究を求められていたけれど、その中でこの世界を見守る竜の存在に気がついたの」


 左右から「あ、わたしのこと……」と声が漏れる。

 映画館ではお静かに。

 しかし、余程の逸材だったのだろう。ガーランドも、まさか魔界とこの世界を繋げるためのえにしを構成するためにアリシアに学ばせようとした学問から、よもや未熟な竜とはいえこの世の根幹にたどり着くとは思わなかっただろう。

 隣の世界を識る学問から、この世界の裏側を識ることになったらしい。


「彼女の城は、魔法王国の一番高い霊峰の座標の裏。興味本位で赴いたのだけれど、あの可愛い竜は温かく迎え入れてくれたわ」


 かつてひとりだった頃の見守りの竜。名前は、なかった。名前はなかったが、アリシアは「ドラゴンさん」と彼女を呼んで、彼女は「アリシアちゃん」と呼び返していた。


「魔法王国にはない滅びた国の禁書、べつの次元のさまざまな知識が詰まりに詰まった書物などを収めた書庫があって、入り浸るように読みふけったわ。それでも『本当の禁書』は見せてくれなかったけれど」


 本当の禁書って、エロ本のことだったんじゃねえのぁぁぁぁああああああああああ痛い! 左右から腿抓られてる! 逃げられないし声出せないしひどくない? 考えただけだよ!?


「そこは時間の流れが変だったな。一日過ごしても、数分だったこともあったわ。留学時間のひと月を、次元学と彼女の城で費やした。私の秘密のお友達。誰にも言わないでねと念を押すくせに、ひといちばい寂しがりやの見守りの竜。一生分話した気もするし、まるで話し足りない気もする、不思議な、夢みたいな時間」


 アリシアの述懐と共にスクリーンに映し出される映像以上に、情報の心が染み入ってくる。ああなるほど、これは失ったふたりの竜が求めていた記憶の断片か。


「別れ際に、夢を語り合ったの。お互いナイショにしようって。心の底に隠しておかなきゃならない、本音の本音。誰にも奪わせたくない、本当の夢を」


 ――これか。

 正解はもともとシロエたちが持っていたんだ。

 そして映像が切り替わる。

 別れのシーンだ。本当の夢を交換したときのものだ。


「私はお義父さんやサラ、カーシャや師匠たち、ガキ大将のアレンやピート、メリアちゃんやディード、ランカスターやペリーヌちゃん、いろんな大切な人たちと、戦争のない国で仲良く暮らしたい」


 これが彼女の語った、彼女アリシア自身の夢。

 嘘偽りなく、彼女が語った夢だ。

 しかし、これが叶わなかったから。あの滅びを迎えたから、見守りの竜である彼女は、彼女たちは、その無念を晴らすために――もしもの世界ものがたりを作ったんだ。新しい世界を作るためのリソースを使ってでも、そのもしもを見たいために。見せたいために。


『私は、新しい世界を自分で作りたい。少しでも優しい世界を。残酷な命の連環はあるだろうが、少しでも優しい世界を作りたい。いちばん愚かで移ろいやすいニンゲンという生き物の姿に近寄ったこの肉体、この心だからこそ思うのだろうが。アリシアの魂を継ぐ者が、心から笑えるようにするのが夢だ』


 アリシアは目を丸くした。

 

 彼女の本当の幸せを、本質的に見抜いていたのだろうか。


「別れた私たちはそれから会うことはなかったけれど、いまも友達。一緒に暮らすことは無理だというのが悲しかったけれど、きっとすべてを看取る彼女の方が悲しいはず。あの別れが、ちょうどいいのかもしれない。――ただ、世界の裏に閉じこもってばかりいないで、少しは外の世界? 表の世界で命と交流しないとなーって思う。筋金入りの引きこもりだものね。次の世界では、頑張って欲しいなあ」


 竜が知識の象徴という一面は本当だったと彼女は納得したが、最後まで禁書中の禁書は見せて貰えなかったらしい。イラストものや漫画も多かったんだから、見せても内容がバレバレなのが恥ずかしかったんだろうな。


「そして、十八の収穫祭。成人式。自分の進路を決める国の祭り」


 ……そういうものらしい。

 彼女は才女に成長していた。文武に優れた、器量よしに。カーシャも、サラも、そのときにはもう自らが進む道を決めていたが、アリシアは決めかねていた。どうしようか。なにをしようかと。


『大人になったら、独り暮らしを始めるのかい?』

「ん……。どうしようかなって」


 兵士長バラン。四十を迎えそうな、渋い表情で彼女に尋ねる。街の警邏の手伝いをするまえの、夕食の時間だ。決断の日まで僅かという時分。


『そうか。……しかし、君がきてから俺の人生は一変した。聞いてくれるかい? アリシア』

「お義父さん? ……はい。聞かせてください」


 大人になる娘に。巣立つ前に語りたい様々なこと。親なら、旅立とうとする子にはなむけとして色々あるものだ。

 ――?

 やはり、魔筆が鳴る。

 聞こえぬ悲鳴だ。

 感じられるのは僕だけのようだが、スクリーンから目を離すことはできない。

 バラン兵士長は、殺伐とした剣士時代の自分が嫌いだったという。殺すことでしか自分の価値を認めて貰えなかった中、出会った赤子であるアリシアを、命を育てることで自分に足りなかったものを取り戻せたと。

 娘への感謝だった。

 育ってくれた事への祈りだった。


「お義父さんが泣いてるところ、久しぶりに見たわ」

『なんか、歳なのかな。ちっちゃかった君が大きくなるのを思い出していくとね。こんなに温かい気持ちになれるなんて思わなかった。大事な娘だ。……大きくなった。綺麗になったね、アリシア』

「ふふ。小さい頃は怪我したり病気になるたびに泣いてたじゃない。歳のせいにして、もう。お義父さんはまだまだ若いでしょう」


 言葉にできない苦労もあったろう。愛憎喜怒哀楽、娘に抱いた気持ちはそれでも愛が大きく勝っていた。

 いい家族だったんだな。


「お義父さん」

『ん?』

「私からも――」


 彼女が、父への感謝を口にしようと居住まいを正す。


「お義父さん、これからも私と親子でいてくれますか?」

『もちろんだよ。ずっと、ずっと親子さ。君が、アリシアが僕をお父さんと呼んでくれるなら、こんなに嬉しいことはないよ』


 ふたりの、嬉しそうな表情。

 温かい。

 熱いくらいだ。


「そしてそのあとは私は宮廷官吏としての道を選び、カーシャが正式に騎士に志願。サラは魔法王国に魔道を修めに派遣されることを選んだ。……そのあとは、皆が知ってるとおり――」


 スクリーンが暗転する。スタッフロールだ。すべてのキャラクターの名前が流れる中で、バックで滅びの映像が流れる。

 寒い感情だ。

 凍えるくらいに。

 ガーランドの思惑はついに露見することなく、魔界とこの世を繋げた。いち早く対応したバランやカーシャも、数少ない生き残りを率いて脱出しようとしたが、瘴気と魔獣に殺され、娘と妹アリシアに命と魂を蹂躙されたのだ。

 そして、長い長い命同士の戦い。悪魔たちの収穫。

 最後は妙齢の女魔術師サラ=エンティマイヤの大魔術で斃されるアリシア。

 そこで、エンドマーク。

 上映が終わり、館内にあかりが戻ってくる。


「少女の人生のダイジェストか」


 僕はようやく声を出す。


「皆で仲良く平和に暮らしたいという願いを、どうしても叶えてやりたかった。生まれ直す前に、その光景を彼女に見せて上げたかった。どうすればあんな世界にならなかったのかを。正解を見つけたかったんだ」


 クロエ先生が零す。

 シロエも俯いている。


「私は、それでも傍観者だったんだろう。残念に思うも、次の世界でうまくいくよう祈る。冷たいのかな、氷の白だからシロエなのかな、私は」

「馬鹿言うな。それでも彼女の幸せな顔を見たいと思ったから、夢を取り戻そうと頑張ってきたんだろう? 自分のも、彼女のも。冷たくないよ。綺麗なんだ、どこまでも」

「それでは私が情念渦巻く淀んだ存在みたいじゃないか執風先生。そこはどう慰めてくれるんだ?」

「それはまたあとでね」


 僕は立ち上がる。

 腰を伸ばして、抓られた腿をさする。

 さて、なんとなくだった答えが分かった気がする。


「ううむ、しかしわからない。どうしたらいいんだろう……」

「いっそアリシアが誘拐され魔術の生け贄にされる前に戻って阻止するのはどうだろうか。シロエ、リソースは余裕あるか?」

「うむ、それも手だな。世界ものがたりを作るにはクロエの協力が必要だ、一緒にやってくれるか?」


 ん? ふたりで盛り上がってるようだ。

 確かにこの思い出を見たら、感情の温かさを受けたら、あてられて熱くもなるだろう。


「ふたりとも、問題はそこじゃないよ」

「ああん? 枯れたお爺ちゃんが何を言うのだ。気合いを入れて、昔々に戻らないと大本の原因をだなってアヒッ!」

「はい、そこまで」


 僕は魔筆をおでこに刺してシロエを黙らせる。痛くないはず、たぶん。


「どういうことだ? 文士執風ハヤテには、物語が見えたのか? アリシアが後悔しない未来を拓く物語が」


 クロエ先生は冷静だった。

 僕は頷く。

 シロエは目を丸くする。


「もちろん。戻るのは、あの日、あのとき。あの場所だ」


 アリシアという少女の心に刺さった、たったひとつの棘。

 その後悔が無念の大本だと思う。

 そして、そのほうが面白いと思った。


「さて、もったいつけてはいられないな」


 僕の右手がヒュっと魔筆を打ち振るう。

 あったことを感受するための映画館ではいけない。人生は舞台だといった作家が昔いたが、けだし、名言だったかもしれない。誰しも主役で、誰しもが観客なんだ。


「これは、劇場?」とシロエ。


 俺は頷く。そう、こいつはアリシアが最期の主役を演じるための大舞台だ。小ぢんまりしたセットだが、彼女の人生を賭けるべき戦場であり、これ以上はない見せ所だろう。


「これって――」クロエ先生は言葉を詰まらせます。


 私がこの情景を選んだことに、ふたりは考えが追いつかない様子でした。当然でしょう。これはこの三人の中に於いて、私だから気がついたことだと思いますから。


「じゃあ始めましょう。脚本と舞台監督は僭越ながら私が務めます。シロエとクロエは、友人として、友人たちの代表として観客席で見ていてください」


 ふたりはその場に残ります。

 私は舞台に進みます。

 役者に演技指導をしないといけませんが、やることは余りありません。役者のふたりの思い出と感情を設えて、容れ物を作り、やり直してもらうだけ。

 優しい嘘と残酷な気遣いが交錯した、あの一瞬をやり直すために。

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