第20話『とりあえず釘を刺しておこう』

「私が海辺で途方に暮れていたのは、つまりこういうわけなんだ」

「百聞は一見にしかずだなあ」


 クロエ先生の言葉に、僕はすり鉢状になった世界の中心で渦巻く暗澹たる何かを目にし、やっと理解したんだ。これをシロエ先生は……やっぱシロエに敬称せんせいは無理だな、シロエでいいや。シロエはこれを空から見たんだろう。

 差し渡し2キロもないだろうこの世界には、使い損なったものやコピーしたと思われるすべてが淀んでいた。情念は様々な色を持っているが、色と光の三原色よろしく、皆集まるとこの世界のように白くなったり黒くなったりする。世界は白で、あの混沌とした塊は黒だ。

 なんかウネウネしてるのは、生き物だからだろう。


「でかいな、やはり」

「シロエ、あれをどう見る?」

「ん~、思いつきの塊を核とした、自分が知ってる知識と経験で上手く形作ろうとしてうまく形にならないまま捏ねてたらなんだかとっちらかりすぎてお蔵入りにした物語になりかけた何か……かなあ」


 言っておいて、聞いておいて、シロエも僕もクロエ先生も心にダメージを負う。なんでだろうね。うふふ。


「だがあれはヤバいな。物語として動き出す力に溢れているが、方向性がまったく決まってないから歪に膨張している。力を持った未完の物語のすべてが、災いを振りまきかねない」

「ここだともう誰も残ってないから被害は出ないが、早めに片付けるしかないな」


 クロエ先生が途方に暮れていたのも当然だ。これはさすがに手に余る。余程の達者でも、快刀乱麻を断つが如き筆は振るえないだろう。

 しかし、あの状態のアレを放っておいて、被害者が出ないというのは違う。


「力ってのは、消費あってこそ発揮されるものだ。あのままだと、魂が食い潰されて消え失せる。そうなれば、みんな死ねずに、ただ消え去るだけだ」

「それはだめだ!」


 白と黒が同時にすがりつく。

 ん、ここはなんとかしてやりたいところだ。

 しかし、白い皿に乗っかったコーヒーゼリーみたいな絵面だ。いや、もっと濃いな。皿に乗った水ようかんだ。プルプルしてそうだ。というかプルプルしてる。


「ともあれ、あの中心に干渉してなんとかする他はないんじゃないかなあ。まずはプロットの整理! 読み解き! 把握! 並べ替え! ……そして、取捨選択」


 僕はビシッと指さし、促す。


「でも、干渉って。物語の中ではないので私には何もできないぞ」

「私もどう物語にしたらいいのか分からないので手が出せないんだ」

「ふっふっふ。ふたりとも、確かに竜の力ではどうもならんと思うけど、僕にはこれがあるんだな、これが」


 竜の角から生まれた、創作魂をインクに変える魔筆ナグルファル。随分と助けられたツールだが、現実を侵食する物語に対抗できる唯一の道具だろう。現実から物語に干渉できる唯一の道具と言い換えてもいい。


「なるほど、それなら」

「幾多の物語リソースを取り込んできたその魔筆ならあるいは……」

「チュートリアルは充分に済ませてきたからね。さ、まずはアイツをこれで見て取るか。……しかし、遠いな」


 スケールでかいけど、単純に真ん中まで1キロくらいあるし、あのアレだって何百メートルあるか分からないでかさだ。


「よし、じゃあ飛んでいこう」とシロエ。

「うむ」とクロエ先生。

「んぁ?」と僕。


 気がついたら左右の手を白と黒に掴まれて、万歳するような格好で空を飛んでいた。飛んでいたというか、滑空している。


「こんなアスレチック、孫と一緒にやって以来だあああああああああああっはっはっはっはあああああああ」


 この肝というかおしっこ漏れちゃいそうになる感覚、空飛ぶより感覚的にリアルだからものすごいな。思わず笑いが出る。

 そしてそのままスーっと行って、さくっと降りる。


「やっぱでけー……」


 唸る。見上げるばかりの丸い水ようかん。

 しかし、その情念、愛憎怨喜怒哀楽の力は恐ろしいくらいだ。喰ったら腹壊すだろうな。


「よし、さっそく見るか」


 僕はキャップを外した魔筆の先を、その表面に接触させる。


「意外にも、反応がないな。こう、接触した瞬間にものすごいエネルギーがボカーンって流れ込んできたりブワーって取り込もうとしてきたりすると思ってたんだが」

「回収してきた力が整っているからだろう」


 とクロエ先生が僕の魔筆を執る右手にそっと己が右手を添え、しみじみと呟く。


「どれだけ私が無駄にしてきたか痛感する」

「無駄だとしたら、僕らはこんなに彼らを知ることはできなかったでしょう。話は結ばれていなかったが、闊達に動く彼ら彼女らは魅力的だった」


 別にフォローしたつもりはない。正直な感想だ。よかれと思い用意された容れ物、クロエ先生の愛情と真面目さあってこそだろう。


「すべてひっくるめて、物語を整えよう。……わたしだって、諦めたくないんだ。友達が滅ぼしたこの世界は残念だったが、本当に彼女がしたかったことを見たい。その気持ちからは、目を背けられない」


 シロエも、僕の手に自分の手を添えてくる。


「じゃあ、読み解こう。いくら風呂敷がでかくても、畳んでやればいいだけだ」


 頷き合うふたりに、僕は「んじゃ、やるか」と瞑目。魔筆に魂を注ぎ込む。

 渦巻く魂の奔流に流されそうになるが、向かうは着地点。この話が、恐らく核となる純粋なアリシアの魂が何を願うかを探ろう。僕らが向かうのは奥底で、底で、まさにそこだ。

 黒い情念が、緩やかに広がる。密度を薄くしながら、しかし情景を増しながら、広く広く、世界が広がる。かなりキツいが、ふたりを心配させてはならない。執筆の苦しみは読者には関係がないのだから。


「ともあれ、でかい風呂敷を綺麗に畳む前には、いっかい広げてやらんといかんものね。――さて、今の彼女は自分の状況をどう把握してるかだが」


 と、そのとき。

 糸のようなものが頬を掠めた気がした。

 次いで、硫黄の匂い。


「シロエ、クロエ先生、どうやらこの世界リアルの崩壊は、まだもう少しだけ残っていたようだ」


 そこここに時間も距離も関係がない。

 いま僕らがいるのは、あの破滅の王国。

 あの数万丈の奈落の奥底。

 瘴気と噴煙渦巻く、人が生きられぬ魔核の領域。


「アリシアちゃんだ」


 あのアリシアが、いまだ囚われたままの姿、魔を産む母、堕落の魔女の成れの果てとして拘束されている。

 そしてその横には、よく知る悪魔だ。まだ人の姿をしている。


「イシイス=ガーランド」と僕。

「おかしな生き物が紛れ込んでいるな」と、悪魔。


 そう、彼は残滓でもなければ物語でもない。この世を侵略し、吸い尽くし、魔界へと帰っていったはずの本物の彼だ。


「竜は、次なる世界の苗。殺しはせん、殺せもせん。貴重な存在だ。が、貴様はなんだ? ただの人間にしか見えぬが」

「執風ハヤテ、作家だったものだ。ちょっとした手違いで新しく世界を作るこのふたりが手間取っていてさ。の世界でと思う決着をつけなければ次の世界が作れないと言い始めてね」

「なるほど、それはそれは」


 僕は魔筆の力を総動員して白と黒の竜を抑えるのに必死だった。彼女らの力では、悪魔は倒せない。


「外世界からの監督者スーパーバイザーか。ふむ? どうやら貴様の世界は魅力的に見えるが……」

「元気な世界だからな。……とりあえず、お前はもう用がないだろう。帰ってくれ、自分の世界に」


 悪魔は肩をすくめる。


「そうもいかんさ」


 彼はアリシアの強い無念、その象徴たるいまの彼女の姿に手を当てると、こちらをみてニヤリと笑う。


「わたしは饗されたものはすべて平らげる性質でね。まだ残ってるじゃないか、極上の魂が」

「貴様!!」


 吠えたのは、どちらの竜だったか。

 しかし、彼女らの実力を知る悪魔はカラカラと笑うのみだ。そして僕の力など端から脅威に思っていない様子で隙だらけだ。

 ヒョロっとしてるし、こんな格好だし、冴えない顔だし。


「喰うって、彼女の魂の残滓をかい?」

「その魔筆に在るすべての残滓をさ」


 こともなげに答える悪魔。


「残念だが、そうもいかん。普通なら、魔神ガーランド、君の思うように事は進むだろう。しかし、いまは駄目だ。もうダメだ。なにをやったってもうだめだ。諦めろ」


 瞬間、小さい魔力が僕の頬を掠める。

 ああ知ってる。お前はそうやってすぐに死ぬような目には合わさない。そして次に右に二歩歩いて僕の頬を確かめる。そう、そうやって。さらに僕の頬に傷がないことと、僕が全然怖がってないことに戸惑いを覚える。


「なに?」

「そう、そんなふうに」


 僕は竜娘たちの視線に「大丈夫」と答えると、ガーランドにつかつかと近づく。怖くはない。怖いはずがないんだ。


「動けないだろう? もうしゃべれないだろう?」


 ガーランドは、固まっていた。ストップモーションを強いられている。


「当然だ。この世界リアルはそもそも竜の物語。竜こそ未熟だが、その力を用いるスキルがあるなら、君くらいならわけもない。それが、見守りの竜の力だからね」


 今更いったところで仕方がないのだろう。

 ガーランドや竜娘たちは、ここで派手な一戦が繰り広げられると思っていたのかもしれないが、悪魔の思惑には流れない。つまらないからだ。そんな話より、面白い話はいくらでもあるだろう。


「僕の、俺の、私の、私たちの物語には君というキャラクターは必要ありません。有り体に言えば、ボツですね」


 彼の額に魔筆を。物語上で一杯やった行動ですが、現実の彼にはこれが初めて。しかし、どうということはありません。ひたすらに彼のキャラや設定を読み解いてきた私になら、どちらにせよ同じような物です。


「魔核はここでしたね。では、さようなら。意趣返しはしません、あなたは帰します。ただ覚えておいて欲しい。これだけは覚えておいて欲しい。必ず肝に銘じておいて欲しい」

「――――!」

「あなたの設定から、あなたたちの在り様の設定もすべて理解しました。今後、彼女らの作る世界や私の大切な者たちが住む世界に少しでも手を出そうものなら、あなたたちは滅びることになります。ざ・えんど。打ち切りです」


 釘は刺しておきましょう。なあに、病原体には薬がつきもの。竜娘たちが作るこれからの世界への予防接種です。限りなく痛い注射でしたが、次に活かしましょう。

 忠告の釘を魔核に刺した私は、ペン先で彼をこの世界の裏に放り投げます。あとは勝手に帰っていくでしょう。上手くすれば、彼が彼の世界に持ち帰った僕の設定が機能し、意趣返しができるかもという淡い期待も込めて。


「と、少々邪魔が入りましたが、ここがアリシアさんの心の奥底。私の、俺の、僕らが完結させる最初の物語の始まる場所だ」

「あー……。わ、?」

「んー……。?」

の顔に何か付いてる?」


 ふたりはフルフルと首を振る。


「執風先生って、容れ物がだからけど、中身はやっぱり老獪な文士なのね」

「少し評価を改めねばならないな」


 何の話?


「魔筆の力の話だ。ハヤテのナグルファル、現実から物語、物語から現実、現実を物語として干渉書き換える、なんでもアリなんだなとな」

原稿料リソース次第で何でも書くよ」


 白いのと黒いのが「うわー」って引いてる。

 もともとあんたらの力ですよこれ。


「あんなどうでもいい悪魔のことは忘れて、いまは彼女の心と向き合おう」


 僕らは頷き合い、アリシアであったものの姿に近づく。

 ここに至るまで、何があったのかいっぱい見てきたよ。僕も、シロエも。そして、誰よりも多くクロエ先生も。


「ほんとうにあったらどうだったか。そんなの物語を、作ろう」

「うん。改めて、手を貸して欲しい……執風先生」

「ここまできたらあたりまえだろう? ハヤテだって知っててにやにやしてるんだ」

「腰はやめてッ! え、肩もやめてッ! ふたり同時にはやめてッ!」


 痛い痛い。

 僕は仕切り直して、魔筆を彼女に当てる。


「君はそんな姿でいたらいけない。戻るよ、アリシアちゃん」

「どの時代まで?」とシロエ。

「思い出を遡ってきたから……もしかして」とクロエ先生。


 そのとおり。


「彼女の人生を、順に見ていくよ」


 僕はさっと筆を振るう。

 アリシアの醜く墜ちた魔女の姿が柔らかく温かい光りに解けていく。周囲の瘴気魔煙も、光りとなる。

 その光りはさらに温かく、爽やかな風に運ばれる。


「思い出を巡る旅。彼女の昔話を聞かせてもらおう。そうすれば、ふたりとも、彼女が本当に望んでいたことが分かると思う」


 聞こえたかな?

 この世界の中、ふたりの姿は見えない。だけど感じてるはずだ。

 僕は自分の憶測の補足のため。竜娘たちはそもそもの彼女の幸せに気がつくため。


「さあ、世界が出来上がる。広い世界は要らない。彼女の思い出を見る劇場で充分だろう」


 筆を一閃。

 あたりは暗く、光はスクリーンへと集まる。

 座席はみっつ。

 語る言葉は、あまりいらない。

 劇場ではお静かに願います。

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