第16話『登場人物紹介を整理しよう』
三人は一列縦隊を組んで迷宮の中を進んでいた。
一番前をアリシア、真ん中はサラ。いちばん後ろをガーランドが担っている。各々が腰に発光石をくくりつけているため、影が大きく揺れるものの光源は良好、視界もはっきりしている。
先が見えて20メートルほど。まだ道は真っ直ぐなのでそのあたりまでは見通せる。続く御影石の床。劣化が少ないのはそのように作られたからだと三人とも感じている。微かな圧迫感を感じたからだ。
「魔力、かしら。微弱なのでどんな効果があるかまでは分からないけれど」
「経年劣化を防ぐ類いだな」
この類いのものはあなたの方が詳しいのでしょう? といった具合にアリシアに問われたので、えへんとばかりにサラが答える。
ちなみに半分壁にめり込むような位置から僕がシロエに耳打ちしてるんだよね。他にも「わりと強めに退魔の陣を書き込んでる」と教えて上げてる。ほら、ガーランドなんかは足裏が結界に触れてピリピリしてるのをなんとなく隠してる。
「これはまた、屋敷の近くにこんなものが残っていたとは」
ポーカーフェイスとは、無表情無感情のことだけではない。そのような状況にあったときに、そのように嘘を振る舞えるかというものも含まれる。感情を読めぬ装いと、感情を誤認させる装い。このふたつがそれなんだ。達人見てるとホントよく分かる。
「ほい、ちょいと栞はさむね」
と、僕は物語にストップモーション。
魔筆を使って物語とリアルを切り離す。
完全に止まった物語の中で、僕とサラ――僕とシロエは目次のページまでいったん戻る。すべて滅びた世界の灰の中の、あの空気が肺にまで染みこんでいく。ここは僕にとっても半分以上はリアルなのだなあ。
「ふぃー。しかし、こんな格好をするのは初めてだ」
「お、やっぱりここに来るともとのシロエの姿になるのか。いやはや、けっこう似合ってるよ」
「そうか?」
と、彼女は白い姿で革鎧を着込んだ例のローブを翻す。金の飾緖が揺れるが、うん、なかなか可愛い。サイズが少し合わないけど。特に以下略。
いろんな服を着させてあげることもできそうだな。サイズが合う限りだけど。
「確認のために、人物紹介をまとめておく。ガーランドの魂を状況で揺さぶり、その反応から新しく引き出せた情報を魔筆で吸った。ということで、いったん創作ノートに整理する」
「ずいぶんかかったな」
「そっちでは何日か経ってるけど、僕からはほんの少しの時間しか経ってないよ? 読者が文庫一冊読むのに掛かる時間と、作品内で登場人物が経験する時間は違うもんだろう」
「むむ。なりきりが過ぎると消耗も激しくなるということか」
少し疲れてるのかもな。ここは休憩と行こう。
「よし、じゃあ整理しよう」
僕は魔筆で登場人物紹介を整理していく。ここが埋まっていくと、物語のリソースが上手く活用できるようになる上に、今後の方針も定めやすい。それぞれのキャラクターのこの物語の着地点を確認できるようになるからだ。
つまり、穴あきの人物紹介を埋めたとき、エンディングへの道が明らかになる。
「しかしダンジョンものになるんなら名探偵のスキルじゃなく、不死の戦士シグレのスキルのままの方がよかったんじゃないか? 普通あの状況だったら館推理ミステリーものとして物語った方が自然だろう」
「いいんだよ細かいことは。初めの設定で書き出しても完成品は意図しない着地を見せるものなんだって。いいじゃん探偵がダンジョン潜ったって。裏話知ってる僕らなら『もっとこうした方が~』ってなるけど、読者やキャラから見たらちゃんとファンタジーものになってるんだぞ」
「ほんとにぃ~?」
ほんとです。たぶん。
「よし、じゃあまずは――アリシアちゃんから行くか」
アリシア――兵士長バランを義父として育った成人女性。文武両道の逸材として周囲から期待され、身寄りのない自分を育ててくれたみんなのためにイシイス=ガーランドとの縁談を進められているが……?
「え、そうなの?」
と、これは覗き込んできたシロエ。
縁談に乗り気ではないのは伺えたが、こうして公式な紹介文に載るということは、乗り気ではないというより縁談そのものを嫌がってるんだろうか。
なぜだ? 文章最後の『……?』がカギだろうか。
いや。
ちがうな。
「どうした、文士さまよ」
「名探偵さまには分からない? いや、名探偵さまにもわからんか」
「楽屋裏でスキルは発揮できない。それができるのは創作者だけだ」
なるほどなー。
「じゃあ次、イシイス=ガーランド」
ガーランド――幸せなで不本意な結婚を経たアリシアを魔に堕とすために、数千年をかけて彼女の血脈を作り出した悪魔。用意周到な隠蔽で事を為してきたが、把握していない遺跡が見つかり陰謀の露見を恐れている。
「これは感嘆だな。ガーランド一族、まあ彼ひとりのことなんだけど、その血脈経歴に悪魔の手先という懸念を世に与えれば勝ちだ。それっぽいのを用意して揺さぶろう。そしてその嘘――ある意味ホントの言い訳を、名探偵平安名光太郎得意のごり押しと都合のいい展開で潰していく」
「そうすれば縁談も潰れ、ガーランドも失脚。ともすれば滅びの道も……」
「シロエ?」
「……いや。ほんとうにガーランドとアリシアの婚姻がなければ、アリシアが悪に堕ちることはなかったのかと、少し思っただけ。そうすればもっと私の世界は、私が母から受け継いだこの世界は続いていたのかなって」
彼女の中から抜け落ちた記憶というリソースの中には、滅び行くまでの彼女の無念と後悔も含まれている。悲しい思い出すら、奪われたんだろう。慈悲と言えなくもないが、筆が鈍らなければそういう思い出も力になるのを、僕はよく知っている。
「あれからを、これからを知らないのが凄く悲しい」
「わかるよ」
「わかるの?」
「歳を取るとね、大事な思い出も思い出しにくくなるんだ。なかなか開かない引き出しに収められた、大切なもの。それがどんなものだったか分からなくなる悲しさは、僕だって経験してるよ」
思い出す。
「僕はもう人生を全うして死んでるんだよ?」
「っ。そうだった――」
暗い顔になる。
どうせクロエ先生みたいに死にゆき浄化還元される
「僕は合意のもとここにいて筆を振るってるんだ。気にしないで。それに、この世界がすんなり終わらなかったら見守り看取りの竜も死ぬことができないんだろう? 新しい
「それはそうだが」
うじうじしてる。
竜の成長スパンも、よくわからない。
情緒という意味では、
同年代の友達や、善意や悪意に晒されないといけないのかもな。竜にはそれができないからキツいとこだけど。まあ僕がいなくなった先で上手くやってくれればいいや。
これから少し過酷かもな、とは思うけど。そこはもう、彼女の物語だもの。
「赤ちゃんが遠慮してるのはなんかこう据わりが悪いな」
「赤ちゃんいうな」
「赤ちゃんの役を読み解こうかねえ。さて、どうしよう――」
サラ=エンティマイヤ――魔法王国から魔神の気配を調査する任務を与えられた魔術師。親友との旅行の際、聖剣火山の伝承から古代遺跡を見つけ、調査に向かう。
「とりあえずこんなもんかな?」
「着地点とするなら、もう一押ししてくれてもいいぞ」
サラ=エンティマイヤ――魔法王国から魔神の陰謀を調査・阻止する任務を与えられた魔術師。親友との旅行の際、聖剣火山の伝承から古代遺跡を見つけ、調査に向かう。
「こんな感じ?」
「いいねいいね。……サラの力量に載せられる設定ってなんかあるか?」
「ガチンコでガーランドと殴り合うとか?」
「全力の魔神が放った爆炎魔法とかに匹敵するやつとか」
「かー、リソースが多ければナー! もっと原稿料があったらな~!!」
「作者の力量よりも勝ることを要求した
「僕のファンなんだよね? シロエちゃん」
いいよるわ。
まあいい。ここは設定を書き直して、多少戦えるようにしておくか……。
「ん?」
「どうしたセンセイさん」
「いや――」
少し気がついたことがある。
シロエも僕の本気の表情に真面目な話だと察したのだろう。顔を寄せてくる。
「まさか原稿料がないのに今気がついたとか?」
「そうじゃねえよ真面目な話なんだヨっ! というか改めて言われると泣きたくなるなその現実」
「この物語はフィクションであり、以下略」
「この版元極悪だ……」
やはり竜って……。
まあいい。
「いやな、不鮮明なのはアリシアちゃんのほうがなかなかになかなかでね。なんだろう、本当は何をどう思ってるんだろうか。そもそもの悪墜ちのきっかけは、もしかしたら違うのかもしれない」
「どういうことだ?」
「この物語も、クロエ先生が解決を見出せずに捨てた世界だ。ということは、縁談そのものをもしクロエ先生が破談に持ち込むことに成功し、かつ解決を見なくて切り離した世界なら、問題はもっと先にあるのか?」
いや、もっと前か……?
ともあれ、この世界を物語が納得のいく形で完結しなければ、僕らに成長はない。読み解き、謎を追わなきゃならない。
「女心と秋の空か」
「なんだそれ」
「すぐにコロッコロと変わるたとえだよ」
「締め切りみたいに?」
「それな!」
いかん、心の傷が。
ともあれ、アリシアちゃんの動かし方には注意が必要かもしれないな。
「方針を固めよう。このダンジョンに適当にガーランドに繋がる色々を用意しておくから、それらを集めてプレッシャーをかけてやれ」
「殺されやしないかな。逆上したガーランドが無理矢理サラを殺して証拠隠滅を謀り、アリシアを手込めになんて展開だってあるだろう」
「それは、大丈夫だろう」
無理はないが、恐らくそれではダメなんだ。
ただ自分のものにするだけでは、彼女は堕落しない。人間を諦めようとはしないだろう。
だとすればなんだろう。
物語はまだある。焦ってはいけないのかもしれない。
「よし、じゃあ物語に戻るぞ」
「まかせておくがいい。それなりに動いてやる」
「たのむぞ」
「背負ってるのが、執風ハヤテの作った物語のキャラクターだ。安心して任せられるよ」
そういって彼女は栞へと飛んでいく。
嬉しいことを言ってくれるじゃないの。
「……さて」
僕は戻ったシロエを見、彼女が止まった世界で準備しているのを確認する。そしてこっそりと、登場人物紹介の別ページに、シロエ本人のデータを書き記す。これも、魔筆ナグルファルから受けた情報を整理したものだ。
「まだまだ、穴あきの情報だな」
ひどい虫食いだった。
想いだけが残っている、情報の墓場だ。僕はこれを埋めていってあげなければいけない。
なんのために? 読者だから? それはわからない。
だけど僕が、俺が、私が書ける最後の物語であるのならば逃げることはできないでしょう。必ず完結させて、彼女を送り出してあげなければいけません。
さあ、再開しましょう。私の、俺の、僕らの物語をね。
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