恋敵として名乗りを上げよう

第10話『結婚相手は選びましょう』

 あの灰燼の都の有様から、もっと前の話。アリシアの結婚から二年ほど経った頃合いだろう。王都の名前は水晶の都、風光明媚な王国の中心だ。

 かつての英雄、騎士を辞した兵士長バランの娘がアリシアだった。彼女は王国騎士団、カーシャ=キルヒスと共に自宅となった邸宅で午後のお茶を喫しているところだった。


「カーシャ、私さいきん変な夢を見るの」

「変な夢?」


 気軽な口調だ。

 お互いがお互いを信頼してる空気を感じる。顔立ちも似てるところを見ると、そのあたりにも秘密がありそうだ。

 アリシアは大きくなったお腹をさすりながら――妊娠、している――もう臨月間近な大きさのそれを、まるで他人のような顔でさすりながら、彼女は目を伏せて言葉を飲み込む。


「赤ちゃんを産む前は、私たちの母もそうだったと聞くが」


 カーシャがティーカップを置きながら困ったように眉をしかめる。彼女の方が恐らく年上、アリシアは妹分なのだろう。


「カーシャは未婚で、お付き合いしてる男性もいないから……」

「あのなあ」


 気兼ねがないにもほどがある。

 アリシアの悪気のない一言がカーシャの魂をえらく傷つける。武辺者の女騎士がよく陥る状況とはいえ、実際に目の当たりにすると可哀想なことこの上ない。


「で、夢とは?」と、カーシャ。

「昔までは、綺麗なお嫁さんだったわ。……お嫁さんにはなれたけれど」


 アリシアの天然な返しにカーシャは「そうじゃなく」と肩を落とす。鎧を着ていたら盛大にガサリと音を立てていたに違いない。いま彼女が着けているのはあの長剣だけだ。


「もっと昔の夢のこと?」と、アリシア。

「そうじゃなく、さいきん見る変な夢のことだ。切り出してきたのはお前の方だぞ?」

「ああ、そのことね」


 ポンと手を打つアリシア。

 カーシャは気を取り直して聞きの姿勢に入る。アリシアのようなキャラは、基本自分のペースで動くから、生真面目に聞きに控えるカーシャのような堅物には辛いところだろう。

 さらに、妹分だが身分が上になったという経緯を抱えていては特に、だ。


「お腹の子供のことなんだけど」

「男か女かわからないのが不安なのか?」

「そうじゃないのよ」

「夢にまで見る不安なんてそんなものくらいじゃないのか?」


 ちがうわよと眉を寄せるアリシア。

 彼女はぷんぷんと手を振ると、話の姿勢に入る。カーシャのようなキャラは単純な決めつけで問題を終わらせがちだから、ゆるゆると問題を解決したいと思うアリシアのようなキャラとはリズムが合わないことが多い。

 しかし、ギアが噛み合うとすらすらと事が運ぶのもこのタイプたちの特徴だ。


「産まれてこない夢を見るの」

「難産ということか?」

「ううん」


 アリシアは首を振る。「皆はもう産み月近いというけれど、どうもこの子は」ともう一度お腹をさすりながら呟き、「なんか、まだまだ育ち足りないって言ってるようで」と肩を落とす。


「バランさまはじめ、皆が期待している。その重さが原因ではないだろうか。結果を出すということは、実に担い手の心を押しつぶすからな。……まだそのときではないという言い訳を考えたくなるものだ。私もそうだった。騎士叙勲を決める兵士長の試験の日が近づくたびに、『私にはまだ騎士という身分は早い』『その実力はありません』と、先延ばしにする癖があったからな」

「カーシャも?」

「ああ」


 ぬるくなったお茶を喫しながら、カーシャは思い出すように目を閉じる。


「そうなのかなあ」


 心にチクリとした感覚。アリシアが感じるその痛みを感じられる者はいなかっただろう。


「それに、あんなにいい旦那さまをもらったんだ。妬みの目だってあるんだろうし。――気にするな、というのは我慢しろというのに等しいからあまり言いたくはないのだが、そのあたりは杞憂だと思っていい。だいたい何も考えぬ空気を読まないアリシアにしてはずいぶん殊勝な表情じゃないか」

「赤ちゃん産む前はこうなるの! 情緒不安定になるものなの! 他のお姉さま方はみんなそういってるもの」

「まあ母もそういってたしな。……だから、もうすぐ産まれるんじゃないのか? だから不安になるんだ。産まれてこない不安は、産まれてくるからこその情緒不安定が生んでるんだろう」

「そういうことに疎いくせに、納得の言葉ね」

「ほんとお前のそういう所がうらやましいよ」

「殿方紹介しましょうか?」

「ホントうらやましいわよ」


 わかる。

 微妙な空気をカーシャだけが飲み込むと、足音が近づいてくる。

 そして、数度のノック。


「どうぞ」


 アリシアが応えると、カーシャも姿勢を正して咳払い。この邸宅にあえて顔を出すのは、ひとりしかいない。


「おや、お客さまというのはカーシャどのでしたか」

「これはガーランドさま」


 一声かけて入ってきたのは、壮年の美丈夫だった。焦げ茶の長髪を肩まで揺らした、眉が太く、切れ長の目が優しく緩んでいる。イシイス=ガーランド。アリシアの夫にして、王室文官の長。


「さてと」


 僕はここで

 世界は止まり、楽屋裏からシロエ共々、お茶会の部屋に出る。

 僕らは知っている。

 このガーランドという男はこの世界を蝕むためにやってきた悪魔の先兵であり、すべての元凶であることを。


「ただまあ、アリシアの夫だとは思わなかった」

「シロエも知らなかったのかい?」


 僕はつかつかと、このときのガーランドに歩み寄ると、その脳核に直接魔筆ナグルファルで干渉する。この時点の、悪魔のキャラクターがよく読み取れる。しかし、違う世界の、そのまた違う世界のイキモノの思考も読み解けるとはものすごいアイテムだなあ。


「読めたか? ハヤテ」

「読めた。が、説明するにはなかなかに膨大だ」

「なんと? ということは、執筆者だけ把握してればOKという情報せっていか」


 そういうタイプの情報だわな。

 それに、あまりシロエには伝えたくないものもある。


「他のふたりも読んでみよう」


 僕は次いでカーシャに魔筆を使う。――使って、驚いた。


「この子、アリシアの生き別れの姉だ」

「生き別れ? 新事実だな。そういえば『私たちの母もそうだったと聞く』といっていたような気がするが、文字通りふたりのお母さまだったってことか」


 返してアリシアに魔筆を使う。――使って、びっくりした。


「クロエ先生も、この子のお腹の中の赤ちゃんのことは設定し切れていなかったらしい。全く読めないが、母体の魂から読める。今後、この赤子は産まれない。彼女のお腹の中で発芽し、アリシアを蝕み、半年かけてこの国を滅ぼすことになる。――あの、最初の物語のような地獄に変える」

「確かか」

「悪魔の子を孕んだんだ。そういうことだろう」


 この婚姻、何かが臭うな。

 そらまあ臭わない方がおかしい。僕らはあの地獄から遡ってきているんだから、気がついていて当然だ。そう、ガーランドは実に上手くやっている。上手くやりすぎた。だからこの世はこれをきっかけに滅んだんだ。


「参加キャラはあと数人だろうな。キャラクターの入ってないモブは多かろうが、さてどうやってこの話を完結させるかだが」

「どうする? までもどるか?」


 シロエの問いに、僕は頷く。


「この悪魔、なんて余裕だ。もうすでに顔をしている。さてさて、そこをひっくり返すにはやっぱりそうするのが一番かもしれないなあ。でもなあ、うーん」

「何を迷ってるんだ?」


 シロエが女の子だから悩んでるんだよなあ。


「ともあれ、この結婚そのものをご破算にしてやろう」

「うむ、そうこなくてはな!」


 僕はこの物語にきて最初に挟んだ栞を開く。

 兵士長バランの家からアリシアが嫁としてガーランドに嫁ぐ前の、収穫祭へ向けた初夏のあの日に。

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