第9話『殴り合う相手の顔は見ておこう』

 はじめの島の灰に立ち、僕はドレス姿に戻ったシロエの顔色をうかがう。疲れは見えない。さすがは竜娘だ。赤ちゃんだけど。


「どうやらシロエのキャラクターに一度に書き込める設定には上限があるようだ。盛り盛りな設定だとキャパシティーオーバーするらしい。遭遇する物語に対して最適な設定を追加してあげないといかんようですよ、シロエさん」

「キャラクター、設定か~。本当は黒幕であり本丸であるクロエの元にこれからひとっ飛びと言いたいところなのだが、無理そうだったりする?」


 ん~、どうだろうか。

 正直なところ、魔筆のシステム的な扱いは、なるほど執筆に至る術理はパソコンでテキストデータを打つのとあまり変わらない手順だ。ただしそれを支える創作魂モチベーションと、事象を書き換えるリソースが圧倒的に足りないような感じがする。


「捨てられた最果ての記憶、直近の無念でさえこの威力だ。彼女が本気でアリシアの幸福を願うために大本の昔々から世界ものがたりを作っていたとしたら、かなりの強度だろうねえ」

「小さい世界を攻略していって、こちらも成長しなければいけないということか。あれか? 作者の作劇能力とは別の、印税収入とか発行部数の額や桁の違いという感じ?」

「その言葉は僕の創作魂の古傷を抉るからヤメて」


 かろうじて吐血は免れた。

 ピコ手サークルが大手出版と戦うようなものとまでいわれないだけマシだろうか。まあ競合がクロエというほぼ身内の敵だけということもあるし、まずは無視もされないだろう。


「ああ、きたか」


 そう、だからこんなにも早くやってくるんだ。


「これは」


 シロエも素早く感じ取ったようだ。

 真南の空に、はためく翼。色は、漆黒。ここからでも分かるその翼の大きさはシロエのそれを遙かに凌ぐ。持ち主はやはり少女だった。


「クロエなんて名前だから、てっきり全身真っ黒だと思ったが……蹴るなよ、痛いって」

「よく見ろ、あの角」


 ああ、こちらへとゆっくり速度を落として飛んでくるその姿は、褐色のシロエだ。髪は真っ白なところは同じだが、やはり見た目の年齢が高校生ほどに思える。そして、どす黒い一本の角を左耳の上に生やしている。

 褐色か。情念の黒と決意の赤が肌に流れ込んでいるような印象を受ける。……そういう設定なのだろうか。


「この世に生きてる者はもういないとばかり思っていた。シロエ然り、この数年で消え去ったと思ったが」


 ふわりばさりと、しかし灰を散らさぬように優しく降り立つ彼女。


「クロエ」

「久しいな。三年ぶりか」


 シロエとクロエの挨拶。

 しかしシロエは彼女を見ているが、クロエは僕のことを見ている。凄い目だ。本来の竜の力も結構かなりだいぶいっぱいあっちに吸われてるんだろうか。力が違う。気迫じゃない、ビリビリと感じる、格の差だ。

 作家としての格じゃないと信じたいが、この数年でこれだけの物語をしたためてきた作家を侮ることはできない。


「ニンゲンの、オトコだと? 見たところ、シロエに容れ物にくたいを作ってもらったらしいが、中に入っているのは誰だ? この世の魂は私が必要と思った者を除き、すべて世界に還元したはずだが」


 ひりひりとした重圧感が僕を叩く。威嚇、だろうか。

 こういう気迫は、よく知っている。

 竜は誇り高き生き物らしいが、肩で風切るように相手を威嚇するような事態になったことは恐らくないのだろう。傍観者、見守り看取りの竜ともなればだ。

 肩で風を切るのは自由だが、自ずから風を立てるのは、ちと無粋だぞ。


「はじめまして。名乗ってもよろしいでしょうか?」


 敵わぬことと恐れることは、必ずしもイコールじゃない。敬意は払おう。だがしかし彼女は創作で他人の魂を使う困った子だ。少し、釘を刺してやらなきゃいけない。

 そんなクロエは、僕の二歩ほど手前まで歩いてくる。静かな歩みで、灰の大地に足跡も残らない。


「伺いましょう?」


 挑戦的な態度だった。

 こうしてみると背も高い。いやはや、最近の子もけっこう背は高いのだが、異世界の竜の子もなかなかにモデル体型なのだな。


「では」


 一礼して、

 間近まで詰められたクロエも、見ていたシロエも息をのんだ。

 喧嘩をする相手は、よく見なきゃダメだ。こうやって、鼻がくっつくくらいに。相手の目を真っ直ぐのぞき込み。半眼に近く柔らかい瞳で、瞬きを抑えて。


「作家の執風ハヤテ。見守り看取りの竜の末期の願いを聞き、召喚に応じたしがない文士だ」

「執風、ハヤテ……だと!?」

「僕の肉体は死んだ。いまは家で冷たくなっているだろう。もう家族に見つけられた頃かどうか。まあつまり、やってることは君と同じだ。容れ物にキャラクターを込められ、道具としてシロエに協力している」

「ばかな、執風ハヤテといえば『陽炎の戦士たち』の、あの!? 嘘、やだ。なんで!?」


 焦りの顔で二歩ほどクロエは退った。

 しかしやっぱり『陽炎の戦士たち』なのか。まああれが代表作ではあるけど、たまには『抜け忍駆け込み寺』が好きですとかいってほしいもんだ。


「私の大部分はクロエ、そっちに持って行かれたからな。私はその力で新しい世界を画く方を選んだ。クロエの世界ものがたりを解き終わらせるために、そして初仕事である新しい物語の創造せっていを手助けしてもらうために、日本から呼んだのだ!」

「作劇の先生としてか!? ず、ずるいぞシロエ! でもどうせ呼ぶなら映画化いっぱいしてるイギリスのあの方とか呼べばよかったのに!」


 存命です、あの女傑。

 どうせ呼ぶならとかいわない。傷つく。相手は大文豪だけど。ぐぬぬ。


「この三年、がむしゃらに物語せかいを書いては捨てていたお前に言われたくはないぞクロエ」


 おっと、ここにきて貴重なワードが聞こえた。

 なるほど、勝ち目はそこか。


「クロエさん」


 僕はやや右足を引いて彼女のパーソナルスペースの外に出る。これで警戒は薄れるだろう。そして申し出る。


「あなたの目的は、アリシアという女性の無念を晴らす世界を物語ることですね?」

「――」


 無言の警戒が強まる。

 図星を突いて困らせる大人はなんとやらだろうが、ここはずばり『勝ちの条件』とは別に、『着地点』を見極める必要がある。

 簡単に言えば「落としどころをきめて歩み寄らないか」という申し出だ。しかし、このがうまくいくとは思ってはいない。


「執風ハヤテ先生、私はあなたを尊敬している。しかし、彼女の物語は私が自分で考える。そこまで他人の手を借りたくない」


 とまあ、自分の作品に他人の筆が入るのは、譲歩でもなく妥協でもなく、単なる侵略に他ならない。彼女はそう受け止める。僕だってそうだろう。



 あえて、いや、そうするべきだと思って彼女を「先生」と呼び、僕はそこで半歩右足を戻す。互いに二歩の位置だ。

 先生と呼ばれ、彼女にその役割を背負わせる。これは魔筆ナグルファルの力じゃない。自覚の問題であり、意識させる言葉ことのはの力だ。


「な、なんでしょ――なんだ」


 自覚は態度に出る。そして意識は自分の言葉にも縛られる。

 彼女から、対等な気配が伝わってくる。

 あくまで立ち位置なだけだ。見上げる相手なのは間違いがない。


「試行錯誤の果てにいくつの物語を書き捨てたかしらないが、いらないのなら僕がもらう。僕が完結させる。未だ解き放たれていない思い出を集めさせてもらう。繰り返し、閉じられぬ、未完の世界を解き閉じさせてもらう。――これが僕の目的だ」

「書き捨てられた物語をだと!?」

「いまクロエ先生は新作を執筆中なのだろう? 連載をいくつも持つようなキャラではあるまい? 少しでもアリシアさんを救う可能性がある世界ものがたりを思いついたら、そっちに傾倒する」

「………………」


 重い沈黙。それでいい。秀作いうか、ちょっと気合いが入った企画プロットとはそうやって書き散らしていくものだ。僕にも経験がある。


「僕らが君の本拠地に追いつくまでに、クロエ先生、あなたが自分の物語を完結させるなら良し。さもなくば――」

「さもなくば?」


 僕はそこで、笑って一歩退く。


「話くらいは聞いてください」


 ぽかんと、クロエ先生とシロエが口をあんぐりと開ける。


「話を……聞け、と?」

「そこまでやり遂げたのなら、話を聞くくらいの実績には成るだろう? それに」

「それに?」


 これは、単なる完結請け負いだけじゃない。

 やらないといけないのは、これだ。


「先生の書いた物語とキャラクターたちから、プロットや企画を書き出す。本来なら企画プロットから物語を執筆するが、うまくいかない理由は物語から企画プロットに直してみると分かりやすい。きっと、話が閉じない問題はそこにある」

「話がうまく閉じない理由……!? アニメ化されて以降に中だるみし完結まで数年以上かかった、執風ハヤテ著『マジカルパーラー』のことか!」

「げふぅッ!」


 魂が抉られた。

 というかシロエもいま頷きながら「ああ、あれか」っつったな?


「まあそうです」


 認めます。

 若い頃の傑作ですよ。いやほんと。三巻は見逃してください。


「ともあれ、クロエ先生はアリシアさんの魂を救う物語を書きたい。シロエはクロエ先生から力を取り戻し新しい世界を作りたい。そして僕はそのふたつを手伝いたい」

「なんだって?」

「やらされるわけじゃないよ。僕がやりたいんだ。長い人生で作品商品をいっぱい書いてきたけど、自分の作品ではないにしろ、誰かの物語がしっかり完結するのを見る機会があるなら、見てから死にたい」


 ひとつ『アリシアさんの魂を救うこと』。

 ひとつ『新しい世界の物語を書くこと』。

 ひとつ『完結させた旧世界を送ること』。


「……誰がこの島を開放したのか気になったから見に来たが、よかったよ、見に来て」

「ほう?」

「殴り合う相手の顔くらいは確認しておかねばな」


 ふと、クロエ先生はニヤリと笑う。

 ああ、これでお互い殴り合う相手ととりあえず並んだか。

 上出来だ、僕。


「シロエ、お前らがどこまでできるか分からないが」


 そこまで言って、クロエはぶわりばさりと飛び立った。完全に見上げる高さだが攻めていおるのは、恐らく僕らだ。


「書き残した原稿せかいは好きにしろ。読み解きたいなら自由にしてもいい。ただし、邪魔は許さない」


 竜の気迫だ。

 ふたつに分かたれたとはいえ、平等の量分かれたわけではない。圧倒的にリソースが少ないシロエにはなかなか堪えるだろう。

 それだけ、もとの竜はアリシアという少女を救いたかったのだろう。その強い無念があまりにも勝っていたために、こうなったのだ。


「では、また会おう」


 彼女は一段高く浮く。


「筆を洗って待っていてくれ」


 僕は自分の左耳の裏を撫でながら言う。クロエ先生の角の場所だ。


「――ふッ」


 彼女はそう笑うと南へと、真南へと飛び立っていく。南端、新しく作った最後の世界へ。


「よし、シロエ――ってなんて目で睨むんだよ」

「クロエは先生呼びで私は呼び捨てか!?」

「だってシロエ、僕の駒だろう」

「きー!!」


 やっぱ怒った。

 まあともかく、あとひとつ必要なものがある。


「どうしても必要なものが、あとひとつあるんだ。シロエ」

「む、なんだハヤテ」


 あ、先生が付かなくなった。

 まあいいけどね。

 ということで、僕は物語を仕上げるのに必要な最後の要素を聞く。それは、物語の完結というより、物語、第一稿を一通り仕上げるために必要な、絶対に必要なライン


「締め切りがいつなのか教えてくれ」


 旧世界の終わりまで、恐らく時間はない。

 実態時間でどのくらいかは関係がない。リソースの問題だろう。

 それだけ白紙に戻る力は強い。


「締め切り? 絶対的に必須、故に蛇蝎のように恐れられるあの締め切りというヤツか? 多くの作者がアトガキでいってるあの?」

「左様です、はい」


 僕にも心当たりがある。


「そう、遠くはない。だが、すぐではない」

「そうか」


 南に目を向ける。

 魔筆ナグルファルから感じる、未完の物語の気配。ここから、もう少し南にひとつ。次はそこか。


「じゃあ、行こうか。……って、シロエ?」

「…………つーん」


 あ、翼出さない。

 拗ねてるな。

 ともあれ、彼女を宥めてこの白紙の島を発ったのは、しばらくあとのことだった。

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