第7話『彼女と話すために奈落へと堕ちていこう』


 魔界というものがどこにあるのかを考えたことはいくらでもあった。

 魔族というものが存在するのかもいっぱい考えた。

 この世界ものがたりに於いての彼らがどのように存在するのか、僕には分からない。あいにくとここは日本でもなければ外国でもない、異世界そのものなんだから。


「冥府の門という言葉があるが、実物はこんな感じなのかもしれないな」

「異世界異次元は身近なものだからな。マ、普通の人間には知覚すらできんがな。おっと、急ごう」


 恐らく、地下深くにある人類の意識が薄い領域に開けられた、ヒトらの認識の届かぬ異世界からの門。その先から彼らは、虎視眈々と人間たちの、餌の世界に入り込み、準備を整え、食卓をせっせと誂え、いま食事のときを迎えたということだろう。

 その給仕であり、料理人であり、最後の食事たるのが、この先に待つアリシアなのだと言うことだけが、はっきりしていることだった。


「殺伐とした世界なんだな」


 こんな世界を見ていたシロエの心境はどのようなものだったのだろう。

 ……見ていたのだろうか。

 見ていただけなのだろうか。

 見ていることしかできなかったのだろうか。


「うむ」


 彼女はそう頷くのみだ。

 活動中の古代遺跡然とした一画から、もっと古い、魔神らが――彼らすらも侵入当初から足を踏み入れていない一画へと辿り着く。古い古い一画だ。遺跡であっても、迷宮ではない。

 規模こそ人より体格が勝るであろう魔族に合わせたそれだが、構造そのものは非常に分かりやすい代物だった。


「……こんなにも古から私の世界に入り込んでいたんだな」

「こう再現できるということは、もとのシロエは知っていたんだろう。クロエは……いわずもがなか」


 この先――太古の断層の先にあるものは分からないが、その先から彼らの世界の空気でもある障気と、地脈から流れるこの世界の精気、そして高温に達する火山性のガスを混ぜ合わせたものを城塞の頂上へと押し上げるポンプのような構造。……それがここか。

 何世紀も、何十世紀もかけて、連綿と計画された気の長い計画。


「しかし、『魔族』ねえ。数え切れないくらい書いてきたが、同じものはひとつもないよな。……宇宙人と戦うよりかはナンボかマシだと思うけどもさ」

「宇宙人。あったな、そんな話も。執風ハヤテの作風としては甚だ異色だったが、あれも好きだったぞ私は」

「やっぱ読んでたのか」


 そんな軽口を叩く中、シロエが足を止める。

 ごうごうと音を立てる、深い深い穴の前だ。いま進んできた通路から、垂直に下へと続いている。穴の直径も、太い。恐らくガーランドも、元の姿になりその翼で行き来してたのだろう。


「この下、さらに下か」


 闇を見通す死者シロエの目は、しっかりとその下まで見据えている。僕には見るというか、そういうものだということがはっきり分かる。

 ここに来て、物語は僕の筆によく馴染むようになっている。

 しかし岩壁は高熱で溶かされたかのように滑らかだ。掘り進んできたというより、溶かし穿ってきたような印象を受ける。それだけに、掴まって降りるような取っ掛かりもなく、滑り降りるにしても垂直にすぎる。


「どうしようか」


 僕は大丈夫だけど、感覚的にシロエはいけるの?

 まあ竜だし、僕のキャラの設定も踏襲してるし、いけるっちゃいけるんだろうけど、なんというか不気味な穴だよこれは。


「うぬ」


 とまあ、案の定、ドラゴンさんは、実に人間くさくためらっている。


「さすがに降りたら戻っては来られなさそうだな。ううむ」

「引き返して仕切り直してもいい。まだ、いくらでも打つ手はあるだろう」


 溜息混じりに肩をすくめるが、胸に去来するのは、兵士長と女騎士カーシャの、あの悲しげな、苦しい顔。「国を滅ぼした」と述懐したときの、アリシアの虚ろな瞳。

 シロエもそれを思い出してるに違いない。

 幾度も繰り返されてきた物語でも、今の僕らにはかけがえのない一読目なのだもの。不思議と胸に去来するその気持ちを無視することができない性根だった。僕も、彼女も。


「胎を括るか。…………いくぞ、先生!」

「お付き合いしますよ」


 ここはもう、僕の物語なのだから。

 掛け声と共に、縁から思い切り穴の中央へと身を投じる。

 自由落下に身を任せるまま、重心を深く、足から着地できるように姿勢だけは整える。風の抵抗は強いが、それ以上に「深すぎないか!?」とシロエぼくらが叫ぶくらいの深さだった。

 到着点と思った場所は穿たれた穴の踊り場に過ぎず、加速が付いた体が叩き付けられる寸前にツルリとした岸壁を蹴るも、足を滑らせて重心を崩す。キャラが足りてなかったか?


「おぁッと!」


 途端に彼女の表情が歪む。

 目測を誤ったと言うよりも、この先に待つものがこの程度の深さにあると思っていた時点で僕のミスだった。先ほどガーランドを倒した大広間でさえ、城の地下にすぎない深さであったのだ。この大地深く根ざすのなら、それこそ地脈の要、地表の深奥まで降りなければならないと考えるのが当たり前の設定じゃないか。ぬかった!

 つまり、隆起した山脈部分と同じだけの質量を降下しなければ、当然のことながら太古からの地脈へは到達し得ないことになる。

 崩れた重心が仇となり回転し始める体を止められず、シロエは膝を抱えるように鋭く回転しながら諦めたように眉根を寄せる。


「飛びたい」

「キャラ変える?」


 落下すること、実に二十秒と少し。

 秒速二百メートルに達する直前に、まわる視界の端に地表――らしきものが見えた。


「こらふつう死ぬわな!」


 シロエ必死の叫びだった。当るを幸いに壁を蹴りつけ、ベクトルを変えることでブレーキにする。

 二度、三度、四度、五度、六度、七度、八度。

 常識を越えた体術で蹴りつける度に姿勢を整え、落下速度を殺し、ポンピングするような動きで降り立つ。

 それでも、それこそ地を揺るがすような地響きと共にシロエは両足で降り立った。


「…………痛くない!」

「はい、それは強がり。……でもないのか?」

「竜を舐めるなよ? まだ赤ちゃんだけど」


 絞り出すように呻く。


「とはいえ、ここが最奥か。この先にアリシア、そして障気やガスを吸い上げるからくりがあるんだろうな……なんてこと何度もいってる気がする。いやほんと、ここらで終いにしたいところだが、果たしてどうだ?」

「最終ステージだろうね。……たいてい、その一歩手前だ」


 肌がピリピリとする。うなじの毛が逆立つ。こんな身でも脅威を感じる力の奔流。声に出さずとも、「当たり」だと感じる存在感という名の重圧。それ以上に、すでに魔物の顎に捉えられているかのような絶望感。


「……!」


 瞬間。

 シロエは肘を曲げた左腕を内から外へ、正中線から体幹を外すように打ち払う。

 ――ビシリ。

 ガラスが砕けるような音と共に、細い絹糸のようなものが弾かれ、命を失ったかのように霧散する。

 彼女の回し受けによって弾かれた、命を吸う繭を形作る、あの糸である。


「アリシアか」


 シロエぼくらは呻く。

 一歩、足を進めるたびに、人ならば蒸発しかねない力が存在を焼く。その中を進み、命や魂に対して機械的に繰り出される糸を打ち払いながら、彼女は呼吸を整える。

 昏い洞穴を五分も進むと、城塞山脈の中心真下、深奥たる地脈の泉の間に出る。魔族の侵攻が成ったときの影響だろうか、巨大な、巨大な領域だった。

 そこは静謐とは無縁の、大地の息吹溢れる領域だった。


「――魔方陣」


 僕が見据える中心部。まるで光る大蛇のようなクレバスを中心に、差し渡し百メートルは超える巨大な陣が書かれている。その維持自体は大地の力を利用しているのだろう。寄生すること、実に数十世紀も経た、筋金入りの『門』だった。初めて見るわこんなもの。


「アリシアか」


 シロエは再び呟く。


「おいおい、まるで門番じゃないか」


 見上げる視線の先には、肉塊があった。

 どす黒く変色した屍肉が寄り合わさった肉塊。

 多くの死者の寄せ集め。

 アリシアが捧げた――

 その肉塊の中に埋もれるように、彼女はいた。


「意識はあるか?」

「夢……現。いや、心を閉ざしている?

「ちがうな、シロエ。もう心が破壊されている」


 数を増した白糸を打ち払いながら、僕は確認するように竜へ告げた。

 彼女がかつて見た少女の姿は、今も見る彼女の姿であったかどうか。

 悪魔を、鳳凰を、魔眼を模した鎧に身を包む、薄汚れた金髪の少女だ。

 肉塊の裂け目から上半身を出し、数万条の束ねられた白糸に吊された肉塊――アリシア。

 その瞳は虚ろで、こちらの呼びかけには答えない。

 もはや、彼女は捧げられたものなのだろう。

 彼女の白糸が国中の命を吸い、そのうちに兵士長と女騎士の命を吸うことで諦め、全てを失った瞬間に、悪魔が何を目論んでいたのか。

 この力の奔流の中、シロエぼくらには思い至る何かがあった。


「…………これは、産みの儀式か何かか? ガーランド」

「ほう、気づいていたか」


 背後から、先ほどとは打って変わった精悍さを纏い現れたのは、倒したはずのガーランド……悪魔である。


「あたりまえだ。核を破壊したとは言え、こっちの悪魔は命が移せるらしいからな。きっとに居ると思ったよ。おぬしも地脈から命を得ているクチらしいな」

「よくそこまで突き止めた」


 まさか「お前の脳から魔筆で設定を読んだ」と言いたい衝動にかられるも、ガマンする。


「魔術が効かぬ貴様も、この地脈の奔流は、いささかに堪えてるようだな」

「勘の良い悪魔だな」


 アリシア縁のもの、この場合、彼女が行使する『モノ』に関しては、その可能性――ポテンシャルゆえに、少々手を焼く。

 物語の郷土というものに、お約束というものに悪魔は気が付いていることはないだろうが、そう、これはいささかに楽屋裏の僕にもきつい。


「夢見る妖精にゃ敵わんのだよ」

「妖精か。腐肉の魔女がか? 笑わせる」


 ガーランドは紫電を纏う両腕を体前に構える。

 シロエも振り返り、悪魔と正対しつつ半身――左自護体に構える。


「腐肉から何を産む」

「大きな魔だ」ガーランドは遠い目を虚空に向ける。「命を維持するだけなら、数人吸えば事足りる。しかし、新しい大きな魔を生み出すには、一度期に数万数十万の命を捧げる必要がある」

「アリシアは宿主か」

「醜い母だ」


 ガーランドの言葉に明らかに眉をひそめる。その力強い生気は、したたかに悪魔の心胆を寒からしめた。


「初めから、彼女に目を付けていたのね」

「千年余りの血脈の果てに生まれた、偉大で下賎な女よ」

「なるほど。悪魔というのも見た目よりも繊細な計画を立てる生き物らしい」

「言うな、勇者よ。事ここに至っては、貴様も進退窮まったであろう。どうだ? 先ほどの提案通りに、『二日ほど待つ』のは」

「そうもいかない」


 シロエは左自護体から左右の手を開手で掲げる。


「格闘か。貴様の腕はかなりのものだが、この姿となった私が、よもやそんなもので倒せると? その腰の剣は飾りか? ――ともかく、貴様の言う『死者を倒す術』とやらが何かは、あいにくと私には未だ理解の外だが、ここならば倒せそうだということは理解出来た」

「陽炎の戦士の格闘術は、まだ、あいにくとおぬしら理解の外にある」


 細く息を吐きながら、半眼で腰をやや落とす。


「少なくとも、他星系の異次元生命体くらいなら相手ができるのさ」


 にやりと笑う。


「言いよるわ。……我らが悲願、邪魔はさせぬぞ」


 ガーランドは猫科を思わせる獣の如く重心を落とし、力を溜める。


鳳龍赤心ほうりゅうせきしん流、参る」


 シロエは応え、ジリと間合いを詰めはじめた。

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