第5話『地獄の中で勝ち筋を確認しよう』

 死屍累々。

 でかい。北に霊山を頂くかたちに、ひときわ高い岩山をくりぬいて作られたかのような城塞が築かれている。あの兵士長たちが南を目指すと決めた南の山から、その城塞山脈までの盆地に構築された、周囲七キロ四方の首都。ここがアリシアの暮らしていた故郷なのだろうか。


「ついてきてるかハヤテ」

「ああ、大丈夫。魔筆の力だろうな、場面に置いて行かれることはないよ。しかし、観測されていない地域はボヤ~っとしてるな。設定が追い付いていないんじゃなく、リソースを割く必要がないからだろう」


 山裾から広がる街外れは、このような在り様になる前はさぞかし活気がある場所だったのだろう、集合住宅のような三階建ての長屋が多く軒を連ねている。

 大人が三人は余裕を持って通れる幅員の道は、すでに建物を飲み込むほどのガスと障気に溢れ、その瞬間まで生きていたであろう住人の命をことごとく奪っていた。たくさん死んでいる。そのどれもこれも、骸という入れ物に、死した魂が入っているという徹底ぶりだ。これでは浮かばれまい。

 城の異変、大きな地震があったと推測されるが、その混乱で右往左往していたと思われる住民が道を塞ぐように幾重にも倒れている。

 死屍、累々。

 障気と高温のガスによって蒸し焼きにされた人々は、建物同様、爛れ、炭へと化していた。


「老若男女問わずか」と、シロエも眉をひそめる。


 いちろ王城を目ざし疾走する彼女は、折り重なるように倒れ伏す親子らしき骸のそばで足を止めると、伺うかのように跪く。


「むごいな」

「母と娘だろうか。……そうらしいな」


 魔筆から情報が読み取れた。


「ああ、むごいな」


 惨憺たる在り様の骸を前に思わず声が漏れる。

 恐らく若い母娘。

 手を引かれていたのだろう、小さい方の『塊』の背に魔筆を当てる。

 そこには、茫洋とした、苦悶に満ちた意識が満ちていた。


「生きながらに殺し、肉体が死したあとも、死の苦しみを存分に魂に刻み込んでいるのか。悪魔とやらがやりそうなことだ」

「この有様はクロエの仕業ではないと?」

「さっきシロエや女騎士、兵士長らが言っていた、『この世を襲った悪魔』がやったことだろう。ひどいことをしやがる」


 何万の人間がこの王都に生きていたのだろうか。

 そのほとんどが、このように障気とガスに飲まれ、蒸し焼きにされ、体が死したあとも滅び行く苦しみを味わわされ続けている。

 ――命を、贄に……か。

 当てた魔筆が遺体を崩さぬように、注意深く手を離す。


「これが、アリシアの見ていた地獄か」

「アリシアという名前、思い出したのかい?」

「ううむ、思わず口をついて出た名前ではあるが、大切な女性であった気がするだけだ」

「そんな彼女アリシアがクロエとともに地獄と感じる無念がここか。その、最後の舞台といったな」


 その、無念の一部だ。


「まるで命を貪るための農場、となれば――」

「うむ。やはりいるな」


 シロエはゆっくりと立ち上がる。

 僕は振り向くと、見上げんばかりのそれを確認する。


「従業員くらいはいるよな」


 ズン……。

 と、足下に響く振動。重い。充満した障気を揺るがせつつ、灼熱の大気の中で蠢く者が、すぐそこの防火用に広く取られた十字路の先から、ゆっくりと姿を現す。

 人の姿に似た、どす黒いザラリとした肌の巨人。

 のっぺりとした相貌には黄土色に光る瞳、3メートルを超える屈強な体躯を揺らしながら現れたそれを、シロエはキっと見据える。


「魔神の先兵だ。私は戦ったことはないが、見ればわかる」

「そのとおり。こいつはまた、わかりやすい。魔筆を使わなくてもわかる、圧倒的なわかりやすさ。


 目が、合った。

 この沸騰した障気の中で動く者が、その肌も爛れず生きて立つ者がいるなどとは思ってもいなかったのだろう。そいつは逡巡し、本能に触発されるかのように、巨大な鈍器である右の拳を振り下ろしてきた。


「のろいな」


 その数瞬前、巨人の振り上げる拳の動きに合わせて二歩ほど間合いを詰めたシロエが、泰然と差し出した両腕をフと頭上で交差させるようにし、それを受け止めつつ、踵を返すように左に回し、腕を振り下ろすように巻き込むと、巨人の体を焼けた石壁へと叩き投げつける。


「ひと拍子、斬り落とし投げ。お見事」

「陽炎の戦士シグレの技だ。設定どおり、私にも使えるようだ。ふむ、こう動いていたのか。なるほど」


 親子の骸から遠ざけるように叩き付けた巨人が身を起こす前に、さらに間合いを詰めたシロエの手刀がその延髄を強かに叩き砕く。


「これで死んでくれるなら楽なのだが」

「そこまで楽な相手じゃないようだ。シロエ、加減をせずに思い切りやってくれ。どこまで介入できるか試してみたい」

「心得た」


 どうかと伺うが、やはり巨人の生命力は予想を上回るものだった。

 ビクンと肉体を振るわせると、叩き砕かれた延髄を再生で盛り立たせながら立ち上がろうとする。たいした設定だ。


「じゃあこれはどうだ?」


 掌底を頭蓋に叩き込む。

 存分に衝撃が脳髄に浸透し前頭部から爆発するように破裂する。

 巨人の体は今回こそ命を失い霧散する。

 どろりとした障気となり流れゆくその体。

 シロエは巨人の正体を巨大な何かが障気から作り上げた管理人であると思い至る。


「命を吸う、か。むごいことを」

「かつてこの世界を襲った最期を、シロエは覚えているのかい?」

「酷なことを聞く」


 覚えているが、大事なことは奪われたままだと彼女は苦笑交じりに答える。


「この世界の敵はたくさんいたが、命を吸いきることに成功した敵は魔界の悪魔だけだった。これがその末路、その終わりの始まりの光景だ」


 そのための管理人、そのための生き物、尖兵。

 生き残りをこの灼熱の障気の鍋に投げ込み、苦悶の命を煮込む料理人。

 シロエぼくらはもう一度、親子の骸を見遣る。

 このような光景を何度も見るのだろうか。


「――城か」


 城塞は中央北を目指せば良い。

 そこにアリシアはいる。

 皆そういったし、そう設定されているだろう。


「おぬしらは救えない。もう終わった世界での話だ。許してくれ」


 亡骸に呟き、シロエは疾走を再開する。

 すねを飛ばして焼けた石畳を蹴り、骸を避け、飛び越え、巨人の脇を疾風のように抜けてゆく。人が想像する地獄のような王都を疾走する。

 どす黒く変貌する中、目立つ白。剣を佩いたシロエの疾走は止まらない。ついて行けるのは作家である魔筆もつ僕だけだろう。

 疲れを知らぬ疾走は、速度こそ人の領域のそれだが、その動きそのものは恐ろしく静かで早いものだった。不死の戦士シグレの設定だけではない、素体となったシロエの基本能力も相まってのものだろう。熟練の忍者もかくやという体術は上体を揺らさぬその疾走に見て取れる。

 そんな彼女が王城へ至る大門の前に到達する前に、一度だけ足を止めた場所があった。


「……繭、か」


 沸騰し、蒸気と化した地下水が吹き飛ばした噴水の跡地だった。

 そこかしこから硫黄が吹き出しているのは、地の底からの毒が水脈を遡っているせいだろう。王城へ吸い上げられる余波が漏れている様子だった。

 障気吹き出すそこに、遺体がまるで握り固められたように折り重なっているのを見た。

 白金の糸に縛り固められ、穴の宙空で炙られるかのように固定された、骸の繭。

 ――命を吸い上げるカタチ。

 あの銀糸が伸びる先。

 王城だろう。

 アリシアだろう。

 彼女は命を吸い上げ始めている。

 逃げ遅れ、後、命を失い、障気の巨人に投げ込まれるあの兵士長と女騎士カーシャの命をその銀糸の先に感じたとき、アリシアの心は壊れきる。

 時間は無かった。


という類の後悔なら、こんな荒事そうそうないのだろうな」


 彼女は背後から追いかけてきた巨人の一撃をすんでで避け、その膝頭を横から蹴り折ながら交錯する。


「……っとっと。障気の濃度も上がってきたか。こうしちゃいられない。って、さっきから、こうしちゃいられないばっかだな僕は」

「やはり作者としても、この状況は焦るものなのか」

「ああ。クライマックスにしては、ちと過剰に過ぎる」


 倒すことは目的ではない。

 巨人の膝が再生しきる前にシロエぼくらは王城を目指す。


「しかし、どこの世界でも悪い悪魔という輩は変わらないな。どいつもこいつも、生きるのに必死だ」

「まるで悪魔とあってきたような口ぶりじゃないか。ハヤテ、先生の暮らす世界ではそれこそフィクションの産物じゃなかったのか?」

「悪魔なんて生き物の心の中に容易く生まれるんだよ」


 冗談のように呟きながら、先ほどにも増して速度を上げ、城門を目指す。体術家のそれからスプリンターのそれへとフォームを移し、シロエは瓦礫を越え水路を飛び、障気を掻き分けて疾走する。


「はやく、楽にしてやりたいが……」


 石畳を削りながら、シロエは城塞入り口大門の前へと来た。


「いやはやいやはや魔城というより、魔王の神殿だな」


 心底げっそりした顔で開け放たれた大門から見上げる。シロエもそうだろう。半ば忘れ去った光景だが、それゆえに感傷もない。

 それが少し悔しく思える。


「でかいな」


 小高い山全体が城として改造改築を繰り返されてきたのだろう。南の山から見たときに感じた巨大さは些かも衰えずに、重くのし掛かるような圧倒感に息を飲む。


「庶民の出から見たら、これはこれだけで威圧されるな。城塞としては実用的なんだろうが」

「人の戦争には興味はなかったが、確かにこういうのはよく作品でも見た覚えがある」


 開け放たれた大門の先は、濃度の増したどす黒い大気。そこから吹き出す熱波も圧縮されており、場内は至る所が炭と化している。


「まるで煙突がわりだな。ススで真っ黒だ。……さて、正面から乗り込むにしても、上に往くか下に行くかだな。さて……ハヤテ」

「なんだい?」

「直感で良い、上? 下?」

「魔王は上か下にいるもんだからな。この場合、地下だろう。組み上げるその根幹に、敵はいる。燃えるシチュだろう?」

「下か」


 跳ね橋を越え、内堀上の門を越え、幅広のエントランス広場を越え、場内へと突入する。


「下、下、下――」


 シロエは階下への道を探す。


「下への道なんてないではないか」

。――あっちだ」


 僕はシロエを促す。

 かつては絢爛を誇っていた正門広場も、無残、見る影もなく、ひと息ついたシグレは焼け落ちた絨毯を蹴り突き進む。迷いの無い足運びだが、その根拠はただの『風向き』である。

 障気を吸い上げる源か、大地へと吹き流す場所か。

 上か下か。

 下――だとしたら、障気の源、濃い方向へと進めばぶち当たる。


「という根拠だが、どうだ? ……あ」


 と思ったときには、発見していた。

 謁見に使う領域へは、下々の者は城の構造上、多く上へと上らねばならず、権威のためだろうか、恐ろしく左右に広く、恐ろしく長くなだらかに蛇行する大階段が誂えられていた。

 その半ば、欄干から覗く、大階段の下を左右――東西にそれぞれから地下へと伸びる……これも大階段を見つける。

 高低差、実に二十メートル。


「飛ぶぞ!」

「マジですか――って、ひぃ」


 一挙動で東側の欄干を飛び越えると、髪をなびかせ歯を食いしばり――。


「~!!」


 シロエは膝のバネを使い、着地。

 僕はあっさりと着地。物語の外にいると、やはり楽でいい。

 外部の人間が見られる構造、いかにも縦横無尽に岩肌をくりぬき迷宮と化した城塞であることをこれ見よがしに見せつける見せかけの豪華複雑さの領域。

 そこから『外』、城のバックヤードとも言える身内たる者の暗部へと続く鉄扉が現れる。


「……濃度は高いが、ガスは薄い。ってことは……あれか。あまり穴あきのストローだと、効率が悪いから閉じてますよって感じの、あれか」

「ひとりで納得するな。……ここは確かに怪しいが……?」

「ここを侵入口にしよう。その方が手っ取り早い」


 この先は、城の最奥そうこへと続く場所いきどまり

 重く閉じられた、焼けた鉄扉に手を伸ばす。

 熱さを感じぬかのようなシロエは、眉をひとつ引き締め、ひとつ息を吐く。


「信じていいんだな?」

「そのまま開けてくれ」


 彼女は手を押し当てる。

 そしてノブを掴み、力任せに開け放った。


「下への道……?」

「倉庫という設定を消して、一路ボスまでの道として書き換えた」


 彼女は今までとは比べものにならない濃密な黒を体で受けながら、しかし強かに笑みを浮かべるのであった。


「なかなかやるな」

「なあに、作者クロエが放棄した物語、いくらだって書き換えられるさ。もっとも、この上書きをさせじと相手が動くなら、作家同士の殴り合いだ」


 つまり、という、理詰めの拳で戦うのみだ。


「やれることは分かった」


 僕は作家として、シロエを設定強化してクロエの物語を完結させるコマにすることができる。シロエをうまく使って、クロエの物語をクリアするのが夢を取り戻す方法だろう。


「文士としての戦い方か。これは異能物としてはなかなか面白いんじゃないか?」

「……当事者はかなり逼迫してるんじゃがなあ」


 肩をすくめる役者シロエに、僕は片手をあげて謝った。

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