捨てられた物語から大事な思い出を取り戻そう

第4話『無念の王国に降り立とう』


 その島は、いつのまにか夜になっていた。

 硫黄が炎となり、国土を縦横無尽に焼き尽くしていくのが見える。地の底から沸き上がる黒い障気は、王城でもある山の頂にまで吸い上げられた後、その山裾に沿うように重く熱く流れ落ちてゆく。

 まるで地獄だった。

 かつては純白であった城壁は舐めるような排煙と障気で薄汚れ、燃え上がる街並みから立ち上る黒煙と相まって、黄昏時を更に強い夜闇へと変えている。

 漆黒と、朱と、燃え尽きる国の音だ。


「ここはどこなんだ?」

「有り体に言うと、この世が滅びた原因となった国の、その末路だ」


 シロエは僕を抱えたまま再び飛び上がると、眼下に広がる『物語』に促す。


「ひどいものだろう。……この情景を何度も何度も繰り返している。いくらやっても、どうやっても、解決できぬまま世は滅びていく」

「魔界とでも繋がったのか? いや、地獄か」

「あっちの世界は、こっちの世界を喰って生きる存在だからな。ほら、主要キャラクターがあそこに見えるだろう」


 僕は煙る木立の隙間からそれを伺う。

 先ほどまで生きていた者はことごとく倒れ伏し、今も尚生きている者は障気を逃れ王城を望む山の中腹に身を寄せ合うように息をひそめているようだった。

 そこに集う者たちは、六十人ほどだろう。町で暮らす者たちと、五人ほどの武装した兵士といった、歳も身分もばらばらな男女の集団に見える。

 全員の表情は、ほぼ感情のない虚ろに満ち、街を、国を燃やし尽くす王城へと向けられている。絶望にあっても、彼らは土ではなく、遙か先の王城を見ざるを得なかった。生きる者たちの目だ。


「よもや……よもや王城からとは」


 気力を失いへたり込む者たちを守るようにしていた兵士のうちのひとり――年かさの練兵といった男が、それでも強い眼差しでそれを見据えつつ、呟く。王城の先、いや、中を見据えている。


「敵は、海から来る魔物だけではなかったと言うことでしょうか」


 答える者を期待した呟きではなかったが、男の言葉に刺激されたのか立ち上がる――おそらく女騎士――彼女がそう繋ぐと、彼は重く頷き、曇天を仰ぐ。

 歴戦の兵士と、肩口から燃え切れて薄汚れてしまったブロンドの髪をなびかせる女騎士が、固まるように腰を下ろしている一画。そこから離れるよう立ち上がり、熱気が吹き上がってくる崖際まで寄り、肩を並べて沈黙を共有している。

 それを見ながら僕はシロエに聞く。


「――国が滅びるのを見る騎士たちか。ファンタジーな世界だったんだな、この世の最後は」

「文明は繰り返された。幾度も勃興し発展し没落零落し、原始にかえっては発展していった。ヒトが多く発展した者が多かったが、結局未熟なこの時期にあっちにやられて、命が滅びた。ハヤテにとっては幻想かもしれないが、これは私たちの現実だったものだよ」


 彼らからは僕らは見えていないようだった。

 そんな彼らの瞳は、まさに燃え尽きようとする国と命を想い、後悔から諦めに変わりゆく。どうしようもない状況をどうにかしようとした彼らが、やがてどう滅びるかを、真剣に考え始めたことを表している。


「山を下りれば障気でやられる」男が再び呟く。「望んで死にに行く者はもういないが、ここでこうしていても、いずれ障気に沈むしかない」


「重さを感じぬ水のようなものです」女騎士が続く。


「盆地が仇となりました。障気の逃げ場はなく、満ちるしかないでしょう。この山も、いずれ沈みます。聖剣の霊山であれば障気から逃れられましょうが、ここからは王城の真反対です」

「なれば――海か」

「商船は残っていますまい。海の魔物が一時途絶えた海戦の後、ここぞとばかりに逃げ申した」

「六七十人か」

「漁師の舟では足りますまい」

「いや、地引の大きい物ならあるかもしれん。風は……南か。いったん頂上を経由し、南に降りつつ、障気を避けて港を目指す。二日も潮に乗り東に往けば――」

「東に往けば、敵国……ザンジバールです」

「魔物ではなく人の住まう国だ。まだマシだろう。竜が住まうとされる古からの魔道国家だ、なんとかしてくれるだろう」

「では」

「国は棄てる。王族がああなってしまったからには、もはや義理もない。今俺たちが守らねばならないのは、彼らだ」


 振り返るのは、六十人の人々。子供も三人ほど。あとは逃げる体力のあった大人だけである。争いを避けるために、物資は分担して持っている。


「あの中に眠る者が魂を貪り始める前に、往こう。もう俺たちの剣が届く相手ではない」

「分かりました」


 二人は踵を返し、六十の人間を促すため気力を持ち直そうとした矢先のことだった。

 シロエが「介入するぞ」と僕の尻を叩く。


「何をするんだ?」

「いったろう、これは物語だ。考えろ、この状況、この配置、ハヤテならどうする?」

「……どうする、か」


 まずはと、腕を組む。

 魔筆ナグルファルを取り出してキャップを外すと、自分に何ができるのかが直感的に分かってくる。

 

 そう思っただけで世界が止まった。ストップモーションだ。


「シロエ、動けるかい?」

「……うむ。しかし凄いな、もうそれを使いこなしているとは」

「インターフェイスに慣れるのは作家としての生存スキルだよ」


 と強がっておく。

 そこで僕はシロエに降ろしてもらい、彼ら……とりいそぎ騎士団長らしき男性の元に行くと魔筆のペン先を彼の額にチョコンと当てる。

 それで大体の事情と、彼らのキャラクターが理解できた。


「本当にあった歴史ではないが、シロエ――いや、クロエが見た、クロエが把握している状況で再現しているんだろう」

「もはや奪われた物語ゆえ、私には彼らの詳しい思い出がない。恐らく、とても……とても親しい者たちだったんだろう。愚かな人間たちの中でも、このわたしと対話できるほどのな」


 奪われた物語には、シロエの記憶や経験も含まれているんだろう。

 つまり、クロエが作った世界とは、彼女の無念や後悔を晴らすために作られたものに他ならないということか。

 創作のきっかけとしては、かなり強い。


「分かってるとは思うが、この世界では私とて作家の駒に過ぎない。自分ではどうにもならぬゆえ、助けて欲しい」

「…………」

「ハヤテ?」

「ああ、そうだね」


 創造、想像のキャラクターたちではない。

 今までの彼女の話を整理するなら、クロエが作った器に、実際に生きた彼らの魂が閉じ込められている。

 それはペン先を通じて、ひしひしと伝わってきた。


「確かに、これは気に入らない」

「ハヤテ?」

「フィクションは、フィクションだから楽しめるんだ。実際に生きた人たちを、こうも苦しめていいものじゃない。――シロエ」

「な、なんだ?」

「登場人物追加だ。君をこの物語の主人公に据える」

「なんだって?」


 傍観者ではダメだ。

 そう、彼女は自分も駒だといった。なればこそ、作家の僕が力を貸すことができる。


「シロエは今から、流浪の戦士だ。……戦う力は、僕が設定する」

「うぇ? ぉお、うむ!」


 僕はシロエの額に魔筆のペン先を当てる。


「陽炎の戦士たちの主人公、覚えてるね?」

「忘れるものか。不死の戦士、シグレだ」

「同じ力を与える。なあに、安心してくれ。きっと、僕らの物語の方が面白い」


 安心させるように、僕はシロエの肩をポンと叩く。

 それだけで彼女の体から翼は消え、代わりに白銀の鎧と長剣が現われる。僕の作品、シグレの装備だが、女性用に変えてある。


「僕は裏方に徹する。わりと君はいいキャラしてるから、状況を判断して隙に動いてくれ」

「無茶を言う。が、承知した。なるほど、大した作家だ。キャラクターが勝手に動くという、アレだな?」

「ま、そういうこと」


 術者が状況に応じて適宜技を繰り出せるように、完成したキャラは状況を投げ込んだ瞬間に動きをしてくれるものだ。

 それに賭けよう。


「じゃああとは頼む。すぐそばにいるからね」


 僕はそういうと、魔筆を回して舞台と楽屋裏を切り離すように世界の裏へと控える。あとは彼女の働きを見て対策をきめよう。

 そしてストップモーションだった世界が、再び動き出す。


「……さて」


 シロエはひとつ頷くと、山頂方向から騎士たちに歩み寄る。ここからはもう、物語だ。


「これは凄まじいことになっているな」


 シロエの声に、反応出来たのは数人だった。


「誰だ」


 誰何したのは女騎士だ。

 腰の剣に手を掛け一気に引き抜くと、皆を守るように前へと出る。


「貴様、王国の人間か」


 女騎士の刺突剣の切っ先を向けられた女戦士――精悍な鋼を想わせる闘志漲るシロエは、それに物怖じもせずに、燃えさかる王城を望む。


「君は、いったい誰だね」


 これは、自然体に構える壮年の兵士のものである。


「私か。名はシロエ、この国の人間ではない」

「旅人か?」と言葉に出す女騎士の疑問は、シロエの装備にある。


「まれびと、みたいな者だ。……貴方たちは?」


 女騎士は切っ先を下げつつ、数歩下がる。


「王国騎士団、カーシャ=キルヒス。もはや近衛騎士団の生き残りは私だけだ」

「私はバラン、王国軍の兵士長だ。国民を率いて、これから海を越え隣国に逃げようと思っている」


 バランか。

 シロエに聞き覚えはなさそうだった。


「……兵士長」シロエは名を言わずに、問いかける。「この国に、アリシアという女の子はいるか?」


 シロエの口から出たアリシアというのがキーパーソンなのだろう。彼女自身覚えている名前ではないだろう。きっと、世界がいわせた名前だ。

 その応えは、女騎士の刺突剣と、どう間合いを詰めたのか一瞬で首筋に添えられた兵士長の両刃剣。


「いまここで倒しましょう」女騎士は仇を目にするかのような殺気を込めつつシロエの首筋に切っ先を僅かに沈める。「人に化けた魔物であるやもしれません。あのガーランドのように」


 人に化けた魔物、まあ確かに近いな。

 しかし、ガーランドか。

 僕の中のメモが増えていく。


「………………」


 問われた兵士長は、首筋から血を流しつつも静かに彼を見つめるシロエの視線を真っ向から受け止め、ふと剣を退く。


「どこでその名を?」


 不動の刺突剣を首に、シロエは斬れるも構わずふたりの顔を交互に見据える。


「アリシア本人に頼まれた」


 そのシグレの答えに、カーシャの刺突剣が、更に押し当てられる。


「本人にだと?」

「どういうことだね」


 兵士長はだらりと垂らした剣の切っ先を僅かに揺らしながら問う。微かな殺気。


「問うことはありません。今ここで――」

「彼女は私に言ったんだ」


 思い出したかのようにシロエは呟く。


「私は王国を滅ぼすだろうと。大切なものを滅ぼすだろうと。彼女じぶんはその無念を胸に死ぬだろうと。あれはきっと、助けて欲しいという一念だったんだろうな。少し思い出した。私は、彼女に助けを求められたんだ」


「何を分からぬことを!」


 女騎士の、斬りましょうという意が込められた強い口調。


「彼女の立場を知っているのか?」

「王族と聞いている。――金の鉄鋼、鳳凰と悪魔をもした鎧、そして燃えるトルマリンのようなドス黒い紫のマントといった出で立ちかどうかはわからないが、眉目麗しい、そこのカーシャさんによく似た女の子だ。……いや、女の子かどうか分からないな。年齢は見た目じゃわからないからの」


 びくりとカーシャの切っ先が跳ね上がり、彼女シロエの首の傷をややえぐる。しかしやがて切っ先は離され、女騎士は息を飲む。


「もはや魔界と繋がったこの国でおこること。不思議なことがあっても、まるで不思議ではないのだろう。……カーシャ」


 言われ、女騎士は素直に剣を納める。

 兵士長の言葉に、近衛の騎士が素直に従う姿に、シロエは含みを感じた。忘れていること、奪われた思い出が多いのだろう。


「シロエと言ったか。君はアリシアの願いで動いていると?」

「うむ」

「彼女を止めると?」

「ああ」

「国はもう滅びた。もう、取り返しは付かぬだろう。……それでもか?」


 シロエは王城を見る。

 彼女は、そこにいるのだろう。


「最後の一押しは――」


 恐らく、と付け加え、シロエは強く彼らを見て言う。


「最後の一押しは、貴方たちの死。私の、いや、彼女の最後の無念は、恐らくそこにある」

「私たちの……」


 女騎士が、口元に手を当ててうつむく。


「私たちは彼女に滅ぼされようとしている。あいつはそれを望んでいなかったと?」


 兵士長の言う『あいつ』、そして『望んでいなかった』という過去形の言葉。

 悪魔と化した、という呟きに込められた情念。


「海を越えるといってたな」

「ああ」

「港は?」

「南にある」


 指さす先は、山肌の向こうだ。


「山越えをして、向こう側へ?」

「そうなる。夜の山、道は整備されているが、六十余人の足だ、朝まではかかる。下の道は使えない。障気が盆地に溜まり、立ち入れば死ぬ」

「障気、か。硫黄と……ガスか」


 シロエは頷く。


「貴方たちは避難を。私は、王城を目指す」

「死ぬぞ」

「陽炎の戦士を舐めないでもらいたい。それに、我が身には効かぬよ」


 笑うシロエ。

 気がふれているのかとカーシャは眉をひそめる。

 ああ、そうか。ここにいたとしたら、こうしていたであろう、こう話したであろうという可能性。竜が持つ物語りの力、そのすさまじさを痛感する。


「――ともあれ、障気が満ちなければ逃げ切れる。私は障気を止める。貴方たちは逃げおおせる。それで、勝ちだ」


 はっきりしたな、とシロエは微笑む。


「……アリシアは」


 兵士長はそこでやっと剣を納めた。


「アリシアは、もはや人ではない。人知を越えた魔と契約し、長い年月を掛けてこの国に呪いを植え付けていった。彼女を救えるなら、救って欲しい」

「死力を尽くそう」


 シロエぼくらは頷く。


「彼女に関する情報は何か?」

「私はあいつのことをなにも分かってはいなかった。分かってやろうとしていなかった。……ただ、命そのものを憎んでいる」

「まさに悪鬼だな」

「あと、ガーランドという悪魔に出会ったら、諦めろ。あいつはアリシアとは比べものにならない魔神だ。この国は、国民は、あいつらの贄とされた。アリシアはその道具にされたに過ぎん」

「なるほど、根深いな」


 シロエは肩をすくめる。

 その表情に闘志が満ちているのを感じ、カーシャも兵士長も、やや驚愕の色を浮かべる。


「私は往く。貴方たちも急げ」


 促し、息をつく。

 彼らを死なせてはいけない。

 贄という言葉に秘められた、魔神が異界にこの世の人間の命を、魂を、根こそぎ捧げるイメージ。

 心の隙を長い年月をかけて苛み、悪に落としたモノ。

 この世に地獄の釜を空ける力を秘めたアリシアという少女に秘められた『事情』。

 それらにケリをつけねば、この島で晴らそうとしたクロエの――彼女の無念は晴らされない。


「いやはや、業の深い」


 シロエぼくらは苦笑しつつ、裾野へと駆けだしていた。

 目指すは王城、その先へ。

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