ジストマ

孔雀 凌

あなたの背後に潜む寄生虫の罠。


蜂谷は自分に未練を持ち、執拗に復縁を求めてくる女性に対して、わずらわしさを感じ始めていた。

蜂谷にとって、彼女の存在は終わった話。

矢継ぎばやに届くメールや着信にうんざりしていた彼は、彼女からの連絡を遮断するため、全ての通信設定を拒否へと切り替えた。

しかし、数日後。

拒否したはずの元交際相手から、蜂谷のパソコンと携帯にメールと着信が、ほぼ同じタイミングで入った。

メールの最後には、彼女の新しい電話番号と名前が記されている。

どうやら、番号その物を変えたようだ。

頑なに接点を維持しようとする彼女に蜂谷は恐怖心さえ抱くようになり、次第に追い詰められていく。

切迫感を拭うため、久し振りに蜂谷は外出をしてみることにした。

愛用のパソコンをカフェに持ち込んだ彼は、珈琲を片手に見知らぬユーザーとのチャットを楽しむ。

数週間振りに笑顔を取り戻した蜂谷を、店内の物陰からじっくりと眺めている女がいた。






心愛は、別れた男性を忘れられずにいる。

元恋人である蜂谷の気持ちを想い通りに動かせない現実にもどかしさを強く感じていた彼女だが、今日は少しだけ救われた気がした。

あの笑顔を再び、自分へ向けて欲しい。

過ぎ去った記憶を甦らせながら、心愛は願い続けている。

蜂谷がパソコンを閉じ、勘定台へ向かう様子を、心愛はカフェ内に置かれた大きな観葉植物の隙間から、細く小さな瞳にずっと焼き付けていた。

その両指先はパソコンに添えられている。

蜂谷が店を出ると、時を同じくして彼女も席を立つ。

心愛は可能な限り、蜂谷の背を追った。

「何か、落ちましたよ」

面識のない通りすがり人から手渡された赤い鈴の飾りを、心愛は受け取った。

「ありがとうございます。これ、大切な物なんです」

心愛が手にした鈴は以前、蜂谷から贈られた物だ。今でも肌身離さずに持ち続けている。






その夜、芽依はある男性の個別ボックスにメールを送信した。

「さっきは、ありがとう。皆とのチャットも楽しかったけど、あなたと二人で会話のやり取りがしたくて」

五分も経過しない内に、返信が届く。

男の名は、蜂谷。

「こちらこそ、ありがとう。いい気分転換になったよ。そうだね。少し、お話しをしますか?」

色良い返しに芽依は嬉しく想った。

しばらく、送受信を繰り返した後、蜂谷からの返信に芽依は想わず頬を赤く染める。

「君と話してると楽しいし、辛い出来事も忘れられる。良かったら、アドレスと番号を教えてくれないかな」

芽依はたえきれず、すぐに応えようとしたが、僅かな戸惑いを見せた。

「ごめんなさい。今、携帯が故障中で、明日に機種変してからでもいい?」

彼女は折り返し届いた、蜂谷の返信メールを急いで開く。

「いいよ。待ってるから」

翌日、芽依のパソコンは蜂谷からの受信で埋め尽くされていた。

八割が、芽依への質問だ。

好きな食べ物は?

好みのタイプを教えて。

休みの日は何をしてるの。

蜂谷の問いかけに彼女は、何一つ偽りのない自分自身を伝える。

けれど、満たされた日々は続かなかった。

芽依はパソコンの前で、近頃、返信に対して不精気味の蜂谷に不満を抱いていた。

待ちくたびれたある日、蜂谷から一通のメールが届く。

「ごめん。君を見てると、昔の彼女を想いだして辛いんだ」

以来、蜂谷から連絡が来る事はなかった。

芽依は、パソコンの際に置いていた小さな飾りを握り締めると、机上に叩き付ける。

上張りに落ちた赤い鈴が、哀しい音色を零した。






初夏の陽射しが眩しく降り注ぐ午後、咲は、清々しい表情で美容整形専門医院から出てきた。

今回で、通院は三十回目を迎える。

彼女は、過去の自分を切り捨て、全てを塗り替えてしまった。

内面、外見諸ともに。

そうして出来上がった一人の女性は、璧に磨かれていた。

本日、咲は都心近郊で、ある男と逢う約束を交わしている。

彼女は長い間、この日を待ち望んでいた。

咲の人生に必要不可欠な最高のパートナー、その男こそが、これから対面する相手だった。

待ち合わせ場所に辿り着いた咲は、すぐに人混みの渦中から男性を探し出す。

「こんにちは」

彼女が声をかけて、ようやくといった様相で男性が気付く。

「……君が、咲ちゃん? ブログの写真と少し雰囲気が違うね。初めまして、でいいのかな」

「チャットではお互い、会話を重ねて来た仲なのに、改めて『初めまして』なんて言うと、何だか気恥ずかしいですね」

大きな奥二重が特徴的な愛らしい瞳を男に向けて、咲は照れ臭そうに呟いた。

彼女は彼に問う。

「昔の恋人のことは、吹っ切れたのですか?」

「あんな厄介な女、最初から目じゃないよ。君の方が、ずっといい」

「良かった。私もです。これから、よろしくお願いします。蜂谷さん」

確りと掴まえた最愛の人を離さない様に、咲はその腕に自身の右腕を回すと、執念に満ちた笑みを浮かべる。

彼女の左手首を飾る赤い鈴の音が、仄かな風によって掻き消されていった。




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ジストマ 孔雀 凌 @kuroesumera

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