第10話「あたち」7

「どうして”あたち”がそんな言葉を知っているのか?でしょっ??」


”あたち”は俺に背中を見せたままそういった。


まるで俺の心の中を見透かしている様なその言葉を聞いて、俺はその”あたち”からの問いに答えられずにいた。


”あたち”は両手を口に寄せて、まるで遠くに見える「光」に向かって叫ぶように続けた。


「”あたち”が何でこんな言葉を知ってるのかわかんないしー、教えませーん!」


まるでこの何もない白い空間を切り裂くような、どこまでも伸びていく声だった。

ボートの帆先はゆっくりと左右に揺れている。


俺は座ったまま両手を後ろにつき、”あたち”の存在が、その言葉が、少しづつ俺の中に浸透していき、どんどん”あたち”を受け入れ始めていた。


それは気分が良い事だった。


そうだ、俺はこの子、”あたち”を見て、話して、足先から頭上まで不思議な力が出てくる様な感覚に酔っていた。


これがきっと、元気出てくる、って言う様な事なんだろう。


俺はいつ頃からこんな大事な感覚を忘れてしまっていたのか。


桜柄の着物を着て、おでこの上で一つに結んだ前髪を揺らしながら佇んでいるこの子供に、何か大事なモノを気づかされたんだ。


俺はそれらの事に気が付くと、無意識に入っていた全身の力が少しづつ抜けていくのが分かった。


俺は不思議な自己肯定感に浸っていたんだ。


しばらくそうしてぼーっとしていると、”あたち”がさっきと同じ、俺に背を向けたままの体勢で俺に問いかけた。


「ねぇ、ねぇ。これからどこ行くの?」


俺は久しぶりにやってきていた安堵の世界から少しづつ”あたち”の言葉をきっかけに戻ってこようとしていた。

こんなに何も考えないでいたのは久しぶり多だった。


これからどこ行くの?これからどこ行くの?これからどこ行くの?これからどこ行くの?



俺は何度か”あたち”の言葉を反芻して自分の置かれている状況に戻ってきつつあった。


「あぁ、俺はどっちに行っていいのか分からないんだよ」


俺の体中の筋肉は緩んだままだった。


「あの遠くに見える「光」の場所に行かなくちゃって思うんだけど、どっちに行っていいのか見当もつかなくてさ。だから分かるまで迂闊に動けないなって思ってるんだ」


俺は”あたち”と一緒いる事に心地よさを覚えていた。


「でも、どっかに進まないとぉ、あそこにはいけないんじゃないの?」


”あたち”は俺に背を向けたまま「光」の方向を指さしながら答える。


「あぁ、そうなんだけどさ、変に進んで間違えたらまずいし、俺にはどうしていいのか分からないからまだ様子を見ておこうかなって思うんだ」


俺には今何かを決めるような意志は無かった。

この心地よい感覚に浸っていたかった。


「そう」


と”あたち”は小さくつぶやくと、顔だけ俺の方に向けて、ぞっとするような低い声で話す。


「それなら、あなたはこのままここで沈んじゃえば?」


俺は鋭くなった”あたち”の視線に全身を射抜かれたような感覚を覚えた。

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