狂える類人猿 Ⅱ

 親父に手を引かれる形で帰宅しても、頭の中はあの鉄骨の中を走るヒゲと巨大なゴリラのことで頭を埋め尽くされていた。


 単純かつ記号的な物体ではではなく、目や口にとどまらず表情のはっきりと判る”キャラクター”がそこに存在していたのが革新的で、隣で同じく稼働開始したばかりの”王様をさらおうと降下してくる風船を撃ち落とすやつ”はそれほど目に入らなかった。


 パッと見で少し古めかしいことが判る代物だったのもあり、進んで遊んでみようという気にはあまりなれなかった。さらわれかける王様がHELP!ヘルプゥ HELP!ヘルプゥと喋るのには驚かされたが、王様の声が切迫感がないどころかどこか暢気のんきでそれが気に入らないのもあったのかも知れない。ゆえに頭の中はあの建築中の鉄骨むき出しのビルを登るヒゲのことで染まっていた。


 頭の中がヒゲとゴリラで一杯であることを隠そうとしなくとも親父は特にしかってきたりはしなかった。親父が娯楽に関しては容赦せず取り組む人間なのもあってか、こういったことには型破りなまでに寛容かんようで世間では子供に読ませてはいけない悪書だとされていた”いたずら好きな少年とその子分のメガネが女教師を毎回エッチな目に遭わせる漫画”もテレビまんがで放映されているのを夕ご飯を食べながら観た上で、お前に買ってやるぞと放映を観終えるやいなや俺を連れて商店街の閉店間際の本屋まで行って買い与えるような親父だった。そのことに母は、そんなものを買い与えてと眉をひそめていたが。


 翌日、入院中にテレビを観るために貰っていた小銭を握りしめてヒゲとゴリラのあるパン屋兼洗濯屋へ向かった。み上がりでまだ休んでいたのもあり、まだ正午前の誰もいない時間にゆっくり遊べる状態になっていた。


 画面を覗き込む。おりに入れられていたゴリラが自身のジャンプした衝撃で檻をやぶらんとする光景が映し出され、檻を破ると共に不安をあおるメロディが流れた。


 そうか。こいつゴリラは檻を破って女性をさらい、建設中のビルへに立てこもったのか。お金を入れてボタンを押す”例の作法”で最初に繰り広げられる女性を抱えて鉄骨を登るゴリラの映像と繋がり、ストーリーが垣間見えた。


 ゴリラの挑戦的な表情の絵、25Mメートルの表示と


HOW HIGH CAN YOU TRYお前はどこまで登れるか


 読める筈もなくかといって気にする程でもなく、そうしているうちにヒゲとゴリラの一面が始まる。すぐに頭上からタルが落下してくる。追い立てるられように前へ進む。落下してきた樽はスタート地点後ろにあったドラム缶に接触し、炎が上がる。ドラム缶に接触した樽が方向を変え、こちらへ向かってくる。最初は飛び越えるタイミングが掴めず一人目のヒゲはそれで死んでしまった。


 梯子はしごの登り方がわからなかった。少し悩んだ末にレバーを上に入れると登れることに気づく。降りるのはレバー下だ。炎が上がったドラム缶から目のついた人魂ひとだまが出てくる。触れてはいけないのだろうことはなんとなく理解できた。


 最初の梯子は途中で切れて登れない。画面端まで走るとようやく切れていない梯子があり、そこでようやく一段上に登る。登った場所のすぐ近く、頭上に何かある。トンカチだった。


 あれは取れるのだろうか、触れてはいけないのだろうかと逡巡しゅんじゅんしていると次々と樽が転がってきた。一つは目前。トンカチの下で樽を飛び越えたらヒゲがトンカチ空中でつかみ、それを繰り返し振り下ろし始めた。


 ヒゲがトンカチを振り下ろすその絵面えづらで樽を破壊できることを即理解して、次に来る樽にぶつかる勢いで突っ込んでいく。ポンポラリリン、というメロディと共に樽が破壊されて得点が加算される。


 さらなる樽を壊さんと樽に突っ込んでいくこと数回。トンカチを振り上げた隙に転がってきた樽がヒゲの腹に当たって二人目のヒゲが死ぬ。トンカチを持っていても決して油断はできない事をヒゲの死をもって知った。


 ヒゲの最後の一人は慎重にやろうと丁寧に樽を飛び越え、上の段を転がる樽は梯子を通過するのを確認してから梯子を登るなど徹底し、あともう一段というところまで到達。画面左にはとても取れそうに思えない位置にトンカチがあったが、これを取るのは無理なんじゃないかと執着せず無視して残り一段を登るために右へ走る。程なくして梯子に到達して最終段。ここからゴリラ近くの梯子まで走り、それを登れば女性を救助できる。しかし、それを意識するあまり緊張で樽を飛び越えそこない最後のヒゲが死ぬ。


 それから四回程遊んだだろうか。出かける前に必ずこの時間に帰ってこいと約束させられた昼時ひるどきを近くの町工場のウーというサイレンが告げ、昼食をるために一旦帰った。


 帰り道にある、もう一軒のパン屋側面そくめんのガチャガチャが並ぶ一角に小さな倉庫らしきものが出来ているのはその時は気づきもしなかった。

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