第五章 たった一度の口づけ
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「誰にも、見つからなかったわよね……」
角を曲がったところで、ローズは後ろを振り返って安堵の息をついた。
その服装はベアトリスのドレスではなく、持ってきていたローズ自身の質素な服だ。
レオンの話を聞いてローズはいてもたってもいられず、こっそりと一人で街へと出てきたのだ。
街は、祭りの賑わいと人にあふれている。リンドグレーン家のあるファルの街でも、このフィランセの秋祭りは有名だった。ローズの心には、ベアトリスがここに来ている、という確信めいた気持ちがあった。
(自由になったお嬢様が、このお祭りを放っておくわけないもの。あのレオン様が見て私に似ていた、というなら、それはきっとお嬢様に違いない)
「マトレ通りは……」
館でさりげなくメイドに聞いていた場所をたどっていく。なにせ、自分の足でここへくるのは初めてなのだ。右も左もわからないローズは、手探りで進むしかない。
「あ、ごめんなさい」
きょろきょろと通りを探していたローズは、若い男とぶつかってしまう。
「いや、大丈夫かい、お嬢さん」
「はい、申し訳ありません」
「ここらじゃ見ない顔だね。祭りを見に来たのか?」
ローズがぶつかった男は、にこにこと笑顔で言った。口調からして、地元の人間なのだろう。
「ええ、そうなの。マトレ通りで待ち合わせをしているのだけれど、迷ってしまって」
「マトレ通りか。ここらじゃ一番にぎわっている通りさ! ええと、あの通りを真っ直ぐ行って……説明するのは難しいな。ちょうど俺もそっちへ行くところだから連れてってあげるよ」
「ありがとうございます」
ほ、としてローズも微笑んだ。
式の前で気持ちが不安定だから今日は一人でいたいの、としおらしく言うと、ソフィーはあっさりと信じてくれた。部屋にこもるから昼はいらないと言っておいたが、レオンの帰ってくる夕食までには戻らなければならない。迷っている時間はないのだ。
男はローズを連れて通りを歩き出した。
「待ち合わせは、もしかして彼氏?」
「いえ、違います! 友人です」
「へえ、そうなんだ。俺も友人と待ち合わせなんだ。よかったら一緒に食事でもどう? もちろん、おごるよ」
「そんなご迷惑をかけるわけには……」
話しながら歩く男は、どんどんと細い路地へと入っていく。
「あの、こちらですか……?」
レオンは、馬車から見た、と言っていた。どう見てもこの道は、馬車が入れる広さではない。
「近道なんだ」
路地の向こうに目を向けたローズは、隣にいる男と同じ年頃の男たちが数人、こちらを見ていることに気づいた。
ざわり、とローズの胸が騒ぐ。
「あの、ありがとう。わかったからあとは自分で行くわ」
さりげなく道をそれようとしたローズの腕を、男はがしりとつかんだ。
「つれないこと言うなよ。ここまで来て、それはないだろ」
とっさに腕を振りほどこうと抗うローズに向かって、路地の男たちが近づいて来る。
「上玉だな。やったじゃん」
「お嬢ちゃん、こわがることはないよ。一緒に楽しく遊ぼうってだけだから」
「早く、こっちへおいでよ」
それぞれに言う男たちを見て、ローズはぞっとした。
「いやっ……離して!」
「おっと、静かにしろよ。暴れると痛い目を見るよ」
ローズの手を掴んでいる男は、先ほどとは違う下卑た笑いをその顔に乗せていた。
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