第6話 吸血鬼の護衛
「落ちこぼれって、ケイル君のこと?」
教室を出た後、クレナはすぐに質問した。
「ああ」
「ふーん。……能力が使えないって話、嘘じゃなかったんだ」
クレナは何かを考えながらつぶやく。
「一応先に言っとくけど、教室で言った自己紹介は全部ほんとのことだよ。元々この学園には最初から入学するつもりだったんだけど、諸事情で時期が遅れちゃったの」
「家庭の都合、だったか」
「そう、家庭……というより、吸血鬼の都合かな」
クレナが視線を落として肯定する。
つまり、俺と学園で再会したのは偶然だったということか。とはいえそれは不自然というわけでもない。ヘイリア学園は、王都で最も規模の大きい学園である。彼女がグランセルに住んでいるのであれば、この学園に通うことも極めて自然なことと言える。
「あの夜、ケイル君がここの学生服を着ていたから、もしかしてって思ったけど、やっぱり同じ学園だったんだね。……えへへ、知り合いが同じ学園にいるって、ちょっと嬉しいかも」
「俺は全然嬉しくない」
「なんでーっ!?」
俺としては、もう二度とあんな危険なことに首を突っ込みたくはない。今の俺にとってクレナは厄介事を運んでくる疫病神のようなものだ。
それに、知り合いと言っても殆ど顔を合わせた会話はしていない。
「巻き込んだ責任もあるし、ケイル君にはあの夜のことを説明しようと思うんだけれど……ケイル君も、気になるよね?」
「……まあな」
昼休みの学園内は賑わいに満ちており、教室の外に出ている生徒も多数いた。
俺はクレナを購買に案内し、共にパンを買った後、学園内部にある小さな中庭に向かう。ここは昔からあまり人が集まることもなく、内緒話にはうってつけだった。
「さて、何から話したらいいのか……まず、あの悪魔の男について説明するね」
「ああ」
長くなるのか、クレナは一度言葉を切ってためを作り、そして再び口を開く。
「あの男は、アルガード帝国の狗よ」
アルガード帝国は強大な軍事国家であり、その領土はアールネリア王国に隣接している。軍事色の強い帝国は、亜人に他するスタンスが王国と比べて厳しい。ただ、亜人全体を排斥しているのではなく、軍事力を持たない種族が排斥されやすいのだ。例えば――ドワーフや妖精など、戦闘が苦手な種族にとっては居心地の悪い国である。
「狗って、どういうことだ」
「軍の末端構成員とでも言うべきかしら。奴らは今、亜人の血を求めているの。……
「……昔、少しだけ噂になっていたな。種族特性を利用した兵器だったか。種族戦争の末期に、人間が開発を始めたが……結局、完成する前に戦争が終わり、計画ごとお蔵入りになったとか。でもあれは都市伝説だと聞いたぞ」
「伝説ではなく実在しているのよ。そして帝国は今も、秘密裏にその開発を続けている」
クレナは一拍置いて説明を再開した。
「特種兵装の材料は、亜人の血……特に、王家の血よ。連中はそれを求めて、私を追っているの」
「……じゃあ、クレナは吸血鬼の王族ということか?」
「分家だけどね。私は
「素材って……」
悲観的な物言いだが、事実だ。彼女は兵器の材料に使われようとしている。
「まあ要するに、アレに襲われたせいで、入学の手続きも遅れちゃったんだよね。ほんとは四月の入学式に間に合う筈だったんだけど、道中で何度も襲われたから予定が狂っちゃった。まさか、帝国を抜けても追ってくるなんて思わなかったよ……」
「クレナは元々、帝国に住んでいたのか?」
「正確には、帝国の隣にある吸血鬼領かな」
「ああ……」
人間にとってはあまり馴染みのない場所だ。
種族戦争が終わり種族による差別は減ったが、現実問題、国や都市で複数の種族の在住を許可すると、様々な問題が生じてしまう。例えば街のインフラ整備だ。人間は基本的に石や木でできた家で過ごすが、妖精や精霊、獣人の一部は自然の中を好んで過ごす。また人間は地上の道路さえあれば移動に困らないが、吸血鬼は空を飛んで移動するので、空路にも気を遣わねばならない。
こうした問題は妥協によって解決となる場合が多い。それを許容できない者たちは、自分たちの種族だけしか過ごせない、閉鎖的だが快適な集落を生み出すのだ。吸血鬼領は文字通り、吸血鬼たちだけが住んでいる集落である。クレナは以前までそこに居を構えていたらしい。
「吸血鬼領の方が居心地も良かったんじゃないか? あそこなら、他の種族は入れないから比較的安全だし、それにクレナも貴族らしく暮らせるだろ? どうしてこんな他国の……それも身分が意味を成さない、ヘイリア学園に来たんだ?」
そう訊くと、クレナは少しだけ目を伏せて答えた。
「私にとっては、その貴族らしい暮らしっていうのが、性に合わなかったの。家とか、種族とか、そういったしがらみを無視して、自由に生きたいと思ったから、心機一転のつもりで王国に来た」
「……まるで、外の世界に憧れるお姫様みたいだな」
「お姫様なんて柄じゃないけどね」
「それは知ってる」
「なにをーっ!?」
お嬢様にはお嬢様なりの苦悩があるらしい。
それだけは理解したし、多少は同情する。とは言え、それでもあの夜、一方的に巻き込まれたことは忘れられそうにない。
「そう言えば……亜人は確か、王族だとかなり強いんだよな。あと、純血も種族特性が強くなるって聞いたことがある」
「そう! だから両方備え持っている私はかなり強いよ? まあ王族は大体純血なんだけど」
「そのわりにはお前、あの夜、普通に負けてなかったか?」
「あ、あの時はお腹空いてたから仕方ないのっ!」
そう言えばクレナはあの夜、俺を眷属にする前に血を吸ってきた。
腹が減ったら力がでないとか、そういう性質なのだろうか。
「私も、ケイル君に説明して欲しいことがあるんだけど」
クレナがまっすぐ俺を見据えた。
「眷属になったのは、あの時が初めてだったんでしょ? ならどうして、あそこまで吸血鬼の能力を上手く扱えたの?」
「知らん。できると思ってやったら、本当にできただけだ」
「『
「だから知らん」
「本当は何か隠してるんじゃないの? 実はかつて、吸血鬼の眷属として数々の戦場を駆け巡ってきたとか」
「ないない」
「実は初めから人間じゃないとか」
「ないない」
「実は変態だとか」
「なくもない」
「そうだよね~。? 私のスカート覗いてたもんね~?」
「否定はしない」
どうやら気づいていたらしい。
健全な男子なら、あれは覗かないほうがおかしいと思う。
「悪いけど、本当に知らないんだ。ただ……自覚はしてる。眷属に適性というものがあるのかは知らないが、もしあるんだとしたら、多分俺はそれが高いんだろう」
「眷属に適性、ねぇ。聞いたことないわね」
「あるとしたら、って言っただろ。それに、吸血鬼限定じゃないみたいだ。昨日、獣人の眷属にもなったんだが、その時も俺は異常だったらしい」
「は?」
クレナが顔をしかめた。
「ケイル君……獣人の眷属にもなったの?」
「あ、ああ。ほんの少しの間だけどな」
そう言うと、クレナは頬を膨らませて不満気な顔をした。
「むぅ……ちゃんと唾つけといたほうが良かったかな」
そう言って、クレナは俺の方を真っ直ぐ見る。
「ねえ、ケイル君。本格的に私の眷属にならない?」
「……どういう意味だ?」
「さっき説明した通り、私は帝国に狙われている。だから私は、強い味方が欲しい。私の眷属になった時の、ケイル君の強さは本物だった。――ケイル君には、私の護衛になって欲しいの」
「護衛って……」
自分の身を守ってくれる護衛が欲しい。そんな頼みを口にする時点で、彼女が本気で今、切羽詰まっていることが分かった。しかしそれは、今まで普通の学生として平和に過ごしてきた俺にとっては、あまりに唐突に感じる問いかけでもあった。
「そんなの、自前で用意できるだろ? お前は王族なんだし……」
そう訊くと、クレナは頭を振った。
「あんまり言いたくないんだけれど、実は私、殆ど内緒で吸血鬼領を出てきちゃったから……今は、一人も護衛を連れていないの」
「内緒って……」
「そうでもしなくちゃ、抜け出せなかったから」
クレナが儚い微笑を浮かべる。
彼女の提案に、俺は唇を引き結んだ。
返事は、既に決まっている――筈だった。
こんな危険なことに首を突っ込む気はない。だが、目の前の少女が語る事情は想像以上に重苦しいものだった。帝国という、国家そのものに狙われている彼女の精神的負担は、きっと俺には計り知れないだろう。
クレナは明るく振る舞っているが、彼女は学生の手には負えない、深い事情に巻き込まれている。当然、それはただの学生である俺の手にも負えない。
――荷が重い。
それが素直な感想だった。しかし、
――見捨てるのか?
葛藤もある。
ここで彼女を見捨てると、俺は今後、後ろめたい気持ちを抱えながら生き続ける羽目になるのではないか?
それに――吸血鬼の力は、俺にとっても魅力的だった。
あの力があれば――そう思ったことも少なくはない。
しかし――。
(……ミュア)
妹の、屈託のない笑みを思い浮かべる。
両親が蒸発した今、ミュアの家族は俺一人だ。
ミュアを心配させたくない。
そんな気持ちも俺にはあった。
「報酬を、用意するっ!」
考え悩む俺に、クレナははっきりと言った。
「1日につき、金貨5枚! ……ど、どう? 学生にしては、かなり破格だと思うけれど」
「それは、確かに大金だが……そんな金、用意できるのか?」
「これでも王族よ? その程度なら余裕で用意してみせるわ。……ママが!」
胸を張って言うクレナに俺は醒めた視線を注いだ。
しかし――1日で金貨5枚。
これなら、十日もあれば俺の分の学費を支払えるし、更に日頃の生活費も俺の方で賄える。
つまり、ミュアの負担を減らせる。
それは俺にとって、強い決定打になった。
「……わかった。引き受けよう」
こうして俺は、クレナの護衛になることを誓った。
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