第7話 決闘



 クレナの護衛になることを約束した俺は、そのまま彼女と共に、教室の方へ戻っていた。


「具体的に、俺はいつまでクレナの護衛であればいいんだ?」


「うーん、できれば帝国の問題が解決するまで、と言いたいところだけど、ひとまず私が狙われないようになるまでかな。帝国だって 何度も刺客を差し向けるわけにはいかないだろうし。こっちがずっと抵抗していると、向こうもそのうち諦めてくれると思う」


「わかった。……その間はずっと、クレナの眷属になっていればいいんだな」


「うん。お願い」


 残念なことに平常時の俺では、クレナを護衛できない。むしろ俺が護衛してもらいたいくらいである。

 護衛をすると決めたからには、早い内に眷属化してもらおう。


「おい、ケイル」


 廊下を歩く俺に、誰かが声をかけた。

 振り返ると、そこには金髪の男子生徒が立っていた。


 ローレンス=エルデガード。アールネリア王国エルデガード男爵家の長男だ。

 貴族も平民も関係ないこの学園でも、隙あらば権力を振りかざそうとする厄介な人間である。特にローレンスは昔から俺のことを毛嫌いしており、ことあるごとに取り巻きと一緒になって、危害を加えてくるような男だった。


「……なんだ?」


「お前、最近調子に乗ってんじゃねぇか?」


「そんなつもりはない」


「なら、クレナさんから離れろよ。クレナさんを狙ってんのかは知らねぇけど、落ちこぼれのお前が、この学園の代表とは思われたくないからな」


 クレナを狙っているのはお前だろ。とは言えない。

 押し黙る俺に、ローレンスはクレナの方へ近づいた。


「クレナさん、学園の案内なら、続きは俺がやりましょう。こんな奴よりも立派にエスコートしてみせますよ」


 ローレンスが言う。

 しかし、クレナは――。


「別に私は、ケイル君のエスコートで満足しているんだけど」


 クレナが言うと、ローレンスは焦ったように目を見開いた。


「ク、クレナさんは騙されてるんですよ! そいつに!」


「騙されてる?」


「そいつは落ちこぼれなんです! この年になってまだ能力に目覚めてない! そんな奴と一緒にいると、クレナさんの評価も落ちますよ!」


 ローレンスは俺の方を見てニヤリと笑った。

 大方、俺が能力のことを内緒にして、クレナと友好を深めたとでも思っているのだろう。しかし生憎だが、クレナは俺の事情を知っている。その上で、こうして行動 を共にしている。


「悪いけど、私、周りの評価とかそういうのは気にしてないから」


 クレナが言う。

 多分、俺を庇っているわけではなく、本心なのだろう。クレナに俺を気遣うような態度はない。

 ローレンスは、わなわなと震えながら俺の方を見た。


「ケイル! 俺と決闘しろ!」


 ローレンスは怒りに顔を真っ赤にして言った。

 決闘? いきなり何を言ってるんだ?


「丁度、次の授業は模擬戦闘だ。そこで俺と戦え。……クレナさん。こいつが、どうしようもない劣等種だってことを、俺が証明してみせますよ」


 一方的すぎる提案だった。

 当然、俺はこれをやんわりと断ろうとするが――。


「賛成! ケイル君、やってみようよ!」


「は?」


 何故かクレナが、その提案を受け入れた。


「お、おい! お前、勝手なことを――」


「丁度いいじゃん、眷属の力を試してみようよ」


 クレナが小さな声で俺に耳打ちした。

 なるほど。それが目的か。


「決まりだな。へへっ、次の授業が楽しみだぜ」


 ローレンスが笑いながら踵を返す。

 俺はその背中を見届けた後、深く溜息を吐いた。


「厄介なことをしてくれたな……」


「大丈夫だよ! 私の眷属になったケイル君なら、並大抵の生徒には負けないから! あの夜のことを思い出して!」


 確かに、クレナの眷属になった俺――あの夜の俺ならば、並大抵の生徒には負けないだろう。

 だが、ローレンスは並大抵の生徒ではない。


「相手が悪い……あいつは貴族だ」


「貴族って……え、嘘。あんな奴が!?」


 驚くクレナに、俺は慨嘆気味に頷いた。

 貴族は、極端に性格の良い人間か、反対に極端に性格が悪い人間のどちらかである可能性が高い。あの男、ローレンスは間違いなく後者だ。日頃から権力を盾に、や りたい放題する生徒である。


「亜人と同じように、人間も基本的に、上流階級の方が強いんだ。なにせ能力っていうのは、ある程度、遺伝するからな」


「……ごめん。少し調子に乗っちゃったかも」


「まったくだ。別に眷属の力を試すなら、別の機会でも良かっただろ」


 そう言うと、クレナが不機嫌そうな顔で答えた。


「だって、あいつ……ケイル君のことを、馬鹿にしたもん」


 クレナが小声で言う。


「私にとって、ケイル君はヒーローだよ」


「ヒーローって……あの夜のことを言ってるのか? あれはただ、眷属の力を手に入れたから――」


「でも命令する前に、私を助けてくれた」


 クレナが力強く言う。


「なんでかは知らないけれど、ケイル君には主としての命令が通用しない。それって……逆に言えば、ケイル君は自分の意思で私を助けてくれたってことでしょ? あの時は言いそびれたけれど……本当に、ありがとう。私、ケイル君のおかげで助かったよ」


 出会ってからずっと明るく振る舞い続けていたクレナが、少ししんみりとした口調で告げた。どうも落ち着かない。俺は後ろ髪を掻きながら口を開いた。


「……さっさと俺を眷属にしてくれ」


「え?」


「人間のままだと、あいつには勝てないだろ」


 こちらの意図を察したのか、クレナが笑みを浮かべて頷く。

 それから彼女は、俺の首筋に牙を立てた。


「それじゃ、いっただっきまーす!」


「だから飲むなって言ってんだろ!」


「あ痛っ!?」


 吸血鬼が人間を眷属化する条件は、血を注ぐことである。飲む必要はない。血を飲むのはただの食事である。


「ちょ、ちょっとくらい、いいじゃん!!」


「駄目だ。一滴も飲むな」


「い、一滴も!? そ、そんな、目の前にご馳走があるのに、全く手をつけちゃ駄目だって言うの!? ケイル君の鬼畜! 人でなし! 身体目当て!」


「やめろ! 紛らわしいこと言うな!」


 確かに眷属の身体が目当てではあるが。

 周りから氷のように冷たい視線を注がれ、俺は慌てた。


「吸血鬼用の血なら購買にも売ってただろ」


「うぅ……だって、ケイル君の血、すごく美味しいんだもん」


「嬉しくねぇ……ああもう、わかった。少しだけならいいから、そろそろ頼む。授業が始まる前に、眷属の身体に慣れておきたい」


「やったー!」


 クレナは飛びつくように俺の首に手を回し、今度こそその牙を突き立てた。血が少し吸われた後、吸血鬼の血が身体に注入される。


「――グッ!?」


 心臓が跳ね上がり、全身に熱がこもる。

 口内と背中に強い違和感があった。口元からは牙が現れ、制服の背中側が少し盛り上がる。


「なんか、前回よりも身体に違和感が……」


「今回は多めに血を注いだからね。うーんと、牙が生えてるのと、後は……あ、羽も生えてるね!」


「羽!? って、そうか。吸血鬼って羽もあるのか」


「うん。でも不要な時は邪魔になるから、今みたいに折り畳んどいたほうがいいよ」


 吸血鬼も色々と工夫して生きているらしい。






 ◇






(いよいよか……)


 模擬戦闘の授業が始まった。

 この授業では、生徒同士が模擬戦闘を行う。

 いわば自分で自分の身を守るための訓練だ。種族戦争が終わったことで人類同士の大規模な争いはなくなったが、まだ小さな競り合いは続いているし、稀ではあるが 戦時中の怨恨が起因し、生徒が襲撃を受けることもある。そういった物騒な事態への対策として、この授業が存在する。


 模擬戦闘で使用する訓練場の一室で、俺とローレンスは対峙していた。


「逃げずにここまで来たことは褒めてやるよ」


 ローレンスがご機嫌に笑った。

 訓練場には他の生徒もいる。だが、ここにいる生徒の全てがローレンスの味方であり、俺の敵だった。教師は他の訓練場にいるのか、姿が見えない。


 しかし、たった一人だけ、俺にも味方がいた。


「ケイル君、がんばってー!」


 クレナが満面の笑みを浮かべながら、こちらに手を振っている。

 一瞬、俺は嬉しい気持ちになったが――よく考えたら災いの元は彼女である。すぐに気分を冷やした。


「いい気になってんじゃねぇぞ、落ちこぼれぇ!」


 ローレンスがが素早く腕を振り上げる。

 瞬間、足元にあるローレンスの影が、まるで生きているかのように起き上がった。真っ黒な影は、鋭利な刃と化して俺に襲いかかる。


「それが、お前の……」


「そうだ! これが俺の能力――【支配系・影】だ!」


 支配系の能力は、対象を自在に操るといった効果を持つ。

 ローレンスの場合、その対象は影。厳密には自分自身の影といったところだろう。


 厄介な能力だ。

 影に明確な形はないため、物理的に破壊できない。


「そうら、行け! 串刺しにされろッ!!」


 ローレンスは影を2つに分離させ、挟み込むように俺へと差し向けた。床を這う黒い影が、それぞれ棘と化して俺の身体に襲いかかる。

 しかし――。


(……見える)


 獣人の眷属だった時ほどではないが、今の俺は動体視力が強化されている。

 影の刃が迫る。その切っ先が俺の肩に触れた。

 出血を確認すると同時――俺は、吸血鬼の種族特性を発動する。


 影が俺の肩を貫く直前、俺は肩周りに血の鎧を形成した。

 ガキン、と金属同士が衝突したような音がする。

 血の鎧によって防がれた影は、先端がひしゃげていた。


「な、なんだ、お前……何をした!?」


 ただ血を操って防御しただけだが、ローレンスは大袈裟なまでに驚愕した。


(こいつ……俺が今、吸血鬼だと気づいていないのか)


 思わず苦笑する。

 ローレンスは俺のことなど何も見ていなかった。少し観察すれば気づく事実だというのに、この男には最初から、俺のことなど眼中になかったのだ。


「どうやらマグレで防いだようだな。なら――これで決めてやるよ!」


 ローレンスが右腕を掲げる。すると、足元の影が渦を巻きながらローレンスの頭上に収束した。影はやがて、巨大な剣の形となる。


「見ろ、落ちこぼれ! これが俺とお前の、力の差だ!」


 自慢気に言うだけあって、ローレンスの実力は確かに高かった。

 支配系の能力でも、ここまで形状を自由に操作できる者は少ない。

 それでも、今の俺なら、容易く見切れる攻撃だった。


(『血舞踏ブラッディ・アーツ』――)


 何故か使える吸血鬼の武術。

 その力を今、再び行使する。


「――《血戦斧ブラッディ・アクス》」


 ローレンスの影に対抗するように、俺は巨大な真紅の斧を掲げた。その大きさは、ローレンスが掲げる影の大剣よりも二回り大きい。


「な、なんだよ、それ……」


 戦慄するローレンスへ、斧を力一杯振り下ろす。

 ローレンスは、自ら生み出した影の剣ごと床に叩き付けられた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 ローレンスの悲鳴と共に、轟音が響く。

 訓練場の床が砕け散り、爆風が観客たちに襲い掛かった。辺りからの悲鳴に混じって、ローレンスの小さな呻き声が聞こえる。ローレンスは間一髪で影を身に纏い、鎧代わりにすることで衝撃を防いでいた。


「お、おい。今の、やばくねぇか……?」


「化物……」


 観客が騒然としていた。

 誰もが目を剥いて俺に注目している。


(……強いな)


 巨大な斧を消し、血を体内に戻した俺は、自らの両手をまじまじと見つめながら思った。


(眷属になったからと言って、強くなりすぎている。……なんなんだ、この力は)


 いい加減、はっきりと自覚した。

 クレナが王族かつ純血の吸血鬼だとしても、その眷属になるというだけで、ここまでの力を得られるわけがない。


「は、反則だ……!」


 その時、ローレンスが叫んだ。


「その力、吸血鬼のものだろ! け、眷属の力を使うなんて、卑怯だ!」


 ローレンスの叫びに、周りの生徒たちも「そうだそうだ!」と声を上げた。


(無能力者を相手に、能力を使って戦うのは卑怯じゃないのかよ……)


 怒りのあまり歯軋りした。

 模擬戦闘で眷属の力を使ってはいけないというルールはない。多くの種族を許容するへイリア学園では、人間が亜人の眷属になることも受け入れられている。


「じゃあさ、試してみる?」


 騒ぐローレンスに対し、クレナが怪しげに笑って言った。


「今、ケイル君には私の血を流しているの。それが卑怯だというなら、貴方にも同じことをしてあげようか?」


「ク、クレナさん、いいんですか?」


「いいよ。それでもう一回、ケイル君と戦ってみなよ」


 そう言ってクレナはローレンスの方に歩み寄った。

 隣を通り過ぎる彼女に、俺は思わず声をかける。


「お、おい、クレナ。そんなことしたら――」


「大丈夫。……戦いにすら、ならないから」


 クレナの言葉に俺は首を傾げた。

 戦いにすらならない? どういう意味だ?


「それじゃあ、ローレンス君。いくよ?」


 クレナがローレンスの首筋に噛み付き、血を注ぐ。

 ローレンスは、血走った目で俺を睨み付けた。


「ははは! ケイル! 残念だったな! これで、お前に勝ち目はなくなった――――ゴフッ!?」


 不意に、ローレンスが口から血を吐いた。

 ローレンスは心臓に手をやり、苦しそうにもがく。


「い、痛ぇ……なんだこれ、痛ぇ、痛ぇよ……!?」


 ローレンスは床に倒れ、ひたすらのたうち回った。

 その姿を見て、俺は呆然とする。


「どういう、ことだ……?」


「ケイル君には言ってなかったけど、亜人の眷属になるのって、そう簡単じゃないんだよ」


 クレナが説明する。


「特に私みたいな純血の亜人は、雑種と比べて能力が高いからね。その眷属になろうとしても、普通はああやって、身体が耐えきれずに破裂するの」


「で、でも俺は、あんな風になったこと……」


「だから、ケイル君は特別なんだって」


 クレナが言う。

 その後、騒ぎを聞きつけた教師が、ローレンスを保健室まで運んでいった。


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