第4話 獣人の眷属
生徒たちから逃げ続けた俺は、ふと周囲が暗くなっていることに気づき、足を止めた。
(しまった! ここは――深層かっ!?)
植物の色が濃くなっている。
あたりの土に生徒の足跡は見当たらず、枝葉の天蓋は陽光をほとんど遮っていた。
――深層。
この森には浅層と深層、二種の領域がある。
通常、学生が実習で使うのは前者の方だ。だが俺は逃げることに必死になるあまり、後者の深層まで来てしまったらしい。
深層に生息する魔物は強敵ばかりだ。
まずい。魔物と接触する前に、早く浅層に戻らなくては。
深層の魔物と戦うくらいなら、生徒同士の争いのほうが百倍ましだ。
その時――。
(あれは……生徒か?)
視界の片隅に、人影が映った。
見れば、一人の女子生徒が、獅子のような魔物――ブラスト・タイガーと対峙している。
ブラスト・タイガーは強敵だ。生徒一人で太刀打ちできる魔物ではない。
魔物は雄叫びを上げて、少女へ突進した。
「危ないっ!」
思わず叫ぶ。しかし、
――大丈夫。
少女の唇が、そう呟いた。
刹那――少女の体躯が宙を舞う。
地を蹴り、駆け出したその四肢は樹木を滑り、瞬く間に魔物の頭上にたどり着いた。
軽やかに身体を翻し、少女の踵がブラスト・タイガーの頭蓋に落ちる。
バゴン、と大きな音とともに、魔物が地面に横たわった。
「す、凄い……!」
一撃。たった一度の攻撃で、ブラスト・タイガーを倒した。
それも武器を使っていない。少女は体術のみで戦っていた。
魔物を倒した少女が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「一人でここまで来るなんて、自殺願望者?」
「い、いや、そういうわけじゃないが……というか、一人なのはそっちも同じだろ」
「私は強いから大丈夫」
少女が言う。確かに、その通りだ。
では何故、俺が一人でここにいるかというと、
「……聞いたことないか? 剣姫ミュアの兄は、能無しの落ちこぼれだって」
「ああ……あなたが」
女子生徒はどこか納得した様子を見せる。
その少女は側頭部から獣の耳が生えていた。更に腰の方からは尻尾も垂れている。
――獣人。
なるほど。先程の身体能力の高さも、獣人なら納得できる。膂力が強いのは獣人の種族特性だ。
耳と尻尾はどちらも可愛らしい。彼女は猫科の獣人だろうか。
「虎よ」
こちらの考えを見透かしたかのように少女が言う。
少女は長い金髪の左右を黒いリボンで結んでいた。赤みがかった茶色の瞳は鋭く、背丈は少し高めである。
(最近、美少女と良く会うなぁ……皆、物騒だけど)
昨晩、出会った吸血鬼のことを少しだけ思い出した。
「じろじろ見ないで」
「ああ、ごめん」
考え込んでる内にじろじろと見つめてしまったらしい。
俺は視線を他所へ逸らすと同時に、適当に自己紹介を始めた。
「ケイル・クレイニアだ。剣姫の兄で……噂通りの、無能力者」
「私はアイナ・フェイリスタン。虎の獣人よ」
そう告げたアイナは、唐突にくんくんと鼻を利かせてこちらに近づいた。
「お、おい……?」
鼻先数センチの所にまで迫ってくるアイナに、動揺を隠せない。
「あなた……吸血鬼の眷属だったの?」
「え?」
「匂いがする。吸血鬼……それも純血の」
獣人は五感が鋭いというが、その通りらしい。
「純血に見初められるなんて、貴方、実は凄い人だったりする?」
「いや、そんなことはないが……」
吸血鬼に限らず、純血の亜人は、混血と比べて種族特性が強力である。
種族特性が強力であるということは、それだけその種族の中で、高い地位に君臨できるということだ。つまり純血の亜人は大抵、格式が高い。人間社会における貴族のようなものである。
「前々から疑問に思っていた。あの剣姫の兄が落ちこぼれだなんて、怪しいって」
無表情を崩すことなくアイナが言う。
「だから試す」
「は?」
「私の眷属になって」
アイナの言葉に、俺は暫く呆然と立ち尽くした。
「……試すと言っても、眷属になるだけじゃ、何も分からないだろ」
「私の眷属になった後、一緒にあれを倒して欲しい」
アイナは無言である方向へ指を差す。
そこには三匹の、サイス・モンキーという魔物がいた。尾が刃になっている猿型の魔物だ。図体は先程のブラスト・タイガーのほうが断然大きいが、サイス・モンキーは素早く、的が小さい上に、一撃の殺傷力が高く、加えて複数で行動するという厄介極まりない性質を持っている。
なるほど。確かにあれは、アイナ一人では難しいだろう。
しかし――。
「……俺が吸血鬼の眷属になったのは、ただの成り行きだ。期待しているところ申し訳ないが……アイナの眷属になったところで、俺は戦力外だ」
「そんなことはない。眷属の強さは、主の強さに比例する。私は他の獣人よりも圧倒的に強いから、たとえあなたが本物の落ちこぼれだとしても、私の眷属になった時点で、十分戦力になる筈」
そう言って、アイナは自らの爪で、親指の先を軽く指した。
その後、アイナはすぐに俺の手を握る。
「お、おい!?」
「獣人の眷属の作り方は、同じ箇所に傷をつけ、それを重ねること」
アイナが俺の親指の先も同じように傷つける。
そして、強引に俺の親指と、自身の親指を重ねた。
「――がッ!?」
眷属となる前兆が身体に現れる。
自分のものではない、新たな力が体内に浸透していく。昨夜のように体が熱く煮え滾った。
五感が吸血鬼の時以上に強化される。風にそよぐ草の音がうるさいと思えるほど聴覚が鋭くなった。肉体にも変化が訪れる。爪が急速に成長を遂げ、なんだか無性に大地を駆け回りたい衝動に駆られた。
(二日連続で……しかも、違う種族の眷属になるとは……)
思わず苦笑した。
奇妙な日々が続いている。こんな経験、もう二度とないだろう。
「それじゃあ、一緒に狩りましょう」
「……ああ」
吸血鬼の眷属となった時と同様、不思議と思考がクリアになっていた。
獣人の特徴だろうか。暴れまわりたいという物騒な欲求が、胸中で沸々と燃えている。――やはり、眷属化には何らかの精神作用でもあるのか? 少し前までは、とにかくこの場から去りたいとしか思っていなかったのに、今はそうでもない。
むしろ――戦いたいとすら、思っている。
「キキィィィィィィィイ!」
サイス・モンキーが一斉に飛びかかってくる。
俺はそれを右に避けようとして??そのまま勢い余って、木に激突した。
「な――ッ!?」
まるで瞬間移動でもしたような気分だ。
突如、目の前に現れた木に、俺はすぐに方向転換した。
(こ、これが、獣人の力――!?)
獣人特有の強靭な身体を持つ今の俺にとっては、大した痛みでもない。
気を取り直してサイス・モンキーに接近する。
(昨日の、吸血鬼の時と同じだ……!)
疾駆しながら考える。
(力の使い方が――わかるッ!!)
サイス・モンキーが尾を振り回す。
迫る刃を紙一重で避けた俺は、そのまま右腕の指先に力を入れた。
爪が十センチほど伸び、刃物の如く鋭利になる。
「ハアッ!!」
サイス・モンキーの胴を爪で薙いだ。
ズプリと魔物の肉に沈んだ爪が、すぐその身体を切断する。
まずは一匹。
そうしている間に、アイナも一匹倒していた。
残り一匹は――。
「ケイル、上!」
アイナが叫ぶ。
すぐに視線を頭上に向けると、サイス・モンキーが尾を振りかぶりながらこちらへ落下していた。
刹那、サイス・モンキーの尾が閃く。
俺はそれを――。
「――遅い」
二本の指で、挟んで止めた。
獣人の眷属になったことで、優れた動体視力を手に入れた今の俺なら、サイス・モンキーの素早い動きにも対応できる。
俺は空いた片方の手で、魔物の首を優しく握った。
「じゃあな」
ポキリと骨を折る。
サイス・モンキーはぐったりとして、動かなくなった。
「……貴方」
アイナが眦鋭くこちらを見ていた。
直後、その姿が消える。
横合いから、アイナの豪腕が迫った。
俺はそれを驚愕しながら受け止める。
「なんの、つもりだ――っ!?」
アイナは無言で身を翻し、上段蹴りを放った。空気を割って放たれるその一撃は、おそらく俺の両腕を重ねても防ぎきれない。膝を曲げ、屈むことで蹴りを回避する。
アイナは更に爪を伸ばし、俺の首筋目掛けて斬撃を放った。
その爪が、俺の首に届くよりも早く――手首を強引に掴み、動きを止める。
アイナが両足に力を入れ、拘束を解こうとした。
離さない――離したらまた攻撃される。
「……もういい」
暫く硬直状態が続いた後、アイナがそう呟いた。
警戒しつつも腕を離す。アイナはもう、襲いかかってこなかった。
「……貴方、異常ね」
「な、何がだよ」
「まさか……自覚がない?」
アイナが訝しむ。
「いくら私の眷属になったからと言って、そこまで強くなるなんてありえない」
それは――少しだけ、自覚していた。
俺もおかしいとは思っていた。眷属になり、亜人の種族特性を手に入れたからといって、本来ならそう簡単に使いこなせるものではない。だが俺は何故かそれをうまく使いこなせている。
(まさか、これが俺の能力なのか……?)
だが、眷属になった時だけ発動する能力なんて、聞いたことがない。
大体そんな、「人間を辞めろ」とでも言わんばかりの能力がある筈ない。
「念のため訊くけれど、貴方、過去に獣人の眷属になったことは?」
「……ない」
「でしょうね。そんな臭いしなかったし」
昨晩、吸血鬼の少女にもされた問だ。要するに俺が眷属としての戦いに慣れすぎているから、これまでにそうした経験があったのか気になったのだろう。
「……見つけた、かもしれない」
アイナが小さな声で、何かを呟いた。
「また今後、声をかける」
アイナは最後にそう言って、すぐに立ち去った。
身軽に木々の上を飛び移っていくその後ろ姿を、俺はただ呆然と見送った。
(なんだったんだ……結局……)
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