第3話 友と敵
朝目覚めた俺は、真っ先に鏡で自分の瞳の色を確認した。
「……よし。ちゃんと黒に戻っているな」
吸血鬼の眷属になった場合、その瞳は一時的に吸血鬼と同じように赤色に染まる。これが元の黒色に戻ったということは、俺の中の吸血鬼の血が薄くなり、眷属からただの人間に戻ったということだ。
「今思えば……なんで俺はあの時、あそこまで冷静だったんだろうか……」
結局、昨日の一件が何だったのかはわからない。
ただ、少なくともあの悪魔の男は、吸血鬼の少女を攫おうとしていたようだし、その障害となる俺に至っては殺そうとしていた。
俺は今まで、無能力であることから学園でそれなりに虐げられてきたが、あそこまで殺意を向けられたことはない。思い出せば膝が笑うほど恐ろしい出来事だった。だというのに――何故あの時は平気だったのだろう。
(吸血鬼の、眷属になったからか……?)
眷属になったところで、精神面に変化はないはずだ。
大体、吸血鬼の精神状態は人間と大して変わらないと聞く。
「兄さんおはようございます!」
リビングに向かうとすでにミュアが朝食の支度をしていた。
おはよう、と返して朝食を食べる。
「兄さん、今日もサバイバル演習があるんですよね? 救急箱出しときます」
「……ありがとう」
能力の使えない俺が、サバイバル演習を無傷でやり過ごすなど不可能に等しい。
サバイバル演習とはすなわち、魔物の狩りを行うことだ。現在、世の中には魔物と呼ばれる危険な生物が跋扈している。学園の近くには魔物の住処となっている森があり、この森で演習が行われる。
森の魔物は学園が飼っていると言っても過言ではない。あの森に生息する魔物はいわば訓練用の魔物だ。生徒が魔物の狩り方を学ぶための教材である。
「それと、今日からまた、私はギルドの方で仕事をしてきますので」
「わかった。……剣姫も大変だな」
「そんなことありませんよ」
剣姫。それがミュアの二つ名だった。
ミュアの能力は【素質系・剣】。素質系の能力は、努力し続けることによって、特定の技能を極めることが可能になるといった効果を持つ。ミュアの場合、その対象は剣だ。彼女には誰よりも剣の素質がある。
幼少期から剣を振り続けてきたミュアは、世界最強の女性剣士である称号――剣姫の二つ名をもらっていた。彼女の名を知らぬ者は、この国にはいない。剣士に限って言えば、世界中、ミュアのことを知らぬ者はいないだろう。
「それに、兄さんを養うためと考えれば、私もやる気が出てきます」
「いや、その……本当に申し訳ない。無理しなくてもいいんだぞ? 学園に行きながらでも、多少は働けるし」
「そんなことをする必要はありません! 兄さんは私に養われてもいいんです! そして、いつかきっと、私に依存した兄さんは……ふふ、うふふふっ」
怖い。声量を落としているところ申し訳ないが、全て聞こえている。
依存したらどうなってしまうのだろう。それが怖いから、できれば俺としても独り立ちをしたい。
家を出た俺は、城下町を登って学園に向かった。
ここは王都グランセル。アールネリア王国の中心部である。
グランセルは、世界でも特に種族間のいざこざが少ない平和な場所だった。種族戦争が終わった今も、地域によっては種族ごとに通行税の差があったり、一部種族の出入りが禁止されていたりするが、少なくともここグランセルでそうした光景は見られない。
そんな平和な都市グランセルの中心にある、王立ヘリイア学園は、今日も白亜の城さながらの豪奢な外見を見せびらかしていた。王立というが、入学条件にこれといった制限があるわけでもない。単に、王国で一番大きな学び舎といった認識が正しい。でなければ落ちこぼれの俺は入学できないだろう。
ヘイリア学園は、観光客がこぞって足を運ぶほどの立派な見た目をしている。
だが、一度その中に足を踏み入れれば――一斉に、嫌な視線を突きつけられた。
(朝から憂鬱だな……)
見た目は白亜の城でも、中にいるのは高潔な騎士とは程遠い、幼い学生たちだ。
この学園には人間だけではなく、亜人も多数、所属している。そうした種族の垣根を飛び越えてまで、俺に対する敵意が突き刺さった。
「よお、落ちこぼれ」
どん、と後ろから背中を蹴飛ばされ、俺は床に倒れた。
「ぎゃはは! いい気味だな!」
「へっ、そんなところに立ってるほうが悪いんだよ」
生徒たちが笑いながら去っていく。
無力だった。彼らにやり返すだけの力が、俺にはない。
(……吸血鬼の、力か)
昨晩の力があれば、彼らに仕返しできたかもしれない。
眷属というのも、悪くない。そう思ったが――。
(いや……どうせ眷属になったところで、結局は奴隷扱いだ)
眷属になったら力を得られるかもしれないが、その場合、眷属化の効果がきれるまで主の下僕である。人の身を辞めてまで力を得ても、立場が好転しないのであれば意味はない。
「おーっす、ケイル」
「ケイル、おはよう」
教室に入るなり、二人の男子生徒に声をかけられた。
俺もまた、二人に挨拶を返した。
「ああ、おはよう。ライオス、エディ」
短髪でがさつな男ライオスと、背丈が低くどこかあどけなさを残す少年エディ。二人は俺のクラスメイトであり……俺にとっては大変珍しい、友人だった。
「昨日の実習、大丈夫だったか? ケイル、また連中に狙われていただろ」
連中とは、日頃から俺を虐めている生徒たちのことだ。
「いや、さんざん痛めつけられた」
ライオスの問いに、俺は苦笑した。
「あーあ、ケイルも少しはやり返したらいいのにね」
エディが頭の後ろで両手を組みながら言う。
「やり返せたらそうしてる」
「今日もこの後、すぐに実習だよ? 休んだほうがいいんじゃない?」
「……いや、出るよ。学費がもったいない」
俺の学費は今、ミュアが払っているのだ。
無能な俺はただでさえ、誰かの助けによって今を生きている。その助けを無下に扱うことはできない。
「いいんだな? 俺らが出張らなくても?」
ライオスが神妙な面持ちで訊いた。
助けてやろうか? ――暗に、そう告げているのだ。
俺はそんなライオスの問に対し、頭を振った。
「いい。これは俺の問題だ。二人を巻き込むのは気が引ける」
「ま、お前がそう言うなら何もしねぇけどよ」
少し不満そうに、ライオスは唇を尖らせた。
二人は俺の友人だ。だからこそ――頼りたくない。
俺が他の分野で彼らに恩返しできるなら、それでいい。だが今の俺では、彼らに助けてもらうだけになってしまう。それは依存だ。無償で何度でも助けてくれるような人を、俺はきっと、友人として見ることはできない。それは親か、おとぎ話のヒーローくらいで十分だ。
余談だが――過去に一度だけ、ミュアが俺を虐めている連中に制裁を加えたことがある。
これは俺が初等部の頃の話だが、当時から既に一流の剣士だったミュアは、並み居る生徒たちをバッサバッサと斬り伏せていった。このままでは学園が地獄と化すと判断した俺は、それ以降ミュアに「頼むからお前だけは手出ししないでくれ」と口酸っぱく言っている。本人は毎回不服そうにするが、流石に俺のせいでミュアを人殺しにするわけにはいかない。
まあ、最近はギルドのほうが忙しいみたいで、彼女が学園に来ることは滅多にないのだが。俺としてはミュアにも学生生活を楽しんで欲しいが、いざ彼女が積極的に学園に通うとなると、それはそれで不安になる。
「ところで昨日、剣姫様が帰ってたんだろ?」
丁度ミュアのことを考えていると、ライオスが言ってきた。
ミュアは普段、ギルドの仕事で中々家に帰らない。昨日は本当に久々だったのだ。
「ああ」
「ったく、羨ましいぜ。妹が剣姫様とか……いいなぁ、一緒に食事とかするんだろ? 何話してるんだよいつも」
「気色悪い質問するなよ。ただの世間話だ」
「世間話! いいなぁ、剣姫様と世間話なんてできたら、俺もう死んでもいいかもしれん」
ライオスは自他ともに認める剣姫――つまりミュアのファンだった。
別に珍しいことではない。ミュアのファンは世界中に存在する。その剣の腕に見惚れた者と、その容姿に見惚れた者。あるいはどちらにも当てはまる者。ミュアの動向に注目する者は多い。
「でも、妙な話だよね。あの剣姫の兄が、未だに能力に目覚めてないだなんて」
エディが言う。
「普通、気がついたら使えるようになるもんな」
ライオスも頷いた。
「能力を発動さえしたら、仮に不発だとしても、そういう感触があるわけだしね。発動条件のある能力ってそう多くもないよね? 模倣系の能力とか?」
「ケイルはあんま、模倣系の能力って感じ、しねぇな。剣姫様と血繋がってんだし、同じ素質系なんじゃねぇの?」
「まあ確かに、順当にいけばそうだよね。能力の系統って、結構血筋で偏るし」
二人の会話を、俺は他人事のように聞いていた。
そろそろ、俺の大嫌いな授業が始まる頃だ。
◇
「それでは、本日のサバイバル演習を始めます」
学園に隣接した森の入り口にて。
運動着に着替えた生徒たちの前で、学園の教師が言った。
サバイバル演習。
ヘイリア学園の名物とも呼ばれている授業だ。
今の世の中、魔物を狩るという行為は何かと収入に繋がりやすい。
魔物はいつの世でも人を脅かしている。だからその退治をギルドなどで依頼する人が絶えないのだ。ミュアもギルドに赴く時は、大抵この魔物退治の依頼をうけている。
だから学園では、生徒たちが将来食いっぱぐれないために、魔物を狩るための術を教える。
しかしこの授業は俺にとって、地獄に等しい。
理由は2つある。
一つは、能力を使えない俺が、単独で魔物に勝つのは厳しいからだ。下手したら死んでしまう。
そしてもう一つの理由は――。
「ケイル! 昨日の続きをやろうぜ!」
三人の男子が目の前に現れる。
そのうちの一人は昨日、俺の背中を焼いた生徒だった。
(またか……!)
サバイバル演習は、広い森の中で行われるため、生徒たちは教師の監視から逃れることができる。
だから、こういう質の悪い生徒が、日頃のストレスを発散させるべく俺を狙おうとするのだ。
「くそ……っ!」
とにかく逃げる。
魔物だけじゃない。人相手でも、俺に勝ち目はない。
逃走する俺を、三人の生徒はずっとニヤニヤと笑いながら見ていた。
◇
「よーし、的当ての時間だ。逃げろ逃げろ」
「お、おい。ちょっと待て。あいつの逃げる先って……」
「ん? ……ははは! やべぇとこに行きやがったな」
三人の生徒は下卑た笑みをこぼした。
視線の先にいるケイルは、脇目も振らずにどこかへ逃げている。
その先に、何が待ち構えているかも知らずに。
「あーあ、あいつ……俺たちが何もしなくても死ぬんじゃないか?」
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