第2話 吸血鬼の眷属
眷属。それは、亜人が使役する人間のことだ。
吸血鬼、獣人、妖精、精霊、天使、悪魔、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ。これら亜人は、ある条件を満たすことで人間を眷属という名の下僕にすることができる。
吸血鬼の場合、眷属を作るための条件は「対象に血を注ぐこと」だ。
俺の首筋に牙を立てた吸血鬼の少女は――ゴクリゴクリと、俺の血を飲んでいた。
「――って、飲んでるじゃんっ!?」
「え? ……あっ!? ご、ごめんなさい! お腹減って……つい」
「つい、じゃねぇよ!」
吸血鬼の眷属化は、血を注ぐことによって成立する。飲む必要はない。
「じゃあ今度こそ!」
「いや、今度も何も――」
文句を言って払いのけようとしたが、間に合わなかった。
吸血鬼の血を注がれる。瞬間、不意に心臓が大きく跳ね上がった。
体に流れる血はひどく熱く、自然と息は荒くなっていく。
体中から湧き上がる熱に、思わず膝から崩れ落ちた。
しばらくすると変化が訪れる。ここは街灯の光が届かない路地裏の奥地だ。一メートル先も見えないほどの暗闇だったはずだが……途端に視界が開けた。暗闇がよく見える。
「よしっ! 無事に眷属化したわね!」
「この……っ」
明るく笑いながらこちらを見下ろす銀髪美少女。
その姿に、思わず文句を言おうと思ったが――ふと気づく。
少女のスカートの内側から、白くて眩しい太ももが覗いていた。
「も、もう少し、右に……」
「……?」
俺の視線を感じたのか、少女が一歩後ずさる。
惜しい、後少しで見えたのに。
「――!? 危ないっ!」
その時。少女が俺を蹴飛ばした。
ゴロゴロと転がり、ゴミ袋の山でできたクッションへと頭から突っ込む。
(痛ってぇ……なんなんだよ、さっきから)
ゴミ袋の中で小さくうめき声を上げる。
「おいおいおいおいぃ! いい加減にしねえと殺しちまうぞォ!!」
文句を言うべく立ち上がろうとするが、前方から聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「しつこいわね。私の血は、貴方にはもったいないわよ」
「はっ! 流石、純血の吸血鬼! お高くとまってやがる!」
聞こえてくる物騒な会話に、俺はゴミ袋の山の中で固まる。
僅かな隙間から、銀髪の少女と対面している一人の男性の姿を覗き見た。その男は夜に紛れる真っ黒なスーツをキッチリと着こなしているものの、髪はボサボサで不潔感が漂っている。暗闇の中で煌めくその瞳の金色だった。
(亜人……悪魔か)
よく見れば髪の間からちらちらと小さな角が生えているのが見える。悪魔と呼ばれるす種族の特徴だ。
「部外者まで攻撃するなんて……貴方、それでも軍人?」
「目撃者は殺せという命令だ。俺は軍人らしく、命令に従ってるだけだぜ」
辺りに倒れる人たちを見て、少女は敵意を剥き出しにした。
対し、悪魔の男はそんな少女を嘲笑う。
その時――男が、俺の方を見た。
「うん? ……んだよ、てめえ、眷属作りやがったのか」
「――ッ!? 避けて!」
少女の声を聞き、俺はすぐにゴミ袋の中から勢いよく飛び立つ。
眼前から男の拳が迫りきた。だがそれが触れるよりも先に、路地裏の壁を駆け上がる。
(――は、速い!? これ、本当に俺の足か!?)
眷属になった人間は、一時的にその種族特性を獲得する。つまり俺の身体能力は今、吸血鬼並みになってるということだ。
亜人は大抵、人間よりも基礎能力が高い。
それにしても――こんなに足が速くなるものなのか?
(いや……足が速いとか言ってる場合じゃない。巻き込まれる前に、さっさと逃げないと!)
狭い路地に置かれてあるガラクタを全て一度の跳躍で飛び越え、そのまま屋根裏まで登る。
不思議と頭が冴えてきた。頭の中で思い浮かべる行動の全てに、出来る出来ないの分別がつく。これまでに吸血鬼の眷属になった記憶はないが、なぜか吸血鬼の身体の使い方が手に取るようにわかった。
「逃すか……よッ!」
屋根から屋根へ飛び移る最中、悪魔の男が俺の横腹を蹴った。
咄嗟に腕を交差させて防御する。直撃は避けたが、足を止められてしまった。
立ち止まる俺の傍に、銀髪の吸血鬼が走ってくる。
「コラそこの人間ッ! 何のために貴方を眷属にしたと思ってるの! 早く私のサポートして!」
「サポートって言ったって、何をすればいいんだよ!?」
「あの男をぶっ飛ばすのよ!」
血気盛んな様子で少女が言った。
「眷属になった今のあなたなら、吸血鬼の種族特性――血の操作ができる筈! それを武器にして戦って!」
少女の言葉に、俺は眉根を寄せる。
「……どうやって使えばいいんだよ」
「人間が能力を発動する時と、同じ感覚よ」
「いや……俺、まだ能力を発現したこと、ないんだけど……」
そう言うと、目の前の少女は一瞬呆気にとられたように硬直した。
「う、嘘……え、だって、その見た目、どう考えても十歳は超えてるわよね……?」
「……恥ずかしながら」
好きでこうなったわけじゃない。
「おしゃべりは終わったか? 吸血鬼の小娘は確保するよう依頼されているが、眷属は関係ねぇ。邪魔するってんなら――殺すぜ?」
悪魔が跳躍し、身を翻しながら臀部の尻尾を槍のように伸ばす。
迫りくる尾を、少女が短刀で弾き返した。
「お、おい。俺は殺されたくないんだが」
「私だって攫われたくないの! でも、私一人じゃあいつを倒せない! だから――お願い! 私を助けて!」
精一杯の懇願だった。
わけのわからない状況だが、それでも少女が本気で困っていることだけは伝わった。
(ああ……もうっ! 良くわかんねえけど……やるしかないッ!)
今にも泣き出しそうな少女の顔を見て、俺は多分――無謀な決意をした。
あの悪魔が、少女を拘束した後で俺を殺さないとは限らない。なら少女が健在である今のうちに、二人で協力して悪魔を倒すべきだ。
先程、夜空の下を走り抜けた時の感覚を思い出す。
何故かは知らないが、今の俺には、漠然とした自信があった。
――戦える。
不思議と、そう思う。
(――血よッ!)
念じた直後、少女に噛まれた首筋から血が吹き出た。
真紅の血が宙に浮き、そのまま球体になる。
「お、おお!」
「やればできるじゃん! そして早く手伝って! もう限界!」
「ま、任せろっ!」
血を操るに至って、最も重要なことは多分――イメージ。
個体、液体、そして気体の三つの状態を、臨機応変に扱えるかが要となる。
迫る悪魔に対し、俺は両手を前に突き出した。
「ええと――棘の盾!」
空中で漂っていた血液を意のままに変化を起こす。
俺たちと悪魔の間に、無数の棘を突き出す壁が立ちふさがった。
「えっ」
少女が何かに驚く。
俺はそのまま、追撃を試みた。
(……なんだ、これ?)
頭の中に、勝手にイメージが湧く。
まるでその技を使えと、誰かに告げられているような気分だった。
(なんだ、この――――万能感は?)
カチリ、と。
身体の中にある、今までぎこちない動きをしていた歯車が、急に噛み合ったような気がした。
まるで今の自分が、本来の自分であるかのように――。
そんな筈はない。
何故なら俺は人間だ。亜人である今の状態が、本来の俺である筈がない。
しかし――頭の中の誰かが、その技の名を告げる。
俺は何故か、吸血鬼の戦い方を、知っていた。
「――《
右腕を横に振り切る。すると、紅の斬撃が放たれた。
「なっ!?」
悪魔の男が驚愕する。
慌てて逃げようと踵を返したが、少し遅い。斬撃が悪魔に直撃した。
「嘘……ありえない。どうして人間が、『
少女が何かをつぶやく。
赤い斬撃を受けた悪魔の男は気絶していた。
どうやら命の危機は去ったらしい。
安堵の息を零すと同時に、得体の知れない興奮も醒めていった。
(何なんだ、今のは……)
まるで頭の中に、もう一人の自分がいるような感覚だった。
身体が、心が、異様に馴染む。まるで自分は最初から吸血鬼だったかのように。
(少なくとも、ただ眷属になっただけじゃない……)
それは少女の反応を見ればわかる。
俺を眷属にしたのは彼女だ。しかし彼女自身、俺の力に驚愕していた。
「……色々、訊きたいことはあるけれど。まだ、貴方の役目は終わってないわよ」
少女の言葉に、俺は目を丸くした。
「その男を始末してちょうだい」
「……始末って、まさか、殺すということか?」
「そう。また襲いかかってきたら面倒だし。……生憎、今の私には殺す手立てもないしね」
そう言ってし少女は折れた短刀を見せてきた。
先程から少女は血を操っていない。どうやら彼女は今、本調子ではないらしい。
(……冗談じゃない)
やむを得ず共闘はしたが、流石にこの場で人死にを出したいとは思わない。
種族戦争の続きでもあるまい。第一、俺は勝手に眷属にされた、ただの人間だ。この少女に従う必要はない。
「断る。……事情も知らないのに、これ以上、手を貸す気はない」
「……そう。じゃあ悪いけれど、こっちも力を使わせてもらうわよ」
少女が真紅の目で、俺を見据える。
「
一瞬――全身に小さな電流が走ったかのような、ピリッとした感覚があった。しかしすぐに収まる。
少女はどこか自信満々に笑みを浮かべている。わけがわからない。
「断る」
「んな!?」
少女は可愛らしい悲鳴を上げ、あうあうと狼狽し始めた。
「な、なんでっ!? どうして!? どうして眷属が、主の命令に逆らえるのっ!?」
「知るか」
実際、知らない。
そう言えば亜人は、眷属に対して自由に命令できるんだったと、今更思い出したが――俺は簡単に、少女の命令を拒否することができた。少女の命令がおかしいのか、或いは俺の方がおかしいのか。
「
「断る」
「うわああぁああ!? なんでぇ!? こ、こんなの絶対有り得ない!? 『殺せ』! 『殺して』! 『殺してください』!」
自殺願望かな? 殺したくはないがぶん殴りたくなってきた。
溜息を吐く。もはや、自分が何に巻き込まれているのか知るのも面倒になってきた。
というか――そろそろ帰らないとまずいかもしれない。
またミュアに怒られてしまう。
「おい……もう帰っていいか?」
「だ、駄目! 絶対駄目っ!」
少女が涙目になりながら俺の前に立ち塞がり、両手を横に広げた。
「まだ、貴方には訊きたいことがある。……貴方、吸血鬼の眷属になったのは、これが初めてじゃないよね?」
「……いや、吸血鬼どころか、亜人の眷属になったのはこれが初めてだ」
「そ、そんなわけない! だって貴方、逃げる時も私並みの速さだったし、血の操作に至っては私よりも凄かったもん! あんなの、吸血鬼としての経験が長くないと、絶対にできない!」
「いや、だから本当に初めてなんだって。……あまり言いたくないが、お前が、弱いだけなんじゃ……?」
「私はこれでも純血の吸血鬼なの! だからそこらの吸血鬼よりずっと上の存在! むしろ貴方こそ何!? 主の命令に逆らう眷属なんて、聞いたことがない!」
うがーっ! と吠える少女に、俺は辟易した。
血を使ったからだろうか、全身がだるい。
「あっ!!」
「えっ!? 何!?」
適当な方角を指さして驚いたフリをすると、少女はまんまと釣られてそちらへ視線を向けた。
「なんでもない。じゃあな」
服の裾を掴む少女の腕を振り払い、俺は走り出す。
「ちょっ!? ま、待って! ねえ、待ってってば!」
嫌だ待たない。
これだけ元気なら、一人でも問題ないだろう。
俺は屋根裏を転々と跳び移りながら、急いで家へと戻った。
◇
「……行っちゃった」
走り去るケイルの背中を見届けながら、少女は残念そうに呟く。
だがすぐに、本来の明るい表情に戻った。
「まあいいや。あの制服……ヘイリア学園のものだったよね。なら、すぐに会えるだろうし」
ケイルが着ていた服を思い出しながら、少女はぼんやりと考える。
「丁度、護衛が欲しかったんだよね。……ふふふ、あんな
怪しげに笑う少女の横顔を、月明かりが照らしていた。
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