5-7-9 司祭に言い訳
突然目の前にいたグラールが姿を消した。エリーザ嬢に呼び出されたのだろう。彼女がグラールを呼び出すのは珍しい。何か緊急な事態が起きたのだろうか。普通なら用があれば事前に連絡をよこす筈だ。彼女なら、そうする。他の横柄な貴族連中とは違う。彼らなら、勝手に呼び出し放題だっただろう。「自分のものをどうしようと自分の勝手だ」彼らが言いそうな台詞が頭に浮かぶ。彼女ならそんな傲慢なことは言わないだろう。
彼女と初めて会ったのは、北の公爵領の教会だった。彼女が洗礼を受けに来たときである。あの頃の僕は、まだ孤児院にいて、孤児の一人に過ぎなかった。そんなガキの話を、公爵令嬢の彼女は楽しそうに聞いてくれたのである。黒い髪と黒い瞳に吸い込まれるようだったことを、今でもはっきり覚えている。
彼女が「転生者」だと信託があったのは、その直ぐ後のことだった。その頃の僕はそのことをよく理解していなかった。
彼女は貴族としては変わっていた。よく孤児院に手伝いに来て、自分も子供のくせに子供の面倒を見ていた。孤児の僕を蔑んだり、哀れに見たりすることはなかったが、その大人びた態度が癪に触ったし、羨ましくもあった。そして、自分のことも認めてもらいたかった僕は、よく彼女に意地悪をしていた。
お陰で今でも彼女に嫌われている。子供の頃の僕は何て馬鹿だったのだろう。今となっては自業自得だ。だからといって、今更態度を改めることもできず。今も馬鹿なのは変わらないようだ。
僕が枢機卿の養子となり、司祭になっても、彼女は僕に媚を売るような態度を示さない。まあ、公爵位なら当然か。
下位貴族の中には、明から様に媚を売る者もいる。まだ、それはいい。だが、中には何を勘違いしたのか、僕が元孤児だったという情報をどこからか聞きつけ、それをねたに脅してくる馬鹿がいる。そんなのは教会では公然の秘密である。知らない者はいない。
だから別に困ることはないのだが、見ていて鬱陶しい。そんな馬鹿には消えてもらうことにしている。下級貴族程度であれば簡単に潰せる。
それだけの地位と力を手に入れたのに、彼女の隣に立つことは出来なかった。彼女はどんどん先に行ってしまう。これが「転生者」の力か。今になって思い知る。これでは、誰も彼女と並び立つことは出来ないだろう。そう、たとえそれが王子であったとしてもだ。
第一王子も自分の立場を弁えて、早く身を引けば良いのだ。もし、彼女の気持ちを蔑ろにするようであれば、強制的に退場してもらうことも考えなくてはならない。そして、できるなら、僕だけの聖女に。
トントントン。
ドアをノックする音が思考の海から僕を引き上げる。危ない、危ない。深みに嵌まるところだった。
グラールが戻ってきたようだ。珍しいことに彼女も一緒だ。何事だったのだろう。せっかくの機会だ、ゆっくりお茶など飲みながら話を聞こう。
「エリーザ嬢、態々グラールを連れて来ていただき、ありがとう。時間があればお茶などいかがかな」
「こちらこそ、急にグラールを呼び出してしまってごめんなさい。お話をしたいこともあるのでお茶をいただくわ」
「では、どうぞお座りください」
彼女にソファを勧め、自分も従者にお茶の用意を頼んでから、テーブルを挟んだ向かい側に座る。
「それで、お話とはどのようなことです」
「内緒でお願いね。実は国外から人が来ているのだけれど、その国では病気が流行っているらしいの。このままでは多くの人々が死ぬことになるわ。その病気を治すのにグラールの癒しの光が有効なのよ」
「癒しの光とは聖女の光のことかな」
「そうよ。効果があることは先程確認したわ」
「感染者がいたのかい」
「心配しないで。風土病みたいなものだから、私たちには感染しないの。それに既に完治したわ。ただ、病気の話が拡がると、パニックになりかねないから黙っていて欲しいの」
「わかった。情報の漏洩には気を付けるよ。それでどこの国だい」
「それは言えないわ。それこそ、その情報が漏れれば、その国は周りとの交易が止まってしまい、大変なことのなるもの」
「だが、何らかの支援が必要なのではないのかい」
「だから、私とグラールで秘密裏に行って、治してくるわ」
「では僕も一緒に行くよ」
「いえ、隠密行動ですから、グラールの他は、その国から来たユキさんと、侍女のシリーだけを連れていくことにするわ」
「でも僕はグラールのお世話役だ。グラールを任せきりにはできないな」
「司祭にはもっと他に重要な任務があるわ」
「グラールのお世話以上に、重要な任務とはなんだい」
「大変重要よ。私がいない間サーヤさんの事をよろしく」
「・・・」
グラールを国外に出すことはしたくないが、聖女であるエリーザ嬢が望まれるなら仕方がないだろう。国外に行くとなれば、魔物や盗賊など危険を伴うが、エリーザ嬢であれば問題ない。下手な護衛を付ければ、返って足手纏いになりかねない。
第一王子と引き離す良い機会ではある。できれば僕もついて行きたいところではあるが、エリーザ嬢の言うように「世の理」も大切である。だが、エリーザ嬢も目を離すと何をしでかすかわからない。やはりエリーザ嬢と一緒に。
『王都を離れるべからず』
天から声が降って来た。神託か。仕方ない。
「わかったよ。気を付けて行って来てくれ」
「えっ。あ、気を付けて行ってくるわ」
「どうかしたのかい」
「いえ、こんなにも簡単に許可が出るとは、思っていなかったものだから」
「何故だい。教会は聖女様の活動を束縛したりしないよ。まして、人助けのためなら尚更だ」
「それに、司祭が絶対に着いてくると譲らないと思っていたの」
「そうだね。本当なら譲らないところだが、神託があったので仕方ない」
「神託。先程の魔力の流れは神託によるもの、だとすると・・・」
「どうかしたのかい」
「あ、ごめんなさい。それで、神託はなんと」
「王都を離れるな。とのことだ」
「それって、司祭に対してよね。私は含まれないわよね」
「それは大丈夫だと思う。その場合は、王都から出すな。になるだろうから」
「そう、ならよかった。それじゃあ明日にも出発するから。グラールの準備をよろしくね」
「わかった」
しばらく会えないのだな。このまま教会の地下に、閉じ込めて置きたい衝動に駆られる。そんなこと出来る訳ないのに。
さて、枢機卿に報告しておかないと。他の司祭から文句を言われるだろうが、まあいい。せめてそれぐらいは彼女の役に立とう。
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