第5回 #匿名短編コンテスト・過去vs未来編 参加作
過去サイド
知らぬがホットケーキ
君は知らない。僕が未来人である事を。
日曜日の午後十一時三十分になると、君は必ずホットケーキを焼く。薄力粉とベーキングパウダーを白いボウルに振るい入れ、卵を溶いて掻き混ぜる。上白糖と牛乳を入れてまた掻き混ぜ、隠し味に蜂蜜を少々。とろりと混ざる優しい黄金を、君はフライパンの上に垂らしてまあるい円を描くのだ。
「バターとメイプルシロップ、どっちが好き?」
火加減を調整しつつ尋ねるその問いも、もう何度聞いた事だろう。僕は決まってこう答える。「バターを半欠け、メイプルシロップも一匙分」。君は笑って、「オッケー、じゃあカップとカトラリーの用意はよろしくね」と続ける。
重い腰を上げ、僕は食器棚の引き出しを開けた。銀のフォークとナイフをカトラリーケースに二人分。この後君が用意するのは「お隣さんがね、旅行に行ったから〜って、お土産にくれたんだよ」と笑って取り出す外国の紅茶。香りが強すぎて僕の口には正直合わないが、君が一緒に飲みたいというのは分かっているから僕も大人しくティーカップを二つ机の上に用意する。
時計の針がちくり、進んで、甘い香りが部屋に満ちて。
やがて君は白い皿の上にまあるく焼けたホットケーキを乗せ、「あー、ちょっと焦げちゃったあ」とはにかんだ。それも僕は知っている。そして君は、僕の皿に焦げたホットケーキを乗せるんだろう? 悪戯な微笑みを浮かべて。
「はい、出来たよ」
「うん、ありがとう」
少し焦げたホットケーキの上には、バターが半欠けとメイプルシロップが一匙分。それを机に並べて、香りの強い外国の紅茶に色が付いた頃、君と僕は向かい合う。
「いただきます」
二人で交わす挨拶も、これで何度目になるんだろうか。カトラリーケースに手を伸ばす君を横目に、僕はちらりと時計を一瞥する。
日曜日のお昼。もうすぐ正午がやって来る。
もう何度も見た、ホットケーキを焼く君の後ろ姿。けれど僕は未だに、君の焼いたホットケーキを口にした事が無い。
君は知らないだろう。あの時計の針が十二時を指すと、僕らの時間は巻き戻るという事を。あの時計が進む前に、僕が──時を巻き戻しているんだ。
何故なら君は十二時を過ぎると、一口分に切り取られたホットケーキにフォークを刺したままその心音を止めてしまう。君は床に倒れて、もう二度と目を覚まさない。僕は知っている。知っているんだ。
僕は未来から来た。君にまた会うために。
そしてもう何度も、この過去を繰り返している。
全ては、君を死なせないために。
僕はこのホットケーキの味を知らない。知らなくていい。
向かい合う君が幸せそうに笑って、その瞳に僕を映してくれているのであれば──君の焼いたホットケーキの味なんか、ずっと知らなくていいんだ。
僕は不味い紅茶を一口飲んで、微笑む。
そして、魔法の終わりを告げる十二時の鐘が鳴った。
* * *
私は知っている。君が未来から来た事を。
少し焦げたホットケーキを皿に乗せて、ちらりと時計を一瞥する。時刻は午前十一時五十五分。ああもう少しで、君との日々がまた巻き戻る。
君は知らないでしょう。私が全て憶えている事を。
君は知らないでしょう。巻き戻った私の世界が、また一から始まるという事を。
生まれた頃に戻って、年を重ねて、君と出会って、また「今日」がやって来る。
今日の十一時を過ぎると、私は全てを思い出すの。
自分がもうすぐ死んでしまう事。
君が泣きながら私を抱きしめて、何度も名前を呼んだ事。
少し焦げたホットケーキが、徐々に冷めて固くなって行く事。
私ね、君を悲しませたくなかった。でもね、君から「未来」を奪いたくもなかったのよ。だけど私は欲深い女だから、「今日」という「過去」にずっと縛り付けてしまっている君に、「もういいよ、」の一言すらも、語りかけてあげる事が出来ないの。
私、本当は知ってるよ、知ってるんだよ。もう過去に縛られなくていいよ、さようなら。
もしもその一言が言えたなら、君は最後に一口、私の焼いたホットケーキを食べてくれるのかなあ。……なんてね。
「いただきます」
何度目かになる、この言葉。
君が紅茶のカップに口を付けたら、もう、終わりの合図。
──魔法は解ける。十二時ちょうどの、鐘の音で。
(ごめんね、)
また、ホットケーキ、食べさせてあげられなかったよ。
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