大人になってしまったんだなあ

 初めて都会に出た日の夜、蕁麻疹が出た。原因はシャワーから出たお湯だった。


 都会の水道水は飲めないのだと、小学生の頃に習ったことがある。地下水では無く川の水を組み上げているから臭いんだと先生が言っていた。生まれた時から当たり前のように水道水を飲んでいた当時の私にはピンと来なかったが、足に浮き出た蕁麻疹を見てまざまざと思い知る。都会の水道水は白かった。その日初めて、私はお金を出して水を買った。


 都会から学ぶ事は多かった。

 自転車を道に停めるにはお金がかかるし、朝の電車に乗り遅れても三分後にはまた来る。二階建ての建物にすらエスカレーターはあるし、信号からは音楽が鳴る。コンビニに寄っても知り合いには会わないし、夜の空に星はない。何もかもが新鮮で、そして寂しかった。全く別の世界にたった一人で飛び出して来てしまったのだと思い知った。


 都会に揉まれて染み込んで、時が流れて一年後。

 久しぶりに故郷に帰って、懐かしい顔を見て回った。寂れた駄菓子屋、羽虫で埋め尽くされた自動販売機、夏でも冷たい湧き水に、空気に混じる堆肥の匂い。宝石箱をひっくり返したような星空が、二十時を過ぎると人っ子一人通らない真っ暗な道を照らしている。全てが懐かしくて、愛しくて、──不便さを、感じて。


「なあ、たまに帰ると、田舎って良いやろ?」


 笑顔で尋ねる祖父の声に、私は苦く微笑んだ。そうすることしか出来なかったのだ。


 一年前、シャワーを浴びると蕁麻疹が止まらなかった。蛇口から流れ出る白い水が怖かった。けれど今では、もうそんな事すら日々の喧騒の中に溶けて薄れていって。


「また、正月に帰っておいで」


 笑う祖父母や両親に手を振って、私は故郷を後にする。

 春の風と共に都会へ出た時、私はまだ確かに子どものままだった。星の出ない空の下、風に舞う桜の欠片を眺めて賑わう街の中で涙した。あの日、私はまだ、確かに子どものままだったのだ。


 けれど時が流れて、感情が薄れて。故郷を離れるバスの中、ふと浅い眠りから醒めた私の目に飛び込んだのは地上に煌めく宝石箱だった。空の光を打ち消す程に明るい街の明かりを眺めたあの時に、私は心底安心してしまって。──そして、気付いた。気付いてしまった。


 ああ、私、きっと、今まさに、



「大人になってしまったんだなあ」

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