第28話 戦いのあとに

 暗い空に丸くて白い穴が空いている。誰もが錯覚を起こすような満月の夜。繁華街から少し外れた裏通りを仙石竜司が走っていた。白い特攻服の裾を乱し、両腕を大きく振った。

 前方には古びたスーツを着た人物がふらふらと歩いていた。竜司と同じように半透明で左右に置かれていた室外機やポリバケツを平然と通過する。

「俺が冥途めいどに送ってやる」

 走りながら右の拳を振り上げる。一撃の体勢となった竜司を着物姿の時田赤子が易々と抜き去り、持っていた短刀で人物に斬り付けた。背中に細い斜線が入って左右にずれた。

 振り返る間もなく人物は自壊するように大気に溶け出す。赤子は小指くらいの容器を使って一部を手早く回収すると袂に仕舞った。

「三体目なのです」

「横取りはやめて貰えませんかね。修行にならないんで」

 追い付いた竜司は凶悪な笑みを作る。赤子は僅かに乱れたおかっぱを片手で直し、あ、と感情に乏しい声を漏らした。握っていた短刀がゆっくりと回転しながら落ちてゆく。その先には竜司の足があった。

「おおおいいいいい!」

 足の甲に切先が触れる寸前で引いた。短刀の切れ味は凄まじく、地面に垂直に突き立った。赤子は掴み取って帯に挟んでいた白鞘しろさやに収めた。

「次の場所に行くのです」

「おかっぱ、今のはわざとだよな!」

 竜司は怒気を隠そうとしない。引いた足を力強く踏み出し、右の拳を固める。

「手が滑ったのです」

「いいや、絶対にわざとだ。それ、破邪の短刀だったか。足があったところに落ちたんだぞ。俺は悪霊じゃないが、あれだ、刺さったら危ないんだよな?」

「刺されば穴が空くのです。弱い亡霊は触れたところから浄化されて消える運命なのです」

 無表情で赤子が語る。竜司の怒りは一気に沸点に達し、ぎこちない笑みは崩壊寸前に追いやられた。

「うっかりで俺は浄化されそうになったんだよな! 一言くらい謝ってもいいと思うが!」

「またしても赤子はうっかりしていたのです」

 両腕をなよやかに動かし、摺り足からくるりと回る。ピタリと止まって斜め上の満月を眺める姿勢で、ごめんなのです、と少し拗ねたようなおちょぼ口で言った。

「いやいや、それはない! そんな非常識な謝り方は見たことがない!」

「赤子なりの配慮でみやびな踊りを入れてみたのです。それに嘘はよくないのです。今、しっかり見たのです」

「おかっぱあああああ!」

 乾いた音が連続で鳴った。臙脂のウインドブレーカーを着た時田翠子が両手を叩きながらのんびりと歩いてきた。

「張り切るのはいいけど、それが元で喧嘩になったら組んだ意味がない。一時的だけど私達は……チームなんだし」

「Aチームなのです。リーダーの赤子の頭文字が燦然と輝く、Aチームなのです」

 限りなく平らな胸を張って赤子が言い募る。翠子は項垂れるような姿で自身の胸を見て、そうね、と溜息交じりに呟いた。

「それよりも姉様、このトサカ頭が赤子の失敗を咎めるのです。我が家の宝刀をわざと足の上に落そうとしたと、濡れ衣を着せようとするのです」

 赤子は白い頬を微かに震わせて訴える。翠子は何度も頷き、爛々とした眼を竜司に向けた。

「どう思う?」

「あ、あのぉ、そうですねぇ。その、解釈には色々あるのだなー、と大変に勉強になりました! 今後ともご鞭撻べんたつの程、よろしくお願い致します!」

「まあ、いいわ。赤ちゃんもそれで許してあげてね」

「仕方がないトサカ頭なのです」

 腰に両手を当てて呆れたような顔で言った。隣にいた竜司は笑顔で両拳を固めた。

「そこに誰かいるようで。ちょっと通りますよ」

 横手の路地から作務衣を着た老人が現れた。禿頭とくとうで両目を閉じ、雪駄せったで前を探るようにして歩く。

 赤子と翠子は道の両端に寄った。老人は耳を傾けるような仕草で会釈を返した。

「おや、鼻緒が」

 老人は二人に挟まれた位置にしゃがんで深く頭を下げた。

 瞬間、翠子の右足が撥ね上がる。老人の顔面を下から蹴り上げようとして空を切った。相手は攻撃を予期していたかのように顔を上げてかわした。

「なにしやがる!」

 立ち上がった老人は翠子に顔を向ける。両目は依然、閉じたままであった。

「あんたこそ、なにをしようとしたの?」

「……そうかい。お前さん、勘が鋭いねぇ」

「あんたの演技にもう少し付き合ってもよかったんだけど、あまりに下手で我慢できなくて。ごめんなさいね」

 翠子はおどけたように言った。老人は口で笑って跳び退る。

「おかしいねぇ。いつもこの遣り方で肉を喰らい、骨を引き抜いてきたのにねぇ」

「あんたの設定だと全盲なんだよね」

 翠子は呆れた顔を作り、老人の閉じた目を指差した。

「歩き方には気を付けていたんですがねぇ」

「しゃがんだあとがよくなかったのよ。全盲なのにどうしてような動作をしたの? 日頃はちゃんと見えているから無意識に出たんだよね」

「……とんだヘマをやらかしたようで」

 老人は瞼を開けた。黒一色の目が半ばまで迫り出す。

「凶悪な妖怪のようなのです」

 赤子がふらりと揺れる。口から漏れる言葉に老人は反応した。一気に間合いを詰めて大口を開ける。

 喰われる恐怖が口を閉じさせた。赤子は強張った表情で横手に動いた。予想していたかのように老人が路面を蹴って合わせる。華奢な肩、目掛けて顔を突き出す。

「させるか!」

 翠子は大きく踏み込んだ。間髪入れずに老人の後頭部へ回し蹴りを放つ。相手は振り返らず、沈み込んで躱した。

 引き裂かれるような音と共に赤子が横向きに倒れた。痛みに耐える顔で上体を起こす。露出した白い腕から一筋の血が流れた。

 老人は咥えていた袖をプッと吐き捨てた。

「肉と違って喰えたもんじゃねぇな」

「……お姉ちゃん、喉が渇いたなー。赤ちゃん、ビールを買ってきて」

「まだ、やれるのです」

 立ち上がった赤子は肩に当てていた手を離した。無表情となったが身体は微かに震えている。翠子は上着を脱いで赤子に羽織らせた。

「生け捕りがいいのよね」

「妖怪は基本、生け捕りなのです」

「わかった。虫の息くらいを狙ってみる」

 翠子は血走った眼で笑った。赤子は説得を諦めて頭を下げる。弱々しい歩みで来た道を引き返していった。

 近くにいた竜司が翠子に一礼した。

「姉御、ヤツの掌には目がありました。死角からの攻撃を避けたのも、その目があるからだと思います」

「ありがとう。赤ちゃんをよろしくね」

「はい、任せてください」

 竜司は胸を叩くような真似をした。屈託のない笑みで赤子を追い掛けた。

「美味い肉が喰えるなら、どちらでもいいねぇ。生きたまま骨を抜かれて泣き叫ぶ姿も見てみたいが」

 老人の目尻に深い皺が刻まれた。その状態で掌の黒い目を翠子に見せ付ける。

 対抗するように犬歯を見せて笑った。

「全身の骨を砕いたら、あんたはどんな命乞いをするのかな」

「出来もしないことは口にしない方が」

 不自然に言葉が途切れた。老人は翠子の放った赤銅色の右腕に包まれた。道幅と同等の太さで長さは十メートルを優に超えていた。

「……驚いたが、実体ではないようだねぇ」

「その位置だと脇道には遠いし、道幅に合わせてあるから目の多さも関係ない」

 言いながら翠子は赤銅色の巨大な腕を振り上げる。その姿で静止して老人に笑い掛けた。

「覚悟はできたかな」

「逃げる必要はないので、なんのことやら」

「そう、冴えない辞世の句ね」

 翠子は左手を左右に振った。にこやかな顔で右腕を振り下ろす。老人は歯を食い縛るような表情で見上げていた。

 赤銅色の右腕が金色こんじきに変わる。凄まじい風が吹き荒れ、老人は恐れおののいて逃げ出した。

 金属音と破砕音が混ざり合う。局地的に地面が揺れて、地震だ、と叫ぶ声が方々から聞こえてきた。

 翠子は右腕を肉体に戻した。粉々に砕かれた物に混ざって老人が倒れている。押し花のように原形をとどめていたが手足は不自然な方向に折れ曲がっていた。横に向いた頭部の一部には陥没も見られる。

「もしもーし、生きていますかー」

「……た……助けて……くれ……」

「あんた、見た目と違って頑丈だね。地域の人に悪いから、かなり手加減はしたんだけど生きてるね。本当にびっくりした」

「……ゆ、許して……くだ……さ、い……」

 殺意を垂れ流しにする翠子に老人は血が溢れる口で喘ぐように言った。

「姉様、ビールを買ってきたのです……」

「これは」

 一目見た竜司は手を合わせた。赤子は翠子にビニール袋を渡すと老人の傍らにしゃがんだ。

「まだ息はあるのです。かなり弱っているので、すぐに押すのです」

 残されたたもとから印鑑のような物を取り出した。頭部の損傷している部分は避けて目立つところに先端を押し当てる。離して見ると三つの黒い勾玉が集まって可憐な花を形成していた。

「あとは処理班が回収してくれるのです。賞金首の『手の目』は200万の大物なのです。姉様、どのような方法で退治したのです?」

「無我夢中でよく覚えてなくて。こんな感じだったかな」

 翠子は右腕を軽く挙げる。目にした老人は、あ、ああ、と怯えたような声を喉から絞り出した。

 竜司は顎を摩りながら頭部の紋様を眺める。

「印鑑を押すだけで金になるのなら、戦わなくてもいいのでは?」

「相手を弱らせないと模様が付かないのです。バウンティハンターの識別もされるので赤子のカードはホカホカなのです」

「今日は大きな収穫もあったし、そろそろ帰ろうよ」

 翠子はビニール袋を掲げてブラブラと振って見せる。

「俺はここで。河合さんのボディーガードに戻ります。姉御、お疲れ様でした」

「あんたもね」

 竜司は大きく手を振りながら走ってゆく。後ろ姿を見送ったあと、翠子は赤子に目を向けた。

「赤ちゃん、傷は痛む?」

「傷口は塞がったので平気なのです」

「よかった。じゃあ、私達も行こうか」

 翠子が先に歩き出す。機嫌よくビニール袋を振り始めた。

 目が離れた瞬間、赤子は残骸が散らばる道をじっと見た。全体に丸い凹みが出来ていた。

「赤ちゃん、帰るよ」

「すぐに行くのです」

 羽織ったウインドブレーカーの袖をギュッと掴み、小走りで翠子の横に並んで帰っていった。

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