第22話 ぷるぷる天邪鬼

 夜のコンビニエンスストアは溢れ出す光で煌々こうこうと輝く。パンツスーツ姿で通り掛かった時田翠子はしょぼつく目を向ける。ガラスの外壁を超えた先に整然と並べられたビールが見えた。

 喉の辺りが微かに動く。すでに足は止まっていた。ふらふらと羽虫が飛んでいくように翠子は店内へと入っていった。

 数分後、笑顔で出てきた。右手に提げたビニール袋には各種のビールがひしめき合う。定番の裂きイカの袋は隅に押しやられ、仰け反っていた。

 翠子は目抜き通りを弾むように歩く。住宅街の道に合流する手前で動きが鈍くなった。目は鋭さを増し、先程の倍の速さで歩き出す。瞬時に上着のポケットから平たい物体を取り出し、レンズを向けて写した。一面にある画面を厳しい表情で見詰める。

「あれが、懸賞金1300円?」

 納得のいかない表情で前を睨む。

 複数の亡霊を煮込んで固めたような青紫の球体が地面をゆっくりと這いずる。人で賑わう繁華街を目指しているようだった。

 球体から目を離さず、ビニール袋に左手を突っ込んだ。ほっとしたような顔で、冷たい、と口にして直進する。少ない瞬きで球体の様子を窺った。

 毒々しい色に見合う異形の姿であった。枯れ木のような手足が何本も突き出し、無秩序に蠢く。歪な顔が幾つも表面に浮かび、低い唸り声を上げている。

 翠子の目が僅かに動いた。球体が向かう先からスーツ姿の男性が歩いてきた。脚に力が入らず、蛇行している。ほんのりとした赤ら顔で幸せそうな笑みが浮かぶ。

「酔っ払いね」

 翠子は両者の動きを同時に眺める。男性はふらつきながらもガードレールに近いところを歩く。球体は真逆で駐車場のフェンスに身体の一部を通過させていた。

 突然、男性の上体が前に傾く。つんのめる姿を堪えた反動で左によろけた。球体に半身がり込んだ途端、両頬を膨らませて両膝を突いた。四つん這いの姿となって小刻みに震え、大量に吐いた。直後に激しく咳き込んだ。

「情けない酔っ払いだな」

「ホント、無理して飲んでバカみたい」

 その声は道路を隔てた歩道から聞こえてきた。若い男女が腕を組んだ姿で嘲笑う。興味は一瞬で過ぎ去り、薄暗い路地へと消えていった。

「そう見えるよね」

 翠子は四つん這いの男性の横を通り過ぎ、球体を足早に追い掛ける。低い唸り声を上げて引き摺るように前進を続けた。通り掛かる人もなく、被害は最小で抑えられていた。

 街灯が少ないところに差し掛かる。遠くの喧騒が幻聴のように思える程、周囲に人の姿はなかった。

 翠子は左腕をだらりと下げた。新たに赤銅色の腕を引き抜き、拳を固めた。気負うことなく球体に殴り掛かる。

 ふわりと球体が浮いて一撃をかわした。背面に浮かぶ顔の一つがウロのような大口を開けてけたたましく笑った。

「調子に乗るな!」

 左腕を伸ばし、掴みにいくと急激な上昇を開始した。上空から笑い声が重なって降り掛かる。浮き出た全ての顔が翠子をあからさまに挑発した。

「……完全に切れたわ」

 片方の犬歯が露わになった。翠子は走り出す。上空の球体の真下に入ると跳んだ。赤銅色の左腕で握ろうとしたが届かない。焦りを微塵も見せず、球体は悠々と繁華街に飛んでゆく。

 翠子は落下の最中、赤銅色の両脚を出現させた。着地の寸前で金色に変えて歩道を踏み締める。撓めた力を一気に解放して上空の的を狙う矢と化した。

 凄まじい速さに対応できなかった。球体は大気ごと、中心を打ち抜かれた。消滅を免れた輪郭の一部が青紫色の三日月となって浮かぶ。

「珍しいものを見たわ」

 難なく着地した翠子は夜空を見上げる。数秒で不気味な三日月は輪郭を保てなくなって夜に溶け込んだ。

 翠子は右手のビニール袋に目を移した。左手を入れると渋い顔になった。温いわ、と吐き捨てて左手の路地に入る。大股で歩いて突き当たりを左に曲がった。

 工場が密集する中を歩いていると場違いな拍手の音を耳が拾う。右手の資材置き場にいた小さな女の子が気だるげに手を叩いていた。髪は胸元まであり、巫女装束を思わせる古風な出で立ちであった。

「アンタ、かなりの化け物なんだね」

「えっと、なんのことかな?」

 翠子はにっこりと笑う。女の子は呆れたような顔で夜空に指を向けた。

「青紫の悪霊をほふったよね」

「へー、見えるんだ。あなたも見た目と違って相当な怪物ちゃんよね」

「怪物ちゃんは愛らしさが足りないよ。今後は天邪鬼あまのじゃくちゃんと呼んでね。そうそう、次があればの話だけど」

 天邪鬼はクスクスと笑う。双眸そうぼうに赤い火がちらちらと燃えていた。

 翠子は敷地に一歩を踏み出した。

「天邪鬼ちゃんは捻くれ者だから、綺麗なお姉さんって意味になるのよね?」

「いつの話よ。化け物だから化け物って正直に言ったんだけど」

「ちょっと化け物の連呼がプチンとくるかな」

 更に一歩を踏み締める。

 天邪鬼は両手で長い髪を後方に払った。受けて立つという風に胸を張る。

 翠子の歩みが止まった。白衣の胸の辺りに膨らみがあった。

「……天邪鬼ちゃん、胸はなにカップよ」

「意味がわからないよ」

「胸になにも着けてない?」

「下も同じよ。ヘンなお兄さんも同じようなことを言ってたね」

「……緑野郎、見境なしか」

 舌打ちした瞬間、天邪鬼が消えた。

「余所見しないでね」

 ビニール袋を提げた右側から声がした。翠子のうなじに風が吹き付ける。

 瞬間、天邪鬼の方向に跳んで肩口からぶち当たる。後頭部への回し蹴りを未然に防ぎ、相手を後方に弾き飛ばした。が、空中で器用に身体を動かし、両脚でふわりと舞い降りた。

 天邪鬼は全身を震わせる。瞬く間に発熱した顔色となり、手の甲に何度も唇を擦り付ける。

「ダ、ダメだよ! 女の子にチューしちゃ!」

「え、触れたかな」

「プチュってなったよ! な、なに、すんのよ! チューは絶対ダメ!」

 真っ赤な顔で言い募る。翠子は小首を傾げて、そうかな、と半信半疑であった。

「こ、こっちくんな! 見るな! 産まれる!」

「いや、それはさすがにないわ~」

 翠子が苦笑いで近づくと倍の速さで後退する。その背後に鈍色の穴が現出して、天邪鬼は背中から転がり込んだ。

「あれは前にも見たわ」

 引き締めた表情で腰を落とし、相手の攻撃に備える。

「アンタなんか、玉藻様にやられちゃえばいいんだ! チューするヘンタイは串刺しの刑なんだからね!」

「ちょっと出てきてよ。玉藻前はそこにいるの?」

「教えなーい! チューする化け物には、なーんにも教えてあげないもんね!」

 天邪鬼は姿を見せない。口の攻撃で遣り返し、鈍色の穴は内側から吸い込まれるようにして消失した。

 翠子は一人、資材置き場に佇む。左手の中指でそっと唇をなぞる。

「天邪鬼ちゃん、可愛いかも」

 羞恥に震える天邪鬼を思い出しているのか。暗がりに相応しい深い笑みとなった。

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