第21話 計算

 時田翠子の目は微睡んでいた。おもむろにカウンターに片肘を突く。目の前に置かれた徳利はボウリングのピンのように立ち並ぶ。

 気だるげな手で角皿の焼き鳥を一本摘まむ。中程に齧りつき、引っこ抜く。興味の無さそうな顔で口を動かした。残りも平らげ、おしぼりで艶やかな唇を拭いた。

 息を吐きながら席を立つ。ふらふらと店の奥へと向かう。女性用のトイレのドアをいきなり開けて中に入ると即座に鍵を掛けた。数歩で右手の洋式トイレに着いた。センサーが働き、自動洗浄後に蓋が開く。

 翠子は後ろ向きとなってスカートの中に両手を入れた。薄ピンクのショーツを膝下まで下ろして便座に座る。

 山間部で聞こえる清水のような音が室内に満ちる。途端に気の抜けたような表情となった。

 向かいの土壁から頬が弛んだ中年男がひょっこり顔を出す。

「どう、出てる?」

「途中で止まるわ!」

 肉体から引き抜いた赤銅色の右腕が半透明の中年男を横薙ぎにした。直後に、あ、と声が漏れる。スカートのポケットに左手を入れて平たい物体を取り出し、左右に目を動かした。

「どうせ1300円よね」

 用を足すと速やかにトイレを出た。興醒めとなったのか。さっさと会計を済ませて、ひんやりした外気に包まれた。

 翠子はスーツ姿で夜道を蛇行しながら歩く。街灯の明かりが眩しいと言わんばかりに脇道に入り込む。暗さが増して身体が震えた。

「少し寒く……」

 急に言葉を切った。板塀の方によろける。薄目で口が半開きとなった。

 横手から半透明の若者が現れた。

「どう、出そう?」

「クシャミが止まったわ!」

 ぶらりと垂らした左脚に代わって赤銅色の極太の脚が若者を空中に蹴り上げた。

「あー、また!」

 怒りの表情でスカートのポケットに手を突っ込んだ。平たい物体が内側に引っ掛かった。手間取りながらもレンズを空に向ける。なだらかな突起を何度も押した。

 若者を捉えることができず、画面には何も表示されなかった。

「もう、今日はなんなのよ!」

 舗装された道を何度も踏み付ける。靴の踵で抉られて一部が黒い砂塵と化した。

「桃色パンツだね」

 翠子は瞬時に顔を上げて前方を見据える。街灯に照らされた十字路に青年が立っていた。シャツを重ね着した姿で爽やかな笑みを湛えている。

「どこから湧いた緑野郎」

 目を剥いて大股で近づく。思い出したかのように青年にレンズを向けた。突起を押すと即座に画面に目を移す。

「緑野郎、おめでとう。地道な変態行為が実って100万円の懸賞金を掛けられているわよ」

「そうなんだ。僕は意外と有名人なんだね」

「そのようね。でも、残念なお知らせがあるの。本当はこんなことしたくないんだけど、平和な世の中を築く為なのよ。私怨とかではないわ。お願い、フレッシュなミンチになって」

「物騒な内容を可愛くお願いされても困るんだけど。僕の虹色のパンツロードは始まったばかりなんだよ。桃色パンツのAカップさん」

 青年は左横に跳んだ。翠子は片方の犬歯を剥き出しにして疾走する。滑りながら曲がったところで見失った。公園や脇道に鋭い視線を送る。

「どこに行ったああああ!」

 凄まじい怒号に驚いたのか。遠くの方で複数の犬が吠えた。隠れる場所は無数にあり、激しい動揺を見せるかのように目が揺れ動く。

「どんな逃げ足なのよ」

 やや唇を尖らせて再び画面を見やる。懸賞金の横に『宇宙人』と表記されていた。

「……厄介な相手よね」

 渋面を作ってマンションの方向に歩き出す。間もなくして人通りのない道へと入った。

 すっかり酔いが醒めたのか。翠子は目を爛々とさせた。遭遇した怪異には漏れなく、レンズを向けるのだった。


 日付が変わる頃、翠子はワンルームマンションに帰ってきた。自宅のドアの前には白い特攻服を着た仙石竜司が直立の姿勢で立っていた。

「姉御、お疲れ様です! 定期報告をします! 河合さんは健やかに過ごされています! 二体の浮遊霊は俺が撃退しました!」

「ごくろうさん。それにしても本当に疲れたわ。おかげで収穫はあったわよ」

「えっと、なんの話です?」

「懸賞金よ。今日だけで200万円分の亡霊をぶん殴ってやったわ! 合わせた額だけどね」

 翠子は片方の腕を曲げる。スーツを着ているので力瘤は見えなかった。

「あの~、登録しないと懸賞金は貰えないんですよね? タダ働きというか、損しませんかねぇ」

「あんたが言ったんじゃない。私が懸賞金付きを斃すと賞金稼ぎが損をするって」

「言いましたけど……ひょっとして」

 竜司は身を屈める。翠子は顔を寄せて含み笑いで言った。

「頭にきた賞金稼ぎが私に会いにくる、って計算よ」

「姉御、思い切った行動に出ましたね。ですが、賞金稼ぎにも強敵はいるんじゃないですか」

「その時は、そうね。ぶん殴って許して貰おうかな」

 笑顔で腰をくねらせる。

「破壊力、抜群っす」

 竜司はどちらとも受け取れる言葉を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る