第12話 目覚める

 時田翠子は苦しそうな顔で瞼を開けた。天井に取り付けられた丸い照明の光を遮るように手を翳す。

 横目をやると白い特攻服を着た半透明の男、仙石竜司せんごくりゅうじが微笑んでいた。何度も頷きながら親指を立てて見せる。

「……なによ、それ」

 翠子は不機嫌な声を返した。片肘を突いて起き上がろうとした。身体に掛けられていた薄手のタオルケットがずり落ちる。

「な、なんで!?」

 急いでタオルケットを掴んで引き戻す。衣服を着ていなかった。オレンジ色のスポーツブラジャーは付けていた。

「あんたの仕業か」

 翠子は声を絞り出し、竜司を睨み据えた。動じた様子はなく、ただ指を差した。

「どういう……」

 言葉を失う。翠子の視線は斜め下で固定された。楕円のような膨らみが見て取れた。

 横向きとなってタオルケットの上部を摘まんだ。細心の注意を払ってゆっくりと引き上げる。髪で結われたお団が目に入って急いで閉じた。

「こ、これ、好乃ちゃんだよね?」

 小声で竜司に話し掛ける。満面の笑みで、おめでとう、という言葉が返ってきた。

「……あれ、翠子ちゃん、起きたんだー」

 タオルケットの中をモゾモゾと動いて河合好乃が顔を出した。

「えっとー、なんで一緒に寝てるのかな」

「えー、ここはわたしの部屋でベッドだよ。翠子ちゃんがシュークリームを食べたあと、口の中が甘くなったー、って急に言い出して焼酎を買ってきたんだよー」

「そう、なんだ。全然、覚えてないんだけど、酔っ払っていつの間にか寝ちゃったみたいね」

 恥ずかしそうな顔で笑った。好乃は怒ったような顔で更に競り上がる。両肩が露わになった。

「好乃ちゃんも服を着てない!?」

 白いチューブトップのブラジャーを翠子の顔に押し付ける。

「ちょ、ちょっと好乃ちゃん、ど、どうしたのよ、急に」

「胸の谷間を見て」

「……赤いから汗疹あせもかな」

「ちがーう! 翠子ちゃんが付けたキスマークだよ。ほら、ここにも」

 好乃は上になっていた腕を上げた。腋の近くにも同じ赤い跡が付いていた。

「お腹にだってあるし、太腿だってそうだし、もっと敏感なところにもあるんだからぁ」

「も、も、もしかして私が酔っ払って……しちゃった?」

「そうだよー。ベッドに引き摺り込まれてされちゃったんだよー。最初はこんな感じで」

 好乃は翠子の頭を胸に抱いた。

「ベッドの中だと身長差は関係ないよねー」

「そうだったんだ。やっぱり私って女の子が好きなのかな……」

 引き戸の開く音がした。胸に埋めていた頬を引き剥がし、翠子は音の方に顔を向ける。

 艶やかな着物姿の時田赤子ときたあかこが立っていた。藍色の包みを抱えていた手が緩み、ポトリと床に落とした。

姉様ねえさま、何をしているのです」  

「こ、これは夜が寒くて、ほら、肌を引っ付けて寝ると温かいよね」

「今の季節は夏なのです。誤魔化そうとしても駄目なのです。赤子には全てわかってしまったのです」

 おかっぱ頭が乱れた。赤子はふわりと跳躍した。翠子を跨ぐ姿でベッドに着地を果たす。片方の足は微妙な力加減で好乃を押し出す。

 翠子は仰向けとなって赤子に取りつくろうような笑みを向けた。

「お、落ち着いて。さっきのは嘘だけど、私と好乃ちゃんは赤ちゃんが考えるような、えっと、そのー、淫らな関係じゃないから!」

「赤子は何も怒っていないのです。心の底から喜んでいるのです」

「……赤ちゃん、悪いんだけど意味がわからないよ」

 答える代わりに赤子は行動に出た。着物の裾先を摘まんで徐々に開いてゆく。

 白くて艶やかなすねが見えた。なだらかな膝頭が露わになり、程良い肉付きの太腿が垣間見える。

「赤子は和装なので下には何も穿いていないのです。姉様、赤子の大事なところにもキスマークを付けて欲しいのです」

 僅かに前に出た。翠子の顔を跨ぐ姿となり、腰を沈めてゆく。

「ま、待って。姉妹でそんな――」

 口を完全に塞がれた。幼い顔立ちからは想像できない、赤子の愉悦ゆえつを含んだ笑い声が上から降ってきた。


 翠子は顔を覆っていたものを掴んで放り投げた。

 同時に跳ね起きて荒い息で周囲を見回す。壁際に項垂れた形の枕が見えた。

「ここは私のマンション、だよね。なんだー、夢かー」

 仰向けでベッドに倒れ込んだ。一息入れると顔を両手で覆った。その姿でゴロゴロと左右に転がる。

「違う、そんなんじゃない! 私はノーマルなんだ! アイツがヘンなことを言うから!」

 身悶えるような時間を経て、翠子はベッドの縁に座った。疲れ切った顔でポツリと呟く。

「……本気で彼氏を探そう」

 程なくして浴室で冷水のシャワーを浴びた。自分の身体を確かめる。キスマークらしい痕はどこにも付いていなかった。

 会社用のパンツスーツに着替えると、余熱を吐き出すような息をして翠子は部屋を出ていった。

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