第11話 もしかして

 珍しく定時退社となった。時田翠子はパンツスーツで身を固めて最寄りの駅に急ぐ。

 目が自然に横へと流れた。途端に歩みが遅くなる。炉端焼きを謳う居酒屋に小鼻が膨らむ。戸口に掛けられた準備中の札を見つけて苦笑いで息を吐いた。

 大川陀おおかわだ駅が見えてきた。翠子は歩みを止めず、スーツのポケットからスマートフォンを取り出した。気だるげに操作してメールの差出人を目にする。

 急に晴れやかな顔となった。堪らないという感じで震えて内容に目を通す。

『住んでる場所はなんとなくわかったから、私に任せてよ!』

 返信を済ませると笑顔で駅に走っていった。


 一回の乗り換えで駅に到着した。唯一の改札を抜けると入り組んだ道が前面に広がる。変形した土地に詰め込まれた家々で先がよく見えなかった。

 翠子はスマートフォンの誘導する声に従って歩く。幾つもの公園を通り過ぎた。古い家屋に挟まるようにして独立した畑があった。赤々とした鈴生りのトマトを見て口中に湧いた唾を呑み込んだ。

 少し足を速めた。立ち止まって右手を見ると、横長の建物がひっそりと佇んでいた。五つの扉の一番左に目が留まり、小躍りで向かう。

 『河合かわい』の表札の下にあるチャイムを押した。涼しげな音に急かされて慌ただしい足音が聞こえる。勢いよく扉が開くと小柄な女性が飛び出してきた。

 頭の上に結った大きなお団子がプルンと揺れる。前につんのめるような姿となって丸い眼鏡がずり落ちた。

「いらっしゃーい」

 垂れ目の目尻を更に下げて頭を真横に傾ける。緩い首周りのトレーナーがずれて肩が丸出しになった。

「もう、好乃よしのちゃん、可愛過ぎ!」

「いきなり、ハグられてるよー」

 翠子に抱き締められた好乃の両脚が浮いた。その状態でブンブンと左右に振られる。

「ギブー、ギブー」

 真っ赤な笑顔で好乃は翠子の背中をポンポンと叩いた。黒目が裏返りそうになるところでようやく解放された。

「あー、堪能したわ。それで好乃ちゃん、今も部屋にいる感じ?」

「うん、なんかねー。テーブルに置いてたコップが勝手に倒れたりするよ。引っ越してきたばかりなのにね」

「前のアパートは廃寺の横だったよね。近くには刑場跡って書かれた石碑もあったし。まあ、普通に考えたら出るよね」

 翠子は少し咎めるような目になった。

「だってぇ、時代劇のセットみたいでカッコイイし、女優さんみたいな気分になったんだもん」

 履いていたサンダルで小さく蹴る真似をした。目の当たりにした翠子は武者震いを起こし、笑顔で自身の胸を叩いた。

「なにがいるにしても私に任せてよ。よく効くおまじないを知っているからね」

「うん、任せたー。あのね、近くに洋菓子屋さんがあるから何か買って来るよ」

「そんなの悪いよ。引っ越したばかりなんだし」

「ショートケーキくらいなら買えるよ。同い年なんだから、ヘンな遠慮しなくていいよー」

 にかっと笑う好乃の愛らしさに耐え切れず、翠子は再び抱き締めた。無限大の記号を描くように振り回す。

「ギブー、ギブー、内臓が出るよー」

「好乃ちゃんの内臓なら見たいかも」

「見せたら死んじゃうよー」


 数分後、この世とあの世の狭間を漂った好乃は柔らかな表情で買い物に出掛けた。

 残された翠子は半開きのドアに手を掛ける。

「行きますかね」

 中に足を踏み入れた。視線を下げると、白い特攻服を着た半透明の人物が寝そべっていた。

「なに見てんだ、コラ」

 翠子は無視した。パンプスを脱いで奥に向かった。狭い通路の右手に洗面台があった。目付きの悪い男が猫背となって排水溝を睨み付けている。

「やってやるよ、やってやるよ、やってやるよ」

 その早口に翠子は動じず、後ろを通って扉を開けた。空の浴槽にはリーゼントの男が仰向けになっていた。口を斜めにひん曲げて、んだコラ、と凄んだ。

 通路に戻って先に進む。最奥にある硝子の引き戸を開けた。

「団体さんだね」

 翠子の台詞に全員が目を怒らせた。同じ白い特攻服を着てブツブツと悪態を吐く。

 半透明の彼等を踏み付けるようにして翠子は歩いた。小窓の側にあるベッドの前で立ち止まる。仰向けに寝転がる男を睨み据えた。

「あんたがリーダーよね」

「そうだが……おまえ、普通じゃないな」

 組んでいた足を戻し、上体を起こす。ベッドの縁に座ると翠子に強い視線を向けてきた。

「私は普通なんだけど。あんた達はどこから湧いてきたのよ」

「そこからか。ま、なんだ。俺達は生前、族をやってて対立するチームとの抗争で亡くなった。最近ではチーム、百鬼夜行ひゃっきやぎょうにいたな」

「総長の言う通りッス」

「チーム、最高ー」

 余計な合いの手を翠子は一睨みで黙らせた。

「なんでここにいるのよ。さっさと行けばいいじゃない」

「それなんだが。行列に加わってるメンバーが自分を見失って、こっちもヤバさを感じて抜け出した訳だ」

「なんで、ここなのよ」

 翠子は怒りで足を踏み鳴らす。男は当然とばかりに笑みを作った。

「あのお団を見てると和むんだよなぁ。レズのおまえなら、わかるだろ?」

「だ、だ、誰がレズだああああ! ふ、ふざけるな! 好乃ちゃんは誰が見ても可愛いのよ!」

「可愛いだけであんなに抱き締めたりしないだろ」

「総長の言う通りッス」

「レズ、最高ー」

 他の連中は折れた前歯で笑う。周囲から囃し立てるような拍手が起こった。

 翠子はプルプルと震える。見開いた目が暴れるように動いた。片方の口角が上がり、白い犬歯を覗かせた。

「……歯を食いしばれ」

 だらりと下げた右腕から赤銅色の巨大な腕が引き抜かれた。そして、ゆっくりと拳を固める。居合わせた連中は恐慌きょうこうを来たし、散り散りとなって逃げ出した。

「さすがは総長ね」

「そんなつもりはなくて……幽霊でも、腰が抜けるんだな」

 ぎこちない笑みを返した。


「ただいまー。安かったからシュークリームを買ってきたよー」

「お帰りー。部屋に問題はなかったよ」

「そうなんだー。でも、ありがとう。今から紅茶をれるね」

「私は折り畳みのテーブルを出しておくよ」

 翠子は好乃に笑顔を見せると、すぐにベッドに駆け寄った。隅には総長と呼ばれた男が正座で縮こまっていた。

「この近くに霊の通り道があることは信じる。だから好乃ちゃんをしっかり守りなさいよ」

「わかってますよ。姉御の大切な人と心得てますんで」

 耳にした瞬間、翠子は男に顔を寄せた。目を剥いた状態で無理に笑う。

「大切な友達だよね? こんな簡単なことも覚えられない残念な頭なら、いらないよね? 私が握り潰してあげようか?」

 男は恐怖におののいた。激しい身震いに見舞われたように頭を振った。

「お待たせー」

「わー、紅茶が良い香りだね。今、テーブルを出すね」

 先程とは別人の笑顔で翠子は後ろを振り返る。

「女は、恐ろしい……」

 男は項垂れた姿で呟いた。

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