恋愛協奏曲イ短調・2
翌日パイアールのもとにマダムが赴く。
「…起きな、坊や」
パイアールはまだ痛む身体を無理やり起こした。
マダムを見るとうっすらと微笑んでいる。
「今日はあんたの船を、どうするか話さないとねえ?」
「…俺とか?」
「ふふ。あんたの船だろう?」
マダムは艶っぽく笑う。
(…確かに俺の船なんだが)
そもそも自分に選ぶ権利を与える意味が分からない。
「その前に、あんたの名前を教えてくれないかい?」
「…ルートだ」
他の偽名が思いつかない。
(前にもどこかで使った気がするんだが)
部屋を出てリビングに連れて来られる。
「…ふふふ。…ルートだね?」
甘い声で囁かれた。
「…ああ」
「あたいは、アールシー。そう呼びなよ…いいね?」
「分かった。…アールシー」
「ああ」
アールシーは満足そうにうなずく。
「…さて、ルートは料理が出来るかい?」
(は?今の話題と関係があるか?)
「…出来ないことは無いが」
パイアールが答えると、アールシーはにこりと笑った。
「じゃあ、あたいに作っておくれよ」
「…なにか、好きなものはあるのか?」
パイアールが聞いた途端に、アールシーがこちらに凄い勢いで顔を向けた。
「何だって?」
「…何かアールシーの好きなものを作ろうか?」
パイアールはもう一度同じ話をする。
「あたいの?本当に?」
「…難しいのは無理だが」
何だか赤い顔をして、アールシーが言った。
「あたいは、その、…フレンチトーストを食べたいな」
「…分かった。それならすぐに出来る」
「うん。待ってるよ。…ルート」
頷いてから、パイアールは台所に立つ。
材料はあるようだ。
(…しかし。何だろう、あの態度は。
…あのまま続いたらこっちの調子が狂うだろう?)
パイアールはフレンチトーストにソーセージと卵、サラダと紅茶を添えて、テーブルに並べた。
「…冷めないうちに、どうぞ?」
「…ルートは一緒に食べないのかい?」
「ん?ああ、じゃあ、食べるよ」
台所に置いてあった自分の分も持ってきて座る。
目の前で自分の作った料理を疑いもなく、それは嬉しそうに食べている姿を見ていると、何だかややこしい気分になってくる。
(…俺、脅されているんだよなあ?
それでも喜ばれているのが何だか。…複雑だな?これは)
「ねえ、ルート?」
「…ん?」
パイアールはアールシーに腕を組まれた。
今、パイアール達は、惑星の上にある蛇骨会のアジトから出て、パイアールの船を改良する技師と話し合いに行く途中だ。
大きな黒塗りのエアカーで向かっている。運転手付きでパイアールとアールシーは後ろに並んで座っていた。
「ルートはどんな船にしたいんだい?」
「…距離が飛べるのが良い」
端的にエンジンが強ければ良い。
「あとは?」
「…戦闘が出来れば嬉しいが」
砲撃が出来ればいいかな。
「うん。…あとは?」
「…アールシー。技師と話さないと分からない」
ふふ、とアールシーはパイアールの肩の上に頬を乗せたまま笑う。
「そうだねえ。ルートの言う通りだねえ」
(…本当に調子が狂うぞ。このままじゃ、ただのひもじゃねえか。
あ。俺は若いからツバメってやつか)
ちらと隣のアールシーを見る。
(…何だか本当に幸せそうで。…困るだろ?)
ステーション近くの町に着く。
車から降りると、アールシーはパイアールの前を歩き出した。
ゆっくりと振り返り、パイアールに笑いかける。
「しっかりついて来なよ、坊や?」
「…ああ」
(…外ではそれか。対応に困るわ)
倉庫の様な大きな技研に待っていたのは、いかにも職人の方々。
(いやあ、俺もこんな人たちを探してはいたけれどな?)
「あたいが乗るんだから、手を抜くんじゃないよ?」
パイアールと職人の両方に、アールシーは声を掛けた。
思わず一緒に肯いてしまうほど迫力があった。
(さすがマフィアの、マムだよな?)
そもそもここら辺を仕切っている蛇骨会は、パイアールがいつもいる銀河にはそうそう出張しては来ない。たまに噂を聞く程度だったし、ホログラムだってパイアールと同じように賞金首のホロが出回っているだけで、それに声なんかもちろんついてない。
(だから俺は自分が不思議なんだ。
何で俺はアールシーの声を知っていたんだろう?昔に会った記憶も無いし。
だいたいこんなに印象の強いマダム然としている人物なんて、会ったら忘れないはずなんだけれどな?)
技師の人たちと話を進めると、やはりと言うか、考えている装備の殆んどを付けられない事が分かった。もともと頑丈さだけで選んだ機体だ。改良してもキャパシティが足りない事は分かっていた。
それをアールシーに告げると。
「…そうかい。じゃあいっそのこと船を買い代えちまうかい?」
という、問題発言をされた。
「…え?船を?」
「ああ。そうさ。…そんなに思い入れがある訳でもないだろう?」
(…まあそうだが)
「もっといい船にしたらいいよ。…例えば帆船とか」
パイアールは固まらないように手を強く握った。
(…俺が焦ったのを見られただろうか?)
前の船は大きな帆船だった。たくさんの仲間が乗っていたし、たくさんの獲物も積んでいた。乗り心地も良いし、確かにキャパシティも大きい。改良なんて、やりたい放題だ。
…しかし、今は重大な問題がある。
「…残念だが、帆船は無理だ」
「え?何でだい?金の心配ならしなくてもいいんだよ?」
「ああ。それは知っている。…そうじゃないんだ」
パイアールが溜め息を吐くと、不満そうにアールシーが言った。
「坊やには似合うと思うけれどね?帆船」
「…俺が一人で操縦が出来ないと駄目なんだ」
「…は?」
アールシーが、ポカンと口を開けた。
技師の人達も眉を寄せた。
「…あんたが一人でやってるのかい?操縦を?」
「…もし、砲台も付けるなら、それも見なきゃならない」
「ええ?あんたの船のクルーは何をしてるんだい!?」
「…何だろう?…俺の心配とかかな?」
アールシーが、何故か猛烈に怒り出した。
「あんたが!?あんたがかい!?あんたが全部やってるのかい!?」
「…あ、ああ」
歯ぎしりでも聞こえるのではないかというぐらい激しく怒っていた。
(…何でそんなに怒るんだ?……まさか、な)
パイアールが見つめていると、アールシーは自分の頬を触って深呼吸をした。機嫌を直そうとしているらしい。
「…そうかい。それじゃあ帆船は駄目だね。…その代り」
「?」
怒りを和らげたアールシーが、パイアールを見てはっきりと言った。
「最新鋭機に乗りな。…改造もガッツリしてやるよ」
「…いや、それは」
さすがに、気が引ける。
最新鋭機は、国やコロニー群が買えるぐらい高い。
更に、改良までしたらどれだけ掛かることか。
「あたいが乗るんだ。あたいのいう事を聞きなよ、坊や」
アールシーはそう言って笑う。
(…それは、本当にお前のためか?
まるでそれは。…俺のためのようだよな?)
最新鋭機ならと生き生きとして技師たちは、大きなホログラムに機影を映し出した。その後に帝国製と連邦製のどちらがいいのかで議論になる。
どちらも性能は問題なく両国の一番なのだが、やはりと言うか欠点がそれぞれにあって。それをどちらかの機体で補うには、キャパシティが足りないという。
パイアールと技師の人達が揉めていると、アールシーが、また問題発言をした。
「それなら両方を買って、いいとこだけ改造して機体に積んじまいなよ」
その場にいた全員が黙った。
(…それは、星が買えるレベルだぞ?)
「…高すぎる」
「あたいが乗る船に、高すぎるなんて事はないのさ」
そう言ってパイアールを見て笑った。
(……ああ。お前はやっぱり俺を知ってるな?でも、俺はお前に会った記憶は無いのに。何でそんな事を俺にするんだ?こんな回りくどいやりかたで。
…俺は女の好意は受け取るのがポリシーだが、ここまでだと流石に)
アールシーは自分の意見を聞くようにパイアールを見つめている。そこに本当の意見を言えるはずのない立場のパイアールは、根負けして溜め息を吐いた。
「…分かった」
「ふふ。元から坊やには拒否権はないのさ?」
(そうかい。それなら、仕方ねえな?)
それからは、技師の人達が頭を突き合わせて、揉めに揉めた。
それはそうだ。金額の制限なく最高性能の船を作れと命令が下ったのだ。未だかつてそんな事をしようなんて、考えても実行する奴はいなかったのだから。
何時の間にか、名の知れた技師にまで連絡が渡って、一大プロジェクトの様相になって来ていた。
それを仕掛けた女は、パイアールの横でお茶を飲みながら。
「騒がしいねえ。」
そう、呟いた。
技師たちの話し合いは難解になって、さすがにパイアールでは話についていけない。
暫くはパイアールも何もやることが無くなった。
「ルート?」
「…ん?」
そんなパイアールを見てアールシーが聞いてきた。
「どこかに出かけないかい?暇だろう?」
「どこへ?」
「あんたは本物の船は操れるのかい?」
パイアールは首を傾げた。暫く操縦していないが。
「…ヨットぐらいなら」
「ふふふ。…万能だねえ?」
アールシーが甘い声で、そう囁く。
「…海へ行くのか?」
「ここには、綺麗な海岸があるのさ」
「へえ」
(久しぶりだな、海も)
アールシーが連れて行く先に、パイアールは黙ってついて行った。
本当に綺麗な水平線が見える。
パイアールが操るヨットで二人で海に出ていた。
「綺麗だろう?」
「…ああ」
海は凪いでいて、ゆっくりと船は揺れている。
「あたいは、この星が好きなのさ」
光が反射する水面に目を細めて、アールシーが言う。
「…そうか」
「あんたは船乗りだから、あの空が故郷みたいなものなんだろう?」
言われてパイアールは空を見上げる。
今は青い空と雲しか見えないが、その上には星空がある。
(…そこは確かに俺の故郷だ)
「そうだな」
「…あたいは、この星に眠るのさ」
パイアールは寂しそうに響く声に、アールシーを見る。
アールシーは力なく笑っていた。
「それが大地を選んだものの運命さ」
「…そうか」
短い返事にアールシーが肩を竦める。
パイアールは水平線を見る。青いラインが天と海を分けている。
それは永遠に交わることは無い。
アールシーが、眩しそうな眼をしたまま、さらに沖を指さした。
「…この先に島がある。そこにあたいの別荘もあるんだ。しばらくは二人きりでいようよ。…ルート?」
「…俺は今はお前の物だ。…お前の往く所についていく」
「……そうだね。…今はね」
そう言ってまた寂しそうに笑う。
(…俺はその笑顔を、愛しいと思った)
まるで少女のように笑うから。
パイアールが肩を抱くと、頭を肩に凭れかけて来た。
(…俺は空に戻れるだろうか。彼女を置いて)
パイアール達は長くその島に滞在をしたが、アールシーは決してパイアールと寝ようとはしなかった。パイアールから誘っても。
アールシーは頑なに拒み続けて。パイアールも言わなくなった頃。
パイアール達の所に船が出来上がったと連絡が来た。
僅か1か月後だった
「…船が、完成したらしい」
通信を受け取ったパイアールがそう告げる。
「…気が利かないねえ」
アールシーはそう言って微笑んだきり、何も言わなかった。
急ピッチで作り上げられたその船は、人類の英知の結晶らしく。
出来上がったときは、全員で拍手喝采万歳をしたらしい。こんな贅沢はもう出来ないと。
その船を二人で見に行く。
美しい計算されつくした機体。
パイアールが見惚れている横で、アールシーはその横顔を見ていた。
「…これで、ブルースターに行けるんだね?」
アールシーが呟く。
「行きたくないのか?」
パイアールがそう聞くと、アールシーは泣きそうな顔をしてから首を横に振る。
「…最初からそこに行く約束だろう?」
「……そうだったな」
パイアール達は中に入る。
中も素晴らしい設備が搭載されていた。
「…ねえ、ルート。ここを少し触っても良いかい?」
「ああ。もちろん」
アールシーが指差した先は小さなコンソール。パイアールが答えると、微笑んで頷いた。
手順確認の操作をしながら、パイアールは他の機能は後で調べればいいやなんて思っている自分に軽く驚いていた。…前なら、こんな新品なら何が何でも、調べているはずなのに。
何かを触っていたアールシーも満足したようだ。
パイアールは彼女の手を取り、特等席に座らせる。
辺りには人の気配はない。
技師たちも全員退避しているようだ。
コンソールはオールグリーン。
「さあ、行っとくれルート」
アールシーが、決意したようにそう言った。
「…ああ。”ミーティア”発進する」
機関を前に倒す。
ゆっくりと上昇をして、星の周回軌道を2回ほどまわる。
水の豊かな、美しい星。
離れたら、すぐにリングに入れる。
この機体なら1回でブルースターまで飛べるだろう。
パイアールは星図を映していたメインモニターをいったん切った。
それを見ていたアールシーはパイアールを驚いて見る。
「船内には俺達しかいない、今なら」
パイアールはアールシーを見る。
彼女は静かに首を横に振った。
(…そうか)
メインモニターを再度着けてリングを準備する。
画像に五重の輪が映る。それはキラキラと引き返す心を奪う光。
船は加速を始める。
やがて別空間に入って行った。
船がリングアウトする。
振動が収まってから、パイアールはメインモニターを見た。
目の前にはブルースターの優雅な曲線が映し出される。
ブルースター。
青の星。…人類の故郷。
メインモニターいっぱいに、青い光が映っている。
二人でそれを見つめた。
「…ああ。綺麗だねえ、この星は」
アールシーは初めて見るブルースターに、声を震わせている。
「…そうだな。…何でここに来たかったんだ?」
アールシーがパイアールを見る。
「だってここは、約束の星、だから」
パイアールは少し驚く。
(…それは、神話の類いだぞ?)
昔、この星の前で約束を交わした二人の神がいた。
片方の神は約束を守って、約束を交わした相手の神を救った。
それ以来、ここで交わした約束は必ず守られる。
そんな話だった。
「…俺に何の約束をさせたいんだ?」
パイアールはアールシーを見つめた。
青い光が船内に差し込んでいる。
柔らかい光の中、戸惑いながらアールシーが口を開く。
「…あんたは、あたいを覚えているかい?…パイアール?」
「いや」
(…やっぱり、知っていたんだな)
「…あんたは昔、銀眼の旅団から移民船を助けた事を覚えているかい?」
パイアールは少し考えてから、思い出す。
(…随分懐かしい話だな)
「…まだ俺が海賊になって間もないころの話だな?」
「そうさ。でも、あんたはあのころから義賊だった。私達が奴隷として売られるのを知って、老獪な銀眼と戦ってくれたんだ。…あんなに傷だらけになりながら」
パイアールは首を横に振る。
「…俺は自分の利益のためにやったんだ」
「違うさ。その後にあたいたちに話を聞いて、皆が希望した星に落っことして、その時に銀眼から奪った金を置いて行ったじゃないか」
アールシーは、赤い顔でパイアールに話し続ける。
「…」
「あんたはあたいにとって、ずっと憧れの存在だった。活躍を聞くたびに自慢に思った。…あたいの生きていく力だった」
「…じゃあ、なぜ俺を」
(手に入れた俺を、ここに戻したんだ?)
パイアールの声にしない言葉に、アールシーの眼からはらはらと涙が零れる。
アールシーは自分の胸に手を当てて叫ぶ。
「見ればわかるだろう!?」
パイアールは彼女から目を外さない。
「あたいはもう50を過ぎるんだ。…あんたは前の身体だってあたいよりも遥かに若かった。これから先はもっと離れるさ」
「…だから、あんなに嫌がったのか?」
「当たり前だろう!?あたいだってあんたと初めて会った時は、10代だったんだ。あの頃ならそりゃあ、喜んでしたさ。…でも、今は…」
アールシーは涙をぬぐった自分の手を見つめている。
長い年月を重ねた、その手を。
パイアールはその手を握る。
「ああ。パイアール。…あたしは夢のようだったよ。このひと月が、さ」
「…俺もだ」
アールシーが見上げて微笑む。
パイアールも微笑んだ。
「…それでもずっと一緒にいろとは、言わないんだな?」
パイアールの言葉にアールシーは、楽しそうに笑う。
「何を言っているんだい、パイアール。…あんたはあたいの流星なんだよ?……流星は誰にも止められないものなんだ」
「…そうだったな」
パイアールの呟きにアールシーが頷く。
「…じゃあアールシー。お前は俺にどんな約束をさせたいんだ?」
パイアールの問いかけにアールシーは、決めていたのだろう言葉を、震える声を振り絞って言った。
「…いつかきっと、あの星へ来て、あたいの墓に花を手向けて欲しいんだ」
「そんな事でいいのか?」
「何言ってんだい?…流星の足を止められるんなら最高さ」
そう微笑んだその顔が、余りにも。
パイアールはアールシーをきつく抱きしめた。
「…分かった。必ず行く」
「うん。約束だよ?……いつかきっと来てね?」
「ああ。…この星に誓う」
彼の腕の中で彼女が、恥ずかしそうに身じろぎをした。
彼女が初めて腕の中で目を閉じる。
二人は最初で最後の口づけを交わした。
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