恋愛協奏曲イ短調・1
「ぐみ、これを並べてくれますか?」
「うん。いいよ」
リビングで食事用の食器を、二人で並べているらしい。
仲が良くて何よりだと思う。
(…あの時は死ぬかと思ったが)
パイアールがぐみを抱えて、船の中に入った途端。
「な!ななな!何をしたんですかあ!?パイアール!!!」
ハルミナにぶん殴られた。
その後の記憶がない。
起きたら、ぐみが真剣に何かを唱えていて、ハルミナは滝のように泣いていた。
(お前たちさ、もう少し真剣に俺の事を介抱してくれても良かったんじゃないか?
ぐみは魔法じゃなくておまじないを唱えていたらしいし、ハルミナに至ってはただ泣いていただけだったらしい。
起き上がれたのは、ひとえに俺の回復力の賜物で。
…まあ、今は何ともないから良いけどな?)
炒めものが焦げないように揺すっていた鍋を止める。
「ほら、出来たぞ。持って行け」
「はい」
「はあーい」
(まあ…いいか。平和だし)
パイアール達はぐみの居た星から一番近かった、仙女座ステーションに逗留している。やはり名前は、そのまんま付けられている。
燃料の補給をしても、いつもの銀河には帰り切れない事が判明して、帰る方法を探している最中だ。
最良は船を改造する事。
(…だが、それが困難なんだ。
腕のいい技師の知り合いがいない。
まったくの当てずっぽうで頼んでもろくなことが無いのは、実体験済みで)
今は技師の噂を聞いて回っていた。
さすがのゴート商会も此処は少し遠いらしい。
時間つぶしに仕事も少ししていた。近距離なら運べるし。パイアールに声は聞こえない普通の荷物を預かっては運んでいた。
それが良くなかったようだ。
パイアールが宇宙港の伝言板に、依頼がないか見に行った時。
「この、運び屋てえのは、お前さんかい?」
黒服のいかにも、悪そうな男に話しかけられた。
「…悪いが俺は、裏の仕事はしていないんだ」
「まあそう言うなよ。良い話があるんだ」
「断る」
パイアールが背を向けると、背中に何かを押し当てられる。
「…どういうつもりだ?」
「俺の話を聞いてくれよ、な?」
パイアールは黙って両手をあげる。
後ろから抱きかかえられて、耳の下に拳銃を押し当てられた。
「…良い子だな。悪い話じゃないさ」
(この状態でそう思えるなら、いかれてるだろ、そいつ)
パイアールは背中を押される形で歩かされ、ステーションの小さな倉庫に連れ込まれた。
いわゆる、男のアジトという物だろう。
パイアールは手は後ろで縛られて、椅子に座らされた。
「…お前に運んでほしいのは、これだよ」
「…ちっ」
ロンドパウダーか。
「へえ、何だか分かるのかい、坊や?」
「…知っている」
…有名な麻薬だ。
現物を見た奴は少ないだろうが、名前だけならだれでも知っている代物だ。
連邦でも帝国でも、禁じられている物だし、持っていて捕まったら、当分世間には帰って来られないだろう。
「…使った事はあるかい?」
怖気が立った。
「…無い」
「…気持ちいいぜ?天国に行くくらいにな?」
(天国に行ったこともねえくせに、分かったような口を利くな)
「…試してみるかい?」
「…断る」
パイアールの声が少し震えたのが分かったのだろう。男が笑う。
「ひひ。良いじゃねえか。…何事も体験だぜ?」
男が簡易の筒状の注射器を、手に取った。
パイアールの側まで歩いてくる。首に打つ気だろう。パイアールに屈み込んだ。
その時足に絡めてあった椅子を、自分の足ごと男の腹に叩き込む。
「うべ!?」
そのまま外へ走る。
ドアを蹴飛ばして壊して走り去る。
パイアールは義骸の力に感謝しながら、船まで走った。
手を解いてる暇もない。
「ハルミナ!!緊急発進だ!!」
「ど、どうしたんですか、パイアール?その姿は?」
船内にいたハルミナが、パイアールに近寄る。
「良いから、エンジンを開けろ!」
「でも、それを」
パイアールの姿におろおろして、ハルミナはいう事を聞かない。
「ちっ。ぐみ!これを切れ!」
「お、おう」
ぐみが急いでタクトを回す。
パイアールの手を縛っていた金属が千切れた。急いで操縦桿を握る。
「座れ二人とも!!」
スイッチを入れて、エンジンを始動させる。
パネルを叩いて急上昇させる。加速がきついがそれどころじゃない。
管制塔から警告が来るが、知った事か。
パイアールは宇宙へと逃げ出した。
やっと宇宙に出てから、息を吐く。
(ああ、くそ。
俺はいったいどこのマフィアに目を付けられたんだ?)
パイアールは目の前のコンソールを拳で叩く。
傍に座っていた二人がびくっとしたが、かまっている暇はない。
今乗っている仲間は、前みたいに百戦錬磨じゃない。
目をつけられたら、すぐにでもそいつらに捕まる。
(…そいつらの親玉をつぶすにも、この船じゃ何も出来ねえ)
「…くそ!!」
(どう考えても、逃げるしか手がないじゃねえか!!)
「…パイアール?傷の手当てをしないと…」
ハルミナに言われて見ると、金属で縛られていた手首から血が流れている。
「…悪いなハルミナ。今はいい」
パイアールは自分の手を取ろうとした、ハルミナの手を断る。
「え、でも」
「…いいんだ。少しほっといてくれないか」
「あ、え、はい。…分かりました」
パイアールは操縦席に身体を預ける。
(相手が誰かも分からないんだ。逃げ切れるかもわからない。
…追って来ないだろうなんて楽天家でもないしな、俺は)
そして嫌な予感ほど当たるものだ。
眼を閉じて考えていたパイアールの前の通信装置から、声が聞こえた。
ザザっと何回かの雑音の後に、通信回線が開く。
『あたいの誘いを断った子ってえのは、あんたかい?』
「さあ?美人の誘いは断った覚えがないなあ?」
上が出て来たのか。
『ふふ、いいねえ。生きの良い坊やは好きだよ?』
「そりゃどうも」
嫌な汗がにじんでくる。
(…この声どこかで、聞いたことがあるな)
後ろでハルミナが何か言いそうなのを、ぐみが止めた気配。ナイスぐみ。
船が激しく揺れ、大きな金属音が響く。
(くそ。アンカーを打ち込まれたか)
『じゃあ、断られるかどうか、あたいの顔でも拝んでもらおうかねえ?』
「…もう少し大人になってからじゃあ駄目かな?」
『ふふ。今から大人の女を知っておくのもいい体験さ、坊や?』
ぐらりと、機体が揺れる。
『さあ、行くよ?坊や?』
ガシャンと入り口が接続された音がした。
「…ぐみ」
「…なに?パイ」
息を潜めている、ぐみに囁く。
「…いざとなったら、飛べるか?魔法で」
「ボクの力じゃ二人が限度だよ」
「上出来だ」
「!」
パイアールの意図を悟ったぐみが息を飲む。
「…二人で逃げろ、いいな」
「パイはどうするの?」
「一人なら、」
ドアがカチリと鳴った。
「行け!ぐみ!!」
「エレメンタルウィンド!!」
「え?パ」
パイアールの怒鳴り声に、ぐみが力を使う。
空気が鳴った事に、入って来た女は片眉を上げてからブリッジを見回す。誰もいない事を納得したのかパイアールを見た。
その女の顔を見たパイアールは、最悪の事態を想像する。
パイアールは手を縛られて、繋がれた船に移動させられた。
「本当にひとりかい?」
「…美人に会うのに、他の女は野暮だろう?」
「そうかい?そりゃあいい心がけだね?」
目の前にいるのは。
マダム・アールシー。悪名高いマフィア、蛇骨会のマムだ。
前のパイアールと同じ賞金首の女。
(…ヤバい奴に目を付けられたな)
マダムはニヤリと笑うと、腰に手をやった。
その手には獲物が握られている。
「…まあ、まずは挨拶でもしようか?坊や?」
蛇辨と呼ばれる鞭が唸った。
パイアールは声を上げない様に歯を食いしばる。
「おや?返事が出来ないのかい?」
2度3度と鞭が振るわれる。
「…かっ…」
「ああ。やっと返事をしてくれたねえ?」
嬉しそうにマダムが呟く。
(口からは血の味しかしねえな)
パイアールは鞭の柄で顔を上げさせられる。
「おや、可愛い顔をしているじゃないか。…これはいいねえ?」
「…俺に、いったい、何の、用なんだ?」
マダムはニヤリと笑うと、近くの椅子にどっかりと座った。
「あんたに、運んで欲しいものがあるのさ」
「…麻薬は運ばねえ」
鞭が飛んできた。
「ぐ」
「話は最後まで聞きな、坊や。…あたいを運んで欲しいのさ」
周りの子分どもがざわつく。
(何だ?部下にも言ってなかったのか?)
「…どこまで、だ?」
「…ブルースターさ」
パイアールは緩く、首を振る。
「悪いが、それは、無理だ」
「おや、どうしてだい?」
マダムは片眉を上げて目を細める。
「俺の船じゃあ、そこまでは、行けないんだよ」
「ふふ。坊やは技師を探しているんだったねえ?」
(…くそ。本当に目を付けられていたのか。
調べられているな、これは)
「いいさ。あんたの船を改良してやるよ」
「…は?」
返事が気にらなかったのか、鞭をもう一撃食らう。
「う」
「それなら、行けるだろう?」
「…そう、だな」
パイアールが口を開くと血が零れた。叩かれた背中が痛くて真っ直ぐは立てていない。
(…俺に何をさせたいんだ、この女は)
「ふふ。それじゃ、決まりだねえ?」
マダムが鞭でパイアールを指し示すと、傍に居た男がパイアールを担ぎ上げる。
「…暫くは暇なんだ。あたいと遊んでもらうよ、坊や?」
マダムはそう言ってニヤリと笑った。
パイアールは肯くしか出来なかった。
二隻の船は連結されたまま、水色の惑星に降り立つ。蛇骨会の本拠地に連れて行かれたパイアールは傷の手当てを受けて、個室に軟禁された。
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