人形の星・1
「おはようございます。パイアール」
瞼を開ける前に、パイアールの頭上から声が掛かる。
(…何で俺はこんな状況にいるのか?誰か教えてくれ)
ハルミナが寝ている自分を抱きしめている。
…上に乗っかって。
胸に顔をうずめている状態で。息苦しいが問題はそんな事では無くて。
自由になる両手を上下に動かしながら暴れているパイアールに、クスクス笑いが降ってくる。
「…起きるから」
「もう少し平気ですよ」
(俺がやばいから!?色々とな!?)
仕方なく肩を押し返して、ゆっくりとハルミナをどかす。
…青少年になんという仕打ち。お前自分をもっとよく見ろよ。
何とかベッドから起きて操縦席を見ると。
「…なにか、通信が来ているのか?」
モニターの下の計器のランプが点滅している。
のんきにハルミナが答える。
「あ、はい」
「なんだ?」
もっと早く起こせよ。
「なにか、帝国からの警告です」
「……はあ!?」
なんだと!?
パイアールは急いで通信の再生スイッチを入れる。
『…この宙域を航行中の船に警告する。我が帝国軍は今より2基準時間後に、戦闘を開始する。戦闘宙域に滞在する船舶は、全て敵艦とみなす。早急に退避せよ。…もう一度繰り返す』
着信時間を見て、パイアールは急いで時計を見る。
(ち!間に合わねえ!!)
「ハルミナ!!座れ!!全力で逃げるぞ!!」
「あ、はい?」
ハルミナが座った瞬間に、エンジンをフルスロットルで開く。
指先でスイッチをいっぺんに上げるが、反応が遅い。
(やばい!!時間がねえ!!)
サブモニターを映すと、次々とリングアウトしてくる機影が映った。
(やばいやばい!!)
50、65、82%、早く!
その時、何時もは繋いでいない回線が無理矢理つなげられる。
帝国軍の回線か。
『貴艦は、どこの所属だ?』
「ゴート商会だ、よ」
加速がきつくて、喋りづらい。
『…最近、ゴート商会のほうに賞金首と同じ名の少年が入ったと聞いたが。…貴艦の船名を教えてくれないか?』
よく聞いた低音の声だな。
くそっ。
随伴船の砲身がこっちに向けて動いてやがる!
手元のスイッチを次々と操作をしながら、答えてやる。
「”ミーティア”だ!!」
『パイアール!!貴様!!』
「じゃあな!!ハンニバル准尉!!」
『中佐だ!!』
加速が何十倍にもなる。
リング開始。計算している暇がない。行先なんて知った事か!!
「あっ!」
隣でハルミナが小さく悲鳴を上げた。
耳鳴りがするが、船が無事にリングアウトする。
「ん、はっ。」
パイアールでも、さすがに息がきつい。
そのまま何も言わない隣を見る。
ハルミナが気を失っている。
(…人型コンだろ?なんで気を失っているんだ?)
「おい、ハル」
パイアールが声を掛けた途端、アラーム音がなる。
サブモニターに機影が出現する。
(ハンニバルか。
よくでたらめに飛ばした軌跡を追いかけられたな。
さぞ優秀なやつが乗っているんだろうよ?)
パイアールは燃料タンクの表示を見る。
あと少しでサブに切り替わってしまう。だが捕まったら何をされるか。
エンジンをまた、思い切り開いた。
加速が身体を後ろに引っ張る。
それに抗って身体を前に倒し操縦桿を握る。
また、強制的に通信がつながった。
(くそ。周波数を変えてる暇がねえな)
『パイアール!!俺から逃げられると思っているのか!?』
「は!お前に掴まった事なんて一度もねえよ!!」
『捕まえてズタズタにしてやるぞ!!』
「へえ?やれるもんならやってみな!?」
軽口は叩けるが、何せ改良をしていない機体だ。
これ以上の無理が効くかどうか。パイアールは口を噛みながら、気を失っているハルミナをちらと見る。
(帝国に捕まっても、こいつだけは逃がさねえと)
ふいに。
「…相変わらず女には甘いのね?」
呆れ声が耳元で囁かれた。
ガガガと機体が揺れる。
いきなりパイアールの視界の右下、輪が書いてあるランプが光り出す。
リングを表すランプだ。
そのリングが一重から中央に向かって三重に展開した。
「な?」
メインモニターにも同じように、リングが三重に展開している。
身体が更なる加速を感じ取る。
(何だ、どういう事だ?
いったい誰がこの船を操っている?)
もはや口を開く事すらできない。操縦席に押し付けられたまま異常事態に耐えることしか出来ない。
船は信じられない速度で、別空間に突入した。
(まさか。お前じゃないよな?)
パイアールは操縦席で意識を取り戻した。
静かな機械音が響いている。
…いつもの船内だ。
「…は」
小さく息を吐く。
サブモニターを見る。周りには何もない。さすがの帝国軍でも追跡は出来なかったようだ。
「…ハルミナ?」
立ち上がって隣のハルミナの身体をゆする。
反応がない。
パイアールはまだ震えている手で、機材を探る。
確かあったはずだと備え付けのボックスの中を探してみると。
(ああ。あった。機械用のサーチシステム)
ハルミナの体の上を光る棒でサーチする。
システムの情報を受信して、メインモニターに画像が映る。
頭部の部分に、小さな赤い点滅。
故障を示していた。
(…俺が直したからなあ。
しかも、修理用の機械はここには無いから手で直したし。
出来ればマシーナリー用の設備があるところで直したいんだが)
もう燃料がない。
強制とはいえリングを三重に展開なんて、この大きさの宇宙船のタンクで足りるはずもなかった。無理に移動してもさまようだけだ。
(だいたいここは、どこの宙域なんだ?)
近辺の星図を引き出してメインモニターに出力した。
「…は?」
モニターに映った星図を見て、パイアールは絶句する。
(…アンドロメダ近似だって?
今までいた銀河からどれだけ離れてると思ってるんだ?
此処に来るにはこの船じゃあ、5回はリングしなきゃ来れないだろ?)
しかも。
パイアールはメインモニターを見つめる。
水色の連邦と赤色の帝国。
どちらでもない、黒い部分にこの船は漂っている。
「…未踏宙域か…」
星図には、どちらにも属さない公国など中立は灰色で示される。
黒はまさに、だれも入った事のない領域だ。人が生息している可能性はほとんどない。まだ表立って知られていない種族がいるかも知れないが、独自発達の文明を適応できるかも分からない。
「まずいか…」
パイアールはハルミナを見る。
何とかしてやりたい。
そのときパイアールの耳に人の笑い声が聞こえた。
「え?」
星図の向こうから。
パイアールは何も考えずにモニターを外の宇宙に切り替える。
そこは、遠くに煌めく星々があった。
そして視界に入ってきたのは。
今まで何の音もしなかったブリッジに、パイアールがそれを視界に入れた途端アラーム音が響き渡る。
すぐそこまで、眼下まで惑星が近づいていた。
「…うそだろ?」
こんなに接近するまで鳴らないアラームなんてない。
だがそれよりも。
パイアールの視界には、実際に見えている赤い星に重なって、水色の美しい星が見えていた。
そして数多の人々のささやき。やもすると鳥の囀りの様な、水のせせらぎの様な。
…この思いはいったい誰のものなんだ?
(こんな巨大な。俺はここに降りて良いのか?
背筋がひやりとする。
この巨大な思いに飲み込まれやしないか?)
だがもう船はこの星の重力圏内に入っている。
降りるしかない。
パイアールは大気圏突入を開始する。
パネルとスイッチを叩きながら、妙な考えが頭をよぎってゆく。
(誰かいるのだろうか。
それとも。
この思いを残した、何かが林立しているのだろうか)
薄暗くなった船内で、操縦席に座って酷い揺れに耐える。
(…俺は正気で、いられるかな)
耳鳴りがする中、そんな事を思いついて、笑えた。
(おいおい、どこまで青少年になったんだ俺は?)
激しい振動が何度もあったが船はそれでも無事に着陸をした。もともと頑丈さを基準にして買った船だ。大気圏突入に不安などない。
船を降りると、そこはパイアールの予想など遥かに超えていた。
宇宙港などない荒れ地に降りたはずだったのだが。
その荒れ地に二重映しに楽園があった。
空は青く澄み渡り、鳥が飛び交い、人々が笑いながら歩いていて。
白い建物が立ち並び、木陰を提供する木立は道沿いに植えられていて。
足元には豊かに水が流れる、水路があって。
「…は…」
パイアールは地面に膝を着いた。
(これは人の思いじゃない。
これはこの星の記憶だ。
人々が生きていたころの、この星の記憶)
パイアールの周りを人々が笑いさざめきながら、歩いていく。
「あ、ああああああああ!!」
パイアールは知らず絶叫していた。
(それは俺には受け止められない!!
そんなものは終わらせられない!!
こんなただの人間の俺が、何億の人を支えた星の心なんて受け取れない!!
入り込まないでくれ!!俺の中に!!
「…あ、あ…」
悲しみが俺の心を満たしてゆく。
人々がここを去ってゆく時に、お前は傷ついていたのか。
繰り返しその時代を思い返すほどに。
痛い。苦しい。悲しい。
…寂しい。寂しい。寂しい。
「…は、あぐ…」
息が、苦しい。
涙が止まらない。
空へ手を伸ばしても。
誰もここには。
もう、ここには。
爪が土を引っ掻く。
血がにじむ。
どれだけ思っても。
もう、手は届かない。
伸ばす手も無い。
叫ぶ口も無い。
「…く…」
身体が前に倒れそうになる。
流れてる涙が、地面に零れた。
その瞬間に、誰かが驚いた気配がした。
急に風景が戻った。
「…は、はあ、…ん…」
パイアールは、荒野に座り込んでいた。
さっきまでの恐ろしいほどのプレッシャーも感じない。
「…なん、なんだ?…」
パイアールが息を整えながら立ち上がる。
砂が舞う荒野。それが、この星の本当の姿。
(…勘弁してくれよ。
星の記憶なんて、俺には。手に負えない)
パイアールは警戒しながら辺りを見回すが、砂交じりの風が吹いているだけだ。だがこれで終わりではないだろうと船の近くへ行く。
気配がしていたから、もう驚かないが、目の前に薄ぼんやりとした小さな人の形をした何かが立っていた。
それが手を伸ばし、はるか向こうを指さす。
「…どうしろって?」
パイアールが声に出して問いかけると、それはクルリと回って走り出し。
追いかける間もなくそれは消えた。
(…来いってか)
パイアールは船に戻り、燃料の残量を確認する。
サブに半分。
この星から出たら、あとは宇宙を漂うしかなくなる。
つまりは、この星からは出られない訳だ。
パイアールはエンジンを始動させて、何かが指さした方向へ船を飛ばす。
何も分からないまま、教えられたまま行動するなんて、性に合わないんだが。…自分のこの能力は、先が安全だと伝えているようで。
(ああ。もどかしいな)
パイアールは自分の奇妙な身体に溜め息を吐いた。
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