思い出運びます・1




チロルの鼓膜を破るような叫びが、パイアールの耳に残っている。

助けられなかった。

手を伸ばすことすら出来なかった自分に、胸がつぶれそうだ。


大事な自分の家族。

みんな自分が誘って海賊家業に巻き込んだ。それでも命を幾度もかけた日々が、互いの理解を深め手を取り合う事にためらいもなく、生き続けていけるはずだったのに。


自分の頬を涙が伝った事に、パイアールは気が付いた。


「…あ…?」


声が出た。呼吸が出来ている。

さっきまでの五月蠅い警報の音もしない。辺りはとても静かだ。

身じろぎをすると、さらりと上質な衣擦れの音がした。


眼を開ける。


パイアールには見覚えのない場所だ。

瀟洒な家具でまとめられた部屋は、一面だけ壁がなく外に通じている。

外はもうすぐ夕方になりそうな日の傾きを、高い天空に映し出していた。丸い天井は特殊な金属の光を纏って、地上と変わらぬ様な空を表示している。


…どこの、コロニーだ?


パイアールは起き上がって絶句する。

ベッドの向こうには、一面の薔薇の続く庭が広がっていた。

「…これは、すごいな…」

「そうだろう?」

パイアールの口から思わず零れた言葉に、返事があった。

声は薔薇の庭から歩いて来た女から発せられたのか。

上品な服装をした白髪の女がベッドに近づいて来る。

庭で手折ったのか、その手にはみずみずしい薔薇が掴まれていた。


まだベッドの上で半身を起こしたままのパイアールは、近づいて来る女をじっと見る。肩の所で白髪をそろえた栗色の目をした女は、老いてもなお美人と分かる造作をしていた。

「…あんたは、確か…」

「ほう?わしを知っているかね。海賊パイアール」

女はパイアールに近寄って、ベッドにその薔薇の束を投げる。

ばさりと音を立てて何本もの薔薇がシーツの上に散らばった。

「…ゴート商会の」

「ふん。お前には随分と世話になったな?」

「ちっ」

(なんで、こいつの所に俺がいるんだ)


ゴート商会は、連邦も帝国も関係なく、どちらの宙域でも商売をしている大手の商会だ。もちろん綺麗事の商売は表向きで、裏では主に武器のやり取りをしている。

パイアールも随分と弾薬の補充をさせてもらっていた。

もちろん、金は払っちゃいない。


「…なんで、俺がお前の所に」

「…その質問の前に、自分の確認でもしたらどうかね?」

「は?自分の…」


パイアールは喋っている自分の声が、やけに柔らかい事に気付く。

自分の手を見る。白くて細い。そして肌が若い。


「…これは?」

「…君はわしの船の前に、突如として出現した。もちろん光粒子の反応も無かった。…まるで、魔法のようにな?」

パイアールは無言で話を促す。

「君の身体はほとんどが破損をしていた。だが、幸いなことに脳と心臓は無事だったのだ。…わしはその時丁度、試したい事があった」

「…試したいこと?」

(ろくな事じゃねえな、きっと)

パイアールは女を睨みつけるが、そんな視線などに怯むはずもなく。

「魔法や陰陽を使った義骸を作ったのだよ。しかし適合者がいなくてな」

「…俺は適合したのか」

「そうだ」


ゴート商会のトップが目を細めて笑う。

まるで意地の悪い猫の様だ。

自分の獲物を逃がしては捕まえて、長く手慰みにするように。

「その体は、特殊に作った。…よほどのことが無い限り壊れないし、特殊な波動も感知する。…ただ残念なことに莫大に費用がかかるのだ」

老獪な女がパイアールを見下ろして笑う。

「だから、まだ君一体しか作っていないんだ」

「…俺に、どうしろと?」

「我々に、体の詳細なデータを送ってほしい。…そのための資金のバックアップはしよう」

「…俺に、お前の犬になれっていうのか」

女は年の割には若い指先で、パイアールの顎先を持ち上げる。

「そうではない、パイアール。我々は取引をするのだ。…お前は所詮、船を失った船乗りなのだぞ?」

「…」

パイアールは言い返せない。

およそ数えられる数字を人知の及ばぬほど重ねたとしても、到達しないだろう一つの偶然を手にして、今ここで息をしているのだ。

「お前はこの海でしか生きられない。…海賊とはそんなものだろう?」

そのままパイアールは、自分を見下ろしている女を見上げる。

狡猾そうな瞳の奥に、別の感情が揺らいでいるような気がして、自分の顎を支えている女の指を振り払わずに、話を続ける。

「へえ。随分お優しいんだな。…俺はあんたはもっと金の亡者かと思ってたぜ?」

「…この義骸は、わしの思い人そっくりに作らせた」

その言葉でパイアールは眉をひそめる。

いま少し顔を近づけて、女はパイアールの顔を覗き込んでいた。

「…お前が、報告の度にわしの所を訪れるなら…」

指先がパイアールの顎先をなぞる。

「…それはきっと、わしの生きがいになるだろう」

(…センチメンタルな女だな)

感情の持って行きようがないのは、二人とも同じなのか。

涼やかな風が庭から入って来る。パイアールの膝にばらまかれた薔薇が強く香っていて、この場所が現実味を失う。

ふう、と息を吐いてから、パイアールは女の指を右手でそっと外し、一度目を閉じてから開き眉根を寄せた。

「…分かったよ。…来てやるよ」

パイアールが頷くと、ゴート商会の会長は寂しそうに悲しそうに微笑んだ。



パイアールはこうして、ゴート商会の後ろ盾を得た。

義骸の調子は悪くなく、身支度を整えもろもろの支度をするのもスムーズに動く事が、パイアールには薄気味悪かった。

姿見で見た自分の姿は、見た事もない若い少年の姿で。

慣れなければと思いながらも、この少し柔らかい声音にすら慣れるまで時間が掛かりそうだと苦笑が浮かんだ。


次に会いに来るときは、名前で呼べとのご指名が付いた。

(…たしか、ディナイだったはずだ)

見送りを受けて外に出た後、この大きな個人コロニーにある宇宙港に足を向けながら、パイアールは徐々に混乱して来ていた。


(…いったい、何をすればいいのか。

商会に所属する以上、海賊は出来ねえ。

かと言って。

やつが言ったとおり、俺には船に乗る事以外に出来る特技もねえしなあ)


宇宙港についてからチケットを買う為に取り出した、手元の莫大な金額が入ったカードを見る。

(…まずは、船を買うか)

宇宙港の店先でジャンクフードを食べながら、パイアールは改めてコロニーの中を見渡す。

個人所有のコロニーで、この規模は滅多に無いのだろう。

見渡す限りの草原の向こうにある、白亜の建物。さっきまでいたあの建物も、色々と凄い設備やセキュリティがあるのだろう。

その中に、たった一人であの薔薇の中にいるのか。


(俺によく似た誰かを思って。

…思い出に生きると人はああも、悲しくなるのか)



パイアールは丁度、時間で出る定期便の船に乗り込む。

外から見たこのコロニーは、まるで星の海に浮かぶ閉じた貝殻の様だった。





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