7-10

 貴嶋の熱烈な信奉者である彼らが次世代のカオスを名乗り、貴嶋の復活を目論む理由には合点がいく。しかし上野にはどうしても解せない点があった。


『なぜ計画に篠山恵子を巻き込んだ?』


貴嶋の信奉者ではない恵子を計画に加えた理由が知りたかった。何故、恵子が選ばれてしまったのか。

千秋はしばしの沈黙を続け、溜息をついて答えた。


「佐藤瞬を排除するためです。9年前のカオス壊滅の捜査資料を見た時に私は疑問を持ちました。確かに三浦英司と名乗る男が当時カオスにいたはずなのに三浦に関する記述は不明な点が多い。キングもスパイダーも三浦のことは一切語らない。記録にはデータベースにある佐藤のDNAと三浦のDNAを照合しても一致しなかったとありました」


 上野の後方で千秋の話を聞いていた真紀はその時のことをよく覚えている。貴嶋の逮捕後、真紀は早河の指示で三浦英司のDNAとデータベースに保管されている佐藤瞬のDNAを照合したが結果は不一致だった。


「それから気になって、自作の解析ソフトを使って佐藤のDNAデータを調べたんです。プログラムには改竄かいざんの形跡がありました。佐藤のデータは別人のデータと入れ換えられていた。そんなことをするのはスパイダーしかいない。キングを脱獄させた時に佐藤のDNAデータの改竄をキングに問い質しました」


佐藤の生存を問われた貴嶋は無言で微笑むだけだった。貴嶋の態度で佐藤の生存を確信した千秋は佐藤の存在が後々の計画の妨げになると危惧した。


「佐藤瞬もキングを崇拝する人間にとってはある種の有名人でした。ネットに流れる真偽不明な情報には佐藤が凄腕の情報屋であったことも書き込まれていましたが、佐藤の情報は不確かなものが多く、あの男の能力がどの程度のものか見当がつかなかった。でも……」


 一転して歯切れの悪くなった千秋は言葉を切って視線を落とす。


「佐藤はあの女の弱点になる。佐藤の弱点もあの女です。だから佐藤を潰すならあの女が使えると思って……」

『あの女とは木村美月のことか?』

「……そうです」


美月を“あの女”と口走った時のみ、彼女の抑揚のない言葉に感情が現れた。


「篠山恵子と自殺した議員秘書の関係も調べればすぐにわかりました。篠山恵子は兄の自殺の件で佐藤を恨んでいた。佐藤を潰すには佐藤に恨みを抱く人間を利用すればいい。篠山恵子が佐藤を殺してくれるなら私には都合が良かったんです。結局は早河が佐藤を引き入れたおかげで失敗しましたけどね。やっぱり早河はどこまでも邪魔な男でした」


 恵子の元恋人の上野に突き付けられた残酷な真実。おそらく佐藤を恨んでいる者ならば誰でもよかったのだろう。

やりきれずに上野は椅子から腰を上げた。


『小山。後を頼む』

「はい」


上野と代わって今度は真紀が千秋の対面に腰掛けた。彼女は机を挟んで千秋と向かい合う。


「あなたは貴嶋を愛しているの?」

「……は?」


 千秋の顔が歪む。真紀は先ほど感じた千秋の感情の揺らぎの正体に気付いていた。


「美月ちゃんのことを“あの女”と言った時の土屋さんの顔、すごく悔しそうだった。あれは嫉妬じゃない?」

「嫉妬……?」

「貴嶋は美月ちゃんに会うために脱獄した。あなたはそれが気に入らなかった。違う?」


千秋は無言で視線を宙に彷徨さまよわせる。彼女は答えを必死で探していた。


「……私はキングを慕っていました。けれどそれは恋愛感情からではありません。キングには失望したんです。キングが脱獄した目的はカオスを復活させることではなかった。たかがひとりの女に会うために……裏切られた気分でしたよ。キングはそんな浮わついた人間じゃない。絶対的な王は孤高の存在でなければならない」


それが独りよがりな理想像だと千秋は気付かない。


「早河仁と木村美月。キングを弱くしたのはあの二人です。帝王には友達も恋人も必要ない。あの二人が邪魔だった……」

「だから早河さんの命も狙い、彼の娘を誘拐したの?」

「娘の誘拐は早河の動きを分散させることが狙いでした。娘が誘拐されたとなれば早河はキングを追うどころではなくなり、早河の視点はこちらから逸れる。篠山恵子も木村美月に復讐したがっていたから早河の娘と木村美月の息子を一緒に誘拐したんです。でもクイーンの遺品から木犀館の居場所を突き止められるとは思いませんでしたけどね。クイーンの存在は完全に盲点でした」


 篠山恵子は木村隼人の存在が誤算だと語っていたが、千秋にとっては9年前に貴嶋に殺されたカオスのクイーン、寺沢莉央が最大の誤算だったようだ。

莉央の遺品が早河の妻のなぎさに渡っていることを千秋は知らない。


所詮は千秋が知るカオスの情報もネットのデータ上のこと。データだけではわからない、人と人の心の繋がりが千秋には見えていない。

9年前に莉央が命を懸けて貴嶋を止めた理由も千秋にはわからないだろう。


「モリアーティはライヘンバッハで死んだ。キングもそう。もうあのキングは使い物にならない脱け殻。私の理想郷を作れる人ではない。だったら私が次のカオスのキングになる。あの人を殺して私がキングを“継承”する。帝王はひとりいればいい。“キング”の復活のために邪魔者をすべて排除したかった」


 未成年者集団自殺事件、早河真愛と木村斗真の誘拐事件、木村隼人の殺人未遂、佐藤瞬と貴嶋佑聖の殺害計画――


早河と美月の排除と貴嶋の殺害を目論んだダンタリオンの土屋千秋、

未成年者の命を捧げてキングの復活を願ったシトリーの小柳岳、

佐藤と美月への復讐を企てたべリアルの篠山恵子、

貴嶋に異常な執着と陶酔を抱くバティン、バルバトス、アモン、オロバスはそれぞれ就職浪人や非正規雇用の生活困窮者達、

金で雇われていた中国国籍のグレモリーとアメリカ国籍の男二人組。


 一連の事件は複数の人間の思惑が入り乱れて複雑化した事件だった。それぞれの事件に主犯がいて、皆がそれぞれの動機で動いていた。


 篠山恵子も他の者達もダンタリオンの正体を知らなかった。彼らはトークアプリで連絡を交わし、ネットではなく現地に集まっても互いの本名や職業を知らせなかった。

生存しているバティンやオロバス、グレモリーも仲間の本名や年齢を認知していなかった。


そしてダンタリオンの土屋千秋は現地にも姿を見せずにネットの中で彼らを操り、人形遣いを気取っていた。


「バティンやアモンは犯罪を犯す自分に酔っていたので動かしやすかったですよ。奴らは次世代のカオスを自分が担っている気になっていた。馬鹿がつくほど単純で滑稽でしたね」

「一番自分に酔っているのはあなたでしょう?」


 笑いながら仲間を愚弄する千秋に真紀は冷たく言い放つ。


「スパイダーと接触して貴嶋がどうして多くの部下に崇められていたかわかった気がする。あなた達のように貴嶋を神格化している部下もいたでしょうね。だけど前のカオス幹部、少なくとも佐藤やスパイダーは貴嶋を神とは思っていなかったはずよ」


 府中刑務所で山内慎也と交わした会話を真紀はひとつひとつ思い浮かべた。千秋達を次世代の犯罪組織カオスとすれば、スパイダーの山内慎也と佐藤瞬は犯罪組織カオスの旧幹部。

山内と佐藤は貴嶋佑聖が作り上げた“本物の犯罪組織カオス”のメンバーだ。


「佐藤もスパイダーも貴嶋を主としてだけではなく、仲間として慕っていた。貴嶋も側近達は大切にしていたそうよ。私には理解できないことも多いけれど彼らなりの友情だったのね。でもあなたは違う」


次世代犯罪組織カオスは寄せ集めのかりそめの集団。千秋にも他のメンバーにも仲間意識はなかったのかもしれない。


「あなたはあのリゾートホテルに仕掛けた爆弾で貴嶋と美月ちゃんを殺そうとした。ホテルにいたあなたの仲間達にも爆弾の存在は知らされていなかった。あなたは貴嶋や美月ちゃんだけでなく、仲間までも殺そうとした」

「私に仲間はいない。仲間なんかいらない」


鋭い眼光で千秋は真紀を睨み付けた。


「貴嶋はあなたのために生きていたわけじゃない。あなたは自分の孤独を貴嶋に押し付けていただけ。自分が孤独だから貴嶋にも孤独でいて欲しいなんて、ワガママで身勝手な子どもの言い分ね」

「うるさいっ!」

「だからキングになれなかったのよ。あなたがキングになれなかったのは女だからじゃない。誰も必要としていなかったからよ。あなたは自分しか信じていない。そうやって私は独りですって顔をして孤独に酔いしれている」

「……黙れ!」


 千秋は拳で机を何度も叩いて乱暴に立ち上がった。反動で椅子が大きな音を立てて横に倒れる。

千秋が怒鳴ってもわめいても真紀は平然としていた。


「座りなさい。まだ聴取は続いているのよ」


真紀にたしなめられ、千秋は舌打ちして上野が元に戻した椅子に座り直す。憮然とした彼女は真紀から顔を背けた。


 真紀は上野と目を合わせた。上野の黙諾を見届けて彼女は席を立つ。しばらく休憩だ。

取調室を出ようとした真紀は振り向いてもう一度千秋に問いかける。


「本当に貴嶋のこと愛していなかったの?」

「愛なんか……私は知らない。必要もない」


 それっきり千秋は口を閉ざした。真一文字に結ばれた震えた唇が、決して認めたくない感情の表れのように真紀には思えた。

土屋千秋は愛を知らない人間だった。

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