6-10

 絶句する千秋は震える手で紙を引き裂いて粉々に破り捨てた。紙吹雪が舞う中、千秋は真紀を睨み付ける。


「真紀さんはこんなものを信じるんですか? 全部私に罪を擦り付けるための陰謀ですよ」


ここまで来ても自分がダンタリオンであると認めない千秋に真紀は最後の追い討ちをかけた。


「この告発文はファンサイトのハッキングに成功しなければ現れない。貴嶋は誰かがあのファンサイトの存在に気付いてハッキングを成し遂げてくれると賭け、サイトの管理人のあなたに気付かれないようこの告発文を仕掛けた」


 告発文に辿り着いたのは貴嶋の読み通り、犯罪組織カオスのスパイダーの異名を持つ山内慎也だった。


 今回の貴嶋のSOSの方法は9年前のカオス壊滅時に山内がハッキングのトラップに仕掛けた細工と似ていると矢野一輝が指摘した。

9年前は山内のハッキングパターンの解析を担当した矢野が仕込まれた山内のSOSに気付いた。その山内が9年後に似た形で貴嶋のSOSに気付いた。


必ず、その小さな綻びから真相に気付く者が現れると見越して。


 最初にダンタリオンのファンサイトの存在に気付いたのは彼に兄を殺されたなぎさ、確実にハッキングを成功させるために山内へのハッキングの依頼を働きかけたのは早河だ。

貴嶋の一縷の望みを受け取ったのは図らずも彼との因縁が深い早河となぎさだった。


「あなたは自分の力を過信していた。セキュリティが破られることはないと高をくくっていた。でもスパイダーはあなたのご自慢のセキュリティを破ってハッキングを成功させ、貴嶋もあなたに知られないようサイトに仕掛けを施した。あちらの方が一枚上だったのよ」

「……黙れ。黙れ黙れ黙れ!」


 とうとう本性を剥き出しにした千秋が地団駄を踏む。衝撃で車が横に揺れ、叫び声をあげた千秋が真紀に襲いかかった。

千秋の両手が真紀の首を強く掴む。二人の女の取っ組み合いを止めようと、運転席の扉が開いて刑事が数人がかりで千秋を車から引きずり降ろした。


千秋を取り押さえたのは地下駐車場で待機していた捜査本部の刑事達。すべて早河と真紀の計画通りだ。


『小山さん! 大丈夫ですかっ』


 助手席の扉を開けて真紀を救出した杉浦刑事がふらつく彼女を支えた。


「大丈夫。ありがとう」


軽く咳き込んで目眩もしたが、体に受けた衝撃よりも部下だった千秋の豹変した姿を目の当たりにしたショックが大きい。


千秋は取り押さえられてもまだ暴れていた。彼女を取り囲む刑事の中には千秋の同僚の芳賀敬太もいる。芳賀は悲痛な面持ちで千秋を見つめていた。


 まだ明らかにしなければいけないことがある。真紀は刑事の群れを掻き分けて手錠をかけられた千秋の正面に立った。


「土屋さん、あなた……もしかしてトランスジェンダーなの?」


千秋の抵抗がぴたりと止まる。振り乱した髪が顔にかかって、千秋の表情はこちらからは見えない。


「貴嶋の告発文には女性のあなたをと書いていた。それとこれは早河さんの奥さんが気付いたことだけどダンタリオンのサイトの掲示板、あなたとゲストとのやりとりの言葉遣いは男性的な印象を受けた。だから私もダンタリオンは男だと無意識に思い込んでいた」


 〈トランスジェンダー〉身体の性は男でありながら心の性は女の男性、身体の性は女でありながら心の性は男の女性、身体の性と心の性の不一致。


「あなたは男の心を持っているの?」

「……それならまだよかったんだけどな」


千秋は鼻で笑った。千秋の声はそれまで出していた声よりも数段低く、男性に似せた声色だった。


は女だ。トランスジェンダーでもないただの女。だから……だから……キングになりたかった。あの方のような……。それをお前達が邪魔した」


 ここにいるすべての刑事を睨み付ける千秋の目は殺気に満ちている。見るに堪えかねた芳賀が千秋に歩み寄った。


『なんでだよ土屋……なんでこんなことしたんだよ!』

「お前に何がわかる? 男のお前には俺の苦しみは一生わからないだろうな」


冷ややかな視線を向けられた芳賀は何も言えずに押し黙った。


 芳賀に宝塚の魅力を生き生きと語っていた土屋千秋はもういない。

そもそもあれは本当の千秋だったのか?

自分の見てきたものがくつがえる。信じてきたものが覆る。

女の土屋千秋と男のダンタリオン。どちらが本物の土屋千秋?


 芳賀を小馬鹿にして笑った千秋の頬を真紀が一発打った。千秋の青白い頬に赤い跡が浮かび上がる。


「……何すんだよ」

「あなたはキングにはなれない。なれたとしても貴嶋佑聖にはなれない。あなたは誰も必要としていないから」


千秋の笑い声が地下駐車場に反響した。これは心が壊れた人間の笑い方だ。


「偉そうに……意味がわからねぇ」

「自分のことを考えて心配してくれる人を無下に扱うあなたのような人間に、人の上に立つ資格はないと言ってるのよ」


 土屋千秋はキングになれなかった。彼は……いや、彼女は独りだったから。

本当は独りではないのに彼女は誰も必要としていない。

孤独だけでは玉座には座れないことを、彼女は知らなかった。



第六章 END

→第七章 月下美人 に続く

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